「え?今日の夕飯を作らせてほしい?」
「はい。インハイ頑張った雛姉にちょっとしたサプライズみたいなことをしたくて」
昨日の夜、風呂上がりに麦姉と一緒に雛姉のことを話していたときに思いついたサプライズ。我ながら凄いアイデアだと頭に浮かんだ瞬間は思ったけれど、言ってしまえば周りより
「でもどうして?」
「それは」
「元気づけたいんだってさ。雛を」
「ちょっ、麦姉」
「どうせならホントのこと言っておいたほうがいいじゃん。半端にやるより」
曜子さんには朝ご飯のタイミングでサプライズのことを話した。あくまで本当の目的は適当にぼかすつもりが、ちょうど隣に座って食べていた麦姉からあっさりとバラされてしまった。もちろん麦姉の性格的にわざとなのはすぐわかった。
「ありがとね。ここまで雛のこと思ってくれて」
「いえ。俺はただ、雛姉には少しでも笑顔でいて欲しいってだけなんで」
麦姉と昨日寝る前に話したことを明かすと、曜子さんは腹を決めたように微笑みながら感謝を告げた。思っていたより大事になりそうな気配を感じたけれど、こっちもこのまま行くと決めた。
「どうせだったら雛と2人で話す時間作る?」
「いやいや、それは曜子さんに悪いっすよ」
「こういうときに頼るのが大人というものよ。雛にバレないように段取りは考えるから」
こうした経緯があって、俺は曜子さんも協力のもと蝶野家では月1の定番だというチキン南蛮を雛姉へ振る舞うサプライズをした後、1対1で雛姉と腹を割って話すことになった。
「こんな時間に電話なんて誰なんだろうね?」
会社の人から電話が来たという曜子さんが中々に上手い演技でリビングの外に行くと、蝶野家の食卓は俺と雛姉の2人だけになった。お膳出ては済んで、後はいつも通りにさり気なく昨日のメッセのことを聞くだけ。
「…飛鷹くん?」
なのに、冗談抜きでバドの試合の10倍くらい心が緊張しているせいで言葉が出ない。いざ目の前にいる雛姉が本当はどう思っているかを意識すると、いつもの自分がどこかに飛んで行きそうになる。
確かなのは、花火大会より前の
「雛姉。ひとつ聞きたいことがあるんだけどいい?」
「うん。いいよ」
腹を決めて、箸を置いて視線を合わせてきっかけを口にする。もしかしたら機嫌を損ねさせてしまうかもしれないという後ろめたさと、余計な意識による緊張のせいでさり気ない流れで聞くという
「…2位で終わるのって、やっぱ悔しい?」
“どうしてそんなこと聞くの?”と怪訝な顔で返される覚悟で、俺のことを少し不思議そうに見つめる瞳に視線を真っ直ぐ合わせて問いかける。インターハイはゴールではなく、何処にあるかもわからないゴールまで続く先の見えない道中にあるターニングポイントに過ぎない。そうだとしても、負けて終わることはきっと悔しい。
「いまの目標はインターハイで優勝することだけど、自分が体操選手としてどうなっていくかとか最終的にどうなりたいとか、ハッキリと決められるほど私はまだ偉くないし」
少なくとも
「…昨日送ったメッセのこと?」
椅子の背もたれに背中を預けて、雛姉は優しく俺に問う。さすがは全国でもトップレベルの選手なだけあって、いつも俺が考えていることの一歩先を読んでくる。
「そう、だけどよくわかったな」
「だって“2位で悔しい?”って聞かれたら心当たりがあるのは1つだけだもん」
まるで聞かれる前からわかっていたかのような口ぶりで微笑むから、尻切れトンボみたいなリアクションをしてしまった。もう丸一日経ってすっかり吹っ切れたようにも、心配させまいと強がっているようにも見える雛姉の小さな笑み。
「あのメッセの通り、“優勝は出来なかったけど悔いはなし”なのは本当だよ」
「でも満足はしてないってとこ?」
たまに見せる何を考えているかが視えないその
「当たり前じゃん。勝てなかったんだから」
笑みを崩さず、雛姉は飄々としたまま満足はしていないと俺に告げる。これは“認めた”と言ってもいいのだろうか。
「もしかして今日の夕ご飯はインターハイ準優勝を祝うためじゃなくて、励ますために作ったってこと?」
「祝いも含めて」
優しく諭すような口調で言われた図星に、俺は誤魔化すことなく頷く。
「余計なお世話かもしれねえけど、どうやったら雛姉の力になれるかって俺なりに考えた……それが
もし雛姉が余計な
「メッセが返ってくる前に曜子さんから“2位だった”って聞いたとき、予選で遊佐さんに負けたときぐらい…ってか、それ以上に俺は悔しかった。俺ですらこんなに悔しいんだったら、雛姉は絶対こんなもんじゃねえだろうなって思ってさ…」
でも、雛姉の返信を見て俺が
「…ぷはっ」
悔しい気持ちを打ち明けた俺の眼を見て、お互いに次の言葉を失くし箸を置いたままほんの数秒ほど無言で見つめ合ったあと、雛姉が利き手で口元を抑え堪えきれない様子で吹き出す。
「ほんっと優しいなぁ飛鷹くんは」
そしていつかの体育館で言われた言葉と一緒に向けられる、普段から割とよく見る悪戯っぽい見慣れた笑み。曜子さんが電話でリビングから出て行ってからどこか張り詰めていた緊張の糸が切れて、ようやく和やかな空気が食卓に戻る。
「そんなに優しいか俺って?」
「少なくとも世の中の平均値よりは余裕で上でしょ」
ピンと来ない俺を見て、微笑ましく笑う雛姉。“俺に本音を言って欲しい”という傲慢な気持ちはインハイにすら出ていない俺にはやっぱりまだ言えないけれど、あのメッセージを見て感じた気持ちは伝えることはできた。
「飛鷹くんが作ったチキン南蛮、ほんとに美味しい」
「…そっか」
「もし良かったらまた作ってよ」
「ははっ、雛姉から言われると冥利に尽きるわ」
別に無理をしてでも知ろうとは思わない。ただ俺の“悔しい”って気持ちがほんのちょっとでもこの人の心に伝わってくれたらと、俺は思う。
「…自分の演技には本当に満足してるんだよ。力んじゃってイマイチだった去年とか一昨年とは違って、これ以上の演技は出来ないなってくらい最初から最後まで完璧でさ、もうこれは絶対に勝てるって自信があったけど
他愛のない会話から少しの間を置いて、雛姉は隠すのを観念した様子で昨日のメッセでは伝えなかった心の内を明かす。絶対いま思うことじゃないけど、何だか真犯人を追い詰めている探偵みたいな気分だ。
「飛鷹くんの言う通り、2位で終わるのは本当に悔しい……だけどさ、こんなに悔しい気持ちになれるのって実はものすごく幸せなことなんじゃないかって思う」
俺を真っ直ぐ見つめる瞳が、ほんの僅かに鋭くなる。文字だけじゃわからない心の内側に秘めた悔しさを抱えながら、それでも前を向き続ける力強い意思が伝わる。
「完璧な演技が出来ても自分が1番じゃなきゃ満足できないこの悔しさが、まだまだ私は上に羽ばたけるんだってことを教えてくれるんだよ…」
やっぱり、この人にはまだ到底敵わないな。悔しさを表に出しながらも力強くそう言い切った雛姉の表情と心強さに触れて、俺は思った。
「…敵わないな。雛姉には」
「こう見えてもメンタルは強いほうだから」
「それはずっと前から知ってる」
そのまま無意識に外へと溢れた心の声に、雛姉は“当たり前”と言いたげに堂々とリアクションを返す。
「俺も負けが続くのは嫌だから、本気で1番目指すよ」
俺が遊佐さんに挑んで負けたときに感じた気持ちと、雛姉が1位になった選手に負けたときに感じた気持ちは、一見似ているようで全然違う。恐らくそれは、誰かの背中を追いかけているうちじゃまだ視ることも知ることも出来ない感情。
「1番になって
これがきっと……インターハイに行けた雛姉とインターハイに行けなかった俺の間にある
「それはインターハイの1番ってこと?」
「いや、いっそのこと日本代表も視野に目指そうかなって思うわ」
「随分な飛躍だなお主」
「前も言ったろ。行けるとこまで行って燃え尽きるって」
“1番”の意味を冗談半分で聞いてきた雛姉に、負けじと湧いて出た願望で返す。ぶっちゃけ半分くらいは根拠なんてない強がりなところはあれど、雛姉と本音で向き合ったいま感じているこの気持ちと言葉は決して嘘じゃないと俺は言いたい。
「“1番になる”っていうのはそういうことだから」
きっと俺は、雛姉が
「…本気で言ってる?」
「じゃなきゃ雛姉に言わない」
花火大会のときに聞かれた目標の答えを告げた俺に、雛姉は静かに覚悟を試す。もちろん本気じゃなきゃ言葉にはしないから、迷わず即答で答える。
「そうだよね。飛鷹くんはすぐ顔に出るんだから」
本気だと伝える俺を見て、心なしか嬉しそうに小さく笑う雛姉。麦姉が言っていた通り、雛姉は俺に身内として心を開いて接してくれている。
「その真っ直ぐさは君にとってスマッシュ以上の武器になるから、言ったからにはがむしゃらで頑張れ一年生」
「おう。先ずは1年のうちに大喜先輩に勝ってバド部で1番になってやるわ」
「やったれやったれっ」
ただやっぱり、雛姉にとっての俺はまだ“はとこ”のままなんだと……穏やかな笑顔を見て感じた。
「同僚の人からだった」
「こんな時間に?」
「そうそう。もうこっちは休みなんだから勘弁してほしいって話よ……で、なんの話してたっけ?」
「確か曜子さんが日本選手権に出てた話でした」
「えぇ~私のことなんて全然大したことないよ~」
「日本選手権出てるのに?」
「それよりお父さんの話はどう?オリンピックと世界選手権で優勝した“レジェンド”がどのようにして誕生したかとか」
「何それめっちゃ気になるっす」
もっと雛姉の力になりたいからと自分なりに考えたサプライズは、ひとまず蝶野家の胃袋を掴んだということで俺的には成功の形で終わった。
「お母さん。残り私やる」
「いいの?」
「あんなにいいサプライズされたらこれぐらいはやっておかないとだし」
「そっ。じゃあよろしく」
飛鷹くんが作ってくれた夕ご飯を食べ終えた後、その飛鷹くんがお風呂に入ったタイミングで私はキッチンへ向かいお母さんに代わって食器を洗う。
「…さっきの電話、会社の人じゃないでしょ」
という建前を利用して、リビングへ戻ろうとしたお母さんを呼び止める。
「ん〜なんのこと?」
「お母さんが電話に出るとき、チラッとだけどスマホの画面が黒いままだったのが見えちゃったからもしかしてって思った」
「え~見間違いじゃない?」
「あと飛鷹くんが急に演説みたいなこと始めたときもお母さん私と違って知ってそうな顔してたし」
私からの質問に、怪訝さが1ミリも感じられないわざとらしさ全開の返答で答えるお母さん。飛鷹くんの作ったチキン南蛮を食べる前からだろうなと察していたし電話の下りも何だか不自然でもうほぼバレバレだったけど、やっぱりお母さんのお膳立てがあったみたいだ。
「私と飛鷹くんを
返って来るリアクションから察して、私は核心を突く。
「その前に雛に質問」
「やだ私の質問に答えてから」
「飛鷹くんに
「それだけはホントにやめて」
「ありがとう雛」
「…ねえ本当に言わないでねあのことだけは」
「大丈夫言わないよさすがに」
意図を聞いた私を
「大丈夫って返ってくる前提で聞くけど、無理してない?」
手を止めずに食器を洗い続ける視界の外から聞こえてくる、少しだけ心配そうに気遣うお母さんの声。それもそうだ。結果的に私のインターハイは
「大丈夫。悔しかったってことは伝えたから」
「そっか」
視線を向けずに“大丈夫”と答えた私に、お母さんは優しく相槌を打つ。こっちが何か言わずともこの人やお姉ちゃんには色々と伝わってしまうことは、家族だからとっくに知っている。もちろん無理なんかしてないし、一晩経って昨日のことは冷静に振り返られるくらいには気持ちも切り替えられた。
「飛鷹くんと本音で話す機会を作ってくれたってこと?」
「雛の想像にお任せするわ」
「じゃあそういう解釈ってことにする」
ただ代わりに、気掛かりなことがひとつ出来てしまった。
「…実際さ、お世話になってるとはいえ血が繋がってるわけでもないのにあそこまで親戚のことを応援してくれる人って中々いないんじゃない?」
少しの沈黙を挟んで、お母さんがまた話しかける。
「うん。本人には言ってあるけど、飛鷹くんはめちゃくちゃ優しいから」
「ふふっ、お母さんも同意見」
「勝負の世界にいるのに優し過ぎて逆に心配になるくらいね」
「それも同意見」
洗い終えたお皿やコップを隣の籠に移しながら、さっき飛鷹くんへ言ったのと同じ
「飛鷹くんのこと、大事にしてね」
改めて確認するように、お母さんは念を押す。
「うん。分かってるよ」
「あと、後輩の背中を押したいからって
言われなくとも分かっていることを言われて若干投げやりになった心の中を見透かされ、返答に被せる勢いでお母さんが冷静な声色で諭す。まるで私が飛鷹くんを前にして空元気で強がっているみたいな言い草。
「…ちゃんと意識する」
「不服そうね?」
「お母さんのたまに“私全部分かってます感”を出してくるところだけはいけ好かん」
「だってすぐに顔に出るんだもん
「…うっさい」
あながち間違ってない絶妙に痛いところを突かれ、ついムッとなって年に数回の頻度で現れる大人に対して反抗的な自分が外側に現れる。もちろん飛鷹くんに対してはあくまで“お姉さん”として接しようと意識しているから多少は強がっている節はあるし、大学まで体操を続けていたお母さんの“溜め込むのは毒”というアドバイスも正しい。
「でも、飛鷹くんの前ではちょっとだけ“強い
それでも、私は飛鷹くんへ甘えるようなことはしたくない。あくまで飛鷹くんとは自分が辛くなったときに肩を預ける関係じゃなくて、
「ま、どうしても自分だけじゃ無理ならいつでも麦やお母さんに頼りな。お父さんでもいいけど」
「言われなくてもそうさせてもらいます」
「雛姉がいなかったら恵介とも仲直り出来なかったし、水泳と同じようにバドミントンも楽しめなくなって、多分諦めてた……だからありがとう。あのとき俺に“絶対大丈夫”って言ってくれて」
「雛姉。風呂上がった」
「うん。オッケー」
お風呂から上がり、Tシャツと短パンのジャージに着替えた飛鷹くんがリビングに顔を出す。乾かした後で寝ているからか、大喜と同じくらいの長さまで切っていた髪がいつの間にか少し伸びたことにふと気づく。
「ちょっと伸びたね髪」
「あ~、そういやあれから切ってねえな」
「そろそろ切る?」
わざわざ言うほどのことではないけど敢えて言ってみたら、目に掛かるか掛からないくらいの長さになった前髪を指先で弄りながら曖昧なリアクションを返す。“心が変わりたいって叫んでた”なんて青春群像劇のタイトルみたいな理由で髪を切ったのは、記憶が正しかったら県予選の3週間前。
「んー、切ろうとは思うけどあそこまで短くはしないと思うわ」
「“変わりたい”って言ってなかったっけ?」
「次は中身を変えるときだって気づいた。的な」
「飛鷹くんって“的な”ってワード使いがちだよね?」
ソファーに座ってお父さんから送られていた映像とデータを踏まえての反省点をスマホのノートにまとめながら聞いた私に、飛鷹くんは“次は中身だ”と自信ありげに言いながら空いていた右側に座る。これはもしやさっきの話の影響だろうか、と
「お風呂入ってくる」
「おう」
なんて憶測はさておき、とりあえずスマホに書いた総括のことを聞かれる前に私はソファーから立ち上がり、着替えを取りに部屋へと戻る。
「雛姉。おやすみ」
リビングから出る間際に後ろから声を掛けられ、私の振り返りざまに軽く手を振る飛鷹くん。
「うん。おやすみ」
もうすっかり家族の1人になってリビングのソファーにくつろぐ
「……」
私にとって、飛鷹くんがいることは本当に心の支えになっているし、“蝶野選手の娘”というプレッシャーと視線をほとんど気にすることなく演技が出来たのも、きっと飛鷹くんがいたからだ。
「余計なお世話かもしれねえけど、どうやったら雛姉の力になれるかって俺なりに考えた」
なんて、まるで自分が力不足だったせいで私が負けたみたいなことを言ってたけれど、むしろインターハイで2位まで行けたのは飛鷹くんが
だから飛鷹くんが私のことで悔しがる必要なんて、全くない。
そう思っていたのに、自分のことでもないのに本気で悔しがって、あんなに気持ちを込めたサプライズまでしてくれる飛鷹くんの真っ直ぐな瞳を見て、不謹慎だけど嬉しく思った自分がいた。
「1番になって同じ高さの場所に立てば、雛姉の感じた悔しさがわかるはずだから」
“切り替えた”と言葉にはしてみても心の奥でずっと残り続けている、誰にも言えないこの
向けている感情は違えど、
「どうして
難儀なのは、そんな飛鷹くんの真っ直ぐな優しさに触れるほど無意識に大喜と重ねてしまう……“弱い
「…鉢合わせる前にお風呂入ろ」
時間を忘れて考え込む前に頭と心の中をリセットして、私は着替えを持って部屋を出た。
サブタイトル、どちゃくそに悩みました。
ちなみにいまの飛鷹の髪型は『THE BAND』という漫画の主人公・新木友平ぐらいの長さです。