鬱蒼とした森に囲まれた細い山道を、姫騎士たちは静かに進んでいた。
薄暗い木々の間から漏れるわずかな陽光と、どこからともなく響く鳥や獣の声。
湿った土の匂いが鼻をつく中、姫騎士は剣の柄に手を添え、警戒を解かない。
「……本当に魔王軍はいないようですね」
最前線を歩く元勇者が、そう呟きながら足を止めた。
隣では魔法少女(王妃付き侍女)が、小さな使い魔を飛ばして周囲を索敵している。
「確かに。建物の痕跡も、まるで放棄されたようだわ」
姫騎士もそう言って足元の土を軽く蹴る。かつては大きな物見塔があったのか、砦のような基礎がちらりと見えるが、どれも荒れ果てて崩れかけている。
報告によれば、ここは魔王軍の拠点の一つ――もしくはその周辺施設、と言われていた。
しかし、いざ来てみると、まるで廃墟だ。
「……妙です。事前の情報と食い違っています」
魔法少女が使い魔との交信を終え、眉をひそめながら戻ってくる。
髪をツインテールにまとめた可愛らしい姿だが、その表情は険しい。
「周囲に魔物の気配はないし、罠らしきものもない。けど……」
「どうも嫌な予感がするわね」
姫騎士は森の奥を見据える。
魔王軍の拠点が放棄されたと言われればそれまでだが、何かが引っかかる。
以前、この近くで「禁忌の秘薬」が大量に取引されていたという情報があったのだ。
「いずれにせよ、拠点となる建物がどこかにあるはずです。少し奥を探してみましょう」
元勇者が提案し、一行はさらに山道を進んだ。
周囲には厚い苔が生え、足元が滑りやすい。木々を掻き分けながら、じりじりと進む。
数分後。
開けた場所に出ると、そこにはボロボロの小屋がぽつんと建っていた。
屋根は一部崩れているが、まだ形を保っている。
もし拠点があるとすれば、ここに地下通路のようなものが隠されていてもおかしくない。
「ちょっと見てみるわ」
姫騎士が先頭に立ち、小屋の扉をそっと押し開ける。
ギギィ……という嫌な音を立てて扉が開くと、中は薄暗いが、予想したほど荒れてはいなかった。
古い木製のテーブルと椅子があり、壁にはなぜか比較的新しいロウソク立てがかかっている。
「誰かが最近まで使ってた感じがしますね」
元勇者が椅子に触れると、埃はそこまで積もっていない。ほんのり温もりすら残っているような気がする。
「……気をつけて。何か嫌な気配がする」
姫騎士は剣をゆっくりと抜き放った。背中の小さな翼がわずかに動き、空気を撫でる。
神竜(見習い)の足下にも及ばず、勇者や聖女ほどの力もないが、姫騎士もかなりの強者だ。
その勘が警鐘を鳴らしていた。
「――そこに誰かいるのはわかっているわ。姿を現しなさい!」
ピリッとした空気が流れた。
すると、テーブルの下あたりから微かな声が聞こえてくる。
「あーあ、やっぱりバレちゃうか。さすが裁定の神の子……なのか、どうか知らないけどさ」
低く落ち着いた声。
ローブを纏った人影が、ゆっくりとテーブルの下から立ち上がる。
目は鋭く、どこか狂気を孕んでいるようにも見える。
「……誰?」
魔法少女が警戒の色を強める。使い魔がその男を取り囲むように飛んでいく。
「俺の名は、ま、名乗るほどのもんじゃねぇが……“異端の勇者”ってとこか」
男はローブを払いのけ、顔をあらわにする。
まだ若い青年風だが、その瞳には血走った狂気と、妙に澄んだ理性が同居しているようだ。
腰には剣らしきものを下げ、その剣には神々の紋様のような刻印が見えた。
「異端の勇者……?」
姫騎士が剣を構え直す。
天界の加護を受けながら、魔王軍に与する者たちがいる――という噂を魔法少女経由で聞いたことはある。
魔王軍だけに限らず、さまざまな思惑を持つ神々の一派が暗躍している。
その矛先が、姫騎士に向かっているということだろうか。
「聞いてるぜ。お前は“姫騎士”、裁定の神の子かもしれねぇって話だ。俺たちは天界の意思を受けて、お前を……」
男が口元を歪ませ、スッと剣を抜く。その剣からは怪しい光が漂い、明らかに神聖とは言いがたい力が渦巻いている。
「……消すべし、と言われている。神竜の配下にいるってのがなおさら厄介なんだとさ」
姫騎士はすべてを悟ったように苦笑した。
最近、「禁忌の秘薬」の影で暗躍している天界の“悪徳神”たち。彼らの尖兵が、この異端の勇者なのだろう。
「なら話は簡単ね。私たちはあなたを倒すのみ。黙って切られたりはしないわ!」
姫騎士は剣を前に突き出し、元勇者もそばで構える。
魔法少女は使い魔を散開させ、いつでも攻撃魔法を放てるように準備していた。
そう、相手は普通の戦士じゃない。天界の加護を“歪めて”得た力を持つ、危険すぎる存在。
だが、姫騎士たちはすでに数々の魔王軍拠点を攻略してきた。簡単には負けない――はずだ。
「フン……やる気か?」
異端の勇者は剣を一閃。
その剣先から奔った黒い閃光が、空気を切り裂き、姫騎士の頭上を掠めた。
「くっ……!」
姫騎士が咄嗟に横に飛びのき、元勇者は剣で軌道を逸らそうと試みるが、わずかに間に合わない。
光の余波が小屋の壁に当たり、壁は爆音と共に砕け散った。
「わ……わあっ!」
魔法少女がとっさに小さなバリアを張って粉塵を防ぐが、視界は一気に悪くなる。
そんな状況でも、異端の勇者は冷静に足音を立てずに進み、姫騎士との距離を詰めてきた。
「ちっ……!」
姫騎士は剣を振りかぶり、敵の動きを見極めようとする。
しかし、異端の勇者のスピードは想定外に速い。まるで神聖な力を怪しげに転用しているような、不気味な“神力”が彼の肉体を後押ししているのだろう。
「お前の力を確かめさせてもらうぜ。もし本当に神の子なら、ちょっとは楽しませてくれよ?」
挑発めいた言葉を吐き捨てながら、異端の勇者は二度、三度と剣を振る。
暗黒の光が幾筋も走り、姫騎士と元勇者を斬り裂こうとする。
「姫騎士、下がって!」
元勇者が盾代わりに剣を立て、光を受け止める。しかし、その衝撃で彼の足が地面に沈むほどの威力だ。
「くぅ……!」
魔法少女が魔力を集中させ、使い魔たちが一斉に火球を吐き出す。
狭い小屋の中で、火と闇の光が激突し、爆音が響く。
「こんなとこじゃ戦いにくいわね……外に誘導する!」
姫騎士が決断し、半壊になった壁を蹴破って外へ飛び出す。
元勇者と魔法少女もそれに続き、光と闇の火花が小屋の跡地に乱舞する。
外は森の中。もう少し広い空間が欲しいが、仕方ない。
姫騎士は翼を小さくばさばさと動かし、地面を蹴って高く跳躍する。
「……さすが、神の血か。いや、竜の血なのか?」
異端の勇者がニヤリと笑い、追いかけるように高く跳ぶ。
両者、空中で斬撃を交わし合うように激突した。
ギャリッ!
刀身が火花を散らし、姫騎士の剣が異端の勇者の斬撃を辛うじて受け止める。
しかし、その衝撃は姫騎士の腕を痺れさせるほど強烈だ。
「うっ……!」
そのまま姫騎士は地面へ叩きつけられそうになる。
だが、すぐに元勇者が横から加勢し、異端の勇者の側面に突きを入れる。
「どこを見てる?」
しかし、その攻撃も空を切った。
異端の勇者は驚異的な反応速度で姿勢を変え、逆に元勇者を蹴り飛ばす。
「ぐあっ!」
元勇者が転倒し、姫騎士が駆け寄ろうとするが、そこへ闇の光がビュンビュンと飛んでくる。
魔法少女は火球で迎え撃つが、完全には止められない。
「やっぱり強い……」
姫騎士は息を整えながら、異端の勇者を睨みつける。
こんな相手がまだ複数いるのだとしたら、今後の戦いは一筋縄ではいかない。
「……まあ、ちょっとは骨がありそうだな」
異端の勇者は剣を下げ、一瞬だけ間合いを取る。
その目は、まるで獲物を狙う猛獣のように血走っていたが、冷静な光も宿している。
「お前、姫騎士とか言われてるらしいが――“神の子”なら、もっとすごい力があるんだろ? そいつを引きずり出せって、天界の……アレが言ってたぜ」
「何を言ってるのか、よく分からないわ」
「フフ、知らないならいいさ。どうせ近いうちに分かるだろうさ。お前は、この世界にとって厄介な存在なんだからな」
まるで、姫騎士自身の正体をあぶり出そうとしているかのような態度。
確かに、彼女が“裁定の神の子”だという噂はあるが、本人には確証はない。
それでも天界の一部は、姫騎士を排除すべきと考えている……。
(本当に、私は裁定の神の子なの……?)
一瞬、そんな思考が頭をよぎるが、今は目の前の敵に集中すべきだ。
姫騎士は呼吸を整え、剣を構え直す。翼を軽く動かし、準備を固める。
「そんなに私の力が見たいのなら、言われなくても見せてあげるわよ――!」
ドンッ……!
地面を蹴った姫騎士が一気に突撃する。
異端の勇者もそれを迎え撃つように剣を構え、闇のオーラを纏う。
空気がビリビリと震え、二人の刃が交差する。
ガキィッ!!!
激しい金属音。姫騎士の剣が、異端の勇者の闇のオーラを僅かに切り裂く。
手応えがある。あの妙な神力を、少しは突破できるということだ。
「チッ、やりやがる!」
異端の勇者が少しだけ動揺した。
(行ける……!)
姫騎士は勢いに乗じてさらに攻撃を仕掛けようとする。
しかし、その瞬間――妙な胸騒ぎが走った。
「……っ?」
異端の勇者の口元が、ニヤリと歪む。
―まるで、まだ“切り札”を隠しているような雰囲気。
「姫騎士! 下がって!」
遠くで魔法少女の声が聞こえた。
だが、姫騎士が気づいたときには遅かった。
異端の勇者の剣から、闇のオーラが一気に噴き出し、太い閃光となって姫騎士を襲う。
「くぅっ……!」
姫騎士は咄嗟に剣を交差させて防御態勢を取るが、その衝撃は凄まじい。
まるで洪水のような圧力が押し寄せ、姫騎士の体が宙に浮いてしまう。
「姫騎士!」
元勇者が叫ぶ。魔法少女が火球を放って、闇の閃光を相殺しようと試みるが、間に合わない。
ドンッ!!
激しい爆音と共に、姫騎士の体は森の木々をへし折りながら吹き飛んでいく。
遠くで倒れ込む姫騎士の姿が見え、魔法少女と元勇者が駆け寄るが――
「ちょっと、時間かかりそうだな」
異端の勇者が無表情に言い放ち、彼らの追撃を防ぐように立ちはだかる。
「くっ……どいてくれ!」
元勇者が剣を振るい、魔法少女が火球と氷魔法を連続で撃ちこむ。
しかし、異端の勇者は闇の力でそれらを相殺する。
「お前たち、神竜の配下とか言うが……たいしたことねぇじゃん。もっと楽しませてくれよ」
狂気の笑みを浮かべる異端の勇者。
その力は、まさしく神々の加護を歪めて得た忌まわしきもの。
(姫騎士、早く立ち上がって……!)
魔法少女が必死に火球を撃ち続けるが、効果は薄い。
元勇者も決死の攻撃を仕掛けるが、相手のほうが一枚上手だ。
そして、遠くで倒れた姫騎士は、朧げな意識の中で必死に立ち上がろうとしていた。
体中が痛むが、負けるわけにはいかない。
(私は……倒れるわけには……)
フラフラになりながら剣を支えにして立ち上がる。
頭の中で、何かがざわめくように音を立てる。
(……私、何かを……思い出しそうで……)
記憶の奥底に眠る、微かな“神の力”の片鱗。
これが裁定の神の血なのか? それともただの気のせいか?
分からないが、確かに体の奥底で何かが蠢いている。
「っ……まだ、終わらないわ……!」
姫騎士は歯を食いしばり、翼を広げるように動かす。
少しだけ宙に浮きながら、再び異端の勇者のもとへ飛び込まんとする。
その瞬間――
不意に、姫騎士の体が淡い光に包まれた。
意識が一瞬遠のきかけるが、それでも彼女は踏みとどまる。
「な、なんだ……?」
異端の勇者がこちらを振り向く。闇の閃光を放とうとするが、その前に姫騎士が剣を振りかぶった。
「覚悟なさい……!」
まるで背後に巨大な裁定の秤が浮かび上がったような錯覚。
姫騎士の剣先から、一瞬だけ聖なるオーラが迸り、異端の勇者の闇を切り裂く。
「ぐ、ああっ……!」
異端の勇者は大きく後退し、傷口を抑える。
姫騎士が苦しそうに呼吸をするが、必死にその場に立ち続ける。
森の外、遥か遠くの王宮。
俺は魔法の鏡を睨みつけ、拳を握りしめていた。
「……これでも動くなってか? 裁定の神か何か知らねぇけど、ふざけんなよ」
遠隔で見守るだけでは、姫騎士たちが危ないのは明白。
しかし、裁定の神からは「直接動けば天界との戦いになる」と釘を刺されている。
でも、姫騎士は仲間だ。
放っておけるはずがない。
「悪いが、俺流にやらせてもらうわ」
俺は静かに席を立ち、鏡越しに叫ぶ。
「姫騎士、頑張れ……俺も、もう黙って見てるのはやめだ」
その声は姫騎士には届かないかもしれない。
しかし、俺は覚悟を決めた。
魔王軍? 天界? どいつが相手でも関係ない。
姫騎士や仲間が狙われるなら、俺が出ていくだけだ。
「生意気勇者、お行儀よくするのはここで終わりだ。天界に乗り込んで直接話をつけるぞ! 問題の大本をぶっ潰せば全部解決だ!!」
「な……いいわ、最期までつきあってあげるわよ」
生意気勇者が覚悟を決めた顔になる。
「最悪でも天界が吹っ飛ぶくらいだから気楽に行こうぜ」
「気楽にできるわけないでしょ。……ところで、高く飛んで大丈夫なよね?」
俺は窓から空とその向こうの宇宙を見上げ、恐怖で体を震わせた。
続く。