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伊予風土記にいう。
法興六年(596)十月、聖徳太子と慧慈法師、葛城臣は伊予の村を歩き回って、温泉を見て、その不思議さに感動し、碑文を作った。
その碑文にいう。
「(前略) 温泉につかって病気療養することは、花の池に落ちて弱い者が元気になることと同じである。」
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<完成>
翌日も作業現場を見に行った。慧聡がまた村人達を集めて昨日の補足説明を行うと、今日は自ら鋤を握って作業を手伝いだした。その動きは手慣れていた。
「天が見えるか」と、葛城がからかった。
「お主にも拙僧がこの境地を味あわせて進ぜよう」と、慧聡が強引に葛城の肩にもっこの片棒をのせた。葛城は不承不承、相方の村人と呼吸を合わせて土を運んでいった。
「太子もよろしければどうぞ」と、慧聡は持っていた鋤を厩戸に押しつけた。戸惑う厩戸に対し、「天にも昇る心地が味わえますぞ」と促す。そういうものかな、と鋤を受け取った。
作業はつらかった。長く軍人を勤めていた葛城は軽々と荷を運んでいたが、厩戸にはその経験はない。二度、三度、ぬかるみに足をとられて転倒した。もうやめよう、と思ったが、そのたびに慧聡が助け起こし励ます。衣服は泥だらけ、冬の風に手がかじかむ。
そんな厩戸をみて、最初不満たらたらであった葛城も見違えるように動き出した。それを見た村人達も懸命に動き回った。厩戸もいつしかやめたいと思う気持ちも忘れて汗を流した。
行宮に帰ると、珍しく慧慈が声をかけてきた。
「土と交わりになられましたか。」
「うむ、おかげでくたくただ。だが慧聡の言う天とやらを見ることはなかったぞ。」
「もう三日もすれば見られるかもしれません」、と慧聡の方が言った。
「なんだ、あと三日もかかるのか。」
「それよりも今日はお疲れでございましょう。ゆっくりとまた湯浴みでもして体をいたわってください。」
一月ほどたった。この間、厩戸は慧聡におだてられているうちに、毎日作業現場に通うのが習慣になっていた。日が暮れると行宮に帰って、その日の出来事を湯に浸かりながら考えたり、慧慈や慧聡に尋ねたりした。堤防というのはあそこまで土を突き固めなければならないものか、鋤というものは力をこめて振り下ろすと、かえって地面にはね返されてしまうものだな、人々はその日の作業量がわかれば自分でペース配分を行うのだな、等々・・・、技術的なこともあれば、人や組織に関することもあった。
年があけ、ようやくため池が完成した。ちょっとした儀式の後、水門が開けられた。
村人達から歓喜の声があがる。
「そういえば、お前が言っていた天とやらは何だったのだ、結局よくわからなかったぞ。」
「それはそうでしょう。私だって見たことはございませぬ。」
「なんだ、出任せだったのか。」
「そう言ってしまえばそうですが、それで作業がはかどりましたし、村人達も喜び太子に感謝すらしております。それでよろしいのではございませぬか。あえていうなら、それらをまとめて天の理ということで。」
「まあ、それもそうか・・・。」
堤の中では水面がゆっくりと広がっていた。
「しかし法師も仏に仕える身でありながら、よく平然と嘘をついたものだのう。」
「そういうものを仏教では「仏の嘘は方便」と申しまして、釈尊も多用なされたそうです。」
「そんな言葉があったのか。どの教典にあるのだ?」
「“修舎佗宇摩維経”という、なかなかマイナーな経の中の一節です。」
「ほう、そのスジャタウマイ経とやらを、どうにか入手できないか?」
「いえ、これもいいかげんな嘘でございます。」
あっと思い、やがて厩戸は穏やかに――見ようによっては少しだけ皮肉っぽく見えなくもないが――微笑んだ。
春が近づく。村人達は農作業に戻っていった。
村人たちは農作業の傍ら、さらに自らため池を増やしたり用水路を整備したりと、忙しく、かつ楽しそうに動き回っていた。
厩戸は、慧慈や慧聡と研鑽しつつ、議論に疲れると外に出かけて、村人と話し合ったり作業を見守ったりした。
秋になった。村人達と収穫を喜びながら、ふと厩戸は都をなつかしく思った。
「そろそろ帰るか・・・」
二人の僧が目を合わせた後、微笑みながら静かにうなずいた。
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伊予風土記にいう。(再掲)
法興六年(596)十月、聖徳太子と慧慈法師、葛城臣は伊予の村を歩き回って、温泉を見て、その不思議さに感動し、碑文を作った。
その碑文にいう。
「(前略) 温泉につかって病気療養することは、花の池に落ちて弱い者が元気になることと同じである。」
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(その⑤「帰国」に続く)