静かに明けつつある天界の空を見上げながら、俺はつい息を呑んだ。
ここは「聖域」と呼ばれる区域。神々が集う場所であり、裁定の神の神殿もあるはずだと案内役の守護騎士から聞いていた。
だが、その肝心の神殿に辿り着く前に、俺たちは異様な光景を目にすることになった。
辺りに漂う空気が重く、石畳の床が罅割れている。さらに奥へ向かう巨大な門が半壊し、何者かが内部で暴れた跡がありありと見て取れる。
「どう思う?」
俺が振り返ると、生意気勇者は苦い顔で首を振った。
「案内役の騎士が急に姿を消したのも奇妙だし……」
「まさか俺たち以外にも、力ずくで突入してる奴がいるのか?」
「まさか、とは言えないわね」
今のところ、使い魔も魔法の鏡も映像を拾えていない。姫騎士たちの様子は、一旦落ち着いたようだが、こちら天界サイドでは“何か”が先行して暴れているような形跡がある。
そんな疑問を抱えたまま、俺たちはさらに奥へと足を進めた。
この先に裁定の神が幽閉されているか、あるいは囚われているのかもしれない。
しかし、いざ近づいてみると、その神殿の門はひどく破壊されており、中から白い光が漏れ出していた。
「……なんだ、あれ」
俺たちが門をくぐると、そこには――
何人もの守護騎士が倒れている光景が広がっていた。
「ぐ……くっ……」
「な、なんて力……」
うめき声を上げる騎士たちは、頑丈な鎧をまとっているはずなのに、砕けた装甲が散乱している。それほどの猛攻を受けたのだろう。
「どういうこと?」
「天界の内紛かしら」
生意気勇者が倒れ伏す騎士に駆け寄り、状態を確認する。かろうじて息はあるが、とても立ち上がれる状況ではないようだ。
「封じられているはずの“最強の天界戦士”……」
うつ伏せになっていた一人の騎士が、弱々しい声でそう呟く。
「最強の天界戦士……?」
俺が問うと、騎士は苦しげに顔を上げる。
「……昔、伝説の勇者が神々の加護を得て、天界に来たことがあったのです。彼は、最終的に“天界最強の戦士”として封じられ……」
そこまで言うと、騎士は意識を失ってしまった。
「“天界最強の戦士”ね。ほう……面白ぇじゃん」
軽口を叩きながらも、俺の胸には不穏な予感が走る。
すると――神殿の最奥から、ものすごい衝撃波が響いた。
ドゴォン! という轟音と共に、まるで壁をぶち破ったかのような破壊音が巨大な回廊を震わせる。
「……行くぞ、あっちで騒ぎを起こしてる奴がいる。そいつが“最強の天界戦士”ってやつかもしれねぇ」
「わかったわ」
二人で頷き合い、奥へ向かって駆け出す。
通路を抜けると、開けた大広間のような場所に出た。その中央には、縦横に亀裂が走った大理石の床。そして、そこに立っているのは――
「……お前が“神竜”か?」
淡い金色の鎧に身を包んだ、長髪の青年。瞳は深い青色で、神々の紋様が浮かび上がっている。
――いや、誰がどうやればこんなことになるんだよ。
「そうだが……誰だ、お前」
「俺の名はミカリアス。天界最強の戦士と呼ばれている。言いたいことはあるだろうが……」
ミカリアスと名乗る戦士は、目を伏せ、わずかに苦悶の表情を見せた。
その背後では、倒れた騎士たちの姿が見える。どうやら、こいつが彼らを薙ぎ払ったらしい。
「何をやってんだよ、守護騎士を皆殺しか? 好き放題だな」
俺が睨むと、ミカリアスは微かに唇を歪めた。だがその顔には、一瞬だけ迷いが映る。
「……命令だ。天界を乱す神竜と、その配下は排除しろと。それだけは絶対だって、俺は……」
「命令? 誰の命令だ?」
生意気勇者が剣に手をかけながら質問する。
すると、ミカリアスの表情がまた苦しげになる。
「……言えない。俺だってこんなことはしたくないが……に背けば、俺自身が消滅させられてしまう!」
「ややこしい天界は勘弁してくれよ。誰かに操られてるのか? ……いや、そもそも何が目的なんだ?」
俺が一歩踏み出すと、ミカリアスは鋭い目を向け、槍のような長い武器を振りかざした。
「黙れ! すべては天界を守るため……これ以上話している暇はない! 神竜よ、覚悟しろ!」
バッ!!
ミカリアスが翼を広げ、黄金の光を纏う。すると床に刻まれた紋様が輝き、まるで神の力のような光が辺りを満たした。
……なるほど、確かに強そうだ。
だが俺には、それが“天界を守る行動”とは思えない。誰かの命令で振り回されているだけのように感じる。
「悪いが、今の俺には邪魔するを放っとく余裕がねぇんだわ。さっさと終わらせてもらう!」
俺がそう言い放つと、ミカリアスの目が光る。
次の瞬間、空間が歪むように感じた。音をはるかに越えた速度で繰り出される槍撃――あまりに速すぎて視界が追いつかない。
「……っ!」
思わず腕をクロスして受け止めようとすると、衝撃は想像以上だった。ガキィッという金属音。槍の先端が俺の腕をかすめ、血がにじむ。
「すげぇな……確かに最強っぽい!」
口元が思わずニヤける。生意気勇者が後ろで小さく悲鳴を上げるが、こんなのちょっと痛いだけだ。
「神竜……恐れぬ心は認めるが、ここで散ってもらう!」
ミカリアスが再び金色の光を纏い、今度は複数の残像を残しながら移動を始める。“神速” とでも呼ぶべきか、その動きは目視が難しいほどだ。
――でも、ま、速いだけなら対処できるんだよな。
俺はわざとその残像を追うように身を動かし、相手の狙いを捉える。狙いは胸か首筋か。どちらにせよ、すれ違いざまに槍を突き込む算段だろう。
「……悪いな。お前がいくら速くても、見えてんだわ!」
ドゴォン!
ブレスの一部を足元に噴射するような感覚で、俺も瞬時に加速。神竜の力はスピードにも応用が利く。隙を突いて、ミカリアスの背後に回り込み――。
「え……」
驚愕の声を上げた彼に、回し蹴りを叩き込む。金色の鎧が砕け、火花を散らす。地面に叩きつけられたミカリアスは、呻きながらも必死に翼を動かそうとする。
「やっぱ強ぇわ……でも、これは終わりだ」
俺が止めを刺そうと拳を振り上げた瞬間、天井近くから声が響いた。
「待て! ミカリアスを殺すな!」
見上げると、そこには数名の天界騎士が降り立っている。表情は焦りと困惑に満ち、どうやらさっきまでの戦いを遠巻きに見ていたらしい。
「殺す気はねえよ。こいつが仕掛けてきたから迎え撃っただけだ」
俺は拳を下ろし、ミカリアスの様子を一瞥する。痛みで意識が薄れかけているが、命に別状はなさそうだ。
「く……ぅ……」
彼はまだ何か言いたげに口を動かすが、声にならない。目は血走り、悔しさと罪悪感が混じったような表情だった。
「こいつ、命令で動いていただけだと思うぜ。罰を与えるなら事情くらいは聞いてやれよ」
俺が呆れたように言うと、周囲の天界騎士たちは渋い表情ではあるが頷いた。
見れば、この場にいる騎士たちはミカリアスに突き飛ばされ、傷を負っている者もいるようだ。どうやら彼がここで暴れた結果、この神殿周辺は無残な有様になったらしい。
「悪いが、裁定の神がどこにいるのか教えてくれ。あんたらが知らなくても、誰かには聞けるだろ?」
俺がそう言うと、一人の天界騎士が大きく頷く。
「わ、わかりました……私たちは裁定の神を護衛する役目なのですが、他の上位神から『裁定の神は聖域にて眠りについた』とだけ伝えられて……。でも、それが真実かどうか、私たちも疑っています……」
「眠りについた? 幽閉じゃなくて?」
生意気勇者が眉をひそめる。騎士たちは困惑したまま首を振る。
「多分、誰かが嘘を言っているのです。ミカリアス様はその“誰か”に操られていたかもしれません……」
「なるほど、振るっていた力が不気味だったのも、そんな背景が影響しているのかも。禁忌の秘薬が使われた可能性もあるわね」
生意気勇者が推測を口にすると、騎士たちも同意するかのように沈黙した。
「……まあ、いい。俺は裁定の神を探すぞ。ついでに、誰が操ってるか突き止めてやる」
そう宣言し、俺は大きく翼を広げる。大広間の奥に続く通路があり、そこからさらに聖域の深部へ行けるようだ。
恐らく、そこで“本当の黒幕”が待ち構えているのだろう。
「行くぞ、生意気勇者。早いとこ決着をつけないと、姫騎士たちがまた危険にさらされる」
「もちろんよ。あんな異端の勇者が地上にもいるなら、こちらで一刻も早く黒幕を倒したほうがいいもの」
そう言い合いながら、俺たちは崩れた大理石の床を飛び越え、奥へと足を踏み入れる。
数名の天界騎士はミカリアスの介抱に回るが、何人かは俺たちに同行するという。
――どうでもいいが、めんどくさい展開だな……天界なんて、もっと厳かな場所かと思ったのに。
内心でそう愚痴りながら、しかし不思議と体は軽い。
仲間の危機を放置するよりは、こうやって動いたほうがスッキリする。
「よし、とっとと行って裁定の神を解放して、黒幕を締め上げるぞ!」
俺の声が響き渡る。
この先、いったいどんな相手が待ち受けているのか……。
だが、仲間を守るためなら、いくらでも突き進んでやるしかない。
続く。