第二次朝鮮出兵 その① 隋政変(600)
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日本書紀にいう
しかしまた新羅は任那を犯した。
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<隋政変>
隋の文帝の皇后・独弧氏は現代の感覚からしても異常なほどのフェミニストであった。
彼女は文帝が他の女性に手を出すことを一切許さなかったことは既に紹介した。だがそればかりか、夫だけでなく世の中の男性一般が妾を蓄えることまで強烈に嫌悪していた。事実、朝臣の中には畜妾が知られて左遷された者が少なからずいたという。
この独弧氏と文帝の間には五人の男子がいた。そのうち長男を勇王子、次男を広王子といった。
最初に皇太子に立てられていたのは長男の勇王子であったが、次男の広王子はなんとか兄に取って代わらんことを画策していた。
588年、文帝は50万の軍を動員して南朝・陳を滅ぼし中国を統一した。このとき広王子は遠征軍の総指揮をとって、名声と軍部の支持を得ることに成功した。
さらに文帝が独弧氏に頭が上がらないのを知っていた広王子は必死に独弧氏に取り入った。あるとき、兄の勇太子が秘かに妾を蓄えているのを知った広王子は、これを母親の独弧氏に告げ口する。逆上した独弧氏は勇を廃嫡した。こうして広王子は念願の皇太子の地位を手に入れることができた。600年のことであった。
<新羅背反>
同じ600年の新羅――、倭軍がひきあげてから数日の間、真平王はふさぎこんでいた。
もう済んだことではあるが、やはり任那の六郡は痛かった。だがあの支配権を手放さねば、今頃は倭国や他の国々と不毛な消耗戦を続けていたであろう。それはわかるが、それでも心の中に苦いものが残る。あれらを手にするためにどれぐらい辛苦をなめてきたことか・・・
「とにかく今は耐えるのだ。いずれまた風向きが変わるときがくるはず・・・」
側近らは真平王のそのような雰囲気を察して、あまり近づいて来ようとはしなかった。自然、無口な日が続いた。
そんなとき隋に遣わせていた使者が帰国した。何かよいニュースでもないものかと、真平王は淡い期待を抱きながら、その使者の報告を聞いた。
「ご苦労であった。隋で何かかわったことはなかったか?」
「はい、文帝は変わりございませんが、皇太子が代わりました。」
「なに・・・?」
「長男の勇太子が廃されて、代わりに次男の広王子が皇太子に立てられました。」
「どういうことなのだ!、知っている限りのことを詳しく話すのだ!!」
使者は真平王が何をそんなに興奮しているのか、不思議に思いながらも、隋国内で集めてきた情報を伝えた。
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新羅紀にいう
600年、高僧の円光が遣隋使に随って帰国した。
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聞き終えた真平王が言った。
「案外早かったな。おれはついている。」
はあ、という顔をした使者をよそに、真平王が立ち上がり叫んだ。
「群臣を集めろ。会議を開くぞ。」
先ほどまでとは全く違って生き生きとした真平王の様子に側近らは首を傾げた。
「天は新羅に味方した。早速、六郡を取り返すぞ。」
その真平王の言葉に群臣は首を傾げた。
「隋で政変が起こったとはいえ、皇太子が長男から次男に代わっただけで、文帝は健在でございましょう。状況がそれほど変化したとは思えませんが・・・?」
「いや違う。そのような事件が起こるということは、文帝の判断力が完全に衰えているということだ。長男にも次男にも愛人がいることは我々だって知っていた。そして長男と次男を比べれば、長男の方がまだ素直でましであるし、陰湿な次男に継がせれば国が亡ぶ。そういうことを文帝がまったく理解できていない。痴呆がすすんでいるのだろう。おそらくすでに文帝は王族や朝臣に見限られ、求心力を失っているはずだ。隋の決定権は皇后と新しい皇太子に移ったと見てよい。」
「それはそうかもしれませんが、それでも新しい皇太子が対外積極策に転ずる確証はございません。」
(バカだな・・・)
なぜこいつらはこうセンスが欠けているんだろう、とつくづく思う。もともと二代目、三代目というのは、派手な海外遠征をやりたがるものなのだ。父親の業績を越えたいという欲望、いや本能があるからである。そしてまた不自然な即位をした者も派手な業績をあげたがるものだ。そうすることによって、社会および自分自身を納得させねばならないからだ。広王子はそのどちらにもあてはまっているではないか。そういうことを真平王は説明するのもめんどうくさくなって、ただ言った。
「広王子は自分が権力を握るためには兄を追い落とすほどの野心家だ。隋は近いうちに必ずや周辺国の制圧に乗り出す。つべこべ言わずに私の判断を信じて軍を召集しろ。」
それから一月後、秘かに集結を終えた新羅軍が任那になだれ込んできた。同時に任那に駐留している新羅軍も反乱を起こす。このまさかの新羅の背反に、任那六郡に駐屯していた倭軍は対応できず、ろくな抵抗もできずに筑紫へと逃げていった。任那全土は再び新羅の支配するところとなった。
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(再掲)日本書紀にいう
しかしまた新羅は任那を犯した。
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(その② 「境部摩利勢解任」に続く)
補足・解説
独孤(どっこ)氏
隋の初代皇帝・文帝の正妻。非常に気位の高い女性であり、文帝は彼女を恐れるあまり他の女性に手を出すことができなかった。
もともと文帝の出身の家柄は彼女のそれよりも下であった。現代風に言えば、重役の娘を娶って、その力を背景に社長にまで上り詰めた関係をイメージすればよい。
広皇子
文帝の次男であり、即位して2代目皇帝・煬帝(ようだい)となる。
無理な対外遠征を繰り返して隋を滅亡に導いた。