黒曜帝国記   作:社畜新兵

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今回は短編集みたいな感じです。


第十五章「魔女たちの訓練と任務、帝国の日常」

 

「ロードワーク」

 

「よし!10kmマラソン!いけ!!」

「はい!」

「Yes,Ma’am!!」

「Uno!Dos!Uno!Dos!」

ナタリアと小早川は勢いよくロードワークに走り出した。二人は若くハツラツとしていて、まさに伸び盛りだ。

「ねえ!ねえってば!」

走りながら小早川がナタリアに話しかける。

「話しかけるな、ちゃんと走れよ」

ナタリアはそっけなく答えた。

「あんた王国人でしょ?なんで帝国軍に入隊したの?」

「教えない」

ナタリアは顔も向けず、淡々と走り続ける。

「そういうお前は?」

「ああ、私ね。密輸人だったの。空港でアレスティアの木の実が見つかっちゃって。無罪放免の代わりにここに来たってわけ」

「は、バカだな。狂戦士の実は王国でも禁止されてるのに」

「はい、私は話したわよ。そっちの番」

ナタリアは大きく息を吐き、ペースを上げた。

「ちょっと、待ってよ!」

「七歳のころ、魔女狩りで両親が殺された!村の連中に、昨日まで挨拶してた奴らが!!私の家を焼き!父さんと母さんを殺した!!」

ナタリアはさらに速度を上げた。

「だから!私は王国が憎い!!」

坂道を駆け上がり、二人は中継地点で足を止めた。

「はぁ…はぁ…なるほどね」

小早川は汗を拭いながら、ナタリアの横顔をちらりと見た。

「悪いこと聞いちゃったか…」

「はーい、お二人さん、お疲れ様〜」

木陰で二人を待っていたヨアヒムが、水の入ったボトルを2人に差し出す。

「ありがとうございます、大佐」

「感謝します、司令」

「ふふ、聞いたわよ〜ナタリア」

ヨアヒムが水を飲むナタリアに微笑みかける。

「ねえ、知ってる?」

「なんです?」

ナタリアが首を傾げる。

「王国での魔女狩りが起こるように仕向けたのは、私たち『メディナ機関』よ。あなたのご両親の敵は、目の前にいる、わ、た、し、かもしれない」

ナタリアは一瞬、無表情になった。まるで全てを呑み込むように、じっとヨアヒムの黄金色の瞳を見つめる。そして静かに答えた。

「いいえ、違います。周りに流され、私の親を殺したのは村人です」

「あら!いい子ね!」

ヨアヒムが満足そうに微笑むと、そっとナタリアを抱きしめた。

「私、あなたのこと大好きよ、ナタリア。本当にいい子!」

その様子を見ながら、小早川は言い知れぬ違和感を覚えた。

「これが帝国のやり方…」

人の心をゆっくりと溶かし、染め上げ、従わせる。敵国の市民さえも味方に引き込むのだ。戦場では銃よりも、言葉が時に最も強い武器になる。

小早川はそのことを、今まさに目の当たりにしていた。

「恋をしよう」

 

メディナ機関J機関の作戦会議室。

いつものように張り詰めた空気……かと思いきや、今日の司令官のヨアヒムはやけにご機嫌だった。

円卓に座るヘルムートと小早川比呂、そしてナタリア。

彼女たちに向かって、司令官ヨアヒム・ベルリッヒが口を開く。

「あなたたちには、帝国立の高校に編入してもらいます!」

「高校?」

ヘルムートの眉がピクリと動いた。

「なんで今さら……」

比呂も困惑した表情でつぶやく。

泥にまみれ、厳しい戦闘訓練の日々を送る二人に、今さら学園生活とは、あまりにも急すぎる。

「これも任務だ。疑問を持つな」

ヘルムートが淡々と言い放つ。

だが、そのヘルムートでさえ、次にヨアヒムが告げた「任務」に目を丸くした。

「あなたたちの任務は——」

「任務は?」

ナタリアが思わずオウム返しに訊き返す。

「恋人を作ることです!!!」

作戦会議室に、沈黙と衝撃が走った。

「はぁ!?」

「なんですかそれ!」

「はははっ!傑作だ!高校で男漁りかよ!」

ヘルムートが吹き出し、小早川は机を叩いた。ヨアヒムはそんな3人を見下ろし、にこにこしながら続ける。

「ヘルムート、黙って。」

「ちょっと待ってください司令官!恋人って、どういうことですか!!」

「そうですよ!いきなり恋人作れなんて・・・・・・」

ナタリアと比呂が声を揃えて反発する。すると、ヨアヒムは眼鏡をくいっと持ち上げ、諭すように説明する。

「これは、あなたたちに必要なことなの。いい?恋を知り、愛を知り、女の子はオトナ女になるのよ」

「はぁ……」

「して、期限は?」

ヘルムートが煙草を吹かしながら聞いた。

「そうね……1年。」

「長いなぁ。」

紫煙をくゆらせながらヘルムートがぼやく。

「1年も部隊から離れるんですか!?そんなの嫌です!!」

ナタリアと比呂が食い気味に抗議するが、ヨアヒムは優雅に笑うだけ。

「違うわよ。1年以内に恋人を作って、私のもとに連れてきなさい。私が“お母さんの役”をやるから。連れてきた相手が“合格”なら、あなたたちを正式な隊員として認めるわ」

「合格なら、ね……」

「じゃあ、不合格なら?」

ナタリアが恐る恐る尋ねる。

ヘルムートが肩をすくめ、冷たい笑みを浮かべた。

「そりゃ、お前……前線送りだよ。ただの歩兵として配置される。私たちとは、さよならバイバイだ」

「そ、そんな……!」

「今までの苦労が全部パーじゃないですか!!」

小早川が悲鳴を上げる。

しかしヨアヒムは涼しい顔で告げた。

「色仕掛けもできない女スパイはいらない。あなたたちには女の武器を身に着けてもらうわ」

「はぁ……」

ヘルムートが再び煙を吐く。

「棚から牡丹餅みたいに結婚したやつが、よく言うよ。」

「なによそれ!」

ヨアヒムがヘルムートをにらみつけるが、すぐに笑顔に戻る。

「じゃあ、これにてお開き、この封筒に入学に必要なものは全部入ってるわ!さぁ、二人とも行ってらっしゃい!」

ヨアヒムはナタリアと比呂に封筒を手渡した。帝都の名門高校の入学書類だ。

「頑張ってな〜。」

ヘルムートは手を振って、気楽そうに見送る。

「ど、どうしよう……どうしよう……どうしよう……!」

ナタリアは封筒を抱えたまま、立ち尽くす。

「ははは……今さら高校とか……」

小早川は青ざめた顔で呟く。

こうして、まだ恋も知らない10代の少女たちは、恋を知り、愛を知り、大人になるための「戦場」に放り込まれるのだった。

 

「ナタリアの任務」

 

「ナタリア、狙撃の準備は?」

スポッターのヘルムートが、ナタリアにそっと確認する。

「隊長、できています」

ナタリアは淡々と答えた。その手には帝国が誇る。最高精度スナイパーライフル。

二人は身をひそめ、静かに獲物を待っている。森に伏せ、スコープ目標を監視し、ライフルを構える。

標的は宮殿に集う貴族たち。金と宝石で飾られた、その中でもひときわ派手で恰幅のいい金髪の男が目に止まった。

「一番派手な格好の、金髪の男それがマンガン侯だ。わかるか?距離1000ヤード11時方向、風が出ている。風5。上に10ミル、右に2.2ミル修正」

ヘルムートが単眼鏡を覗き込みながら指示を出す。

「距離1000ヤード。11時方向。上に10ミル、右に2.2ミル修正」

 ナタリアが復唱し、そっと静かに、スコープのダイアルを回す。カチチチダイヤルを回す

「ガンアップ」

 狙撃準備が完了したことを。ナタリアは短く伝えた。

「レディ」

ナタリアは静かに息を吐き、マンガン候の胸元を照準におさめた。

「フォイア」

 ヘルムートが合図し、ナタリアが引き金を引く。ターン。乾いた音が、森の静寂を突き破り。マズルブラストが草木を大きく揺らした。放たれた弾丸は。音速の壁を越え。マンガン候の胸を鮮血に染めた。

「命中。目標、膝をつき。吐血。致命傷だ。まず助からない」

 ヘルムートは淡々と観察し、正確な情報を伝える。森は静寂を保ったまま。まるで二人だけが、その森で息をしているように。深緑はすべてを覆い隠し。飲み込む。聞こえるのは、ナタリアがボルトを引いて、次弾を装填する「ガッ、シャコ」という金属音だけ。

「次だ。青い服を着た細身の男、マンガン侯の息子だ。距離950ヤード、10時方向」

「ガンアップ」

「スポッターアップ」

「レディ」

「フォイア」

ターン、再び響く銃声。細身の男は何が起きたのか理解する間もなく、頭を撃ち抜かれ、脳漿をばら撒きながら、庭の石畳に崩れ落ちた。美しい白のタイルが赤く染まる。

「次!庭を逃げているのが娘だ。3時右端、距離1015ヤード、0.3ミル下げて準備できたら撃て」

 ヘルムートはナタリアの狙撃の癖を考慮し、修正指示を出した。この娘は上を狙いたがる。

 ナタリアは今度、復唱はせず。素早く正確に引き金を引いた。

ターン。銃声とともに、娘の足に銃創が開いた。倒れ込んだ彼女が悲鳴を上げる。

「半矢だぞ、楽にしてやれ」

「YES」

 ターン、乾いた銃声が響き。弾丸が飛翔する。弾丸は娘の頭から胴体に突き抜けた。

ヘルムート伏せたまま、ライフルを構えつつで周囲の脅威を索敵した。

「黒曜軍の警備部隊が来る前にずらかろう。味方とやり合うのはごめんだ」

ナタリアは無言のまま「了解」とハンドサイン。ライフルを背負い、ヘルムートに続いた。

血と硝煙の匂いが残る庭園を背に、二人の影は森の闇へと溶けていった。

 

 

「小早川の任務」

 

作戦司令室には淡い照明が落ち、わずかに漂う煙草の煙が室内をくすませている。作戦卓を挟み、ヨアヒムが一枚の封筒を差し出した。

その向かいに立つのは、小早川比呂。背筋を伸ばし、緊張した面持ちで命令書を受け取る。

「あなたには王国の女騎士として、フレイム王国に潜入してもらうわ。名前はコーム、最近うちで捕縛した女騎士よ。年齢や骨格はあなたに似ているはず」

ヨアヒムが淡々と説明する。その横で、椅子にもたれかかったヘルムートが煙草をくわえながら口を開いた。

「そいつになりすまして、フレイム王国の情報をもたらすんだ。いいか?一人でやろうとするな。使い捨ての諜報員を何人も作れ。そいつらから情報を吸い上げる。お前がやるのは、そう、スパイマスターだ」

「期間は?」

小早川が命令書をめくりながら尋ねた。

「期間は教えられない。任務完了と判断次第、こちらから連絡するわ」

ヨアヒムは淡々と告げる。

「場合によっちゃ、向こうで結婚して家庭を持つことになる。諜報員ってのは、そういうもんだ」

ヘルムートが紫煙を吐きながら、どこか遠くを見るように言った。

ヨアヒムが小早川の目を真っ直ぐ見つめる。

「あなたには辛い選択を迫ることもある。それでもやれる?」

ヘルムートが追い打ちをかけるように言葉を重ねた。

「今なら前線に戻る選択肢もあるぞ。お前は基礎能力も高いし、魔術も使える。新設する特殊部隊に推薦してやってもいい」

小早川は資料を静かに閉じ、息を吸った。

「やります。自分が諜報員として、どこまでやれるか、挑戦したいんです」

その言葉に、ヘルムートがにやりと笑う。

「その意気やヨシ!ならば行って来い!」

ヨアヒムも微かに微笑み、静かに告げた。

「あなたの武運長久を祈っているわ」

小早川は深く一礼し、作戦司令室を後にした。その背を、二人は静かに見送る。

 小早川が「女騎士コーム」として王国に潜入してから、3年が過ぎた。そんな時ある男が興奮した様子で部屋に飛び込んできた。

「やったぞ! コーム! 成功だ。やはり君の言ったとおりだった。魔術回路を分割して配置したのがよかった。ただやみくもにパワーを上げるだけじゃだめだったんだ!」

 彼は王宮錬金術師カイゼル。研究に没頭する彼の表情は、子供のように無邪気だった。

「うん、よかったわね、カイゼル。ひとまず食事にしましょう」

 コームはそう微笑んだ。彼女は今、女騎士コームとしてフレイム王国で暮らしている。カイゼルの研究に協力しサポートする。女騎士として彼の研究成果のテストを請け負っていた。そして成果を帝国にもたらす。

「やっぱり、君が来てくれてよかった。私にとっての奇跡だよ!」

 カイゼルは嬉しそうに笑いながら食事を取る。

「ふふ、ありがとう。そうやって笑ってるあなたは子どもみたいね。可愛いわ」

 彼女はカイゼルを見つめながら微笑んだ。二人はいつの間にか恋人になり、一緒にベッドを共にする仲だった。偽りの愛、それも、もう慣れたものだった。全ては帝国のため。

「あら、こんな時間……お祈りをしないと」

 フレイム教の信徒としての習慣に従い、女騎士コームは礼拝の時間を取る。だが、それは彼女にとって暗号通信のための時間だった。

「発カナリアから、笛吹きへ。研究は順調に進み、成果の引き渡しを……」

 床下に隠していた通信機を取り出し、迅速に報告を送る。その瞬間だった。

「そこを動くな!!」

 怒声とともに、扉が破られる音が響く。

「ちょっと!なんなんだ!」

 カイゼルの驚く声が部屋に響く。

「しまった……」

 瞬時に小早川は通信機を魔法で破壊した。しかし、すでに遅かった。

「女騎士コーム!スパイ容疑で逮捕する!帝国の女狐め!」

 憲兵隊が部屋に乱入し、彼女の両手に冷たい手錠がはめられた。

「そんな……コーム!」

「カイゼル……何かの間違いよ……!」

 彼女は必死に弁明したが、兵士たちは容赦なく彼女を引きずっていった。どうやら、別のスパイが彼女の情報を漏らしたらしい。

 冷たい地下牢。取り調べでは苛烈な尋問が行われていた。爪が剥がされ、回復魔法で直され、また剥がされる。

 小早川は耐え続けた。

「……私は、帝国に売られた」

 ついに、彼女はそう呟いた。

 尋問官はニヤリと笑い、机の上に帝国の小型暗号機を置いた。

「これでこの文章を打て。癖も、そのままに」

 小早川は従うしかなかった。示された文を一言一句違えずに、暗号機に打ち込む。

暗号は、ヨアヒムの元に届いた。

「カナリアから、暗号です。一言一句間違わずに、丁寧に」

 ヨアヒムは暗号を確認し、静かに言った。

「カナリアは捕らえられた。速やかにスイーパーに連絡、拘留されている場所を特定。急いで!」

「ヘルムート!ナタリア!急ぎの仕事よ!!」

「はいはい、間抜けが……」

「仲間ですよ、助けますよ、隊長!!」

 牢屋の鉄格子の隙間から、夜空の星が見えた。その時、食事が届けられる。パンの中には鍵が。

「スイーパー」フレイム王国に潜入した帝国のスパイが手を回したのだ。

「……遅かったじゃない」

 小早川は呟き、鍵を取り、走り出した。牢を抜け出し、城壁を目指す。あらかじめ覚えていた地図を頭の中で書き出した。ここを越えれば、駅まで一気に走れる。そう思った瞬間、背後で叫び声がした。

「止まれ!!」

 待ち伏せされていた兵士たちがライフルを向ける。

「惜しかったな」

 フレイム王国の兵士がニヤリと笑った。

「確かに、惜しかったわね」

 小早川も笑った。

「……何がおかしい?」

ターン!銃声が響く。

「命中、次!横の士官、撃て!」

「YES」

ターン!ナタリアの狙撃だ。

 兵士たちは次々と撃たれ、サーチライトが砕け散った。

「よお!!間抜け!!」

 ヘルムートが壁の上から手を伸ばす。

「遅かったじゃないですか、隊長」

 小早川の表情が、ようやく安堵に変わる。

 脱出用のヘリの中で、小早川は呟いた。

「見捨てられたのかと思いましたよ」

「何を言ってる!帝国は君を見捨てない!!だろ?」

 その言葉を聞き、小早川は微笑む。

帝国は君を見捨てない。

それは皇帝ヘーパイストスが捕虜たちに言った約束だった。

 

「会議」

 

前線から離れ、士官学校で教鞭を執ることになったヘルムート。

死線をくぐり抜けた日々から一転、平和な学び舎での新たな生活は、彼女にとって退屈この上なかった。こうなると、暇つぶしもしたくもなる。

それは、士官候補生たちの生意気な演説を叩き潰すこと。

「だからさ!黒曜軍はこのままじゃダメなんだ!革新が必要なんだよ!」

食堂の隅で、覚えたての言葉を振りかざし、下級生たちに熱弁を振るう若き士官候補生。

「特に!現在の陸軍ドクトリンには大きな問題があるんだ!例えば...」

気持ちよく下級生を囲い込み、自信満々に語るその背後に、黒い影が忍び寄る。

「——で、どう問題があるんだ?」

静かに響く、低く冷たい声。

「へ、ヘルムート教官!!」

候補生の顔が、一瞬で引きつった。

「どうした?続けろ。君の“御高説”を、ぜひこの私にも聞かせてくれ。」

「いや、その……」

もじもじと目を逸らす候補生。先ほどの勢いはどこへやら。

「お前は人にものを教えられるくらい偉くなったのか?ええ?お前はいつから教官になったんだ!!」

バンッ!義手の拳が机を叩きつける。候補生の肩がビクッと震えた。

「反省文1万文字!!今日中に私のところに持ってこい!!」

「は、はい……」

「聞こえないぞ!!!」

「はいっ!!!!!」

下級生たちは「ざまあみろ」と笑いをこらえ、ぞろぞろとその場を去っていく。

その様子を見届けると、ヘルムートはふっと満足げに笑った。これが、ヘルムートのささやかな日常の楽しみだった。

翌日。再び食堂の奥から、何やら熱弁する声が聞こえてくる。

「なになに?」

ヘルムートが耳を澄ます。

「ですが…皇帝陛下…」

「なんということ……!」

士官候補生の分際で、皇帝陛下にまで口を挟むとは。

憤慨したヘルムートは、足音を消しながら食堂の奥へと忍び寄った。

「私もその話、ぜひ混ぜてくれ!非常に興味がある!」

にっこり笑いながら声をかける。

次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、ヘルムートの顔から血の気が引いた。

そこに座っていたのは——

「皇帝陛下……!?」

テーブルには、黒曜帝国の皇帝ヘーパイストスその人だった。その隣には、帝国軍親衛隊隊長ラボス上級大将。さらに、陸軍参謀長シャイアン元帥まで揃っている。

「おおっ!!これはこれは、烈海海戦の英雄、銀狼ヘルムートのではないか!」

ヘーパイストスが満面の笑みで両手を広げる。

「光栄です!!」

 その場で咄嗟に最敬礼するヘルムート。

「君も我々の軍議に興味があるか!!」

「どうかな?ラボス、シャイアン、前線の兵の意見を聞いてみるというのは!」

「ぜひとも。ヘルムートは我が軍の素晴らしい英雄です」

ラボスが豪快に頷く。

「確かに。パイロットに工作員、経験は豊富です。彼女は優秀ですよ」

シャイアンも興味深そうに頷いた。

ヘルムートは全身の血が凍りつくような感覚に襲われていた。

ここはただの食堂のはず。なぜこの席に、黒曜帝国の最高指導者と軍部の頭脳が揃っているのか。

彼女にとって、まさに冗談みたいな悪夢だった。その時。

「あっ……」

旧友のヨアヒムが食堂の入り口に現れ、ヘルムートと目が合う。

だが、ヨアヒムはそのまま無言でUターンし、姿を消した。

「巻き込まれるのはごめんよ」

そんな声が、背中から聞こえてくるようだった。

「さあ!私の正面に座り給え!」

満面の笑みを浮かべたヘーパイストスが、ヘルムートに席を勧める。

拒否など、できるはずがない。

ヘルムート・ヴィッツ。銀狼と呼ばれた英雄にとって、これが人生最悪の日だったという。

 

「検閲官の日誌」

 

「シュコッ」乾いた音を立てて、エアシューターが天井の奥からカプセルを吐き出す。円筒形のカプセルは金属音を立てて机に転がり、やがて静かに止まった。私は無言のままそれを拾い上げ、蓋をひねって中身を取り出す。

折りたたまれた紙を開けば、そこには明日の新聞の見出しが印刷されていた。

《黒曜帝国軍、アリアドネ攻防戦で大勝利》

見出しの左下に、青いインクで「許可・検閲済」と記されたスタンプを押す。それが済むと、私は再びカプセルに記事を戻し、慎重にエアシューターへと差し込んだ。ボタンを押すと再び「シュコッ」と小気味よい音を響かせて、カプセルは送り返されていった。

これが、私の仕事だ。

帝国では、すべてのメディアが検閲を受ける。新聞、兵士たちの手紙、雑誌の切り抜き、落書きでさえも例外はない。

過激な言論は許されない。帝国の思想にそぐわぬ発言を口にした者は、国家保安局の庁舎、その地下深くへ、連れて行かれる。

戻ってきた者を、私は知らない。「いない」のか、「戻れない」のか、それすら訊いてはならない。

たとえそれが、自分の家族であっても。反逆者であると知ったならば、密告せねばならない。それがこの国に生きる者の義務であり、正義だ。

息苦しさを感じないわけではない。だがそれを口にすることは許されない。

平和とは、誰かが血を流し、誰かが自由を差し出してようやく得られるものなのだ。

我々は長い間、フレイム王国と戦争を続けている。

やつらは、我々の生活に入り込み、思考を蝕み、帝国の純潔を汚そうとする。

黒曜帝国は、美しいままでなければならないのだ。たとえそのために、幾百万の人間の自由が握りつぶされようとも。

 




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