「ロードワーク」
「よし!10kmマラソン!いけ!!」
「はい!」
「Yes,Ma’am!!」
「Uno!Dos!Uno!Dos!」
ナタリアと小早川は勢いよくロードワークに走り出した。二人は若くハツラツとしていて、まさに伸び盛りだ。
「ねえ!ねえってば!」
走りながら小早川がナタリアに話しかける。
「話しかけるな、ちゃんと走れよ」
ナタリアはそっけなく答えた。
「あんた王国人でしょ?なんで帝国軍に入隊したの?」
「教えない」
ナタリアは顔も向けず、淡々と走り続ける。
「そういうお前は?」
「ああ、私ね。密輸人だったの。空港でアレスティアの木の実が見つかっちゃって。無罪放免の代わりにここに来たってわけ」
「は、バカだな。狂戦士の実は王国でも禁止されてるのに」
「はい、私は話したわよ。そっちの番」
ナタリアは大きく息を吐き、ペースを上げた。
「ちょっと、待ってよ!」
「七歳のころ、魔女狩りで両親が殺された!村の連中に、昨日まで挨拶してた奴らが!!私の家を焼き!父さんと母さんを殺した!!」
ナタリアはさらに速度を上げた。
「だから!私は王国が憎い!!」
坂道を駆け上がり、二人は中継地点で足を止めた。
「はぁ…はぁ…なるほどね」
小早川は汗を拭いながら、ナタリアの横顔をちらりと見た。
「悪いこと聞いちゃったか…」
「はーい、お二人さん、お疲れ様〜」
木陰で二人を待っていたヨアヒムが、水の入ったボトルを2人に差し出す。
「ありがとうございます、大佐」
「感謝します、司令」
「ふふ、聞いたわよ〜ナタリア」
ヨアヒムが水を飲むナタリアに微笑みかける。
「ねえ、知ってる?」
「なんです?」
ナタリアが首を傾げる。
「王国での魔女狩りが起こるように仕向けたのは、私たち『メディナ機関』よ。あなたのご両親の敵は、目の前にいる、わ、た、し、かもしれない」
ナタリアは一瞬、無表情になった。まるで全てを呑み込むように、じっとヨアヒムの黄金色の瞳を見つめる。そして静かに答えた。
「いいえ、違います。周りに流され、私の親を殺したのは村人です」
「あら!いい子ね!」
ヨアヒムが満足そうに微笑むと、そっとナタリアを抱きしめた。
「私、あなたのこと大好きよ、ナタリア。本当にいい子!」
その様子を見ながら、小早川は言い知れぬ違和感を覚えた。
「これが帝国のやり方…」
人の心をゆっくりと溶かし、染め上げ、従わせる。敵国の市民さえも味方に引き込むのだ。戦場では銃よりも、言葉が時に最も強い武器になる。
小早川はそのことを、今まさに目の当たりにしていた。
「恋をしよう」
メディナ機関J機関の作戦会議室。
いつものように張り詰めた空気……かと思いきや、今日の司令官のヨアヒムはやけにご機嫌だった。
円卓に座るヘルムートと小早川比呂、そしてナタリア。
彼女たちに向かって、司令官ヨアヒム・ベルリッヒが口を開く。
「あなたたちには、帝国立の高校に編入してもらいます!」
「高校?」
ヘルムートの眉がピクリと動いた。
「なんで今さら……」
比呂も困惑した表情でつぶやく。
泥にまみれ、厳しい戦闘訓練の日々を送る二人に、今さら学園生活とは、あまりにも急すぎる。
「これも任務だ。疑問を持つな」
ヘルムートが淡々と言い放つ。
だが、そのヘルムートでさえ、次にヨアヒムが告げた「任務」に目を丸くした。
「あなたたちの任務は——」
「任務は?」
ナタリアが思わずオウム返しに訊き返す。
「恋人を作ることです!!!」
作戦会議室に、沈黙と衝撃が走った。
「はぁ!?」
「なんですかそれ!」
「はははっ!傑作だ!高校で男漁りかよ!」
ヘルムートが吹き出し、小早川は机を叩いた。ヨアヒムはそんな3人を見下ろし、にこにこしながら続ける。
「ヘルムート、黙って。」
「ちょっと待ってください司令官!恋人って、どういうことですか!!」
「そうですよ!いきなり恋人作れなんて・・・・・・」
ナタリアと比呂が声を揃えて反発する。すると、ヨアヒムは眼鏡をくいっと持ち上げ、諭すように説明する。
「これは、あなたたちに必要なことなの。いい?恋を知り、愛を知り、女の子はオトナ女になるのよ」
「はぁ……」
「して、期限は?」
ヘルムートが煙草を吹かしながら聞いた。
「そうね……1年。」
「長いなぁ。」
紫煙をくゆらせながらヘルムートがぼやく。
「1年も部隊から離れるんですか!?そんなの嫌です!!」
ナタリアと比呂が食い気味に抗議するが、ヨアヒムは優雅に笑うだけ。
「違うわよ。1年以内に恋人を作って、私のもとに連れてきなさい。私が“お母さんの役”をやるから。連れてきた相手が“合格”なら、あなたたちを正式な隊員として認めるわ」
「合格なら、ね……」
「じゃあ、不合格なら?」
ナタリアが恐る恐る尋ねる。
ヘルムートが肩をすくめ、冷たい笑みを浮かべた。
「そりゃ、お前……前線送りだよ。ただの歩兵として配置される。私たちとは、さよならバイバイだ」
「そ、そんな……!」
「今までの苦労が全部パーじゃないですか!!」
小早川が悲鳴を上げる。
しかしヨアヒムは涼しい顔で告げた。
「色仕掛けもできない女スパイはいらない。あなたたちには女の武器を身に着けてもらうわ」
「はぁ……」
ヘルムートが再び煙を吐く。
「棚から牡丹餅みたいに結婚したやつが、よく言うよ。」
「なによそれ!」
ヨアヒムがヘルムートをにらみつけるが、すぐに笑顔に戻る。
「じゃあ、これにてお開き、この封筒に入学に必要なものは全部入ってるわ!さぁ、二人とも行ってらっしゃい!」
ヨアヒムはナタリアと比呂に封筒を手渡した。帝都の名門高校の入学書類だ。
「頑張ってな〜。」
ヘルムートは手を振って、気楽そうに見送る。
「ど、どうしよう……どうしよう……どうしよう……!」
ナタリアは封筒を抱えたまま、立ち尽くす。
「ははは……今さら高校とか……」
小早川は青ざめた顔で呟く。
こうして、まだ恋も知らない10代の少女たちは、恋を知り、愛を知り、大人になるための「戦場」に放り込まれるのだった。
「ナタリアの任務」
「ナタリア、狙撃の準備は?」
スポッターのヘルムートが、ナタリアにそっと確認する。
「隊長、できています」
ナタリアは淡々と答えた。その手には帝国が誇る。最高精度スナイパーライフル。
二人は身をひそめ、静かに獲物を待っている。森に伏せ、スコープ目標を監視し、ライフルを構える。
標的は宮殿に集う貴族たち。金と宝石で飾られた、その中でもひときわ派手で恰幅のいい金髪の男が目に止まった。
「一番派手な格好の、金髪の男それがマンガン侯だ。わかるか?距離1000ヤード11時方向、風が出ている。風5。上に10ミル、右に2.2ミル修正」
ヘルムートが単眼鏡を覗き込みながら指示を出す。
「距離1000ヤード。11時方向。上に10ミル、右に2.2ミル修正」
ナタリアが復唱し、そっと静かに、スコープのダイアルを回す。カチチチダイヤルを回す
「ガンアップ」
狙撃準備が完了したことを。ナタリアは短く伝えた。
「レディ」
ナタリアは静かに息を吐き、マンガン候の胸元を照準におさめた。
「フォイア」
ヘルムートが合図し、ナタリアが引き金を引く。ターン。乾いた音が、森の静寂を突き破り。マズルブラストが草木を大きく揺らした。放たれた弾丸は。音速の壁を越え。マンガン候の胸を鮮血に染めた。
「命中。目標、膝をつき。吐血。致命傷だ。まず助からない」
ヘルムートは淡々と観察し、正確な情報を伝える。森は静寂を保ったまま。まるで二人だけが、その森で息をしているように。深緑はすべてを覆い隠し。飲み込む。聞こえるのは、ナタリアがボルトを引いて、次弾を装填する「ガッ、シャコ」という金属音だけ。
「次だ。青い服を着た細身の男、マンガン侯の息子だ。距離950ヤード、10時方向」
「ガンアップ」
「スポッターアップ」
「レディ」
「フォイア」
ターン、再び響く銃声。細身の男は何が起きたのか理解する間もなく、頭を撃ち抜かれ、脳漿をばら撒きながら、庭の石畳に崩れ落ちた。美しい白のタイルが赤く染まる。
「次!庭を逃げているのが娘だ。3時右端、距離1015ヤード、0.3ミル下げて準備できたら撃て」
ヘルムートはナタリアの狙撃の癖を考慮し、修正指示を出した。この娘は上を狙いたがる。
ナタリアは今度、復唱はせず。素早く正確に引き金を引いた。
ターン。銃声とともに、娘の足に銃創が開いた。倒れ込んだ彼女が悲鳴を上げる。
「半矢だぞ、楽にしてやれ」
「YES」
ターン、乾いた銃声が響き。弾丸が飛翔する。弾丸は娘の頭から胴体に突き抜けた。
ヘルムート伏せたまま、ライフルを構えつつで周囲の脅威を索敵した。
「黒曜軍の警備部隊が来る前にずらかろう。味方とやり合うのはごめんだ」
ナタリアは無言のまま「了解」とハンドサイン。ライフルを背負い、ヘルムートに続いた。
血と硝煙の匂いが残る庭園を背に、二人の影は森の闇へと溶けていった。
「小早川の任務」
作戦司令室には淡い照明が落ち、わずかに漂う煙草の煙が室内をくすませている。作戦卓を挟み、ヨアヒムが一枚の封筒を差し出した。
その向かいに立つのは、小早川比呂。背筋を伸ばし、緊張した面持ちで命令書を受け取る。
「あなたには王国の女騎士として、フレイム王国に潜入してもらうわ。名前はコーム、最近うちで捕縛した女騎士よ。年齢や骨格はあなたに似ているはず」
ヨアヒムが淡々と説明する。その横で、椅子にもたれかかったヘルムートが煙草をくわえながら口を開いた。
「そいつになりすまして、フレイム王国の情報をもたらすんだ。いいか?一人でやろうとするな。使い捨ての諜報員を何人も作れ。そいつらから情報を吸い上げる。お前がやるのは、そう、スパイマスターだ」
「期間は?」
小早川が命令書をめくりながら尋ねた。
「期間は教えられない。任務完了と判断次第、こちらから連絡するわ」
ヨアヒムは淡々と告げる。
「場合によっちゃ、向こうで結婚して家庭を持つことになる。諜報員ってのは、そういうもんだ」
ヘルムートが紫煙を吐きながら、どこか遠くを見るように言った。
ヨアヒムが小早川の目を真っ直ぐ見つめる。
「あなたには辛い選択を迫ることもある。それでもやれる?」
ヘルムートが追い打ちをかけるように言葉を重ねた。
「今なら前線に戻る選択肢もあるぞ。お前は基礎能力も高いし、魔術も使える。新設する特殊部隊に推薦してやってもいい」
小早川は資料を静かに閉じ、息を吸った。
「やります。自分が諜報員として、どこまでやれるか、挑戦したいんです」
その言葉に、ヘルムートがにやりと笑う。
「その意気やヨシ!ならば行って来い!」
ヨアヒムも微かに微笑み、静かに告げた。
「あなたの武運長久を祈っているわ」
小早川は深く一礼し、作戦司令室を後にした。その背を、二人は静かに見送る。
小早川が「女騎士コーム」として王国に潜入してから、3年が過ぎた。そんな時ある男が興奮した様子で部屋に飛び込んできた。
「やったぞ! コーム! 成功だ。やはり君の言ったとおりだった。魔術回路を分割して配置したのがよかった。ただやみくもにパワーを上げるだけじゃだめだったんだ!」
彼は王宮錬金術師カイゼル。研究に没頭する彼の表情は、子供のように無邪気だった。
「うん、よかったわね、カイゼル。ひとまず食事にしましょう」
コームはそう微笑んだ。彼女は今、女騎士コームとしてフレイム王国で暮らしている。カイゼルの研究に協力しサポートする。女騎士として彼の研究成果のテストを請け負っていた。そして成果を帝国にもたらす。
「やっぱり、君が来てくれてよかった。私にとっての奇跡だよ!」
カイゼルは嬉しそうに笑いながら食事を取る。
「ふふ、ありがとう。そうやって笑ってるあなたは子どもみたいね。可愛いわ」
彼女はカイゼルを見つめながら微笑んだ。二人はいつの間にか恋人になり、一緒にベッドを共にする仲だった。偽りの愛、それも、もう慣れたものだった。全ては帝国のため。
「あら、こんな時間……お祈りをしないと」
フレイム教の信徒としての習慣に従い、女騎士コームは礼拝の時間を取る。だが、それは彼女にとって暗号通信のための時間だった。
「発カナリアから、笛吹きへ。研究は順調に進み、成果の引き渡しを……」
床下に隠していた通信機を取り出し、迅速に報告を送る。その瞬間だった。
「そこを動くな!!」
怒声とともに、扉が破られる音が響く。
「ちょっと!なんなんだ!」
カイゼルの驚く声が部屋に響く。
「しまった……」
瞬時に小早川は通信機を魔法で破壊した。しかし、すでに遅かった。
「女騎士コーム!スパイ容疑で逮捕する!帝国の女狐め!」
憲兵隊が部屋に乱入し、彼女の両手に冷たい手錠がはめられた。
「そんな……コーム!」
「カイゼル……何かの間違いよ……!」
彼女は必死に弁明したが、兵士たちは容赦なく彼女を引きずっていった。どうやら、別のスパイが彼女の情報を漏らしたらしい。
冷たい地下牢。取り調べでは苛烈な尋問が行われていた。爪が剥がされ、回復魔法で直され、また剥がされる。
小早川は耐え続けた。
「……私は、帝国に売られた」
ついに、彼女はそう呟いた。
尋問官はニヤリと笑い、机の上に帝国の小型暗号機を置いた。
「これでこの文章を打て。癖も、そのままに」
小早川は従うしかなかった。示された文を一言一句違えずに、暗号機に打ち込む。
暗号は、ヨアヒムの元に届いた。
「カナリアから、暗号です。一言一句間違わずに、丁寧に」
ヨアヒムは暗号を確認し、静かに言った。
「カナリアは捕らえられた。速やかにスイーパーに連絡、拘留されている場所を特定。急いで!」
「ヘルムート!ナタリア!急ぎの仕事よ!!」
「はいはい、間抜けが……」
「仲間ですよ、助けますよ、隊長!!」
牢屋の鉄格子の隙間から、夜空の星が見えた。その時、食事が届けられる。パンの中には鍵が。
「スイーパー」フレイム王国に潜入した帝国のスパイが手を回したのだ。
「……遅かったじゃない」
小早川は呟き、鍵を取り、走り出した。牢を抜け出し、城壁を目指す。あらかじめ覚えていた地図を頭の中で書き出した。ここを越えれば、駅まで一気に走れる。そう思った瞬間、背後で叫び声がした。
「止まれ!!」
待ち伏せされていた兵士たちがライフルを向ける。
「惜しかったな」
フレイム王国の兵士がニヤリと笑った。
「確かに、惜しかったわね」
小早川も笑った。
「……何がおかしい?」
ターン!銃声が響く。
「命中、次!横の士官、撃て!」
「YES」
ターン!ナタリアの狙撃だ。
兵士たちは次々と撃たれ、サーチライトが砕け散った。
「よお!!間抜け!!」
ヘルムートが壁の上から手を伸ばす。
「遅かったじゃないですか、隊長」
小早川の表情が、ようやく安堵に変わる。
脱出用のヘリの中で、小早川は呟いた。
「見捨てられたのかと思いましたよ」
「何を言ってる!帝国は君を見捨てない!!だろ?」
その言葉を聞き、小早川は微笑む。
帝国は君を見捨てない。
それは皇帝ヘーパイストスが捕虜たちに言った約束だった。
「会議」
前線から離れ、士官学校で教鞭を執ることになったヘルムート。
死線をくぐり抜けた日々から一転、平和な学び舎での新たな生活は、彼女にとって退屈この上なかった。こうなると、暇つぶしもしたくもなる。
それは、士官候補生たちの生意気な演説を叩き潰すこと。
「だからさ!黒曜軍はこのままじゃダメなんだ!革新が必要なんだよ!」
食堂の隅で、覚えたての言葉を振りかざし、下級生たちに熱弁を振るう若き士官候補生。
「特に!現在の陸軍ドクトリンには大きな問題があるんだ!例えば...」
気持ちよく下級生を囲い込み、自信満々に語るその背後に、黒い影が忍び寄る。
「——で、どう問題があるんだ?」
静かに響く、低く冷たい声。
「へ、ヘルムート教官!!」
候補生の顔が、一瞬で引きつった。
「どうした?続けろ。君の“御高説”を、ぜひこの私にも聞かせてくれ。」
「いや、その……」
もじもじと目を逸らす候補生。先ほどの勢いはどこへやら。
「お前は人にものを教えられるくらい偉くなったのか?ええ?お前はいつから教官になったんだ!!」
バンッ!義手の拳が机を叩きつける。候補生の肩がビクッと震えた。
「反省文1万文字!!今日中に私のところに持ってこい!!」
「は、はい……」
「聞こえないぞ!!!」
「はいっ!!!!!」
下級生たちは「ざまあみろ」と笑いをこらえ、ぞろぞろとその場を去っていく。
その様子を見届けると、ヘルムートはふっと満足げに笑った。これが、ヘルムートのささやかな日常の楽しみだった。
翌日。再び食堂の奥から、何やら熱弁する声が聞こえてくる。
「なになに?」
ヘルムートが耳を澄ます。
「ですが…皇帝陛下…」
「なんということ……!」
士官候補生の分際で、皇帝陛下にまで口を挟むとは。
憤慨したヘルムートは、足音を消しながら食堂の奥へと忍び寄った。
「私もその話、ぜひ混ぜてくれ!非常に興味がある!」
にっこり笑いながら声をかける。
次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、ヘルムートの顔から血の気が引いた。
そこに座っていたのは——
「皇帝陛下……!?」
テーブルには、黒曜帝国の皇帝ヘーパイストスその人だった。その隣には、帝国軍親衛隊隊長ラボス上級大将。さらに、陸軍参謀長シャイアン元帥まで揃っている。
「おおっ!!これはこれは、烈海海戦の英雄、銀狼ヘルムートのではないか!」
ヘーパイストスが満面の笑みで両手を広げる。
「光栄です!!」
その場で咄嗟に最敬礼するヘルムート。
「君も我々の軍議に興味があるか!!」
「どうかな?ラボス、シャイアン、前線の兵の意見を聞いてみるというのは!」
「ぜひとも。ヘルムートは我が軍の素晴らしい英雄です」
ラボスが豪快に頷く。
「確かに。パイロットに工作員、経験は豊富です。彼女は優秀ですよ」
シャイアンも興味深そうに頷いた。
ヘルムートは全身の血が凍りつくような感覚に襲われていた。
ここはただの食堂のはず。なぜこの席に、黒曜帝国の最高指導者と軍部の頭脳が揃っているのか。
彼女にとって、まさに冗談みたいな悪夢だった。その時。
「あっ……」
旧友のヨアヒムが食堂の入り口に現れ、ヘルムートと目が合う。
だが、ヨアヒムはそのまま無言でUターンし、姿を消した。
「巻き込まれるのはごめんよ」
そんな声が、背中から聞こえてくるようだった。
「さあ!私の正面に座り給え!」
満面の笑みを浮かべたヘーパイストスが、ヘルムートに席を勧める。
拒否など、できるはずがない。
ヘルムート・ヴィッツ。銀狼と呼ばれた英雄にとって、これが人生最悪の日だったという。
「検閲官の日誌」
「シュコッ」乾いた音を立てて、エアシューターが天井の奥からカプセルを吐き出す。円筒形のカプセルは金属音を立てて机に転がり、やがて静かに止まった。私は無言のままそれを拾い上げ、蓋をひねって中身を取り出す。
折りたたまれた紙を開けば、そこには明日の新聞の見出しが印刷されていた。
《黒曜帝国軍、アリアドネ攻防戦で大勝利》
見出しの左下に、青いインクで「許可・検閲済」と記されたスタンプを押す。それが済むと、私は再びカプセルに記事を戻し、慎重にエアシューターへと差し込んだ。ボタンを押すと再び「シュコッ」と小気味よい音を響かせて、カプセルは送り返されていった。
これが、私の仕事だ。
帝国では、すべてのメディアが検閲を受ける。新聞、兵士たちの手紙、雑誌の切り抜き、落書きでさえも例外はない。
過激な言論は許されない。帝国の思想にそぐわぬ発言を口にした者は、国家保安局の庁舎、その地下深くへ、連れて行かれる。
戻ってきた者を、私は知らない。「いない」のか、「戻れない」のか、それすら訊いてはならない。
たとえそれが、自分の家族であっても。反逆者であると知ったならば、密告せねばならない。それがこの国に生きる者の義務であり、正義だ。
息苦しさを感じないわけではない。だがそれを口にすることは許されない。
平和とは、誰かが血を流し、誰かが自由を差し出してようやく得られるものなのだ。
我々は長い間、フレイム王国と戦争を続けている。
やつらは、我々の生活に入り込み、思考を蝕み、帝国の純潔を汚そうとする。
黒曜帝国は、美しいままでなければならないのだ。たとえそのために、幾百万の人間の自由が握りつぶされようとも。
いかがですか?