日本書紀演義・斑鳩炎上(いかるがえんじょう)   作:TKF

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600 第一次朝鮮出兵 その③ 演説

<演説>

 

 推古八年(600)夏、厩戸は難波宮に赴き、遠征軍の編成と将の任命を行った。

 

 総勢は一万三千、総大将は境部摩利勢(さかいべのまりせ)が命じられた。摩利勢は馬子の弟にあたる。馬子のたっての推挙によるものであった。また来目皇子、蘇我蝦夷らの若い人材らも、将来を見越して部将の一人として参加することになった。

 

 いよいよ出発というとき、来目皇子が壇上に上がり、将兵を前に静かに語りだした。

 

「その昔、神功皇后が天下を周行されたころ、皇后は朝鮮半島の民も倭国の民と変わることなくお慈しみになられた。時に新羅の王が頼ってきたのをあわれにお思いになり、命を助けたばかりか領土をお与えになって、その身がたつようにおはからいになられた。両国が互いに慈しみあうこと、このようであった。

 

 しかるに欽明の帝の世になると、新羅王はかつての恩を忘れ、武力をもって任那の地を蹂躙した。捕らえられた任那の民は足を切られた上で火をつけられ殺された。妊婦は腹を割かれて殺された。民のしかばねは任那の大地を埋め尽くし、人々の泣き叫ぶ声は天を覆った。天下の人民もみな悲しみ涙を流した。それでも欽明の帝は戦争をお望みにならず、あくまでも外交によって平和的解決を目指そうとした。

 

 時の百済の王・聖明王は、苦しむ任那の民を救わんがために、圧倒的な兵力差にもかかわらず、自ら兵を率いて任那に向かわれた。しかし、途中で新羅の待ち伏せにあって命を落とされた。

 

 聖明王の戦死を聞いた欽明の大帝は深くお悲しみになり、ついに任那に兵を発せられた。

 しかしながら時に利あらず、我が軍は戦い敗れ、多数の将兵と同行していた婦人らが捕虜になった。このとき捕らえられた婦人は、皆の見ている前で裸にされ新羅の将によって犯された。

 また捕らえられた兵の一人にイキナという者がいた。イキナは降伏を潔しとせず、最後まで新羅の将に従おうとはしなかった。新羅の将はイキナの袴を無理やり脱がせ、尻を丸出しにして、「日本の王よ、わが尻を食らえ」と叫ばせようとした。イキナは従わず、逆に「新羅の王よ、わが尻を食らえ」と叫んだ。新羅の兵にどれほど責められても叫び続け、ついに力つきて死んだ。イキナの子もまた従わず、父の屍を抱いて死んだ。

 

 イキナの妻、オオバコもまた捕らえられたが、新羅の将の求めに応じず、歌って言った。

 

 さようなら、日本よ。

 さようなら、お父さま、お母さま、故郷の人たちよ。

 オオバコは今、そちらを向いて肩布を振っております。

 ああ、韓国の城壁の上で・・・

 

歌い終わるとオオバコはそのまま身を投げて、死んだ。

 

 それから四十年の歳月が過ぎた。新羅はその間ずっと、任那の民を鉾と弓矢で支配し続けた。少しでも反抗した者は容赦なく捕らえられ、むごたらしく殺された。

 我々は耐えた。耐えて、耐え続けて、次の時を待ち続けたのだ。我々に力が、再び新羅の暴虐に、正義の裁きをくだす力が蓄えられるその時を。見よ、今ようやく倉稟は満ち、新たなる勇者が生まれ、育ち、ここにこうして集った。

 

 時は来たれり、今こそ新羅王を討ち果たし任那の民を解放するのだ。我々の父母が受けた屈辱を思い出せ。任那の民が四十年の間、受けてきた苦しみを忘れるな。天地の神々は我らとともにあり。行け、ヤマトの勇者たちよ。ヤマトに栄光あれー。」

 

 将兵の間にざわめきが広がり、やがて歓声に代わった。

「太子、ばんざーい!」

「ヤマトに栄光あれー!」

厩戸も立ち上がり、それらの声に手を振って応えた。歓声はなおも高まった。

「そうだ、任那をとりもどせ!」

「新羅王を捕らえて首をさらせ!」

「ついでに新羅の女もやり返せ!」

厩戸はあっ、と思った。思わず、(そこまでしなくてもいい)と言いそうになったが、付き添っていた大将軍・境部摩利勢が袖を引いた。

 

 宮殿の一室に戻った厩戸は無口だった。境部摩利勢はそれに気づきつつも、ことさら明るく来目皇子に話しかけた。

「お疲れさまでございます。将兵たちの士気もあがっております。」

「おう、そうか。これで新羅討伐もうまくいくだろう。」

まだ興奮さめやらぬ声で来目皇子が応じた。その横からぽつりと厩戸が言った。

「四十年も昔のことを今さら持ち出して、わざわざ憎しみをあおる必要があったのか。しかも大げさにまでして。」

「あっ・・・」

来目皇子はとまどいの色を見せて黙った。代わりに境部摩利勢が答える。

「わかっております、太子。我々のやっていることは罪づくりなことでございます。ですが今回の戦争が終わるまでは、どうかそのお気持ちはおしまいください。異国の地で、言葉で言い表せないほどつらく苦しい思いをする兵士たちには、支えとなる大義と信念が必要なのです。」

「しかし、これでは・・・」

両国がいつまでも憎しみあうことに・・・と言いかけて厩戸は口をつぐんだ。摩利勢の言うとおりであるし、そもそも戦争とはそういうものであろう。だが・・・

(いつか、このわだかまりと憎悪の応酬が消滅するように・・・)

そう願わざるを得なかった。

 

 

(その④「上陸戦」 に続く)

 




補足・解説
任那 みまな 
 日本書紀の説明によると10ばかりの小国の集合体だったらしい。
 百済・新羅の両国がこの地の領有・併合を狙っていた。

任那をめぐる争い 
 522年 百済が任那の一部を倭国に割譲要求して認められた
 530年ごろ 新羅の任那侵略が激しくなる
 541年 百済が新羅と対立し、倭国との連携を図る。
 547年 倭国から百済に武器援助
 554年 百済・聖明王が新羅に敗北して殺害される

 562年 新羅が任那諸国を完全に滅ぼす
     (本文の任那の民が虐げられたエピソードはこのときの記事による)
 同年  倭国が新羅討伐軍を送るが敗北
     (本文のオオバコ・イキナのエピソードはこのときの記事による)
 571年 倭国・欽明天皇崩御、任那復興を遺言する。よほど悔しかったらしい。
 
 583年 敏達天皇が任那復興(=新羅征討)を検討するが、日羅の進言により中止
 600年 倭国が新羅征討軍を派兵(今回のエピソード)
         ↓
     その後もいろいろな関わりが長々と続く



来目皇子の演説の内容について 
 当時の倭国と任那・百済・新羅との関係を説明しておきたく、演説と言う形で表した。
 内容は日本書紀の記述によるが、元々が日本側の認識と記録のため、新羅の残虐さや陰湿さが強調されている可能性があり、そこは小説といえども偏った誤解を生まないように、主人公の厩戸皇子が眉をひそめる感じをつけ添えた。


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