<境部摩利勢解任>
新羅背反の報せを受けたヤマトの人々は新羅を憎んだ。特に朝鮮から引き揚げてきたばかりの遠征軍の将兵は憤った。
「だから言ったではないか。境部摩利勢の言うことを聞いて新羅を赦したのが間違いであったのだ。」
「この上は再び新羅を攻撃しよう。新羅という国を地上から抹殺しないかぎり平和が訪れることはあるまい。」
これらの声を受けて来目皇子が厩戸に奏上した。
「新羅の暴虐をこれ以上許してはおけません。もう一度、軍を返して新羅を攻めたく存じます。ですが、その前に境部摩利勢どのを大将軍から解任していただくようお願いします。」
「摩利勢はよくやってくれているし能力もある。解任するには惜しい。」
「境部摩利勢どのの将軍としての能力は私も高く評価しています。ですが今回の判断ミスの責任はとっていただかなければなりません。」
「うむ。だが推薦した大臣の手前もある。少し時間をくれ。」
「わかりました。よくお考えの程を。」
来目皇子が退出するのを見計らって境部摩利勢が現れた。
「太子よ、迷うことはありません。私に構うことなく解任してください。」
「摩利勢よ、今回のことはお前には何の責任もない。気にしなくてよい。」
「ですが、私を解任してくださらないと、太子の責任となってしまいます。それだけは避けねばなりません。」
「だが・・・」
「そもそも今回の遠征の目的を太子はお忘れでしょうか。私ごときに心をかけてくださるのはありがたいですが、そのために大義をおろそかにしてはなりません。」
「いや・・・、そうだな。すまぬ、お前一人を悪者にしてしまったな。」
「お気になさいますな。これも大将軍たるものの役目のうちでございます。」
摩利勢が出ていったあと、厩戸は馬子を呼んだ。
「太子よ、摩利勢のことでございますな。」
「大臣よ、すまぬ。摩利勢を解任しないとどうにも収まらなさそうだ。」
「何も問題ありません。摩利勢も納得していたでしょう。」
「いや、それでも惜しい人物を失うことになる。これからの時代に是非とも必要な人材であるのに。」
「それも、今回の成功と引き替えならばいたしかたありませぬ。」
”成功”という言葉に、厩戸はおや、と思った。
「大臣よ、気をつかっているのだろうが、今回の遠征は明らかに失敗であろう?」
「いえ、成功です。太子の政治的実績を積むことができました。」
「結局は何も成果が残らなかったではないか。」
「もともと成果は期待していませんし、そもそも実績と成果とは違う言葉でございます。」
「どう違うのか。」
「一言で言えば、他人の仕事を評価するのに、中から見たのが実績であり、外から見たのが成果であります。」
「なんだ、それは?」
「本来の言葉の意味をいえば、“実績”とは紡ぎ上がった糸の量を表し、“成果”とは実った果物の数量を表します。」
「同じではないか。」
「いえ、まずここに糸を紡ぐ作業場があって、そのオーナーと使用人一人がいたとします。糸の生産量は使用人の働きに比例しますから、オーナーは、紡ぎ上がった糸の量を見れば、使用人がどれだけ働いたかをだいたい把握することができます。もしオーナーが使用人に報酬を与えるとしたら、その働きに応じた量を支払うのが普通です。あるいは糸の価値が暴落して収益がなかったとしても、オーナーはその作業場の士気を維持するために、やはり労働量に見合った報酬を使用人に支払います。このような報酬の与え方を実績主義といいます。」
「うむ、当たり前のように聞こえるが、成果主義の方はちがうのか?」
「はい、ここに果樹園があったとします。果物の生産量は、人の働きだけでなく、天候、場所などの環境条件によって大きく左右されます。そのためオーナーは、実った果実を見ても、使用人の努力や苦労がどの程度であったかがわかりません。そこでオーナーは、ただその実を売ればいくらになるか、という観点のみから報酬を考えます。このような報酬の与え方を成果主義といいます。」
「つまりは、費やした労力ベースでの評価が“実績” で、上がった収益ベースでの評価が“成果”というわけだな?」
「そのとおりでございます。」
「しかし、実績をいくら積もうとも、成果がなければ、自分はともかく、他人を満足させることはできないであろう?」
「今の満足だけを考えるならばそうでしょうが、信頼、つまりは未来への期待を考えるのならばそれは異なります。そもそも成果は変動しやすく、また状況と理屈によって、本来とは別の者に帰属させられることもあります。ゆえに『成果をあげた者』が来年も成果をあげるかどうかはわかりません。それに対して実績は変動しにくく、また他者に帰属させることもできません。よって今年実績を積んだ者は、来年もそこそこの実績を積むはずであり、つまりはリスクが少ないということになります。それゆえに通常、人が人を信頼して用いるのは、成果ではなく実績によるのです。」
「なるほど、未来への期待か。」
「例をあげますと、年によって豊作だったり凶作だったりしますが、それは天気次第のところが多く、実りが多くとも少なくとも民はそれを太子のおかげとは思わないでしょう。一方で、民に技術や知識を教え裁量を与えてやりがいを持たせる、争いやいざこざを取り除いて働きやすい環境を整える、こういったことを5年も続けていれば、実りの多少に関わらず、民は太子をそういう人なんだと理解し、信頼するようになるでしょう。それが実績というものです。」
「なるほど、よくわかった。それにいいことを聞いたぞ。摂政というのは民に信頼されて用いてもらうものなのだな。」
「そのとおりでございます。摂政ばかりでなく、大王も大臣もすべて”役割”でございます。小人がそのような役職につきますと、自分が偉い何者かと勘違いして尊大ぶりますが、所詮は社会に必要な仕事を役割分担しているにすぎません。役職が上の者は、下の者に常にその役割と権限にふさわしい人物かどうかをチェックされていると心得なければなりません。その立場を忘れる者は地に足がつかなくなり、必ずや失脚するのでございます。」
「うむ、肝に銘じておくことにしよう。」
厩戸はようやく晴ればれとした気分になった。
「それにしても摩利勢には悪いことをした。どうか大臣の方でよくしてやってくれ。」
600年12月、境部摩利勢は大将軍を解任され朝廷から逐われた。人々は境部摩利勢は新羅から賄賂を受け取っていたのだ。だからこうして処罰されたのだ、そう噂しあった。
補足・解説
境部摩利勢の噂について
日本書紀623年の記事に、「以前の600年の遠征において、境部摩利勢らが新羅から賄賂を受け取ったという噂が流れた」、と記されている。筆者的には日本書紀の他の部分からの記述からみて、これは虚偽であろうと判断している。
<筆者注釈>
今回は境部摩利勢の解任についての話である。
この話は、日本書紀その他に元となった記述があるわけではなく完全な創作話ではあるが、この時代(大和時代後半)における「シビリアンコントロールの喪失という観点で歴史の流れをとらえていくと、この境部摩利勢の存在や言動がけっこう重要な意味を持つため、あえて1話分を補間的に継ぎ足したものである。
ちなみに先の話を言うと、この30年後、推古天皇が崩御した後、山背皇子(=厩戸路線(国連主義)を継承)と、田村皇子(のちの舒明天皇、中臣氏ら軍事氏族の支持を受ける)の後継争いが起こるのだが、大勢が田村皇子を支持する中で、境部摩利勢は山背皇子を支持して抵抗したため粛清されてしまうことになる。つまりはそういう人間であり(=自分の信念と理想に殉ずる)、賄賂大好き人間ではないだろう。
厩戸皇子は、600年の遠征により、名声と実績を得ることができたものの、境部摩利勢を失う事になり、これが後々の世にとって大きな禍根となる。まさに何かを得たければ、何かを失わなければならない、ということである。