<戦後処置>
その一連の半島情勢を知った推古はあきれ、馬子と厩戸に言った。
「百済のなんと見苦しい事よ。我が国もこのようにならなくてよかった。」
その言葉に厩戸は頭を下げた。
「しかし隋軍はなぜここまであっけなく敗れ去ったのであろうか。」
「隋にまったく勝つ気がなかったためでございます。」
「なぜそれがわかる?」
「もともと文帝は聡明な上に慎重な人物でございます。南朝の陳国を滅ぼして中国を統一したときでも、周到すぎるほど準備に準備を重ねた上で軍を進めています。ですが、今回の行動は突発的で準備も十分ではなかった上に、台風の多い時期にもかかわらず遠征を行っています。また我が国をはじめとする周辺諸国への根回しもほとんど行われませんでした。これだけでも本気で勝つ気がなかったことがうかがえます。」
「それでは、はじめから負けるつもりで、兵を発したというわけか?」
「はい・・・」と、厩戸は言いにくそうに応えた。
「なぜじゃ」と、推古が促す。
「国内の兵を整理したかったのでございましょう。」
「どういうことじゃ。」
「隋は今、国内の統治体制を整えるのに精一杯で、あえて版図を広げる余裕はありません。そのような時に、統一の過程で膨れ上がった兵を養い続けるのは重い負担になります。まして降伏してきたばかりの兵というものは、いつ反乱をおこすかわかりません。そこで将来の禍根を断つために粛清をかけたものと思われます。」
「まさか・・・十五万であるぞ。」
さすがに推古の顔色も変わっていた。
「はい、その兵の大半は元陳国などの外様の兵なのでしょう。」
「そんな・・・まさか・・・大臣!」
傍らに立っていた馬子はただ黙ってうなずいた。推古の体が揺れ、目が宙に泳ぐ。
そのうろたえぶりは痛々しかった。厩戸は思わずあわれみを覚えた。だがその一方で、もう少しだけ試してみたい、そんな感情もわきあがっていた。ことさら言葉を冷たくして付け加えた。
「一代で中国を統一した文帝はまさに英雄と言えましょう。ですが天は英雄を一人だけ生むのではございませぬ。多数生んで互いに競わせるものなのです。この三百年の間に、中国の地では数多の英雄が生まれ、多くの国が建国され、互いに力を競い合わせてきました。その競争において敗れた英雄とその配下の将兵は、悲しいことですが捨てられなければならないのです。」
「認めませぬ、そのようなことは認めませぬっ!」
突然、推古はヒステリックに叫んだ。侍女があわててかけよってくる。
その救いをもとめるような目に、厩戸はようやく重しのとれたような気持ちになった。同時に、すこしやり過ぎたな、と感じた。やさしい言葉をかけてあげたい、そう思った。
「ですが、今回の文帝の行動にはあきらかにやりすぎのところがございました。」
推古の目が再び厩戸に向く。
「いくら天の理とはいえ、その行い方、行う程度には自ずから限度があります。その限度を超えて行動することを”過”と申し、”逆”にも等しい天への大罪でございます。ちょうど白起の所業と同じです。あえてその大罪を犯した文帝は天の恩寵を失い、しかるべき報いを受けることでしょう。それに隋の命運は長くはないでしょう。」
「そうか」と、言って、推古は何度もうなずいた。
「ところで太子よ、百済の使者への対応はどうすればよいか。」
ああ、と思い、すこし考えてから厩戸は言った。
「高句麗も内心ではこの抗争が大事に発展することを望んでおりますまい。我々としては調停して両国に恩を売りつつ、今回の戦乱をしめくくるのがよろしいかと存じます。」
「そうか、任せよう。」
「はっ」
退出しながら厩戸はひさびさに気分が軽かった。自分こそ少しやりすぎだな、と思いもしたが、あの場面で馬子殿のように、「そうですな、それも政治ですな」とでも納得されようものなら、厩戸の方がやりきれない気分になったであろう。そうではなく、およそ政治向きでない、あのような反応を示していただけるから、あのお方は大事なのだ、そう思った。
ちなみに、文帝はこの六年後、不審の死を遂げる。皇太子または皇后に暗殺されたとの説もある。そして強国だった随国もまた二十年後には滅亡することになる。統一からわずか二代、三十年での破綻であった。中国の統一王朝の中では秦と並び、もっとも短い部類に入る。この短さが太子の言った”過”に由来するものかどうかはよくわからない。
(598朝鮮外交――完)
補足・解説
台風の時期について
東シナ海では7月(旧暦だと6月)がもっとも台風が多くなる時期である。今回の隋の高句麗遠征は旧暦6月。
白起(はくき)
中国戦国時代の秦の将軍。名将として知られる。
晋と対決した長平の戦いにて、降伏してきた晋兵20万に対して反乱のおそれありとして生き埋めにした。それ以前の戦いでも「斬首24万」などの記述があり、「達人伝」というマンガではこれらも捕虜を殺害したのであろうと推測している。
こうして秦一強時代を築いた白起であったが、後に秦国王との関係が悪化して死を賜った。