それから――彼女たちの遺骨収集事業は、期待されたほど順調には進まなかった。
各共和国の紛争は棚上げされたが、沈没艦に世界的な注目が集まったことで、二隻を狙うトレジャーハンターはかえって増えてしまった。そこでモーリア、ドラッヘン、エルフィンドの三国の沿岸警備隊が協力し、二十四時間態勢で警備にあたることになった。この合同任務はエルフィンドの提案によるものだが、合意のための会談は敢えてヴィルトシュヴァインで行われた。誠実な仲介人に仕立てあげられて、オルクセン共和国は満足した。
しかし、交代制とはいえ、沿岸警備隊を一か所に貼り付け続けるような警備が永続できるはずもない。また、トレジャーハンターもさるものである。マニピュレーター付の潜水艇を用い、遠方から海中を通って接近しようとする者まで現れた。これでは巡視船による警備は困難。海軍の潜水艦を出したところで、何ができるわけでもない。
そこで、ディネルース・エレンミア財団は苦渋の決断をした。やむを得ず、沈没艦二隻を引き揚げることにしたのだ。
現代において、沈船の引き揚げ、サルベージは、良いこととはみなされていない。かつては他の方法がなかったが、現代の潜水技術と海中ロボットなら深海でも学術調査や遺骨収集が可能だからである。それに比べ、サルベージは船体を破損させる恐れがあるし、経年劣化した船体は大気中に出されると急速に崩壊を始める。保存のためには船体表面にコーティングが必要だが、それ施せば船体の科学的調査はほぼ不可能になってしまうのだ。
とはいえ今回、トレジャーハンターの手から艦と遺品、遺骨を守るためには引き揚げしかないと考えられた。
そこでまず、
しかし、その成果は遺族やそのほかの市民たちが期待したほどではなかった。多くの遺骨が沈没中に散逸していたのだ。特にメーヴェでは、艦長や機関長、砲雷長といった高名な軍人たちを含め、遺骨はほとんど見つからなかった。彼らの多くが最期まで甲板で戦っていたためであるらしい。
一方のリョースタでは、司令塔内から高級将校のものと思われる遺骨が多数発見され、護符とともに回収された。個々人の識別はほとんど不可能だったが、それでも生存者、遺族や白エルフ市民たちの心は慰められた。
海底で慎重な収集作業が進められる間、地上では突貫工事が行われた。海沿いに取得された用地に、博物館を建てるよりも先に、巨大プールの建設が始まったのだ。引き揚げ後に沈没艦の酸化を防ぐためには、直ちに真水に沈めねばならないからである。
こうした準備に一年以上を要した。
その間に、いくらかの政治的な動きがあった。
まず、各共和国の合同捜査により、カランシア少将の白い護符が回収され、白エルフたちを喜ばせた。その引き揚げと売却を行った者は密輸の容疑で逮捕された。テレビクルーにアドバイザーとして雇われていた自称・水中考古学者であった。彼は、実際は学位も研究も持たず、単に海中から古物を揚収して売却益を求めるトレジャーハンターの一味であったのだ。過去には海没した帆船をダイナマイトで破壊し、金貨や宝飾品だけを回収していた事実まで明らかになった。
この事件を受けた国際的な関心の高まりが新たな動きを呼んだ。エルフィンド国の熱心な主張により、新たな国際条約が締結されたのだ。
水中文化遺産保護条約。海没した艦船のうち、没後百年以上を経過したものは全知性体に共通の文化遺産とし、可能な限り現在地での保護を義務づける条約である。その規定はまた、水中文化遺産から収集した物品の売却及び購入を違法とするよう、批准国に義務付けている。海没遺骨の収集を望む国は、没後百年以内に収集作業を終えるか、国際連盟に設けられた小委員会に申請した上で収集許可を受けることとなった。墓所の静謐に保ち、慰霊に配慮しながら、歴史を未来に伝えるという趣旨である。
条約の批准作業が進み始めた頃、キーファ岬沖では各国サルベージ船が協力しての引き揚げ作業が開始された。先にメーヴェ、次にリョースタの順である。まずウォーターブラスターでメーヴェの下の砂泥に八本の穴を開けた。そこに一本ずつワイヤーを通す。その両端を四隻のサルベージ船に固定。四方から掬い上げるように揚収した。
船体が海上に姿を見せると誰もが歓声をあげたが、それ以上に喜ぶのは後回しである。ただちに船体を巨大プールに移送し、真水に沈めた。数か月かけて学術調査と船体の補強工事を行う。次いで水酸化ナトリウムをプールに投入し、脱塩処理が行われた。その後は徐々にプールの水量を減らし、大気に露出した部分から順に、これ以上の酸化を防ぐための保存処理を施して完了である。
軍艦の引き揚げ時にしばしば行われる修復作業は、行われなかった。ゆえに、博物艦内に展示された二隻の艦船は、あちこちが壊れ、傷ついたままであった。
双方の艦橋には炸裂した弾片の傷がある。甲板と舷側には機関銃弾から小銃弾まで、さまざまな火器の弾痕。リョースタの艦尾には、メーヴェの魚雷と衝角が穿った大穴が開いている。メーヴェの左舷砲塔があった場所はただの空隙となり、船体中央にはヴァナディースの主砲弾によると思われる致命の一撃が刻まれている。
その傷。その痛みを見る者が感じられるようにという、ディネルースとエレンミアの強い意向だった。財団の会議においてディネルースは語った。
「もし船体を修復すれば、多くの者が喜ぶだろう。しかし、私たちはここを慰霊施設に留めておきたいのだ。国威発揚の場所にはしたくない。それが間違っているとはいわない。しかし万一、遠い将来に再び各種族や共和国が争う遠因となってしまっては、亡き者たちに申し訳が立たんではないか――」
そのような意向から、博物館の展示内容を吟味するため、エルフィンドを含む旧オルクセン領の歴史学者たちを均しく集められた。一人からでも異論が出た展示は直ちに撤去された。また、ベレリアント戦争全体に関する説明展示は意図的に簡略化されている。開戦の経緯や責任は問わず、戦いがあったという事実のみを淡々と述べる説明に留められた。そして―――レーラズの森の虐殺や、近年ようやく実在が指摘されつつあるファルマリア虐殺事件について、展示は一切言及していない。
ただ、双方の船乗りたちの知略と勇気、そして献身のみを称え、悼むための施設。そのように作為された。参加した学者の一部からは批判の声もあったが、最後には合意がなされた。
博物館の開館式典には、いまや少なくなった海戦の生存者と遺族、関係者たちが来賓として招かれた。出迎えたのは、博物館の名誉館長に就任したロイター元帥と、館長のファラサール元提督である。
式典が始まると、幾人かの挨拶の後、来賓の代表者五名から献花が行われた。墓前に花束を捧げたのは、メーヴェ唯一の生存者であるヴェーヌス元提督。リョースタの生存者を代表したのは、元水兵で現エルフィンド海軍に務める海軍中佐。次いで、屑鉄戦隊に命を救われたツヴェティケン退役中将。同じく、護送船団の船長の一人。そしてリョースタの母港、ファルマリアの市民代表であった。
彼ら彼女らが花束と祈りをささげた共同墓所には、収集された遺骨と護符のうち、個人識別ができなかったものが埋葬されている。エルフィンド海軍の白エルフたちとオルクセン海軍の魔種族たちは、同じ墓地で眠ることになった。土盛りの前には墓標代わりの白銀樹が植えられ、その隣にオルクセン産の大理石で作られた慰霊碑が立っている。その碑銘は、こうある。
友よ 君よ 我らを忘るなかれ
キーファ岬沖海戦を記念して作曲された征エルフィンド歌、その一節である。後に、併合された白エルフたちの心情を慮り、征海歌と改題された曲だ。しかし改題後も、その歌詞は明らかにオルクセン王国側から海戦をみたものである。ゆえに歌詞の全文ではなく、異なる解釈が可能なこの一節だけが碑に記された。
友よ 君よ 我らを忘るなかれ
オーク、ドワーフ、コボルトら旧オルクセン王国の種族たちは、その言葉を屑鉄戦隊からの呼びかけだと解した。黒エルフも同様である。一方の白エルフたちは、リョースタをはじめとするカランシア戦隊の将兵からの呼びかけとして、その一節を読んだ。
友は古くからの同胞。君はかつての敵。祈る者がそのどちらであっても、忘れ得ぬ記憶がある――この碑に向かうものは、自然とそのような心境になり、共に瞑目した。そして同じ波の音を聞いた。キーファ岬は、そのような場所になった。
ディネルースとエレンミアは公務を理由として開館式典を欠席した。彼女らが出向いては、いくら私人としての参加だといっても、生存者と遺族を差し置いて主賓となってしまうからだ、と噂された。事実の一端ではあった。しかし彼女らの真意は、式典、博物館、そして収集事業に秘された欺瞞を知るがゆえであった。代理として、ディネルースは遺骨収集事業団長を、エレンミアは特別警護隊長を送った。
式典を終え、来賓たちが館内の見学に移った後、彼女たち二人はまだ墓地の前で波音を聞いていた。
やがて白エルフは、彼女の元上司に話しかけた。
「連隊長」
「もう違うぞ」
元上司の返答は笑いを含んでいた。彼女も笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「では、遺骨収集事業団長どの。この次はどちらへ?」
「ファルマリアだ。ようやく許可が下りてな。やっと掘れそうなんだ」
ファルマリア。そこは、遺骨収集事業の手が及ばなかった、もう一つの場所である。それを知りながら、なお彼女は尋ねた。
「これまでは政府が邪魔を?」
「いいや。公営住宅が建ってるからさ。建て直す区画があるから、工事にあわせてそこだけ調査できることになったんだ」
公的にはその通りだ。しかし、この人は、どこまで知っているのだろう――と、警護隊長は訝った。
遺骨調査事業団長の願いが果たされることは、ないのだ。政府が収集を許可した区画は、かつての戦場ではある。恐らく、いくらかの遺骨と護符が見つかるだろう。しかし、ファルマリア虐殺事件が起きたとされる、追撃戦の場所からは遠く離れている。
エルフィンド政府はファルマリアの虐殺をこのまま隠蔽し続けるつもりなのだ。その目的は、黒エルフと白エルフの対立再燃を防ぐこと。そのために王女ディネルースを守ることである。
虐殺を行ったのはアンファングリア旅団の騎兵第三連隊。虐殺の事実が公に認められれば、そう命じたわけでないにしろ、ディネルース旅団長の責任に議論が及ぶことは避けられない。より深刻なのは、虐殺の隠蔽に彼女が関わったのではないか、と疑われることである。一部の史家は、ディネルースが自己保身のため、当時既に親密な関係にあったグスタフ国王を説得して各種の記録を廃棄させたとすら疑っているのだ。
そのような議論が公になされては、ディネルースが国民統合の象徴であり続けることは難しい。それでも彼女自身は、両エルフ族の和解のために事実の解明と公表を訴えた。裁判を受けるなり、退位するなりの覚悟があったのは当然である。しかし、彼女が退位してエレンミアだけが在位を続けることになったとき、国内の黒エルフたちは政治的にも道義的にも不利な立場におかれると、政府は懸念した。未だに黒エルフは少数種族なのだ。
従ってエルフィンド政府は、当面はファルマリア虐殺事件の本格調査を行わないと、密かに決定した。歴史の闇に光を当てるのは、ディネルースが老齢で薨去するか、彼女とエレンミアが揃って退位しても種族間融和が保たれると確信がもてるまで――すなわち、両種族の世代交代と人口の均衡化が進むまで待つことになっている。両王女も最後には政府の判断を尊重し、その決定に同意した。
警護隊長は両王女との友人関係から、その秘密を知っていた。しかしそれを元上司に明かすことはできない。それでも彼女は尋ねた。
「いつまで続けられるつもりですか」
「いつまでもさ」
「終わりはないんですか?」
「あるさ。あたしが死ぬときだ」
「そんなことを!」
「いいんだよ。それでいいんだ」
きっと、この人は何もかも察しているのだ――と、彼女は思った。ならば、なぜ実ることのない努力を続けようとするのか。メーヴェとリョースタの乗組員たちのような安らぎを彼女が得ることは許されないのだろうか。
「任務は解除されない?」
「命じてるのは旅団長じゃないからな」
「お言葉ですが、過去に囚われすぎです。もう、今を生きたっていい」
「ありがとうよ。でも違う。過去を背負っているんだ。それが生きるってことだ。あたしにとってはな」
「何か、私にできることは」
彼女の切なる問いを、しかし元上司は笑い飛ばしてくれた。
「そうさな。近くに寄ることがあったら、差し入れ、してくれや」
つられて、彼女にも微笑が戻った。
「きっと行きますよ。何がいいですか。菓子か、それともいっそ酒を?」
「ばか、金に決まってるだろ。うちはいつだって火の車なんだ。というか、旅団長の財団からいくらか貰えねえか? そうだよ、ものは相談なんだが――」
彼女は苦笑して、強引な元上司に付き合った。
どんな形であれ、誰でも生きていく。誰にも過去がある。忘れたいものがある。忘れ得ないものも。だから引きずっていく。それは辛いことだが、生きる理由にだって、時には、なるのかもしれない。
「――だからな、ちょっとでいいんだよ。その代わり定期的にくれ。規約? このケチ! え、寄付金をもっかい寄付って、できないのか? うーん、じゃあさ、事業委託って名目でどうだ。こう、うまいこと誤魔化して、よお――」
少なくとも、この人も今、生き生きと進んでいることは確かだ。癒えない傷を抱えていても、沈んでいるよりずっといいに違いない――彼女はそう思った。
熱弁する元上司の向こうで、今日の海は静かに輝いていた。
二次創作作品『海底軍艦』
おわり
Thank you for your reading!
作者注:
〇本作の制作にあたり『リョースタに、花束を』及びレッドサン・ブラッククロス外伝『オデュッセウスの霊廟』から多大なインスピレーションを頂きました。
〇本作では、作劇の都合上、キーファ岬の位置を原作から数十キロほど西にずらしています。原作のキーファ岬はドラッヘクノッヘンから約27キロ西方であり、旧ブラウヴァルト州内だと思われます。
〇現実世界における水中文化遺産保護条約について
同条約は、海没から百年を経過した艦船を水中文化遺産と定めています。第二次世界大戦で沈没した艦船については、最も遅いもので二〇四五年がその区切りです。その時点をもって、沈没艦船はその母国人にとっての霊廟ではなく、人類の共有財産となります。以降、それら艦船において海没遺骨を収集することは不可能となります。