「俺の心残りを教えて欲しいんだ」

事故で死んだ男の子・鈴原リョウタと、幽霊が見える女の子・林チアキ。成仏するために心残りを教えて欲しいというリョウタに、チアキはある考えのもと協力する。

幽霊少年と霊感少女のガールミーツボーイ。

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某成人向けコミック誌の表紙ポエムを自然な流れで組み込みたいがために書き始めたお話です。


幽霊少年の心残りと霊感少女の野望

 かつての私の想い人――鈴原(すずはら)リョウタという少年と過ごしたあの夏の話をするには、まず私の欠陥について話さなければなるまい。

 欠陥だなんてそんな言い方が大袈裟だと言うのなら体質と言ってもいい。とはいえ私のこれが具体的に体のどの部分に端を発する症状なのかは分からないのだから、やはりこれは体質ではなく欠陥と言うのが適切であるのだろうけれど。

 

 その欠陥というのは、私――すなわち(はやし) チアキには幽霊が見える、というものである。いわゆる霊感がある、というやつだ。

 

 普通ならば見えないものが見えてしまう。

 普通ならば分からない事も分かってしまう。

 普通ならば知れない事まで知ってしまう。

 それはすなわち人生において普通ならば有り得ない選択肢が生まれてしまうという事で、それを欠陥と言わなくて一体何と言うというのか。

 

 ともかく。

 

 それらがいつから見えていたのかは分からない。物心ついた頃の私にとって幽霊というのは特に気を払う程のものでもない、そこにあって当たり前のものであった。

 ところが歳を経るにつれて他人の視界を意識できるようになると、私はようやく自分の見る世界がおかしいのだと気付いた。時折誰もいない場所に話しかけたり、何もない空間に怯えたりする私が異常に見えたのだろう、小学生の中学年に上がる頃には遠巻きにされ始め、その頃になってやっと私はこの恨むべき欠陥との折り合いの付け方を学んだ。もちろんそこに至るまで多少の痛みも伴いはしたが、まあ、それは過去の話だ。

 今の私がこの欠陥に対して抱いているのは恨みでも怒りでもなく、ただ一つ、感謝の一念だけである。

 

 ***

 

「なあ、これの次の巻ってどこある?」

「そこの本棚の一番下。じゃなきゃその辺の床に落ちてるよ」

 

 中学校生活二度目の夏休みである。部屋には私の数少ない趣味である漫画本が所狭しと並んでおり、それに今までいくらお小遣いを使ったのかは考えたくもない。一応以前にも数えようとした事はあるのだが、途中でなんだか死にたくなったので止めた。こういう趣味は冷静になって考えてみるとどうしても割に合わなく思えてしまうのだから不思議である。

 とにかく、私の部屋には大量の漫画がある。本棚に収まりきらない分は床や机に溢れ出しているために、整理整頓などもはや夢のまた夢と言わざるを得ない状態だ。

 

「床ってお前……本は大切にしろよな?」

「んでも本棚が足りないんだからしょうがないじゃん。それともリョウタが買ってくれたりする?」

「いらない漫画を売るって選択肢もあるだろ。俺だからいいけども、こんな散らかりようじゃ足の踏み場もねえよ」

 

 呆れたように少年――――リョウタが苦言を呈する。それに対してこれは散らかっているんじゃない、全て手に取りやすい絶妙な位置にあるのだと主張したかったが、世間的にはおそらく向こうの言い分に理があるのだからその反論は飲みこんでおいた。その代わりに口を尖らせて半ば言い訳のように答える。

 

「どうせいいじゃん。私の部屋に来るのなんて私自身かリョウタくらいしかいないんだから、何も問題無いでしょ?」

「まあそりゃ、俺なら漫画踏んだりはしねえけどよ……」

 

 帰ってきたのは苦笑と諦めたようなため息。一旦意見を切り上げることにしたのか、彼は立ち上がると漫画の続きを探し始める。先程も述べたように私の部屋には漫画本が溢れかえっているが、それでも彼はそのどれも踏む事は無い。しかし、それは決して彼が特別注意深いからではない。

 彼には本を踏むための足が無いから――――すなわち、彼が幽霊だからである。

 

 ***

 

「俺の心残りを教えて欲しいんだ」

 

 そう言われたのが今年の七月下旬、夏休みが始まって少し経った頃だった。下校途中の、イヤになるほど急な坂道を降りきった直後の事である。

 

「……あなたは鈴原君、でいいんだよね?」

「ああ、そうだ」

「隣のクラスの、サッカー部のあの鈴原リョウタ君?」

「……正確には、サッカー部『だった』だけどな。もう死んじまったわけだし」

 

 私が尋ねると、たはは、と力無く笑いながら彼は足元を指さした。その足は先っぽ、ちょうど足首の少し上あたりからつま先までが透明になっていて、幽霊と言われると万人がすぐに思い浮かべるような状態だった。

 彼の言葉を聞いて私は目線を横に向けた。その先には古びた電柱が立っており、そしてその足元にはこれでもかと言うほどの花束や手紙、お菓子やジュースと言ったお供え物が山と積んである。誰が見ても、ひと目で誰かが死んだのだと分かるだろう。

 ――その『誰か』は今、私の目の前で苦笑している。

 

「前から思ってたんだけどよ、ああいうお供え物って近所の人の邪魔になってないのかね?供えられても俺が食えるわけでもねえし、ただでさえ狭い道がもっと狭くなっちゃってるだけじゃねえ?」

 

 リョウタは、こんな狭い道だから事故ったんだからよ、と続けて言うとさもおかしそうに笑った。こちらからすると全く笑えないブラック過ぎるジョークの類いなのだが。それにお供え物は死んだ人のためというよりも、残された側のためのものという側面が大きいだろう。葬式もそうなのだといつだかどこかで聞いた事があるし。

 

「なんでそれを――心残りの事を私にお願いするの?私が言うのもなんだけど、私と鈴原君ってそんなに話した事あったっけ?」

「んまあ、そりゃあ確かに言われて見ればそうだけどさ」

 

 自分で言いながら少し傷つく。私が彼を憎からず想っていたというのは誰にも漏らしていないのだし、向こうからしたら私は、ひょっとしたら認識すらされていないかもしれない程度の人間だったと改めて分かってしまった。

 

「でも、俺の事見えるのは今んとこ林さんだけっぽいしさ。一人だけで探そうにも、色々と生前の記憶があやふやなところもあるし」

「なに、消去法ってこと?」

「あーいや、そういう訳じゃないけどさ!なんて言えばいいのかな、ほら……」

 

 つい悪戯心を出してそう言ってみると、リョウタは目に見えて狼狽えた。それが面白くて少し笑ってしまう。

 

「……なんだよ。笑ってねえで真面目に答えてくれよ」

「いや、ごめんごめん。それで何だっけ、心残りだっけ?」

 

 半笑いのままでそれでも精一杯真面目な顔を作って、作ろうとして聞き返す。

 

「そうだ。勝手なこと言うようだけど、手伝って――」

「うん、いいよ。一緒に探したげる」

 

 きっぱりとそう言うと、リョウタは言いかけた口を閉じて驚いたような表情を作った。

 

「なに、なんでそんなに驚いたような顔してるの?」

「い、いや……その、俺が言うのもなんだけどよ、そんな安請け合いしていいのか?自分でも、けっこう無茶苦茶なこと言ってる自覚はあるんだぜ?」

「んまあ、別に安請け合いしてる訳じゃないんだけどさ」

 

 そこでひとつ言葉を区切り、目線を足下の石に落とす。拳大ほどのそれを蹴飛ばして私は続けた。

 

「だってさ、鈴原君が見えてるのは私だけなんだよね?」

 

 彼が――幽霊としての彼が見えているのは、おそらくは私だけだ。少なくとも、これまで十三年間生きてきた中で同じような欠陥を持つ人に会ったことは無い。それならば、彼が頼ることのできる人間は自分だけなのだ。だから、私は答えた。

 

「こうして頼ってきてくれたんだよ。それなら、見捨てるのも後味悪いじゃない」

「……いい奴だな、お前」

 

 もちろん、理由はそれだけではない。リョウタが私の想い人であるという点も少なからず理由に含まれてはいるが、まあ、それは一旦置いておこう。

 もう一つの理由は、なにより嬉しかったからだ。

 

「ところで、その思い残したことに何か心当たりとかはあるの?」

「うーん、あると言えばあるんだけど……じゃあ、早速で悪いんだけど一つ頼んでいいか?」

「ん、いいよ。どーんとこい」

 

 少しおどけて言うと彼の動揺も消えたようで、次の言葉はずいぶんと着やすい頼みごとのようだった。

 

「見逃した――いや、違うか。見損ねたサッカーの試合があるんだよ。それを見たいんだ」

 

 ***

 

「この前の試合って……これで合ってる?」

「合ってる合ってる!」

 

 そのあと家に帰った私たち(リョウタはきちんと私の開けたドアから入ってきた。どうやら壁抜けとかはできないらしい)は、私のお父さんが偶然録画していたサッカーの試合を再生していた。あまり詳しくはないのだが、どうやらリョウタがひいきにしているチームの大一番らしく、リョウタはまさにかぶりつくという表現そのままの様子でテレビと向き合っていた。

 

「抜いて、パス、パス、抜いて、合わせて…………ゴール!」

 

 私はサッカーにそこまで興味がないのだが、せっかくなので隣で試合を見ていた。ご丁寧に実況してくれる人がいて、しかもその人が気になるあいつと来るのだからそれは見なければ損というものだろう。

 そのまましばらくの間そんな具合で騒ぎながら見ていたのだが、ついに試合は三対二のスコアで終わった。ちなみに、勝ったのはリョウタが応援していたチームである。

 

「いやー、勝った勝った!」

「よかったじゃん。で、鈴原君の心残りってこれだったの?」

「――んや、これじゃないっぽいな。まだまだ、なんかもやもやするモンが残ってるし」

「じゃあ違うんだね。ちなみに、なんでこれだと思ってたの?」

 

 そう言うとリョウタは満足げに笑ったが、すぐに苦笑に変わってしまう。そして私の問いかけに対してぼやくように小さく答えた。

 

「ああ――俺が死んだ日の試合なもんでさ。ずっと見たかったんだよ、これ」

「あー……ごめん」

 

 どうやらだいぶ無神経なことを言ってしまったらしい、と思わず謝ると彼は慌てたように答えた。

 

「いやいやいや、林さんが謝ることはねえよ!」

「そう?ちょっと無神経だったかなって自分でも思うんだけど……」

「本人の俺が気にしてねえんだから別にいいんだよ、そんなの」

 

 そう言うと彼は立ち上がり、玄関へと歩き出した。彼一人ではドアを開けるとポルターガイストみたくなってしまうため、私もついていく。

 

「……んじゃあ、そろそろあそこに――あの坂に戻るわ。幽霊(おれ)にずっと居座られても面倒だろ?」

「う……まあ確かに、それはそうかもしれないけど。心残りについてなんか思い当たったら手伝うよ?」

「ありがとう……なんだけど、林さんも用事とかあったらそっちを優先してくれていいぜ?だいいち俺はもう死んでるわけだから、あんまり長いこと付き合わせるのも気が引けるしよ」

「安心して。私、用事を入れるような友達なんてほとんどいないから」

「それはそれで心配になんだけど……」

 

 苦笑いしつつ、そんじゃ、と言って彼は私の開けたドアから出て行く。その後ろ姿に私は思わず声をかけた。

 

「鈴原君!」

「ん?なんだ?」

 

 振り返った彼にどう言うか一瞬悩み、そして続けた。

 

「また明日ね、鈴原君。私の呼び方、チアキでいいよ」

「――リョウタでいいよ。また明日な、チアキ」

 

 ***

 

 影が地面に濃く伸びる夕暮れ時。もう春も終わってしまった六月、イヤになるほど急な坂道を下りきったところで、私はぼうっと突っ立っていた。

 目の前にはカラカラと車輪を空転させ続ける自転車と、すぐ傍に横たわって動かなくなった血塗れの少年。何があったのかは全てを見ていたから知っている。転んで、頭を打って、死んだ。

 この出血量とぶつかった勢いからして、治療を施す頃にはきっと手遅れだろう。そんな事を心の隅で思いながらも携帯で救急車を呼び、そしてしげしげとその姿を眺める。

 その時ふと、ある事を思い出した。『人が死ぬ時最後まで残っている感覚は聴覚である』という俗説である。それがどこまで本当かは分からないし、そもそも目の前の彼は既に死んでしまっているかもしれない。

 

 でも。

 

 それでも、もしもまだ意識があって、そして耳が聞こえているなら。

 私がかけるべき言葉は――――

 

 ***

 

 リョウタとあの坂道で出会ってから一週間が経った。その間私は毎日坂に通い、リョウタと二人で話すことを日課としていた。心残りを探す、とは言ったけれど、実際にはただ話していただけのような気がする。何なら、時には私の部屋でただ駄弁っていただけの日もあった。

 想い人と二人だけの誰にも邪魔されない逢瀬、なんて少しロマンチックに考えてしまうのも、まあ、多少はしょうがないのだろう。きっとそのはず。おそらく。たぶん。

 なんて、そんな馬鹿なことを考えていると。

 

「アイスが食べたい」

「随分急だね……まあいいけども。ていうか、幽霊なのに食べられるの?」

 

 リョウタが急にそんな事を言い出したのが、その日の朝のことである。幽霊が食べ物を食べられるのか、という疑問はあったが、どうやらリョウタはそこまで深くは考えていないらしかった。

 

「知らないけどまあできんじゃね?俺、一応色々触れるタイプの幽霊っぽいし」

「あーなるほど」

 

 扉やら本やらを触れるならアイスを食べるのもできるだろ、という理論らしい。ここ数日でそのあたりの遠慮が無くなったのだろう、リョウタも幽霊という不自然な存在に対して軽く話すようになった。

 

「んで、アイスだっけ?何か味のご希望はあるの?」

「んーとな。二丁目の交差点前の駄菓子屋、分かるか?」

「二丁目っていうと……ああ、あのお婆さんがやってるとこ?」

「そう。トコばあさんの店」

 

 トコばあさんの店とは、この辺りの子供がよく利用している駄菓子屋のことである。その名の通りトコばあさんと呼ばれる女性――本名は誰も知らないらしい――が一人で経営している店で、コンビニなど存在しないこのド田舎では貴重なお菓子の供給場所となっている。そして、何よりの特徴として――

 

「トコばあさんの店ってことは、やっぱりあのオレンジソルベ?」

「そうそう。美味いよな、あれ」

 

 店主のトコばあさんは歳の割にアクティブな人で、店について新しい試みを頻繁に試しているのだ。

 オレンジソルベもその一環で、なんと手作りだというのだ。確かに美味しい、と同意しながら駄菓子屋までの道を歩く。空を見やれば真っ青な晴れた空が広がっていて、遠くには誰かが積み上げたような入道雲がもくもくと上がっていた。

 夏真っ盛りの、セミがやかましい、八月である。

 

「ところでさ、俺の死因って何なの?」

「……自分で分からないもんなの、それ?」

「いやー、なんか最後の方の記憶があやふやなんだよな、俺。雨が降るって聞いたから急いで帰ろうとしたとこまでは覚えてるんだけど、そっから先がどうもなー」

 

 駄菓子屋までの道すがら、そんな事を聞かれた。

 けれど私は知っている。彼がどうして死んだのかも、どうやって死んだのかも。

 

 坂道で自転車をとばして、止まりきれずに()()()電柱に頭から衝突し、そのまま()()()死んだ。簡単な言葉にすればたったそれだけの、余りにも呆気ない終わり方。

 彼にその詳細を知られるのはマズい――とにかく、嫌なのだ。そう思って沈黙していると、

 

「なんか、あんまり聞かない方が良かったか?」

「……うん。そうしてもらえると助かるかな」

 

 二人の間に気まずい沈黙が流れ、そしてまたしばらく歩く。

 シャワシャワとセミの鳴く声と、一人分の足音だけが歩道に響く。他に歩いてる人は見つからず、何だかこの世に二人っきりのような、そんな錯覚を覚えた。

 

 ***

 

 この体が嫌いだった。

 見てはいけないものが見えて、聞こえてはいけないものが聞こえる。そのせいで自分が一体どれだけ排斥されてきたのか、もう今では考えるのも嫌になるほどだ。

 そして何より嫌なのは、それに対して怒りを向ける相手が見当たらない事だった。

 幽霊に怒ろうにも、彼らはただそこにいるだけで、あちらから働きかけて来る事などほとんど無い。多くの場合、私が勝手に生者だと勘違いしてしまうだけで、向こうは騙そうなどとは露ほどにも思っていないのだ。

 そして排斥してきた人達を憎もうにも、私だって彼らの立場になれば同じ事をするだろうと思えるからそうはいかない。『こちらと違うあちら』は誰にとっても怖いものだし、遠ざけたがるのだから。

 

 だからその怒りも憎しみも、全て内側を向いてしまう。

 私が見てしまうのが悪い。

 私が違うのが悪い。

 何をされても私のせいだから。そうやって諦めていた。

 

 『――やめろよ、そんなつまんない事』

 

 だからその声が聞こえた時はとても、それはそれはとてもびっくりして。

 

『お前らだって変なとこの一つや二つあるだろうがよ。それをわざわざあげつらって、カッコ悪ぃよ』

 

 そう言って私の前に立つ背中は、女子の方が早熟な小学生の例に漏れず、私よりも小さいはずなのに何故か大きく感じて。

 網膜に焼き付いたようなその光景は今でも思い出せる。

 

 その日私は、彼に恋をしたのだ。

 

 ***

 

 それから十数分もしただろうか。私たち二人は件の駄菓子屋の前に着いていた。文字が擦り切れてボロボロになった、もはやろくに読めないような古い看板が目印の店である。文字が判別できないために生まれた意味をもはや果たしていないような看板ではあるが、こんなに古い看板は他には無いからそれが逆に個人証明になっているという、結果オーライなのだかなんだかよく分からない代物である。

 そうして首尾よくアイスを二個買い、周りに人がいないのをいい事に店先のベンチに並んで座る。傍から見れば、私は空中に浮かぶオレンジソルベに話しかけるおかしな女の子として映ったことだろう。

 

「ほら、覚えてるか?ここの駄菓子屋でさ、俺が酸っぱいスプレーのお菓子でイタズラしてたこと」

「あったね、そんな事も。リョウタが誰彼構わずやるもんだから、あの時の被害者の多いこと」

 

 リョウタが言ったのは、ここで売っている駄菓子の一つにある、やけに甘酸っぱい液を噴射するおもちゃのような駄菓子の事である。分かっていて自分で食べる分にはそこまで酸っぱく感じないのだが、何も事前情報が無い状態で液を口に入れられるとあまりの酸っぱさに身が竦むのだ。

 それを使って散々イタズラをしたのが、幼い頃のリョウタである。

 かく言う私もその被害者の一人だ。『目ェつぶって口開けて』なんて言われて疑いもせずに従ってしまったのだから、昔の私は相当に馬鹿だったと言える。

 その時に少しドキドキしていたのは、今でも誰にも言っていないが。

 

「最後には何だっけ、エミちゃん引っ掛けて鉄拳制裁食らったんだっけ?」

「そうそう。よく覚えてるなー」

「あん時のリョウタ、マジで面白かったからね。人ってあんな綺麗にエビ固めされるんだ、ってちょっと感動しちゃったもん」

「あれはめちゃくちゃ痛かった。ほんっとにもう、あいつは加減ってもんを知らないんだからよー」

 

 エミちゃん、とは私たちの同級生で、リョウタとは幼なじみにあたる人物である。とは言ってもただでさえ狭い町なのだから、皆が幼なじみのようなものなのだが。

 ともかく。

 リョウタの不満げな言葉とは裏腹に、その顔はやけに楽しげだった。

 

「……あいつ、ワリィって言っても許してくんなかったな」

 

 そして、ぽつりと。彼はそう言った。

 その横顔があんまりにも寂しげだったから。私はつい、尋ねてしまった。

 

「――なに、それが心残りなの?」

「んや、そういう訳じゃない……と、思う。多分。きっと」

「ふわふわ過ぎない?」

「しょーがねーだろ。俺だって分かってねーんだから」

 

 口を尖らせて文句を言う姿がなんだかあまりにも子供じみていて、そしてそんな姿にも少し胸がときめいてしまうのだから、惚れた弱みというのは随分と根深い。

 そして、彼のいった不満の中身に少し心がざわつく。だってそうだろう。自分の好きな人が、他の女の子の事を楽しげに、切なそうに話しているのだから。

 

「……なら、何とかしてあげよっか?」

 

 だから、そんな事を聞かなければよかったのだ。

 

 ***

 

「ね、ここでリョウタ君が酸っぱいスプレーでイタズラしてきたの、覚えてる?」

「うん、覚えてる。覚えてるけど……それがどうかしたの?」

 

 それから数十分後。私は『聞きたい事がある』と言ってエミちゃんを駄菓子屋の前に呼び出していた。ショートカットの良く似合う、快活でさっぱりした性格の少女である。

 

「いや、あの時私も同じイタズラされてたんだよ。それをちょっと思い出してさ――止めたの、エミちゃんだったよね?」

「ん、そうだよ。アイツって思いっきり締め上げないと謝らないから大変だったんだよー!」

 

 ケラケラと笑いながら言う彼女の表情には、しかしどこか影がさしていて。無理して笑おうと――明るく振舞おうとしているのは、一目瞭然だった。

 

 ――ならば、これを尋ねる価値はあるだろう。

 

「ねえ、もしも一言だけリョウタ君に伝えられるなら、なんて言いたい?」

 

 問うと、エミちゃんは一瞬時間が止まったかのように硬直して、そしてゆっくりと答えた。

 

「――――そりゃ、色々あるけどさ。そんなの急に言われても分かんないよ」

 

 そう小声で言うと、エミちゃんは不機嫌そうに俯いて続けた。

 

「アイツ、急にいなくなっちゃうんだもん。言いたい事なんて沢山あったし――許したかった事も、沢山あったのに」

 

 呟きながら膝の上に置かれた拳がギュッと強く握られる。ちらりと背後のリョウタを見ると、彼もまた同じように下を向いてじっとしている。もっとも、それは私にしか見えないのだけれど。

 

「お別れくらいは言ってくれても良かったじゃん。何勝手にいなくなってんだよ、バカ……!」

 

 とうとう泣き出すんじゃないか、と思う程に感極まった様子のエミちゃんと、何かをこらえるように唇を噛み下を向くリョウタ。

 続く沈黙に対して、何か言わなければ、と私が口を開こうとしたその時、背後でリョウタがぽつりと呟いた。

 

「ごめん。……さよなら、エミ」

 

 ***

 

 それからしばらくして。「変なとこ見せちゃってごめんね」とエミちゃんが立ち去った後、私とリョウタは中々帰る気になれず駄菓子屋前のベンチに座ったままだった。

 

「ねえ。結局、リョウタの心残りってそれだったの?」

「"それ"って何だよ?」

「さっきの言葉。『さよなら』ってやつ。言った後、随分とスッキリした顔してたよ」

「……なんだ、バレてたんだな」

「バレてたって言うか、なるほどなって感じ?」

「なんだそりゃ……なあ、ところでさ。なんでチアキはこんなに俺に良くしてくれるんだ?」

「なんでって、そりゃ……」

 

 思い出す。

 この霊感体質(欠陥)のせいで不気味に思われ、何かと排斥されていた私を助けてくれたのは、他でもないリョウタだった。

 幼い頃の悪意に晒された私を庇ってくれたあの日のことを、リョウタはきっと覚えていないだろう。彼は優しいから、誰かが傷付くのが嫌いだからそうしただけであって、別に私が特別だったという訳ではないのだろう。

 それでも私は庇ってくれた彼の背中に惹かれたのだし、だからこそ、彼のためになりたかったのだけれど。

 

「……そりゃ、私がそうしたかったからだよ。これ以上は乙女の秘密だからね、リョウタでも教えないよ!」

 

 そう冗談めかして言うと、彼はもう一度なんだそりゃ、と言って笑った。真夏の陽射しにも負けないくらい明るい、爽やかな笑顔だった。

 

「……ん?なんか俺、光ってないか?」

「ホントだ。光って……って言うよりアレだね。体がこう、段々泡になってくみたいに見える」

「例え方が怖ぇな……でもまあ、消えるんだろな、俺。成仏ってのか?」

 

 唐突に言われて足下を見ると、リョウタの既にない足の先――今となっては膝あたりまでが、泡となって浮き上がり、弾けては消えていっていた。恐らくは彼の言う通り、成仏するのだろう。

 

「なあ、最後に一ついいか?」

「何、遺言?」

「んまあ、遺言ってか――チアキがいてくれたから、未練も無くせた。色々、言いたい事も言えた。だから――」

 

 そう言うと彼は、そこで一つ息を区切って。

 

「――本当に、ありがとう」

 

 ふんわりと微笑んで、それまでとは違う柔らかい口調でそう言った。

 

「ううん。私こそありがとう」

「なんだそりゃ。チアキがそんな風に言うような理由ないだろ?」

「あるんだよ。分からないかもしれないけど、私は感謝してるの」

 

 三度目のなんだそりゃ、を貰ったところで、どうやらいよいよ時間のようだった。

 

「私に会ってくれて、ありがとう」

 

 最後のその言葉は聞こえていたのかいないのか。リョウタは微笑んだまま、泡となって消えていった。

 

 ***

 

 リョウタが消えるのを見届けると、ふっと肩の荷が降りたような気がして脱力した。

 だってそうだろう。ここに至るまで散々策を弄して、そしてやっと掴んだチャンスだったのだから。

 そう。やっと――私の思う通りになったのだから。

 

 リョウタがいつも学校から自転車で帰る道には急な坂があると知っていたから、昼休みにこっそり自転車のブレーキに細工をして、強くブレーキを握るとブレーキワイヤーが切れるようにした。

「もうそろそろ雨が降るらしい」という嘘の話を聞かせて、リョウタが急いで帰るように仕向けた。

 スピードの出た自転車が引っかかって電柱の方へ転ぶように、坂道の途中に石を置いた。普通なら気付くが焦っていれば気付けない程度の大きさで、地面に溶け込むような同じ色の石。

 

 その一つ一つは些細なものであり、そして、今回で死ななくても構わない。何度でもチャレンジして、その内のどれかが当たればいいのだから。

 心優しい彼は、きっと事故で突然死ねば周りにお別れを言えなかった事に心を痛めるだろう。そしてそれが未練となってこの世に残るであろう事も容易に想像出来る。そうなれば、あとはこっちのものである。

 

 だって。

 

 リョウタが死んだから。彼は幽霊になって、そうして私にしか見えない存在になった。

 私にしか話しかけられない存在になった。

 私にしか解決できない悩みを持った。

 私にしか頼れない存在になった。

 

 私のことを、その心の中で大きく感じてくれた。最後に見る人間を、私に定めてくれた。

 

 私は、彼の心の中で最後まで残る存在になれた。

 

 だから、私はリョウタに言いたいのだ。

 

「死んでくれて、ありがとう」




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