オルクセン王国史二次創作、陸もの。名もなき一兵卒の視線で描く戦争体験です。WEB版読了後推奨。
pixivからの転載です。
僕の生まれた家は、まあまあ貧乏だ。この村の百姓に金持ちのオークなんていやしないけれど。父親がいればもう少しは稼げたのかもしれない。でも、父さんは僕が生まれてすぐ、ロザリンドというところで戦って死んでしまったんだって。
だから僕を育ててくれたのは、母さんと爺ちゃんの二人さ。婆ちゃんはずっと前に事故で死んじゃったそうで、会ったこともない。僕は三人暮らしがずっと当たり前だから、よその家を羨ましいと思ったことはないけどね。
でも、たった三人、それも年寄りと女手と子どもだけで畑の面倒をみるのは、つらい。耕しても、耕しても、いっこう終わりはしない。天気と虫に振り回される毎日。鍬を振り、肥桶をかつぎ、種をまき、果てもなく雑草をむしる。農作業に楽しいことなんてない。膝が痛い。背中も腰も痛い。一番つらいのは、やってもやっても、ぜんぜん終わらないってことだ。それが毎日繰り返す。
僕は、どんくさい方だった。なにせ、身体のあちこちにガタがきている爺ちゃんの方がずっと仕事が早いくらいだ。だから、僕は爺ちゃんから毎日のように怒鳴られてばかりいた。村での扱いも、そんなものだ。仕方がない。食うや食わずの村で、仕事のできない奴は厄介者なのだ。
こんな村でも、昔よりはずっと豊かになったって、爺ちゃんは威張っている。王様が今の農法を教えてくれたんだって。それは僕も初等学校で習った。いまでもこんなに大変なんだから、昔は酷かったんだろう。僕は昔に生まれなくてよかった。
死んだ父さんみたいに、爺ちゃんも大昔は兵隊だったらしい。今の王様はグスタフ王っていうんだけど、爺ちゃんがその昔にお仕えていた王様もグスタフ。今の王様と、名前は一緒だけど、ずっとずっと昔の王様なんだって。そんな大昔に何十年も続いた戦争があって、昔のグスタフ王はその途中で死んでしまったらしい。
王様が死んだ後も戦争は長く続いたけど、爺ちゃんは最後まで戦って生き残ったんだって、夜ごと話してくれる。そのおかげで、いま住んでいる農地を頂いたんだと、そういう手柄話さ。だから僕は、いまの世の中のことより、爺ちゃんが若い頃、何百年か前のオルクセンの方がよく知っているくらいだ。
爺ちゃんの夜話の間、母さんはあまりいい顔はしていない。文句を言うこともなく、黙って聞いているけど。
そんなだから、僕にも軍隊へのあこがれがいくらかはあった―――実際に入るまでは、だ。いや、実を言えば、徴兵検査を受けたときは、もう嫌だった。でも、受けないわけにもいかないし、受けて合格しないと、村で爪はじきにされる。不合格だった奴は、それからずっと日陰者だ。一生、結婚なんかできない。もっとも、たとえ合格したって、僕の場合は相手がみつかるとは思えないけれど。
結局、僕は嘘みたいにすんなり合格した。ご近所さんがみんな祝ってくれた。これで一人前だと。僕も誇らしかった。認められることって、これまでなかったからね。
入営前に、軍隊っていう言葉で頭にちらついたのは、わけもなく殴られるらしいってことだ。訓練がものすごいとか、戦争になったら戦場に行かなきゃとか、そういうことも心配だったけど。やっぱり一番心配で、何とも言えない、やりきれない気持ちになるのは、意味もなく殴られるっていう噂だった。
実際に兵隊になってみると――噂は半分が嘘、半分は本当、というところだった。
僕はもちろん、兵隊には向いてなかった。畑にいるときにどんくさい奴は、衛戍地でもやっぱりどんくさいのだ。僕は毎日怒鳴り散らされた。一緒に兵隊になった仲間に、うんと迷惑をかけた。僕は能無しで、役立たずで、足手まといだった。でも、殴られることはなかった。
殴られ始めたのは一番忙しい最初の訓練の時期が終わって、何となく余裕がでてきた後だ。同じ兵舎で暮らしている年次が上の古兵たち、それも、兵隊の中でも一番偉いわけじゃない連中。彼らが何か嫌なことがあると、僕ら新兵に難癖をつけて、やたら殴るのだ。こっちの落ち度をみつけて、その指導、というかっこう。
「貴様ら、新兵の癖に、ぺちゃぺちゃ喋りながら洗濯をするとはけしからん」とかね。
中にはとんでもなく酷い奴もいた。一日に一度は新兵をイビらないと気が収まらないような奴だ。「貴様、何をするのもピッチリしてやがる。俺に文句を言わさないとは、生意気な奴だ」なんて言うんだ。さすがにそいつは、下士官どのに見つかって、懲罰を受けて、軍隊を追い出された。
それでずいぶんマシにはなったけど、衛戍地が天国になったりはしなかった。
新兵だからって、みんなが狙われるわけじゃない。一番やられるのは、どんくさくて、厄介もので、殴り返したり怒鳴り返したりする度胸がないと誰にも分かっている奴―――例えば、僕みたいな。
してみると、軍隊ってところも、ふつうの――軍隊用語では娑婆というんだけど――村と、あんまり変わらないのかもしれないと、僕は殴られた夜に思った。それで痛みが引くわけじゃなかったけど、これまでと同じだと思えば、耐えることができた。
村よりマシなことはたくさんあった。何といっても、飯だ。種類が多い。毎食、肉がついてる。最初は信じられなかったけど、軍隊ではこれが当たり前らしい。兵隊は食べるのも商売なんだと、古兵どのは言ってた。僕は有難く食べた。こんなにうまいものをたくさん食べられるのは、軍隊にいる間だけだと、そう分かっていたから。
昼間は、歩いたり走ったり、土を掘ったり、銃を撃ったり。一通りは、何とかできるようになった。うまいとは言えないけど。
いつまでたっても難しいのは「考えて意見を言え」と言われることだ。下士官どのは僕たち兵隊に、色々質問するんだ。考えろ、工夫しろ、何か意見をだせって。そういうの、訓令戦術っていうらしい。
でも、そんなの無理だよ。偉い士官さまや、村の長老よりずっと物知りな下士官どのでも思いつかないことが、僕に分かるもんか。みんな、思い思いの当てずっぽうを言う中、僕はぽかんと立っていた。
下士官どのが怒って、お前、百姓だからって、カカシじゃないんだぞ、と怒鳴った。お前らが何か案をひねり出さないと、俺が怒られるんだからな、って。
でもどうしようもない。仕方ないじゃないか。カカシは自分が何の役に立つのかちゃんと心得ているけど、僕にはそれが分からないんだもの。
そんな毎日を繰り返すうちに、僕の兵営暮らしは気付いたら終わっていた。なんだい、畑に比べりゃ、楽なもんじゃないか。
村に帰ると、家族は喜んだ。まわりも喜んだ。これで本当に一人前だと、お祝いしてくれた。兵舎で食べたものに比べると、ずいぶん貧しいごちそうだった。でも、悪い気分じゃなかった。認められたこともだし、もう村を出なくていいんだ。
その後の村の暮らしの間に、爺ちゃんは眠るように死んだ。ある朝、起きてこなかったんだ。村の墓地に、近所の全員で埋めた。自分が戦って貰った土地のそばで、奥さんと子どもと一緒に眠る。とても立派で、息子に先立たれたこと以外は、きっと幸せな一生だったろう。みんながそう言っていた。
こうして僕は、二人暮らしになった。寂しいけど、前より気楽になったという感じもある。軍隊で鍛えられたおかげで、僕は前よりは身体ができて、要領だって少しはよくなったみたいだった。そう考えると、兵隊にとられるって、悪いことばかりじゃないのかもしれない――軍隊であったたくさんの嫌なことは忘れて、そんな風に考えるようになった頃、戦争がはじまった。
エルフィンドと開戦した、そう聞いたとき、僕はまだ村にいた。同じ村の出で、訓練だといって集められて、もう戦場に行っている奴もいたけど。たぶん僕が、あんまりできのいい兵隊じゃなかったからだろう。初戦はお味方の大勝利、そう聞いて、村中が喜んだ。もちろん僕だって。
でも、すぐに召集令状が届いた。爺さんが生きていれば、大喜びだったろう。親父の仇をとってこい、とか言ったに違いない。母さんは、しばらく僕の目をみて何にも言わなかった。そして黙って僕を抱きしめた。やがて、か細い声で、おめでとう、と言った。長いこと、僕は抱きしめられていた。母さんが声をたてずに泣いているんだと、僕には分かった。
僕は心配だった。自分が死ぬかもしれないってこともだけど、母さんをこの家にたった一人で置いていかなきゃいけないってことがだ。この上、僕が帰ってこなかったら、母さんはどうするだろう――そう思ったけど、僕は翌朝には出発しなきゃいけなかった。
出征の朝。近所の人がみんなお祝いに来た。旗をふり、僕の名前をかいた幟を掲げて。
出征といっても、いきなり戦場に行くわけじゃない。前に入営したのとおんなじ衛戍地に、まずは行く。鉄道を使って。鉄道の乗り賃なんてうちの家にはないけど、入営や出征をする兵士はタダで乗れるんだ。
村から駅までは半日ほど歩く。村の半分くらいが、農作業を休んで僕を見送りについてきた。弁当まで持って。ああ嫌だ。僕が死にに行くのがそんなに嬉しいのか。母さんはしきりと、みんなにお礼を言っている。
駅ではみんなが旗を振り、調子っぱずれな
みんなは、いいさ。これから家に帰って、畑に出て、泥にまみれるんだ。僕は戦場で泥まみれ。血まみれになるかもしれない。
久々に訪れた衛戍地で、新しい銃を渡された。前に使ったものと全然違った。なんだこの銃。照尺がえらく長い。凄い威力だけど、射程がありすぎてさっぱり当たらない。いや、僕が使うと、前の銃でも当たらなかったけども。
面倒をみてくれる下士官どのは前とは違う方だ。良い方らしかったけど、すっかりあきれられた。
『お前は百姓なんだから、土を掘る方でしっかり役に立て。土は兵隊を守ってくれる』と言われた。
死にたくなければ掘れ。軍隊はそればっかりだ。銃が変わっても、そこは変わらないらしいや。
その月の二十八日。慌ただしい再訓練を終えた僕たちは、港に運ばれた。港には帆船がいた。いよいよベレリアントへ送られるんだ。
帆船の甲板から港を見る。大勢が見送りに来ているけど、みんな身なりがいい。街の人たちだから。その中を、ボロきれみたいな服をきたオークの婆様がかき分けている。右にも左にも頭を下げながら。ごめんなさい、ごめんなさい、と言っているに違いない。遠目にも分かった。あれは僕の母さんだ。
母さんはやっと岸壁の際までくると、両手を口の前で筒みたいにして、僕が乗る船に向けて叫んだ。僕の名を読んでいる。
「――やーい。――やーい。船に乗っているなら、鉄砲をあげろぉーい」
僕はその通り、小銃をあげてみせた。見えないと困るから、僕も『ちょっとごめんなさい、ごめんなさい』と言って、甲板の端っこまで出る。掲げた小銃をみると、母さんはまた叫んだ。
「うちのことは、心配するな。お国と王様によく御奉公するんだよぅ。聞こえたら鉄砲をあげろぉい」
僕はまた、小銃をあげた。母さんが一息をついて、その場に座りこんだのが見えた。うちには鉄道賃なんてないから、村からここまで、何日もかけて歩いて来たに違いない。母さんをかこんで、周りのみんなが泣いたり、手を叩いたりしている。
――ああ、頑張ってくるよ。僕も王様のことは好きさ。村の学校で習った。お優しいお方だって話だから。でもね。その、うんとお優しいお方が、僕たちに死んで来いっていうんだ。母さんを一人残して。僕はどうしたらいいんだ?
船はすぐ出港した。涙を見せないよう、僕は帽子を目深にかぶった。甲板にうずくまって眠ったふりをする。船よ、もっと揺れろ。僕が震えていると、誰も気が付かないように。
やがて着いた港で降ろされた。ここはファルマリア。もうベレリアント半島。ここは戦場なんだ。その割に、街は普通なように見えた。戦争って、どこでやっているんだろう、と僕は不思議に思った。僕にとっての戦争の始まりは、そんな感じだった。
そして僕たちは歩いた。たまに鉄道。そしてまた歩く。荷物を背負っているか、荷物にされているかだ。
だいたい野営だけど、たまに白エルフの村に泊まった。家ごとに分宿だ。
その家に住んでいる白エルフたちは気味悪いほど親切だったけど、用がなければ決して僕に近寄ろうとはしない。彼女たちは、家の隅の小部屋をかばうような位置にいつも立っている。この家に小さい娘がいることは、家の様子から何となく分かった。その仔がその部屋に閉じこもって、隠れているんだろう。僕から。恐ろしいオークの牡から。
ふん、勝手にしてりゃいいさ。変な自棄を起こして、敵より怖い下士官どのや、もっと恐ろしい憲兵殿に死ぬより辛い目に遭わされるのはごめんだ。
その家は農家だった。次の日の朝、ちょいと畑を見た。屈んで、土を拾い上げてみる。何だか土が固い。色も、土のくせにあんまり黒くない。ちゃんと耕して、それでもこれなんだろうか? そんなら、この土の世話をするのは、うちより大変で、できる麦はうちより少ないだろう。僕みたいな下っ端にへつらい顔をしていたあの白エルフたちを、僕は初めて可哀相だと思った。
その日の朝に出発する予定だったけど、予定変更になった。村の外れに墓穴を掘るんだって。前線から送られてきた、オルクセンの兵士たちの亡骸を埋めるんだ。
死んだ兵隊は、刻印式魔術のついた棺桶が間に合えば、そこに入れて国まで送ってもらえる。でも、全員がそうなれるわけじゃない。死体が腐るのに、棺桶や鉄道が間に合わないときは、こうやって現地に埋めて、簡単な墓標をたてる。場所と名前はみんな記録しておく。落ち着いてから骨を掘り出して、国に持ち帰って本当の葬式をあげるためだ。だから、ここはお墓だけど、本物のお墓じゃない。こういうの、仮埋葬っていう。
みんなで穴を掘った。遺体がどんなだったかは、もう思い出したくない。あの臭いもだ。そして会ったこともない兵隊のために、みんなで簡単なお葬式をした。いくら仮だって言っても、こんな知らない土地の土になるのは嫌だろうなと思った。出発は午後になった。この日だけは、昼飯は食べなかったよ。
また何日か経った。その日、僕たちが歩いていたのは、ぬかるんだ山道だ。補給隊と一緒に。僕たちは護衛なんだって。なんだかよく分からない。前線はもっとずっと前の方なんじゃないのか? 噂ではもうティリオンを囲んだっていう話だ。いや違う、囲んでるのは別の街だっていう奴もいる。兵隊の噂話なんてそんなものさ。それでも怪しげな噂話はやまない。
たまに荷車がぬかるみにはまって動かなくなると、僕らみんなで押した。たまに転んで、膝まで泥まみれになったけど、馬車がまた動いたときは嬉しかった。みんなで声をあげ、手を叩いた。こうやって、みんなで馬車を押して、そして喜ぶことも戦争。なんだい、そう悪くないじゃないか。
休憩のとき、下士官どのは二本の水筒を交互に飲んでいる。片方に入っているのは酒だって、みんなが知っているけど、何も言わない。士官さまもご存じみたいだけど、見ないふりをしているみたいだ。下士官どのが水筒のふたを開けている間は、絶対に近寄っては来ないんだもの。軍隊の階級にも色々あるんだって、僕はもう分かっていた。
そして、音が聞こえた。銃の音だ。『襲撃だ』と誰かが叫んだ。何が何だか僕には分からない。『下士官どの』と誰かが叫んだ。僕はそっちを見た。水筒をもったままの下士官どの。その頭は右半分しかなかった。左半分から、脳みそが垂れている。
どうすりゃいいんだ。
僕は何もかもを失った気持ちだった。じゃあ、士官どの。そっちを見ると、彼も倒れていた。胸に空いた穴から血があふれ、びくびくと跳ねている。
どうすりゃいいんだ。
藪の中から雄たけびが聞こえて、銃剣を突き出した白エルフたちが木々の合間からあふれてきた。その声と姿だけで、僕は氷を飲み込んだような気になった。
ああ、ああ。殺される。僕も殺されてしまう。
すぐ、みんな逃げ出した。僕もだ。相変わらず出遅れたけど、それでも必死に逃げた。訓練で走らされた、どのときよりも速かったんじゃないか。
でも、途中でぬかるみに足をとられた。たちまち、すっころぶ。畜生、土は僕を守ってくれるんじゃなかったのか。下士官どのの大ウソつきめ。足首が言うことを聞かない。それでも立ち上がる。そのとき、急に力が抜けて、また転んだ。
何があったんだ? 僕は足をみる。僕の右の膝が裂けて、そこから先の足がちぎれかけていた。
僕は絶叫し、意識を失った。僕に関する限り、それが戦争の終わりだった。
目が覚めたら、白いシーツを被っていた。清潔な寝台の上で。
意識が戻ると、猛烈な痛みも戻ってきた。叫び出したいが、喉がカラカラだ。だから、もがいた。そしたらもっと痛くなった。絞められる鶏みたいな声が、僕の喉からでた。
衛生兵がかけてきて、なんにも言わずに何かの注射を僕に打った。そしたら僕はまた眠ったらしい。
もう一度起きて、やっと訳が分かった。僕は膝を撃たれて、その後はどうなったか分からないけど、とにかく死にはしなかった。エリクシエルのおかげだ。今、僕の右足は、膝から先が無い。
でもおかしいんだ。目で見ると何もないのに、足先の感覚はある。右のつま先を曲げることだってできる――そんな気がするのに、そこには何もないんだ。どうなっているんだろう? 足にも亡霊ってものがあるんだろうか。それとも足の方が本当で、僕も死んじゃって、亡霊になってるんだろうか。あの下士官どのや、士官どのみたいに。本当はあの泥道で死んじゃって、びくびくと跳ねているんじゃないかな。
夜寝ようとするたびにそんなことを考えて、僕は枕を噛んだ。他の寝台でも同じようにしている負傷兵がいっぱいいたから、恥ずかしくはなかった。
何週間か経って、寝ているだけならあんまり痛くなくなってきた。そんな、ある日。
僕は王様に会った。こういうの、何て言えばいいんだろう。お会いした? お会いになった? たぶん違うな。もっと正しい言葉があるに違いない。
王様は一つ一つのベッドの前にたって、寝ている兵隊の名前を呼び、一言か二言くらい声をかけてくれた。順番、順番に。みんな泣いて喜んでいた。その泣き声を聴いて、僕も泣きそうになった。一時間くらいかけて、王様は僕のところにまできた。
王様は僕に言った。
「―――くん、と言うのかい。どうだい、まだ痛むか」
僕は頷いた。涙はいくらでも出てくるのに、言葉はでてこない。失礼がないようにしなくちゃ。僕を見つめるその目と、その声だけで分かる。この方は、やっぱり王様だ。本当の本当に、偉い王様なんだ。賢くて優しくて、同じオークでも、僕とはぜんぜん違う。
「そうか。痛むか。すまない、本当にすまなかった。よく頑張ってくれた。君のおかげで、オルクセンは守られた。勝ったんだよ。もう、国の全部がすっかり安全になったんだ。―――くん。君の頑張りのおかげだ」
王様の手が僕の手に重なった。握手すると痛がる奴がいるから、そうしてくれているんだ。王様の手の温かいことが分かった。
僕は一生懸命に頷いた。国王陛下万歳。みんながこの方のために死んだ。そう唱えて死んだ。国王陛下万歳。僕も心の中でそう言った。
だってこの方の瞳は、とっても辛そうだったから。僕よりも苦しそうだったから。王様。あなたのせいじゃない。僕たちはみんな、喜んで戦ったんです。だからお願いです、王様。そんな顔をしないで。
僕はそう言いたかったけど、できたのは何度も頷くことだけだった。王様も頷いて、次のベッドに行った。
そのあと、僕は一日中、なんだかぼんやりしていた。
みんなが死んだことも、僕の足がなくなったことも、本当にひどい話だ。だけど、僕たちが戦争で痛かったり苦しかったりすること、それを全部知ってて、王様はそれでもやれって言ったんだ。あの賢くて優しい、本当の王様が。どういうことなんだろう。僕には分からない。分かるのは、あの方が、心から悲しんでたってことだ。
僕が足を痛がれば、衛生兵が看てくれる。それで治りはしないけど、一人じゃないんだと思う。でも、王様の心が痛がっているのは、誰か看てくれるんだろうか―――?
しばらくして、船に積み込まれた。僕たち負傷兵は甲板に並べられた。毛布は敷かれているけど、天日干しにされた芋の気持ちだった。そして鉄道に乗り換える。ずっと誰かが運んでくれた。僕は兵士として出征して、まさに、お荷物になって帰った。
鉄道の駅では大勢が迎えてくれた。幟、旗。そして歌。
その後は、僕は家で毎日寝てばかりいた。傷痍年金がついたから、僕が寝ていても暮らしには困らない。前よりずっと余裕があるくらいだ。
母さんや、面倒をみにきた近所の親戚が交代で、僕にご飯を食べさせてくれる。風呂も便所も、誰かが連れて行ってくれる。便所に行きたいと言いづらいのが嫌だった。世話をされるのはもっとだ。
半年くらいして。やっと何かに掴まったり、這ったりできるようになった。
最近の母さんや親戚の話題は、新しくできた廃兵院に僕をやるかどうかだ。ずいぶん親切な施設だと聞いたけど、それだけは嫌だった。村を離れてしまうからだ。
外は怖い。また撃たれるかもしれない。僕は泣いて頼んだ。家に置いてくれと。お願いだから、もう僕をどこへも送らないでください。
また数か月して。僕は畑に出た。なくなった膝の先には、村の職人がつくってくれた太い木の杖を足の代わりにつけてもらった。
これが痛い。体重をかけるたびに、杖の先が膝に食い込むんだ。でもそうしないと歩けない。そうして鍬をもち、振る。ぜんぜん力が足りない。浅くしか耕せない。それでも振る。何度となく転んで、顔から土に突っ込む。立ち上がるとき、やっぱり膝が痛い。日暮れまで頑張っても、畝ひとつもできない。
ああ、僕は役立たずだ。前よりもっと役立たずになった。
僕は一人だけ日暮れの後まで働いた。しきりに気にする母さんを先に家に帰した。すっかり暗くなってから、誰もいない畑で泣くためだ。家の中では泣けない。そんな奴、きっと村を追い出されてしまう。
一年くらいしたある日。在郷軍人会の会長さんが家にやってきた。そして何だか分からないうちに、僕は馬車に乗せられてしまった。嫌だ、嫌だ。もうどこにもやらないでおくれ。でも泣いても暴れても無駄で、僕は街の病院まで送られてしまった。
そこで、妙なものを貰った。鉄の足だ。なんだこれ。右膝にそれをつけられた。杖じゃなくて、義足っていうんだって。木の足よりもずっと痛いに違いないと思ってたけど、意外とそうでもなかった。繋ぎ目に工夫があるらしい。それに、ずいぶん釣り合いがいいから、ずっと歩きやすかった。村の職人より腕のいい鍛冶屋が、街にはたくさんいるんだな。
そこで泊まって、毎日歩く訓練をした。何日かごとに義足を外され、新しいものと取り換え。この前のと、どっちが良かった? どんな風に? そんなことを聞かれた。生活の世話は衛生兵がみんなやってくれた。
僕は毎日歩いてばかり。一昨日より昨日、昨日より今日の方が歩きやすくなった。義足はみるみる良い物になったし、僕も慣れてきた。歩く。歩く。それがこんなに楽しいことだなんて、これまで知らなかった。
でもね。衛生兵さんは一つだけ思い違いをしていた。だから、僕が教えてあげた。
いいかい、衛生兵さん。僕はね、ただ歩きたいんじゃない。鍬を振りたいんです。だから、振り上げたときに体重を支えられる膝でないとね、後ろへ転げてしまうんです。種まきや、刈り取りのときには、屈めないと困るじゃないですか。そこのところ、もそっとお願いしますよ。いや、どう直せばいいのか、僕には分からないけど。とにかく鍛冶屋さんにそう伝えて下さい。
へへ。訓令戦術。僕の初めての手柄だ。古兵どの、下士官どの、聞いてくれましたか?
その夕方。おっかない顔をした髭づらのドワーフが飛ぶようにやってきて、あれこれと聞き取りをされた。これを作った鍛冶屋の親父さんに違いないと、何も言われなくても分かった。町の鍛冶屋さんだし、ドワーフだから、百姓の仕事はよく知らないみたいだった。僕は聞かれるまま、あれこれと喋った。親父さんは熱心に聞いてくれた。僕はそれだけで、何だか涙が出た。
泣きながら、もっと喋った。聞かれないことまで、ひたすらに喋って、もう止まらなかった。鍬をふるってこと。肥桶をかつぐってこと。膝を屈めて、種をまき、苗を植えるってこと。果てしもなく雑草をとるってこと。それがどんなにか大変で、どんなに嫌で、辛くて、それなのに僕は今、それがどんなにやりたいかってことを。親父さんはぜんぶ聞いてくれた。
翌朝。僕はその親父さんに叩き起こされた。親父さんの手には、真新しい義足が握られていた。朝食も食べてないのに、それを着けさせられる。これまでと全然違う。膝が曲がるのだ。それも、何ていうか、金属の膝なのに柔らかく曲がるのだ。僕はびっくりして声をあげた。
追い立てられるように庭にでて、僕はいろんな恰好をやった。松葉杖を鍬みたいにして耕し、畝をつくる動きをした。桶をかつぎ、柄杓で肥しをまき、また鍬で土をかけて均すふりをした。次に膝を曲げ、指先で畝に穴をあけて、種をまく恰好だ。
膝はちっとも痛くなかった。転びもしない。なにもかも、すっかり具合がよかった。そう伝えると、ドワーフの親父さんは跳びあがって喜び、僕に抱き着いた。あんまり勢いがよかったから、僕は後ろ向きに倒れた。親父さんは僕に馬乗りになったまま、僕の胸をバンバンと叩いて大笑いをしている。
打ちつけた背中が痛い。叩かれた胸も痛い。でも、やっぱり膝は痛くない。見上げた空があんまり青かったから、僕は訳も分からずに笑った。この世には、こんなに素晴らしいものだってあるんだ。
しばらくして村に帰してもらえた。自分の足で――と、言っていいのか分からないけど――とにかく、自力で歩いて帰ってきた僕に、みんなが驚いた。村中総出の大宴会になった。僕は次の日の朝から、また畑に出て、みんなと鍬を振った。
それから何年かして――とんでもない幸運が降ってきた。なんと、僕は結婚できたんだ。奥さんはお喋りで、食いしん坊で、怒りっぽくて、そしていつも僕の心配ばかりしている。僕は相変わらずで、兵隊に取られていたときと一緒。毎日どやされてばかり。ただし、奥さんに。この日々が永遠に続くといい。
うん。もう僕は村から出ないぞ。鉄道にも乗らない。特に、船なんてまっぴらだ。
ベレリアント半島? そんな場所は知らない。きっとこの世の果てにある、地獄みたいなところに違いない。確かなのは、地獄にだって百姓はいたってこと。ろくでもない、痩せっぽちの土を耕すしかなくて、あいつら可哀相だったな。昔よりマシな土になってるといいけど。
比べれば、この村は天国だ。何百年も前から耕された、ふかふかの土がある。
だから僕は、一生ここにいよう。ここで年を取る。いつか、ここの土になる。
ずっと爺さんになって、もし幼い孫か、ひ孫くらいが昔のことを尋ねてきたら――いや、尋ねられなくても。僕はうるさく喋ってやろう。爺さんってのは、みんなそんなものだ。
いいかい、坊や。戦争なんてするもんじゃない。戦争の栄光なんて嘘さ。あれはね、地獄だよ。どんなにいい王様がやれって言ったって、あんなに嫌なものはないんだ。王様だって、あれが悪いことだって思っていたんだから、これは間違いない。
でもさ、もっと嫌なことは、それでもどうしようもない時が、どうやらあるってこと。そして、その時が来たら、誰かが行かなきゃいけないってことさ。この天国みたいな土を守るために。いつか死んだあとで、ここの土になるために。だからさ、もしそんなことがあったら、坊や。お前も頑張って、きっと生きて帰ってくるんだよ。
『そして祖国の土になれ
とある兵士のベレリアント戦争』
おわり
Thank you for your reading!
作者注:制作にあたり、原作のみならず、『鉄の腕、鉄の足、王の心』からも多大なインスピレーションを頂きました。
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