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聖徳太子伝歴にいう。
崇峻5年(592)2月、崇峻天皇はひそかに太子にたずねた。
「天は貴く、地は卑しい、・・・云々」と。
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<厩戸皇子からの提言>
それから数日たっても馬子は出仕してこなかった。馬子といっしょに出ていった者たち(主に東国の国王たちであったが)も、国連会議を無視して自分の領国に帰ってしまった。
「大臣は東国と組んで、秘かに挙兵を企てているのではあるまいか。」
そのような噂もあって、人々は落ち着かなかった。
崇峻は平然としていた。自分は間違っていない、悪いのは大臣だ、と。ふと見回すと厩戸皇子が立っていた。ちょうどよいとばかり崇峻は尋ねてみた。
「厩戸皇子よ、英明との評判の高いそなたに尋ねたい。天は高く地は低い。君主は尊く臣下は卑しい。これは不変の定めである。しかるに蘇我の大臣は朕をないがしろにし、勝手気ままにふるまっている。こんなことが許されてなるものか。」
「おっしゃるとおりでございます。大臣はおごりたかぶっているところもあるでしょう。しかしながら聖人君子とて時には誤るものです。大臣も人の子ならば、誤ることもございましょう。また君主には忍耐と寛容の心が大事でございます。どうか陛下は大臣の過ちをお許しになり、和解され、大臣の言い分を聞いてみるのがよろしいかと存じます。」
「何を言うか、あんな男と和解なんかできるか。」
「しかし、大臣の協力がなければ王国も連合もうまくたちゆかなくなります。これまでの大臣の功績に免じて、どうかお許しくださりますようにお願い申し上げます。」
「大臣に功績などあるか。あんなものいなくてもいい。もともとあれの顔を見るたびに朕はうっとうしい思いをしてきた。いなくなってせいせいした。ついでに大臣を罷免してしまおう。」
「大王のお気持ちお察しします。ですが、蘇我氏の勢力は強うございます。どうか、くれぐれもお言葉は慎重になさいますように。」
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聖徳太子伝歴にいう。(再掲)
崇峻5年(592)2月、崇峻天皇はひそかに太子にたずねた。
「天は貴く、地は卑しい、・・・云々」と。
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厩戸皇子が下がって行った後、崇峻は考えこんだ。厩戸皇子の言うとおり蘇我氏の力は強い。ただ対立しても自分が危うくなるばかりである。
だが、もともと蘇我氏の勢力は飛鳥の渡来系豪族を傘下におさめて、先進文化と技術を独占したところにある。それらがなくなればよいのだ・・・
<東漢駒の抜擢>
ちょうどそのころ、ある者が、崇峻に一人の男を推薦した。名を東漢駒(やまとあやのこま)という。飛鳥の渡来系豪族の中でも最大を誇る東漢氏の者であった。
東漢駒の人を射抜くような目つき、他人を圧迫する威圧感を崇峻はすっかり気に入った。剣も凄腕という。
「明日からは宮殿警固の任を与える。余の側に直々に仕えよ。うまくいけば高位と富をさずけよう。」
翌日の国連会議にて、崇峻の脇に駒が侍立しているのを見た参加者は目を見張った。ようやく出兵の準備が動き出した。
(その④「出兵」に続く)