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聖徳太子伝暦にいう。
598年4月、太子は左右の者に命じて良馬を求めた。諸国から数百頭の馬が献じられてきた。
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<世論沸騰>
日本国連ではこのことをめぐって、なおも議論が噴出していた。
「そもそも、ことの発端は高句麗が隋の国境を侵犯したことにある。よって隋に大義がある。我々も国際秩序維持に貢献するために軍を派兵すべきである。」
「いや、国際秩序といえば聞こえはよいが、要は隋中心の中華思想ではないか。そんなものに従う必要はない。」
「それでも現実問題として隋の圧倒的な国力があって、周辺諸国も全て隋に従っている。日本だけが従わないのならば、国際的に孤立してしまうおそれがある。」
「それに隋に協力しておけば、日本国連による任那統治が認めてもらえやすくなることだろう。」
「そんな追随外交はやめろ。かえって軽くみられることになるぞ。我々は自らの姿勢と倫理を貫くべきである。そういう態度こそ国際社会において評価されるのだ。」
このように延々と繰り返される議論を聞きながら、厩戸はうんざりしていた。
時には議論の矛先が、摂政である厩戸にも向けられることがある。厩戸はうるさいと思いつつも、それらに対応しなければならない。
「現在、情報を集めているところだ。」
「いつまでかかっているのです。こうしている間にも戦争が始まっているのかもしれないのですぞ。」
「それはわかっている。だが情報がないままに動けば判断を誤る。」
「もう少し早くから情報を集めておけなかったのですか。」
「まだ時間は十分にある。できる限り多くの情報を集めてから対応すべきだ。」
館に戻った厩戸は苛立っていた。
「磐金はまだ帰らぬのかっ!」
思わず強い言葉が出ていた。周りの者は、まだ帰るわけはなかろう、と思ったが、厩戸の怒りをおそれて口にはできない。沈黙が流れた。
「いけません、時にははったりも大事です。」
その若い声に、その場にいた者はみな硬直した。声のした方を見ると、例の新顔の若者が立っていた。
「小野妹子といったか、太子に対してその口の聴き方は無礼であろう。」
「出しゃばるな、おとなしく片隅で座っていろ。だいたい政治の世界を知らぬ・・・」
といった言葉が口々に妹子に浴びせられるのを、厩戸がさえぎった。
「よい、妹子よ、何が言いたいのだ?」
「はい、人というものは、緊急の事態が迫っているのに、それに対して何をすればよいかわからない、というときが一番不安であり苛立つものでございます。」
「なるほど、そうだろうな。」
「ですから、どうか太子はなるべくどっしりとお構えになって、その上で適当にやることを与えておやりになるのが・・・」
「そうか、わかった。」
翌日、国連総会の場で、厩戸は重々しい顔つきで群臣を見わたして言った。
「諸君、朝鮮半島問題は予断を許さない状況にある。我々としては、情勢がどのように変化しようとも対応できるようにあらかじめ準備しておかなければならない・・・」
これについては群臣にも異存がない。黙ったまま太子の次の言葉を待った。
「その準備は整いつつあるが、ただ一つ、馬、それも駿馬の数が絶対的に足らぬ。そこで諸君らには急いで馬を集めてほしい。」
「馬ですか、いったい何に使われるので?」
「それは今は明らかにはできぬ。いずれ時期をみて話すつもりだ。」
「それで、何頭ほどご必要で?」
「多ければ多いほどよいが、少なくとも駿馬が千頭必要だ。」
「せ、千頭ですと?」
とてつもない数である。傘下の諸国からかき集めても足りるかどうか。
「足りない分は東国の諸侯にも供出させろ。今年の調は馬を出せと。とにかく必要なのだ。急いで手配しろ。」
一方的な命令に群臣らは腹をたてつつも、とにかく命令をこなそうと駆け回り始めた。
「そんなに馬を集めてどうされようというのだろうか。」
「太子自ら、騎兵隊を率いて遠征されるというのではあるまいな。」
「いや、軍需物資として、隋か高句麗かのどちらかに提供されるのであろう。」
ヤマトの内外ではそのような噂がひっきりなしに交わされるようになった。
<黒駒>
その間、厩戸自身は不安に耐えながら磐金の帰国を待ち続けた。それでも群臣たちの前では自信ありげな表情を保ちつづけねばならない。厩戸が疲れているのが側近達にもよくわかった。
そのまま年が明けた。厩戸は集まりつつある馬を検分に出かけた。すでに何百頭かがそろっていた。その中をまわっているうちに、厩戸は、おや、と感じ、立ち止まった。
「あの馬は・・・」
何か感じた。精悍な体つきと黒く美しい毛並み、他の駿馬の中にいても明らかに何か違っている。近寄った厩戸の眼をじっと見つめ、首を上げて軽く啼いた。乗れ、といっているようだった。
「太子、あまり近づくと危険でございます。」
と、馬役人が駆け寄ってきた。
「この馬は?」
「甲斐の国から供出された馬でございます。あの国は昔から良馬を産することで知られておりますが、それでもこれほどのものは見たことがございませぬ。ですが、気性が荒くて、誰も乗りこなすことができません。ついさきほども乗ろうとした者が振り落とされて運ばれて行ったところです。」
「そうか。」
答えながら、厩戸はその馬に近づき、足をかけた。
「あっ、太子・・・」
あわてて止めようと駆け寄った馬役人だったが、意外にもその馬はおとなしく、背の上で太子が姿勢を整えるのを待っていた。
「これは・・・また・・」
と、驚く馬役人に、厩戸が馬上から言った。
「私はこの馬が気に入った。馬も私を気に入ったようだ。よってこの馬は私の乗騎とする。よいな。」
「は、はい、それは結構ですが・・」
「行けっ!」
と、厩戸が合図をかけると同時に、その黒馬は猛烈な勢いで駆けだした。その方向に柵がある。「危ないっ!」と馬役人が叫んだ瞬間、馬と太子の姿が消えた。どこだ、と見ると、はるか前方に馬の影が降ってきた。飛び越えたらしい。馬ははずむように着地すると、そのまま伴の者たちの前を駆け抜けた。
「太子、どこへ行かれます。」
伴の者があわてて後を追った。
「試し乗りをするぞ、ついて参れ。」
見る間に太子の姿が小さくなっていった。その後ろを必死に伴の者が追いかけていった。
その日の夜、太子は屋敷に戻ってこなかった。あわてだした側近らを慧慈、慧聡の二師が平然と抑えた。
「心配いりませぬ。二、三日で戻ってくるとおっしゃっていました。」
「我々に何も言わないで・・・もし何かあったらどうなさるおつもりなのだ。」
「太子には太子のお考えがあるのでしょう。太子を疑わず、信じて待つことが臣の務めでございましょう。」
「しかし、このような大事な時期に・・・」
と、側近らは苛立ちながら、夜どおし太子の帰りを待ち続けた。
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聖徳太子伝暦にいう。
598年4月、太子は左右の者に命じて良馬を求めた。諸国から数百頭の馬が献じられてきたが、甲斐の国からは脚の部分だけが白い一刀の黒駒が献じられてきた。この馬をみた太子は「これは神馬である」といって、残りの馬はすべてもとの国に返し、舎人の調子麿に飼育するようにと命じて預けた。
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(その④「予備動員」に続く)
補足・解説
吉士磐金 きしのいわかね ( ? ― ? )
古代の外交官、新羅や百済に対しての外交活動に何度かその名が見える。
最初はこの推古五~六年(597~598)のとき、次が推古三十一年(623)の新羅征討のとき、三回目が皇極元年(642)に百済からの弔使を訪ねたときである。
少なくとも45年にわたり外交に携わったことになる。最後の方はかなり高齢であっただろう。
黒駒 くろこま
聖徳太子の愛馬と言い伝えられている。空を飛んだという伝説がある