神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん   作:左高例

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外伝過去話『隊長、或いはニコラウス、或いはゴーティア、或いは名無しの騎士の物語』

 

 

 ──それはただの設定だった。

 

 どこかの誰かが羊皮紙に記した、出自もバラバラな忘れ去られかけた悪魔たちの設定。

  

 多くの設定を書き記したその文章にタイトルは無く、単に『魔書(ゴエティア)』と呼ばれる。

 

 ただひたすら、多くの人物の目に触れて、それを書いたのは誰だろうと想像された。

 

 設定を書き残した、悪魔に詳しい誰かの人格がやがて生まれていった。

 

 曰く、彼は悪魔そのものなのだと。

 

 曰く、彼は不老不死の賢人なのだと。

 

 曰く、彼は邪悪な破戒僧なのだと。

 

 器物、百年経れば妖怪に成るとも云うが──

 

 その設定集は朽ちて崩れる前に、誰かによって偉大なる聖人が収められていた棺にいれられた。

 

 古い悪魔の記憶を忘れぬように。その誰かの記録を残すため。

 

 誰でもない誰かの設定は、次に誰かの目に触れるため、静かに棺で眠りについていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 11世紀、小アジア・ミュラ。

 

 

 

 ──少女に死が迫っていた。

 

 それは安穏とした死や緩慢に看取られて死に行くものではなく、直接的に人の悪意によるものだ。

 

「どこだ! 尼が一人逃げたぞ!」

「探せ! 異教徒の女を慰み者にしてやる!」

「かましてやるぜ! かましてやるぜ!」

 

 相手はトルコ人の山賊だ。そして逃げているのは、まだ年端も行かない少女のシスターだった。

 彼女は歯を震わせ、泣きながら誰も居ない聖堂に逃げ込んで、そこに鎮座されていた石棺にすがるようにして体を縮めていた。

 この聖堂に本来居るべきキリスト教の司祭らはどこに行ったのだろう。既に異教徒のトルコ人らに殺されてしまったのかもしれない。大きな聖堂で修道院まで隣接しているが、人の気配はなかった。

 少女は聖地を目指して旅をしていた。彼女一人だけではなく、時折行われる巡礼の旅人の中に混じり、エルサレムへと向かう途中だったのだ。

 この時代、キリスト教の聖地であるエルサレムはイスラム王朝が支配していたが、キリスト教徒の巡礼を禁止しておらず、また異教徒を無差別に虐殺することを禁じていたので辿り着きさえすれば聖地にて祈りを捧げることができたのだ。

 だが、その道中はとてつもなく危険があまねいていた。

 無数に発生する旅人の危機。その一つとして、シスターは珍しくもない窮地に居たのだ。

 

 彼女は信じていた。正しい信仰を持ち、神の加護があれば聖地にはきっとたどり着けると。

 だが現実は、旅の連れは皆殺されるか捕まり奴隷にされ、唯一逃げ出せた彼女も追い詰められつつある。

 

「助けて、助けてください。主よ……聖ニコラウスよ……どうか助けて、お願いします……!」

 

 その聖堂はミュラのニコラウスと呼ばれる聖人を祀っている教会であった。

 ニコラウスは貧しい娘を持つ家に金貨を与えて結婚の持参金にさせたサンタクロースの元になった逸話で有名だが、エルサレムへの旅路の安全を守る守護聖人である。彼自身エルサレムへ礼拝の旅に出るときに、道中の嵐すら鎮めたという。

 それ以外にも多くの逸話があるが、その全ては「彼は弱者を守る聖人だった」ということに尽きる。

 追い詰められたシスターがすがるには相応しい聖人だが……残念ながらその石棺に既に彼の聖遺体は存在しない。イタリア人に奪われたからだ。

 

「お願いします、助けて、助けて……なんでもします。聖地で必ず祈りを捧げます。そうすれば死んでも構いません。どうかそれまでお助けください……」

 

 すすり泣きをしながら祈る乙女の声も虚しく。

 聖堂の入り口が無作法に蹴り開けられ、刃物を持ったトルコ人らが下卑た笑みを浮かべて入ってきた。

 彼女は抵抗にもならず意味のない防衛本能として、そこらに落ちていた本を一冊、頭を隠すように押し付けて縮こまった。

 

「おい! ここにいやがったぜ!」

「ハハッ! 異教徒の教会の中で犯すってのもオツなもんだ!」

「かましてやるぜ! かましてやるぜ!」

 

 シスターはもはや逃げることさえできずに、頭を抱えてひたすら縮こまった。

 

「助けてください……聖ニコラウス様……助けて……」

 

 震えをこらえようと食いしばった唇から血がこぼれ、床に落ちていた本に滴った。

 シスターは乱暴に服を引っ張られて聖堂に転がされる。抵抗しても無駄だ。彼らは異教徒を殺すことになんの躊躇も無い。特に、この時代ではトルコ人は蛮族のような集団として有名であった。

 目を硬く瞑るシスターの周りで男らががなりたてるが、言葉も通じない。誰にでも言葉が通じて説法を聞かせたという聖ニコラウスとは違うのだ。

 暗闇の中、四方から聞こえてくる恐ろしい男の声。彼女は発狂しそうだった。

 

 そのときに、意味の通じる言葉が聞こえた気がした。まるで棺から響くような無機質な音だ。

 

『もし助かったとして、やることが聖地巡礼か。正直、くだらないな。聖地などたかが座標だ』

 

 くだらない、と断じる声に、シスターは心の中でそんなことはないと反論した。

 

『そうか。まあ、やりたいというのならば手を貸そう。お前がそう望むのならば、願いを叶えよう。暇だからな』

 

 次の瞬間、トルコ人らが怒号を発した。遂に手を掛けられるのかと、シスターは身を縮こまらせた。

 想像だにしない辱めに合うかもしれない。恐るべき拷問を受けるかもしれない。殺されるかもしれない。

 彼女はそれでも、小さな可能性でも生きてエルサレムを目指す覚悟であった。

 

「とりあえずお前らは始末(ターミネイト)する」

 

 よく通る──シスターにも意味のわかる声が聞こえると同時に。

 なにか硬質な物が砕け散る音がした。悲鳴。続けて近くの地面に重量物が──石塊がガチガチと音を鳴らして落下した。

 

「な、なんだ!?」

 

 言葉の意味はわからなかったがトルコ人が戸惑っている叫びが響いた。シスターは目を瞑って耐えている。

 すると、石棺の中から男が立ち上がる。先程の音はとてつもなく重そうな石の蓋を中から持ち上げてトルコ人に投げつけたようだ。一人が直撃して石の蓋により頭蓋骨が砕かれ沈んだ。

 戸惑う間もなく出現した何者かが、手を伸ばしてトルコ人の持つ曲刀をもぎ取った。そして瞬時に奪い取った剣を使い、残る二人を切り捨てる。

 目を閉じているシスターの顔に、びちゃ、と男の血が飛び散ってきた。

 生臭く、ぬるりとしている。

 大きな断末魔の悲鳴が上がる。血溜まりの中でもがく音が広がる。

 

(男の人って凄い。なんか沢山体液出してる)

 

 状況をさっぱり察せてない目をつむったままのシスターは、勘違いしつつ震えながら頭を抱え恐怖と嫌悪感で、口元を手で押さえながら嘔吐した。

 そして──やがて静かになった。

 

 恐る恐るシスターが目を開けると。

 仕事を終えて蓋の外れた石棺の縁に座っている、一人の男が居た。年の頃は三十前後だろうか。淡い金髪をしている背の高い男で、手には血の滴る剣を持っていた。烏のような黒い色をした服を着ていて、表情はなにも読み取れない真顔であった。

 トルコ人には見えない。彼女は次に、自分の周囲に血を流して倒れ伏しているトルコ人らに気づいて卒倒しそうになった。

 

「転ばされたようだが、怪我はないか」

 

 男が石棺から降りてシスターの前にしゃがむ。フランス語だった。その気遣った様子に、男がトルコ人らを剣で一掃したのだと少女も把握できた。

 突然現れた男。弱者を守った。そしてここは聖ニコラウスの棺が置かれた場所。蓋が外れて、中から出てきたようだった。

 まさか。

 少女は思った。奇跡が起きたのか。自分を守る、誰かが現れたのだ。

 

「も、もしかして貴方は……聖ニコラウス様では……」

 

 現れたのは弱者の嘆きに応えた聖ニコラウスの霊ではないかと、本気で思えたのだ。

 だが彼は肩を竦めて言う。

 

「いや、違うが」

「ええええ」

 

 男はちらりと足元を見て、表題の無い落ちていた本を拾い上げた。彼女が頭を隠していた──と言えるのか微妙だが──本である。

 男がそれを持つと、焼けて炭になったように本は朽ちていった。彼は埃を払うように手を振って、淡々とした口調で告げた。

 

「俺は……通りすがりだ。たまたま石棺で昼寝をしていただけの。罰当たりだとは思うがな。名は無いが……そうだな、人からはゴエティアとか、ゲーティアとか、ゴーティアとか呼ばれることもある。好きに呼べ」

「ゴー……ティア?」

 

 不思議な、人とは思えぬ名の響きを彼女は繰り返して呟いた。そのような名をした、人名の由来として使われる聖人や偉人は知らなかった。

 

「なんの因果か、これも縁だ。お前が聖地に行きたいと望むのならば身を護る程度の協力はしてやろう」

「どうして……」

 

 何故通りすがりの男が、聖地巡礼の護衛を申し出るのか。

 そもそもどこから現れた何者なのか。

 そういったことはまるでわからず、彼女は唖然と問い返した。だが男は肩を竦めて、

 

「さあな。暇なだけかもしれん。……ところでお前の名は?」

「わたしは……」

 

 シスターは唾を飲み込んで、どこか寒気を感じる鉄面皮な相手へと向き直る。

 まるで名を告げることが悪魔に魂を売るような、本能と信仰心が危機を叫んでいるような気持ちが襲ってきたが。

 それでも命を助けてくれた相手に、これからも守ってもらうよう縋るため、彼女は名を口にする。

 

「ピエレッタ……フランスの、アミアンから来ました」

「そうか。まあ、よろしく頼む」

 

 聖地を目指すシスター・ピエレッタと、彼女の騎士『皆無公』と後に呼ばれることになる男ゴーティアの出会いであった。

 

 

 

 *****

 

 

 

 それから二人は一旦、小アジアのリュキア地方ミュラの町からフランスへと戻ることにした。

 

 その場の契約で護衛を任されたゴーティアだったが、彼は実のところさっぱり物知らずであったのだ。エルサレムの方角すら知らず、勿論向かうための旅路も見当がつかないという。

 巡礼ツアーに参加していただけのピエレッタも、他のメンバーが居なくなった状況では聖地へと向かうのも自信はまったくなかった。なのでまずはスタート地点であるフランスへ戻り、準備を整えることにしたのだ。

 シスターと男のふたり旅で引き返すのだが、道中で山賊に早速襲われまくったけれどもゴーティアは無双の強さを誇り、ピエレッタを守りながらことごとく返り討ちにして逆追い剥ぎまでして路銀を稼いでいた。相手の懐を漁るゴーティアに対して、倫理的に大丈夫かと思ったピエレッタは見ないふりをした。

 あっさりと山賊を血祭りにあげるゴーティアのことをピエレッタは恐ろしく思って、ボロ雑巾のようにされる山賊の姿を見て思わず嘔吐したりもしたが、同時にとても頼りになる相手だと信頼していった。

 言葉は少ないが、ピエレッタが道中に様々な話をすると絶妙な相槌を打って興味深そうに聞いてくれるのだ。女は聞き上手な男(イケメンに限る)に弱い。

 更に彼は銀貨の価値も祈りの言葉も知らないというのに、アジア人でもギリシャ人でも東欧人でも誰とでも会話が出来て、旅にはとても役に立つ男だったのだ。

 

「ゴーティアは凄いですね! 誰とでもすぐに打ち解けて、宣教師向きかもしれませんよ!」

「駄目だな。俺は不信心なんだ」

「わたしが話す聖書の話は興味深そうに聞いていたじゃないですか!」

「いや……キリスト教の祭儀や祝日とかの設定がミトラ教に似ているなーと思いながら聞いていた」

「なんか、ものを知らないのに古い宗教には詳しいですよねゴーティア……」

 

 そうして徐々に旅路で親しくなっていった二人は、フランスに戻ってからツアー募集活動を始めた。

 

「絶対わたしとゴーティアだけだと迷って聖地にたどり着けないので、やっぱり他の人も誘わないといけません」

「さすがにお前以外の大勢までは守りきれんが」

「大丈夫です! 今度はみんなで協力して、自衛しながら行くようにしましょう! そしたらなるべく大人数の方が山賊さんも襲ってこないですよね」

 

 そしてピエレッタが新たな聖地巡礼ツアーを呼びかけだした頃、丁度クレルモンにて教皇ウルバンによって『聖地の開放』が公布されたのである。

 ヨーロッパを巻き込んだ第一回十字軍の時代であった。たまたまクレルモンに居たピエレッタは、

 

「十字軍についていく形でツアーの人数が集まるかもしれませんね!」

「寄生するようだが、軍の後ろをついていけば多少は安全だろう」

 

 と、楽観視していたのだが……

 それから半年も経たないうちに、ピエレッタが十字軍の話も含めて呼びかけていた聖地巡礼ツアーは洒落にならない数の参加者が集まった。

 その数、十万人。参加者の殆どは貧民で、自衛の武装どころか食料などの準備すらしていない者も多かった。

 

「ど、どどどどどどどどどうしましょうゴーティア」

「集まりすぎだ。こんな人数を一箇所に置いておけんぞ」

 

 ピエレッタはメッチャ焦った。

 本人的には百人もいれば多少は安心かと思ったのだ。その人数で寄付金でも集まれば、陸路じゃなくて船を使って聖地を目指せるかもしれない。だが十万人が乗る船など存在しなかった。

 十万人というと当時ヨーロッパ最大の都市だったパリの人口全部ぐらいだ。ちょっとした国が作れるレベルである。諸侯が集める十字軍の兵士より多い。

 

「教皇の出した条件が農民たちにはご褒美すぎたな」

 

 ゴーティアはため息混じりにそう述べる。

 十字軍の出発に先立ち、教皇ウルバンは一時の感動や使命感で参加する者以外の、しっかりとした参加に伴う好条件を公会議で決定していたのだ。

 

 一、十字軍に参加する者は完全免罪となり、途中で死のうとも死後は天国へ行ける。

 二、参加するのに必要な資金を、参加できない者は献金すること。

 三、参加した者が残していく財産や土地などは一時教会が責任を持って預かり、保証する。

 四、十字軍の資金を用意するために財産を売る場合は、教会が正当な価格で買い取りを保証する。

 

 と、このようなことを教会が誓った。

 つまりは集まった民衆らは、ピエレッタの単に巡礼をしたいという目的ではなく、自分たちも十字軍に行くつもりで集まったのだ。

 参加さえすれば途中で死のうとも天国に行ける。当時の人はとても信心深く、そして自分たちがなんらかの罪を犯しているのではないかと常に怯え、天国への希望を胸に苦しい生活を送っていたのだ。

 

「ゴーティアどうするんですかぁ……なんかわたしが代表者として祀り上げられてますよう。うっ……あまりのストレスに吐き気が……おえっ」

「仕方がないだろう、このまま放っておいても餓死するか暴徒になるだけだ。とにかく出発するしかない」

「碌な準備もしてない人ばっかりなんですよ!?」

「そこまで面倒が見切れん。いいか、ピエレッタ。細かいことは気にするな。途中で誰が死のうが、暴徒化しようが、それは民衆に甘い言葉で呼びかけた教皇が悪いと思え。あいつが責任だ」

「教皇聖下を相手にそんなふうに思えませんよう」

 

 泣きそうになりながらもピエレッタは民衆を率いる偉大なる隠者として崇められ、見目麗しい乙女が旗印だというのだから人々のやる気も無駄にアップしてしまっていた。

 ゴーティアに出来るのは血迷った民衆がピエレッタを害しないか近くで守ることだけであり、ピエレッタは陸路でどうにかコンスタンティノープルを目指すのみだった。

 

 十万人の、碌に訓練もされていなければ輸送も補給も考えられていない大移動。

 それは大量の消費と廃棄を生む地獄の行進だ。

 パンを毎日五個食べるとして、一日に必要なパンは五十万個。水を二リットル飲むとしたら二十万リットル。 

 大便を一日平均百グラム排出するとしても毎日10トンの糞を垂れ流して進む。

 当然ながら飢餓に疫病、疲労などによって次々に脱落者が出ていくが、それでも民衆は止まらず、その先頭を進めさせられるピエレッタも止まることは許されなかった。

 途中で行き倒れても自らは天国に行けると信じていた。

 

「ううう……おえっ……」

「また吐いてるのか。熱は……無いようだな」

 

 道中で顔を真っ青にしたピエレッタの背中を擦り、ゴーティアが気遣う。疫病だったならば大事だ。

 

「なんで……あの人達は、同じキリスト教徒の村を、教会まで襲って……」

 

 彼女が気に病んでいるのは次々に死んでいく民衆十字軍のみではなく、その道中で行われる激しい略奪に関してもだ。

 当然ながら暴徒に村を襲われた領主らが兵を出して次々に民衆は突き殺され、それでも異常なほど数の多い集団は瓦解せずに前へと進んでいく。

 やむを得ず隊長も、ピエレッタへと向かってきた敵兵を斬り殺すこともあった。

 

「どのような蛮行をしても、完全免罪だと教皇が保証したからだ。人を殺そうが物を奪おうが天国に行ける。そう信じている」

「そんな……はず無いじゃないですか……ううう、教えでは、隣人と仲良くして、物は大事に分け合えってそう言ってるのに……」

「さあな。そもそも、この民衆でまともに聖書を読んだことがあるやつが何人居ることやら」

 

 民衆十字軍の中には少数だが騎士や兵士も混じっていたが、当然ながらそのような軍人はむしろ民衆らに、如何に効率よく略奪を行うか指導して尊敬を集めている方だった。

 ゴーティアも流浪の騎士という身分に偽り、彼の役目は言語能力を活かした交渉なども行っていたのでピエレッタに次ぐ人気を得ていた。

 名誉を求めず、見返りを求めず、ただのシスターに忠義を尽くす騎士ゴーティア。その偶像として。

 

「……ゴーティア、どうか、少しでも犠牲が減らせるように……」

「わかっている。やっていることは単に脅迫だがな」

 

 一応、先触れとしてゴーティアが村に入り、その領主や村長に出来うる限りの水と食料を分け与えるように要求をしている。

 そうしなければ暴徒が村を襲い、出せる限りではない量の食料を奪っていくだろうとも教えて。

 どうにかその居直り強盗のような方法で村の幾つかは蓄えを失ったが壊滅せずには済んでいたのであった。

 

 だが彼には、自分の都合でついてきた人々が死ぬことに関しても──そしてそれで彼女が嘆き悲しむことに関しても、理解不能としか言いようのない感情しか持てなかった。 

 何故、他人の死で悲しめるのか。

 何故、他人を死に至らしめても自らの幸福を祈れるのか。

 そのどちらにも興味はなく、彼が思うことはただの一つの陳腐なことだった。

 

(人は愚かで、その人生に意味などないのかもしれないな)

 

 そうとしか思えないぐらいに、蛮行を重ね、救いを求め、自分から地獄へと踏み込んでいるようにしか思えなかった。

 それでも彼は唯一つの契約──ピエレッタだけは守ることを、自らに課していた。 

 何一つ理解できずとも、少なくとも彼女だけは。 

 

 

 

 やがて民衆はギリシャ、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルへとたどり着いた。

 民衆は当時のヨーロッパでは最も栄えている巨大な都市コンスタンティノープルを囲む城壁にたまげた。

 そして東ローマ帝国の皇帝も、城壁前に集まる数万人の浮浪者みたいな連中に超驚いた。

 

「なんなのあいつら!? ちょっ、責任者呼べ!」

 

 なにせ彼らからしてみれば、イスラムのセルジューク朝がちょっかい出してくるからそれを叩くための傭兵をローマ教皇に依頼したのだ。

 そしてやってきたのがほぼ浮浪者。暴徒慣れして荒んでるまである。

 そんなのが数万人、自国の首都に入れたいと思う君主は居ないだろう。というか意味不明ですらあった。

 使者によって連れてこられたのがピエレッタとゴーティアである。なにせギリシャ語もペラペラなゴーティアが居ないと交渉もできない。

 

「君たち何しに来たの!?」

 

 あまりの事態にローマ皇帝アレクシオス1世が直で話を聞きに来た。

 ゴーティアがピエレッタと顔を合わせて、肩をすくめて告げる。

 

「俺たちはヨーロッパから来た……なんというか、傭兵だ。一生懸命頑張るぞい」

「ウソつけ!」

「まあな。実はローマ教皇が十字軍を呼びかけてだな……」

 

 と、ゴーティアは皇帝にこれまでの経緯によって、興奮した民衆が十字軍となってやってきたことを伝える。

 アレクシオスは頭痛を堪えて言う。

 

「そんな軍人ですらない民衆が役に立つわけないだろ!」

「だったらあんたがそう言って追い返してくれ。素直に帰るとは思えないし、食料でもやらないとコンスタンティノープルの周辺を襲い始めるだろうがな」

「ぐえーっ!」

 

 アレクシオスは苦悩した。幾つかの選択肢が彼の頭に浮かぶ。

 

 1.帰るように告げて放置する→暴徒が首都の周りで略奪に走る。

 2.軍を出して全員始末する→国際問題。多分この後やってくるちゃんとした十字軍にコンスタンティノープルが攻められる。

 3.傭兵扱いして送り出して後は知らない→一時的な金は掛かるが、これがベスト。海を渡れば戻ってこれない。

 

 つまりは、邪魔な民衆は多少金を使ってでも、敵地に捨ててしまうのだ。それしか方法が無いように思えた。

 棄民政策のようだが、そもそも彼らが前に進みたがっているのだ。その後押しをすることがそんなに悪いことだろうか。皇帝はそうやって納得する。

 

「わかった! わかったからとにかく船を大急ぎで準備させ、アナトリア半島まで送らせる! 食料もその間は出す! だから暴れるなと伝えてくれ!」

「──だ、そうだ。ピエレッタ。どうにか問題は解決したぞ」

「よ、よかったです! アレクシオス皇帝陛下、感謝いたします!」

 

 顔色の悪い儚げなシスターがこの民衆の代表者だという。アレクシオスはまた、彼女の扱いでも少しばかり悩んだ。

 まず間違いなく民衆をトルコ人やセルジューク朝が支配する対岸のアナトリア半島へと送り出せば全滅するだろう。ほんの僅かな可能性でも、このボロ雑巾十字軍が勝てるとは思えなかった。

 だがそれに対して、責任者であるシスター・ピエレッタを送り出して死なせればいろいろと言い訳が利かない気がした。民衆は残念ながら全滅したが、代表のシスターは生き残って自分たちは出来る限りの支援をしたと後からやってくるヨーロッパの軍に説明してもらった方がいいかもしれない。

 

「──シスター・ピエレッタ。貴女に関しては、まず送った先のアナトリア半島の情勢が不明瞭で危険なのと、順次民衆を送り出す関係上、この首都に残った民衆の統率役としてコンスタンティノープルに居てもらおう。最大限の待遇はする」

「えっ」

 

 そう翻訳されて伝えられたピエレッタは戸惑いゴーティアに縋るような視線を向けた。

 ゴーティアもため息をついて、

 

「それがいい。少なくとも、イスラム圏に入ったらこれまでとは比べ物にならないほど危険だ。先に軍を行かせて橋頭堡が築けてから来たほうが安全だろう」

「で、でも……そんなに危ないなら、彼らも……」

「民衆十字軍は止まらないし、止められない。旗印にされているが、正直なところお前は参加しないほうがいいぐらいだ」

 

 ゴーティアは率直に告げる。彼女はリーダーとして祀り上げられているので離脱できない状況だが、この巡礼の旅はどう考えても安全とは言い難かった。

 人数が多ければ多少は安全といっても、限度がある。

 これだけの民衆が敵地を行進していれば普通は軍が出動する。そして恐らく、キリスト教圏ほども容赦はしてくれないだろう。 

 

「シスター・ピエレッタは後続の諸侯と共にエルサレムを目指してはいかがだろうか……いや、そもそも余は別にヨーロッパの傭兵にエルサレムを目指せなんて依頼してないのだが、一応は」

 

 エルサレムが取れればそれはそれで構わないのだったが、正直なところアレクシオス皇帝からすればアンティオキアぐらいまでを東ローマ帝国の領土として取り戻せれば十分と考えていたようだ。

 兎にも角にも、この協力してくれる皇帝の指示には従わないといけないし、民衆は今にも進みたがっている。ここで留まっていてもそれだけで大量の物資を消費し、疫病で死んでいくだろう。 

 だが──と、ピエレッタは思う。

 確かに、そちらのほうが何倍も安全なことも理解できる。だがそれでも、

 

(わたしを信じてついてきた人たちを見捨てることに……)

 

 皇帝の指示は絶対だ。しかしそれは大きな罪悪感が伴うものだった。 

 

「ゴーティア……その、貴方だけでも、彼らについていって、どうにか守ってあげられませんか?」

 

 縋るように、ピエレッタは自らの騎士に尋ねた。

 彼ならばテュルク諸語もアラビア語もペルシア語も流暢に会話できるので、民衆が進む先での余計な戦を交渉で回避できるかもしれない。

 ゴーティアは腕を組んだまま渋い顔をして、

 

「俺の役目はお前を守ることなのだがな。だがまあ、ここならば安全ではあるか……いいだろう。それがお前の望みならば、俺ができる範囲でやってみるが……」

「ゴーティア! お願いします!」

 

 ピエレッタはゴーティアのゴツゴツとした手を取って抱きつくようにし、彼に懇願した。

 ため息をついて男は面白くもなさそうに告げる。

 

「そこまでは期待するな。俺が手の届く範囲は限界があるし、出来ることは精々が剣を振って敵を殺すぐらいだ」

 

 ──そして、民衆たちは皇帝アレクシオスによってコンスタンティノープルを出発する。全員が海を渡るのに一ヶ月程も掛からない急ぎの作業であった。

 その間にアレクシオスは貧民十字軍に食と服をも提供したので暴動こそ起こらなかったが、軍を派遣して決して彼らが首都内に入れないように監視を行っていた。 

 

 数万の民衆は小アジアに渡るなり、暴走を開始した。そこはもはや聖地を奪い取った憎むべき異教徒の領域で、彼らは目につく村や街を次々に襲撃し始めたのだ。

 巡礼のための物資を得るためでも、先に進むための橋頭堡を作るでもなく、無秩序な略奪と狼藉が繰り返された。

 もはや指導者が誰であろうとも彼らの破壊活動を止められる術はなかった。

 これに怒ったニカイアを首都とするルーム・セルジューク朝の君主が軍を寄越し、片っ端から民衆十字軍を殺戮していった。当然の反撃である。

 そして渡った数万人はあっという間に全滅したが──まあ、教皇が保証している限りでは殉教者となり、天国へ行けたのだろう。

 

 

 彼らを旅立たせてほんの二ヶ月後、ピエレッタは凄惨な運命を辿った民衆の末路が報告されて絶望していた。

 そしてなにより、ニカイア近くで行われたドラコンの戦いから命からがら救出されてコンスタンティノープルに戻ってきた民衆の言葉だ。

 敵の首都ニカイアが陥落している、という嘘の報告を信じた民衆が暴走をしてニカイアを目指し、その途中でまんまと待ち伏せにあって数万人が一方的に壊滅させられたのだ。

 生き残った数千人はどうにか、東ローマ帝国が船で救助して来てくれたのだが……

 

「私達が逃げる時間を稼ぐために、ゴーティア公がトルコ人たちに突っ込んでいったまま帰ってこなくて……」

 

 ピエレッタは血の気が失せて膝から崩れた。

 なんとなく、だったが。

 彼は無敵の男だと信じてしまっていたのだ。

 危険なところに自分の代わりに行かせるからには、死ぬことも考えられただろうに。

 いや。

 最初から自分の護衛を頼まれていた彼を、わざわざ一人で死にに行かせたのは自分なのだと、ピエレッタは後悔に泣き崩れた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……いやだ、いやだ。いやだよう……」

 

 そして夜に教会で一人、ガチガチと歯を鳴らして震える。

 彼だけではなく何万人も彼女についてきた人が死んでしまった。

 幾ら祈っても救われない気がして、心の底から恐怖が湧き上がってくる。

 

「聖地に……聖地に行って、彼らの、ゴーティアのために祈りを捧げ……」

 

 それで本当に救われるのだろうか。

 だが、か弱く他に生き方を知らない彼女には唯一つの縋るべき道筋であった。

 

 

 

 それからコンスタンティノープルに次々にヨーロッパ諸侯の軍が到着し、翌年の春に彼らは小アジアへ出発した。

 ピエレッタはドイツのロレーヌ公ゴドフロワ・ド・ブイヨンについて陸路でニカイアを目指す軍に参加した。ゴドフロワは騎兵一万、歩兵三万という諸侯の中でも大軍を率いてやってきた大将と目される人物であり、故にその近くが最も安全だろう、と配されたのである。

 なお集まった諸侯らも、ピエレッタに関しては一定の敬意を持って接していた。単なる生臭坊主では十万とも言われる大観衆の代表にはなれない。なにかしらのカリスマがあったのだろうことと、やたら意気消沈していて曇っているピエレッタが放って置くには哀れだったこともある。

 

 軍に守られてシスターはニカイアを目指していると、殆ど浮浪者のようになった民衆十字軍の残党を幾らか発見し、彼らをコンスタンティノープルに送り戻すことも行った。

 それ以外でも打ち捨てられた民衆の死体も大量に見つかり、夜な夜なピエレッタは魘されて眠りの安らぎすら得られなかった。

 

「おかしい」

 

 と、歩きながら呟くのはゴドフロワの従兄弟であるボードワンだ。

 

「民衆の古い遺体が散らばってるのはいいとして、時々新しいトルコ人兵士の死体まである」

「誰かまだ襲撃を繰り返しているのか?」

 

 その後、彼らはニカイアの途中にあるニコメディアの街を落として首都攻略の拠点にしようとしたのだが、

 

「……おい、もう誰か戦ってるぞ!?」

「ボエモンドの軍勢か!?」

 

 ニコメディアの門前にはトルコ兵の死体が大量に散らばり、町中では騒ぎの声が聞こえた。ひょっとして南イタリアから来たボエモンド達が先に到着していたのかもしれない。

 これに乗じて攻め込もうとゴドフロワ軍は突入し、街を制圧しに掛かると──

 

 その中央で、群がるトルコ兵士を次々に惨殺していっている、赤い男が居た。

 

 いや、赤いのは彼の身にまとっている、白衣の正装が漬け込んだように血の色をしているからだ。記された十字架のマークも見えないほどに全身が血まみれになり、その周りでは死体や折れた剣が散らばっている。血が酸化し黒くなった上から新たな鮮血が塗りたくられていた。

 放たれる弓矢を手で受け止めては投げ返し狙撃者を殺害。

 突きこまれる槍を軽く奪い取ってそのまま相手に叩きつけ殺害。

 近寄る敵兵は持っている剣で一刀両断。

 恐慌を起こしたように兵以外の民衆が逃げ惑う。一般人には目もくれないが、怯えた兵士には猫科の獰猛な猛獣のような動きで近づき、容赦なく首を刎ねている一人の狂戦士が存在していた。

 

「なんだあれは……」

「バイキングが集落を根絶やしにする様のようだ……」

 

 ボードワンとゴドフロワがドン引きしながら、暴れ狂う一人の騎士を見ていた。

 彼以外にもニコメディア内で暴れてイスラム教徒を殺しまくっている恐らくキリスト教徒の兵士もいるが、とにかくその騎士は竜巻のように周囲の敵兵を薙ぎ払い、死体の山を築いている異様な強さだったのだ。

 そんな中で、躓きながらもシスターが走って彼に近づいていく。

 危ない、と誰かが止める間も無かった。だが、

 

「ゴーティア!」

 

 彼女の泣きそうな叫びに、血まみれの騎士ゴーティアは動きを止めて顔を向ける。

 顔までべったりと血に塗れているが、その目はいつもどおりの──ここまで一方的な殺戮をしていたとは思えないぐらい、正気のままな彼の表情だった。

 

「ピエレッタか」

「ゴーティア、ゴーティア……こんな……ごめんなさい……」

 

 血でドロドロに汚れた彼の服に顔を押し付けながら、涙声でピエレッタは言った。

 むせ返るほどの血が染み込んでいて、殆ど黒くなっているところまであった。彼を置いて民衆十字軍はコンスタンティノープルに撤退し、彼は死んだと思い込んでいたのだ。

 

「なにを謝る。俺は単に、奴隷として攫われた民衆を取り戻すため、戦える者の残党を集めて襲撃をしていただけだ」

 

 その言葉に、更にピエレッタは心苦しくなった。

 彼は半年以上も、彼女に頼まれた通りに民衆を守るべくひたすらここで戦っていたのだ。

 途中でコンスタンティノープルへ戻ることも出来ただろうに、少なくとも生き残っている人を助けるために留まって敵を殺し続けた。

 

「なんでそんなに……」

「わからん。だが君に泣かれては、なんのために戦い続けたのやら、だ。どうにか願いを叶えてやろうとしたのだが」

「う、ううう……ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」

 

 涙が止まらぬ様子のピエレッタに、ゴーティアはわけがわからないとばかりに首を振った。

 ニコメディアの街はゴドフロワの軍によって簡単に制圧されつつあった。既に暴れまくる血まみれの騎士という悪夢のような状況で、街を守る兵士らも総崩れ状態だったのだ。

 ゴドフロワが二人のもとへやってきて告げる。

 

「あー……お前が『皆無公』のゴーティアか?」

「そう呼ばれることもある。何が無いのかは知らんが」

 

 ゴーティアは頷く。ゴドフロワの収集した情報にも、ゴーティアの名は多くの民衆から聞かされていた。

 騎士階級にあると思われるが、その出自は不明。誰とでもまるで地元の者と会話するように言葉に通じ、その勇敢さと屈強さは民衆十字軍の盾にして剣であり、そして食事も寝床も質素で名誉すら辞退する謙遜の人物だという。

 その強靭さと勇気に敵う者は皆無であった、ということから『皆無公』と呼ばれていた。

 しかしながらその悪魔のような殺戮戦闘を目の当たりにしたゴドフロワが思うことは唯一つ。 

 

「恐ろしい戦いぶりだった。とりあえずこれからは、シスターを守るためにも我が軍へ合流して貰うが、構わんな」

「こいつが聖地に行くのを諦めない限りはそうしよう」

 

 そうしてゴーティアはピエレッタと合流を果たし、彼らの諸侯十字軍に率いられた聖地を目指す旅は続いた。

 

 

 その後の彼らの旅も順調とは行かなかった。

 

 ニカイアでは十字軍がトルコ人の切り取った首を市街へ向けて投石機で投げ始めてピエレッタはショックで嘔吐した。

 

 ドリレウムでは空を埋め尽くさん矢の雨が降り注いたので三千もの十字軍が即死し、ピエレッタはゴーティアが矢を防いでくれたが恐怖のあまり嘔吐した。

 

 イコニウムでは何故かゴドフロワが「熊と戦いたい」とかいきなり言い出した挙げ句にタイマンで熊と戦って半殺しにされ、ピエレッタに末期の秘跡を頼んできたので意味がわからず治療しながらストレスで嘔吐した。(ゴドフロワは看病の結果なんとか死なずに済んだ)

 

 アンティオキアで敵が籠城してきたときは囲んでいる全軍で食料が尽きかけてピエレッタは飢餓のあまり嘔吐した。

 

 マラト・アヌマンの街を制圧した際には最悪だった。飢えた兵士がイスラム教徒の人肉を貪り食ったの見て、ピエレッタはあまりの凄惨さに嘔吐した。

 

「なあ。ゲロ吐きすぎじゃないかピエレッタ」

「ううう……ごめんなさい……」

「慢性的に胃の粘膜をやられているのかもしれんな……なにかストレスでも抱えてるのか?」

「抱えてますよう!」

 

 水や食料もゴーティアから分けてもらい、戦闘時以外の移動の際にはゴーティアが乗る馬に一緒に載せてやらねば歩けないぐらいに弱っていた。

 特に人肉事件の後は食事すらまともに取れなくなり、どうにか土地のユダヤ教徒などと交渉して栄養価が高く問答無用で美味に感じるサトウキビをこっそり購入し、ピエレッタに舐めさせていた。

 夜な夜な、同じテントでゴーティアに背中を撫でられながら砂糖を摂取する要介護シスターである。

 あまりに彼女は他の従軍聖職者や、人肉喰いを隠すために街一つ焼き払う諸侯貴族らに比べて、精神が普通の女でしかなかったのだ。

 それでも彼女は十字軍についてくる兵士ではない大勢の巡礼者たちに取っては聖女の如き存在であり、彼らの声と軍についていこうが次々に死んでいく姿を目の当たりにしては、止まることなどできなかった。

 

 アンティオキアから地中海沿岸のパレスチナ地方を南進してエルサレムを目指す一大攻勢がついに始まった。

 その間に、なんかロンギヌスの聖なる槍を拾ったとか主張したやつが偽物か本物か神明裁判するために勝手に炎に突っ込んでいき大火傷で、ピエレッタに末期の秘跡を頼んで死んだので軽く嘔吐しながら彼女も対処した。

 しかしながらこれまでのトルコでの大きな抵抗に比べれば、地中海沿岸の各都市はさしたる抵抗も見せずに、さっさと降伏して物資を引き渡し、殆ど十字軍を素通りさせる作戦に出たのだ。

 

「これも『キリスト教徒に抵抗してると街中皆殺しにされた挙げ句に人肉を食われる』という噂のおかげだな。そんなのに関わり合いたくないから抵抗の意志がくじけてるぞ」

「うううっ……かなり誤解されてますよう……でも、人肉をアレしたサン・ジル様は証拠隠滅で街ごと消したのに、なんで噂が流れてるんでしょう」

「俺が広めておいた」

「ゴーティアー!?」

「無駄に被害が広がるよりビビられた方がマシだ。それに人が野蛮なのは嘘ではない」

 

 実際、この時点でエルサレムへ向かう十字軍もその数を半減させていた。

 最初の頃こそイスラム教徒の街で殺戮を繰り返していたのだが、もはや彼らもそんな消耗戦をやっている余裕などない。

 何事もなく通り過ぎさせてくれるならと、街を支配するのも後回しにひたすら進んでいくのであった。

 

 そして一行はエルサレムにたどり着き、聖地を防衛するイスラム側からギリシャの火とも呼ばれる謎の火炎兵器で激しい抵抗を受けたが、やがて孤立無援のエルサレムから太守らは脱出して陥落した。

 十字軍がなだれ込んだエルサレムではアンティオキアよりも凄まじい殺戮が行われた。

 これまでは虐殺をしたとしても、金になるので奴隷として捕まえることもあったのだが、エルサレムでは女子供が避難しているモスクまで焼き捨て動く異教徒すべてを殺し、その市街はイスラム教徒(と、巻き込まれたユダヤ教徒)の死体で埋め尽くされた。

 

 ふらふらと、片付けられもしない死体が散らばる聖地をピエレッタが歩く。今にも転びそうで、その体をゴーティアの手が支えていた。

 その表情には憧れの聖地に来れたという喜びの光はなにも灯らず、聖墳墓教会の姿を見ても感動の涙も流さなかった。その中では、散々に異教徒を殺した騎士や諸侯が感激しながら祈りを捧げている。

 

「……気に病むな。別にこれは単なる結果だ。お前が居ようが居まいが、この殺戮は発生した。巡礼に来る民衆は勝手に死んでいっただろう。お前は誰一人殺していない」

「……」

「祈りにでも行くがいい。そうすれば、神が許してくれるかもしれん。あるいは教皇か? まあ、自分で納得することをしろ」

 

 彼女は一足遅れて聖墳墓教会にたどり着き、そうしてキリストの墓所で祈りを捧げた。

 

(どうか主よ……?)

 

 そうして真剣な祈りを込めようとして、はたと気づいた。

 祈りの言葉が出てこない。

 これまでに死んでしまった皆のために祈ればいいのか。

 彼らを救えなかった自分のために祈ればいいのか。

 罪が消えて、自分の行動が正しかったことになってしまうのだろうか。

 

 彼女は聖地にくればなにか変わるかと思っていたが、その荒んだ心は癒されもしなかった。

 悲惨な状況で無力な人は神に祈るが、ここのところピエレッタは最悪が重なるほどに残酷な試練ばかりが続きすぎた。

 神に祈ろうが世界は残酷で救われないと実感してしまっていた。神にすべてを委ねるほどに狂信的にはなれなかったのだ。

 少なくともここのところ、彼女は神よりもゴーティアを頼っていたぐらいだ。

 

 操り人形の糸が切れたように力が抜けてしまったピエレッタは暫くエルサレムに滞在したが、このエルサレムとこれまで制圧した都市を誰がどう分配するかという諸侯の言い争いに辟易していた。

 

「ゴーティア……」

 

 か細い声に力なく手を掴んでくるピエレッタに、ゴーティアはいつもどおりの眼差しで聞いた。

 

「もう聖地はいいのか」

「はい……」

「ならば、フランスに帰るか」

 

 ゴーティアの問いかけに、ピエレッタは泣きそうな顔をしてかすれた声で頼んだ。

 

「どうか、誰もわたしを知る人がいないところへ連れて行ってください」

「……いいだろう。お前がそう望むのならば、叶えよう。俺が出来る限りは」 

 

 ──そうして民衆十字軍を率いた隠者ピエレッタは、恐らくエルサレム開放まで存在したであろう痕跡を残して歴史の闇に消える。

 

 一説によれば聖地で亡くなったとも、フランスに戻ってきて教会を建てたとも伝わっているが、そもそもこのピエレッタという人物の出自からして記録があまり残されていないので不明である。

 

 彼女がどのような思惑で民衆を扇動、あるいは先導していたのかもよくわかっていない。同じく、彼女に付き合った騎士ゴーティアもその出自に多くの謎を残して戦死したと言われている。

 

 

 

 ****

 

 

 

 二十年後。

 一人の遊牧民が、連れていた妻の亡骸をエルサレムが見える荒野に埋葬してやった。

 砂漠の民族が着る白いローブに砂よけのスカーフ、帽子を身に着けている彼は、よくよく見ればヨーロッパ系の顔立ちをしている。

 ベドウィンは家族単位で行動をするのだが、ここ二十年の間では彼は妻と二人だけの旅を続けていた。

 不審な自称ベドウィンだったが、男は言葉が堪能でありシリア地方に住むあらゆる部族と、まるで家族のように通じる言葉で会話ができて交渉も可能だったので多くのベドウィンに受け入れられた。彼ら遊牧民は基本的に客人をもてなす。それが自らと同じ言葉まで喋れば尚更だ。

 

「割と長生きをしたな。よくわからんが、ここで眠れ」

 

 二十年前に連れ出した妻、ピエレッタは今にも衰弱死しそうなほど弱っていたが、新たな生活と静かなふたり旅に次第に癒されていった。

 妻と言ってもベドウィンとして生活する上で必要だった世間体的なもので、実際には手も出していないのだったが。それでもピエレッタは悪夢からか、彼に抱きついて眠る夜が多かった。

 ただ、エルサレムの後は胃液で喉が灼けたのか、言葉が出せなくなったように無口になり、時にコミュニケーションを取るのがゴーティアは苦労をしていた。

 彼女も時を経て次第に少しは笑うようになって……そして風邪を引いて看病の甲斐も無く死んだ。どこにでもある珍しくもない死因だ。

 彼が思うに、人が生きることにも死ぬことにも意味はない。

 ただそれに意味があると主張するのは残された人の自由であり、そして人でなしの彼にはその意味は見つけられなかった。

  

「これで約束は果たせたのだろうか……」

 

 ゴーティアとピエレッタという名前も捨てた生活だったが、果たして彼女が満足をしたか。それは彼には理解できなかった。

 悲しさすら彼には感じられなくて、二十年以上連れあった仲だというのに涙の一つも出なかった。

 彼はただ、頼まれたから望みを叶えようとしただけである。

 それ以外の行動理由を持たない空虚な心が、ピエレッタを失ってやたらとざわついた。

 

「人は愚かだ、ピエレッタ。お前も、いつ立ち止まっても逃げても良かったというのに。わざわざ苦しむとは。何がしたかったのか」

 

 エルサレムに行く前に──いや、暴徒の旗印にされてつらい思いをしていた時点で彼女は自分に頼むべきだったと彼は思う。

 最後の頼みのように、誰も彼女を害しないどこかへ連れて行けというのならば、すぐに姿を晦ませてやっただろう。

 それを選ばず、選べず、結局損をした彼女の想いは──彼は愚かとしか形容する言葉を知らなかった。

 

「最後に君は、何を望もうとしたのか……」

 

 そして死に水を取る彼へと、なにかを伝えようと口を動かしたが──嗄れた喉からは声が出ずに、震える唇からは言葉が読み取れず。

 大事な、なにかを彼女は呟いたような気がするというのに、彼はそれを理解できなかった。

 なにやら満足したような顔で眠りについた彼女に、掛ける言葉が見つからなかった。

 ただ少しだけ、彼も心がざわついた。

 墓の近くで彼がボーッとしていると、声が掛けられた。

 

「あらあら、まあまあ。可哀想な女の子の嘆きが聞こえたかと思ってやってきたら、どっかで見たような見てないような、しけた顔のやつが居るじゃない。こんにちわ、ゲーティア」

「……グレモリーか」

 

 彼をゲーティアと呼んで話しかけてきたのはラクダに載った中東風の女だ。意味深長な言葉だが、彼はその素性を知っている相手だった。

 扇情的な雰囲気をしている美女は墓を見ながら嘘泣きをするような仕草で言う。

 

「あーあー可哀想にねー。どっかの馬鹿が朴念仁のナイト様すぎて、この子結局なにも残せなかったじゃない。あんた重罪」

「知らん。失せろ」

「うわ愛想悪。こーんな根暗男にドハマリしたレッタちゃんが浮かばれないわー。そもそも死んだレッタちゃんが何をどう思っていたか、想像すらできないぐらいの空っぽ野郎だし」

「何も喋らなかったからな。新たな望みすら聞けなかった」

「かーこいつマジクソ。だけど純心な女の子を助けるのがこのグレモリー様様。超超超エライんだから」

 

 グレモリーはごろ寝するようにしていたラクダから軽く飛び降りて、彼と向き合った。

 地面に降りると背の低い女だ。挑発的な表情で腰に片手を当てて、男の眼前に手のひらを向けてきた。

 

「あの子がどういう気持ちだったか知りたい? 知りたいでしょ。知りなさいこれ命令」

「……さあな」

「どうせやること無くて暇なんでしょうが。じゃあ目標を与えてあげよう。ゲーティア。あんたはこれから沢山の人から頼られなさい。大勢と関わって、人の気持ちを学んでいけば──そのうちあの子がどんな気持ちだったかもわかるわけよ」

「……そうか。では、旅にでも出るか」

 

 グレモリーの意図もわからず、彼女を信用できる相手と認めているわけでもないが。

 彼は特に目的がないので、そう頷いた。

 だがすぐさま立ち去ろうとする彼の肩を掴んでグレモリーは尋ねる。

 

「……ちょい待ち。念の為、どこへ向かうつもり?」

「ふむ。特に行先にあてはないが、インブラ(インドをブラブラ旅して回ること)でもするべきか」

 

 何故かグレモリーは凄まじく残念そうに頭を抱えて、げんなりとした声を出した。

 

「あんた、なんかこう……中身空っぽだからあちこち彷徨いそうよね。砂漠の果てで行き倒れにでもなられても馬鹿みたいだし、インドの山奥で人助けなんて出来ると思う? インブラなんてしてたらあっちでビールと焼き肉大好きなアスモデウスのおっさんに絡まれるわよ」

 

 彼は基本的に他人の頼みを聞くだけの男なので、自らの考えに乏しい。

 

「仕方ないから、あんたにとって良い人に会えるよう指針となる占いの仕方を教えてあげる」

「そういうものか?」

「そういうものよ。グレモリー様様超エラい──の占い用魔眼をピピッとプレゼント! ぼんやりとした未来を占える程度だけどね。少女の味方なあたしとしては、貴方がいつか大事な子を見つけるのを願ってるわ。貴方が失いたくないなにかを知るまで、死ぬんじゃないわよゲーティア。じゃあね」

「二度と会うことはないだろうが、さらばだ」

 

 そうして彼は、知り合いの女に道を示されて荒野を歩き出した。

 いつの間にか黒く染まった片目を彼方に向けて。

 

「──行こう」

 

 その先の何処かに、自分の物語(いみ)がある。

 

 

 

 ****

 

 

 

 西暦1119年、ヤッファからエルサレムへの道。

 

 ここは地中海沿岸の港街であり、キリスト教圏のヤッファから聖地エルサレムまでを繋ぐ道である。

 その途中には村もなく、多くの巡礼者が行き帰りを行っている。

 しかしながらこの近辺は十字軍が奪い取った土地とはいえ、元よりイスラム教徒のホームグラウンドである。この巡礼者が集中する道はまさに山賊にとってはボーナスゲームだ。あるいは、十字軍にイスラム教徒を殺された復讐もあったかもしれない。

 とにかくこのエルサレムへの道にて襲撃が多発していた。

 本来巡礼者を守るべく、パレスチナの各都市に領主として入った貴族たちは、まず都市の防備を固めることに専念している。更に、そういった山賊と戦っても利益は少なく、こちらの兵力が削られればイスラム教徒に攻め込まれる恐れもあったので積極的に巡礼者の警護を行おうとしなかったのだ。

 

 そんな最中、フランスから来ていた貴族のユーグ・ド・パイヤンらの騎士が巡礼警護のために名乗りを上げた。

 自らの身を削ってでも聖地を目指す敬虔な信徒を守る、まさにキリスト教のメイン盾!

 

 その総勢、八人!

 

 ……実際には従者なども居たのでもう少し多かったかもしれないが、超少なかった。おまけに物資も足らず、一つの馬に二人で乗っているぐらいの困窮っぷりだ。

 それでも騎士に守られているという安心を信徒に与えていたものの、襲撃してくるイスラム教徒は数十人も居ることもある。

 更に貴族ならば人質にでも取れば金になるので、その護衛騎士らは今まさに山賊の群れに襲われていた。

 

「ヒャッハー! 人様の土地に入ったクソ異教徒共をぶっ殺せー!」

「イスラム教徒以外が生きてる意味がわかんねーぜ!」

「かましてやるぜ! かましてやるぜ!」

 

 とにかく多勢に無勢。更に志こそ立派であったが、彼ら騎士団はそれなりに平凡な騎士でしかなかったのだ。

 

「ぬううう! とにかく、巡礼者が逃げたら俺たちも逃げるぞ! 準備しろ!」

「無理ですよ相手も騎馬で来てますから!」

「こっちは二人で一つの馬だし! 重装備だし!」

「じゃあ俺たちは何の手立てもなく、このままイスラム教徒に負けるというのか!?」

 

 志は立派なのだが、騎士の人数や装備が追いついていない。

 次第に包囲されていく少数の騎士団は身を寄せ合い、恐怖を噛み殺してこうなれば殉教覚悟の特攻を仕掛けるべきかと思い始めていた。

 

「クソっ……援軍は、誰か助けは来ないのか! チクショウ! 誰か助けてくれ(・・・・・・・)ー!!」

 

 ユーグがそう叫びを上げたときである。

 彼らを囲んでいる山賊らに、矢の雨が降り注いだ。突然の攻撃に狼狽し、馬に矢が当たった者は落馬までした。

 

「なんだ!?」

 

 続けて飛んできたのは山賊の体だった。投石機の岩石に匹敵するような勢いで水平に飛来してきて、数人のイスラム教徒を巻き込んで破壊する。

 更に血の雨が降り注いだ。動揺が広がり、皆の視線が一点を向くと──そこでは血染めの白衣を身に着け、両手に剣を持って片っ端から山賊の首を刎ねていっているフードを被った男がいた。 背中には弓と八つもの矢筒を背負っている。それを一斉射撃に使ったのだろう。

 暴風のように移動を続け、風で跳ね飛ばす代わりに惨殺死体を撒き散らす嵐のような殺戮の化身。

 山賊の誰かが呟いた。

 

悪魔(シャイターン)だ……悪魔が出たぞ!」

「くっ……一旦引け!」

 

 明らかに異常な敵が現れたことを認めた彼らは、騎士らを放置して走り去っていく。いや、一部の山賊は知っていたかもしれない。ここ二十年シリア地方を徘徊している、襲いかかる者を一瞬のうちに始末していく恐るべきベドウィンの噂を。

 残されたのは大勢のイスラム教徒の死体と、血を頭から被ったようになっている剣士のみだ。

 正直なところ、彼ら騎士団もドン引いた。だが、ユーグが唾を飲み込んで彼に尋ねる。

 

「た、助けてくれて感謝する……その、どなたか、名のある騎士だろうか」

「俺か」

 

 占いによってここへと導かれた彼は、血まみれのローブを脱ぎ捨てて軽装になりながら、言った。

 その時にふと、

 

(そういえば、こんなドン引き表情であいつも俺の名前を尋ねてきたな)

 

 と、昔のことを懐かしく思う。だがもはや彼はゴーティアの名前を捨てた身である。なんと名乗ったものかと考え、そういえば彼女に会った時には──

 

「通りすがりの、聖ニコラウス(サンタクロース)だ」

 

 そう冗談めかして言ってみたが、笑う者は居なかった。彼は「むう」と不満げに呻いた。

 

 

 それから彼は、戦力の足りない騎士団の一員としてユーグに是非!と迎え入れられた。

 実際に彼のドン引きな強さによって巡礼者の危険が減ったし、騎士団の仲間も死ぬような目に合わずに助けられた。

 元より尋常ではなかった戦闘力に加え、占いによる危機回避や、黒く染まった目で一瞬先の未来を視ることにより味方への防衛力も高かった。

 聖ニコラウスと名乗ったものの、それは冗談であり彼は名無しの騎士として彼ら騎士団──テンプル騎士団に所属する。

 しかしながらどうしても名前が必要な場面では、他に名乗るべき名も無いのでニコラウス、あるいはドイツ風にクラウスと名乗っていたが、不思議と彼が名前で呼ばれることは殆ど無かった。

 名誉も求めず、名も誇らず、誰でもない彼は誰かのために戦い続けた。

 

 やがてテンプル騎士団はエルサレム王、エルサレム総主教、ローマ教皇にその活動を認可されることで団員も増えていき、規模を大きくしていく。

 余談だが、最初に集まった騎士の人数は九人と公式に記録されている。以下が創設時のメンバーである。

 

 ユーグ・ド・パイヤン

 ゴドフレー・ド・サンオメール

 ペイン・ド・モンテヴェルディ

 アーシャンボー・ド・セントアニャン

 アンドレ・ド・モンバール

 ジオフレー・ビソン

 ロッサル

 ゴンダメール

 

 不思議なことに、その名前は八人しか判明しておらず、名も伝わらないもう一人が初期のメンバーに居たことは史実であるようだ。何故名が残っていないかは、まったくの不明であった。

 

 

 最も単純な人を救うという方法は、虐げられる弱者を救うことだ。

 それから名無しの男は中東にて、ひたすらに敵を切り裂き、巡礼者と仲間を守った。

 彼は言語能力に優れ、ユダヤ人ともベドウィンともイスラム教徒とすら会話、交渉、そして知識を学んだ。

 それらの知識を他の騎士団員にも教え、例えば砦の建築方法だとか、薬の調合方法などを導いていく。

 彼に教えられた騎士団員が今度はヨーロッパに戻り、あちこちにその知識を伝播させていった。

 いつしか名無しの彼は、テンプル騎士団教導隊の『隊長』と呼ばれるようになり──そして不思議と、何十年経過してもその姿を変えないまま、相変わらず戦って、人に勉強を教えていた。

 老いず、名誉を求めず、ただひたすら最前線で戦い続ける彼は仲間からも特別視されていた。

 

「噂では隊長は、エルサレム神殿の地下にあった秘宝で不老不死になったらしい」

「エデンの果実とか聞いたぞ」

「俺は隊長が聖杯に触れて不死身になった伝説の騎士パルツィファルらしいとか聞いた」

「修行してブラフマー?だかから加護貰ったとか」

「空を飛ぶパスタモンスターと交信してたとか」

 

 などと囁かれるぐらいであった。しかしながらその活躍とテンプル騎士団特有の「まあいいか怪しくても」という意識から、特に問題にはならなかった。

 彼の存在そのものが、テンプル騎士団が怪しげな集団であり、謎の聖遺物や異教の魔術に関わっていると噂される原因にもなったりしたのだが、それはまた別の話。

 

 更に時代は下っていく。

 

 

 

 ****

 

 

 

 西暦1191年、第三回十字軍。

 

「騎士道とはッ!」

「なるほど……!」

「聖剣とはッッ!」

「そういうことか……!」

「ライオンハートとはッッッ!!」

「わかったぞ……!」

 

 隊長がイングランド王リチャードと一緒に騒いでいるというか、感化されて騎士道バカに染まっていくのを死ぬほど醒めた表情でフランス王フィリップが見ていた。

 他人の頼みを聞く、という曖昧な行動方針であった隊長だが、その実績を聞いてリチャードから「それは騎士道だな!」と褒められてなにやら御伽話の騎士道物語について熱く語られ、意気投合して洗脳されたようになっている。

 元々、自我が他人依存で薄っぺらいものだから隊長は騎士道という指針にドハマリしたと言ってもいい。聖書にはかぶれなかったのに、物語に残るようなカッコいい騎士には憧れるようになってしまったのだ。

 

「あーウゼウゼ。熱血クソバカナイト様がもう一人とか、ただでさえあちーのにやってられっかよ。ったく」

 

 手を鬱陶しそうに振りながらフィリップは言う。

 第三回十字軍はイングランドの獅子心王、フランスの尊厳王、そしてドイツ神聖ローマ皇帝の赤髭王が参戦する最大規模の十字軍である。

 動員される兵力も第一回に遜色なく、今回は十字軍国家を使った船の輸送により安全に中東へ兵を送り込める好条件だ。

 さながら敵もイスラムの大英雄サラディンとその弟で謀略家なアル・アーディルのコンビ。一筋縄ではいかないヨーロッパと中東イスラムの英雄同士がぶつかる熱い戦いであった──

 

 のだが、既にフィリップはやる気が失せていた。

 

「つーかフリードリヒ死んだし。暗殺でもされたんじゃねー? あー面倒な上に危ねえとか、エルサレム全部リチャードにやるから大陸領くれねーかな」

 

 頼みの綱でドイツから「もうこいつだけでいいんじゃないかな」というぐらいの大軍勢を引き連れてやってくる予定だったフリードリヒだったのだが、途中で水浴びをしていたらなんか急死したらしい。

 戦力の総数はだだ下がりな上に、実際のところ不真面目な信心で聖地にあまり興味がないフィリップと、行動は後先考えない乱暴者だが信心だけはマジなリチャードの間で仲違いも発生していた。昔は一緒のベッドに入った仲だというのに。

 そしてフィリップとしてはこんなに離れた中東の土地などより、フランスに多くの領地を持つイングランド王国からその土地を奪えればどれだけいいことだろうか。

 その時、ふとフィリップは思った。

 

「ん? そうだな……今フランス戻って大陸領攻めれば、守るのはあのジョンのバカしか居ないじゃん」

 

 リチャードの弟ジョンは完全に舐められていた。

 というわけでフィリップも仮病を使ってさっくりと、中東に上陸して街一つ落としただけで帰路についたのだった。

 

 

 その後、リチャードと隊長率いるテンプル騎士団はエルサレム奪還を目指して南征を開始する。

 地中海沿岸の街アルスフの近くを通りかかった軍は、待ち構えていたサラディン軍の奇襲を受ける。

 サラディンの行っていた焦土作戦により水の補給もままならず、十字軍は大きく疲弊していた。

 

 重装備で行動が遅い十字軍に対してイスラム軍は軽騎兵と弓部隊によりヒットアンドアウェイと遠距離攻撃で攻め立て、たちまちに千人もの十字軍兵士が犠牲になった!

 

 完璧な条件の整った奇襲な上に、戦力はむしろサラディン軍の方が多いぐらいだ。しかもスーパーカリスマ君主、サラディン自らが率いる軍で士気も高い。

 

 更に、攻撃に耐えていたホスピタル騎士団がついに耐えられず隊列を乱して敵軍へと特攻を仕掛けて十字軍全体が瓦解しかけた。

 

 十字軍絶対絶命! そこで呼応するナイト二人!

 

「うおおおおお!! 騎士道オオオオ!!」

「突っ込むぞ、獅子心王!」

「友よ! この剣を使え! 我が剣(予備)のエクスカリバー・ライオンハートだ……!」

「かっ……カッコいい……! 強そうな名前だ……!」

 

 まずリチャードがイングランド軍を引き連れてサラディン軍の右翼へ突っ込んだ!

 

 次に隊長がテンプル騎士団の先頭に立ち左翼へ突っ込んだ!

 

 そうするとサラディン軍は七千人ぐらい即死して撤退していったのである!

 

 リチャード軍は奇襲を受けたのに、強引に突っ込んだら逆に相手に数倍の被害を与えて撃退したのだ。

 

「オレたちの騎士道の勝利だ!」

「これが騎士道……!」

 

 ポーズを決めるナイト二人であった。

 

 

 

「そうはならんやろ……」

「なっとるやろがい!」

 

 撤退しつつ、理不尽な敗北を受けたサラディンとアル・アーディルはヤケクソのようにそう言い合った。

 

 

 

 隊長がはしゃいで騎士道ごっこに熱中していたら、当時のテンプル騎士団総長が無謀な特攻をサラディンに仕掛けて壊滅したり、リチャードが捕虜やら民間人やら殺戮したりしていたが、隊長はそんなイベントも第一回十字軍の惨状で慣れていた。

 基本的に助けてくれと眼の前で頼まれたら、敵でなかった場合に助けるのだがそうでなければ気にしない。彼は頼みを聞く性格なだけだからだ。故にときには民間人のイスラム教徒に頼まれて護衛し安全な街まで送ることもあったが。

 更にはサラディンが獅子心王を讃えたり、獅子心王はアル・アーディルのまだ幼い長男アル・カーミルを勝手に騎士に叙勲したりと、なんかお互いの総大将に妙な絆も生まれたりしたのだが……

 

 結局ながら、これほどに強い獅子心王リチャードですら、エルサレムに大集結したサラディン軍の前に撤退を余儀なくされた。

 他の十字軍の君主が帰っている中で、イングランド軍と傭兵と宗教騎士団だけでは、中東一帯を支配する大君主のサラディンが動員できる兵力には到底及ばないのだ。まあ、その間もエルサレム近くのヤッファで待機してたら襲いかかってきた多勢のサラディン軍を普通に倒したりしていたが。

 おまけに先に帰ったフィリップが大陸領を安全に奪い取るため、ジョンに反乱を起こさせていたのだ。

 そのことをリチャードが知ると、エルサレムをあれほど渇望していたのだがどうにも攻めきれない現状、本国がヤバイという状況、疲弊した軍を考慮して、軍を引くことを選択せざるを得なかった。

 

「くっ……おお、エルサレム! エルサレムに巡礼したかった……!」

 

 悔し涙にむせび泣くリチャードに隊長が言う。

 彼は人間的にも、王としてもちょっとどうかと思うような気質をしていたのだが、少なくとも戦士や将としてはこの時代随一で、キリスト教徒としてはローマ教皇庁が太鼓判を押すような敬虔タイプだったのだ。

 隊長が一応告げる。

 

「いや、サラディンは軍事目的じゃなくて巡礼目的ならキリスト教徒も来ていいって言ってるが。帰る前に行ってきたらどうだ?」

「んんんんんんん~……!! だ、駄目だ! オレの……プライドがぁ! お許しください主よ!」

「よくわからん」

 

 結果だけみれば幾つかの十字軍国家を取り戻したのみで、結局撤退になったのだから十字軍の負けということになる。

 負けたのにお情けで目的だけ達成させられるのは、悔しくてリチャードにはできなかった。

 

 アッコンよりヨーロッパへ戻るリチャードは隊長に言う。

 

「さらばだ。我が友よ。そのエクスカリバー・ライオンハートは預けておこう」

「わかった。さらばだ友よ」

「いずれお前の騎士道が、人々に語り継がれる物語のように誇り高いものになることを祈っている」

「ありがとう」

 

 隊長はとても珍しく、感謝の言葉を口にしてリチャードを握手をして別れた。

 その船を見送りながら感慨深くため息をつく。

 長い年月を生きて、大勢の人と関わってきた。 

 人でなしだった彼にも、魂がほんの僅かに震えるような瞬間は訪れることがあった。

 

 助けてくれ、と頼む人を救い、ありがとうと感謝されると少しだけ心が暖かくなった。 

 そう縋ってきた相手が、目を離した間に死んで物を言わぬようになると、少しだけ心が澱んだ。

 

「もう……あれから百年ぐらい経過したか。まだお前を理解は出来ていないが、どうだ。俺は少しは人間らしくなってきたか──ピエレッタ」

 

 

 

 

 

 騎士はまだ生き続ける。

 彼は占いに従い、中東を離れ今度はレコンキスタ中のイベリア半島へと向かった。

 そこでテンプル騎士団の知識を生かして多くの騎士や諸侯に異教徒との戦い方、砦の作り方などを教導していく。

 また、そこでも聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへと巡礼する者を守っていた。

 

 やがてアラゴンの王から頼まれ、娘がハンガリーへと嫁ぐので護衛を任された。

 彼は今度は東欧で活動をし、そしてその娘──コスタンツァが夫のハンガリー王と息子を亡くしてアラゴンに戻る際に、もう一度護衛をしてイベリアへと戻る。

 

 

 

 そうして、運命が訪れた。

 

 

「隊長、わたくしはシチリア王のもとへ婚姻に向かい、持参金代わりに騎士を連れて行くのですが、その騎士のまとめ役としてついて来て貰えるかしら」

「シチリア王か。わかった。いいだろう。姫を守るように、先代のアラゴン王から頼まれていたからな」

「よろしくお願いいたしますわね、物語の騎士様」

「お前がそれを望むのならば」

 

 隊長と呼ばれるテンプル騎士は、その頼みを聞く性格によってあちこちへと転戦し──そうして次はシチリア王のもとへと向かうことになった。

 まだ十四歳で成人したばかりの、ローマ教皇が後見人をしているシチリア王。

 

 フレデリカ。

 

 その名をした少女と出会い、振り回され──そして彼は、誇りに思える大事なものを得るのである。

 

 

 

 

 物語にすらなれない、設定のみだった虚ろな存在。

 

 誰かの頼みを聞くだけの空っぽの人格。

 

 人は彼を隊長と呼ぶ。

 

 或いは名無しの九番目。

 

 或いはゲーティア。

 

 或いは悪魔。

 

 或いは無産の騎士。

 

 或いはクラウス。

 

 或いは孤高にして無銘の騎士。

 

 誰でもない、誰か。

 

 それが物語(ひと)になろうとし、やがて満足して生を終えるだけの話が始まる。

 

 

 




これで最終話になります
次なる野望のためにまたなにか投稿したいですね
ご愛読ありがとうございました!

【挿絵表示】

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