日本書紀演義・斑鳩炎上(いかるがえんじょう)   作:TKF

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物語を理解してもらうため、まず最初に、今回の話に関係する史実を紹介したい。

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<関連史実>
600年2月 倭国が新羅に出兵し、任那復興を認めさせた。  ←前章
     この年、隋で皇太子廃嫡         ←本章①隋政変
 (秋?)新羅が背反  
                         ←本章②境部摩利勢解任        
     この年(5月)、百済・武王即位      ←本章③三国同盟(今回の話)

601年2月 斑鳩宮を建設開始      
   3月 高句麗と百済に使者を遣わせた
   9月 新羅からスパイが来たので捕まえた
   11月 新羅を攻めることを計画した

602年2月 来目皇子を新羅征討の総大将として、2万5千の兵を預けた

       (後略)

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 新羅が条約違反して、それに対して再び出兵を企画する、という流れである。
 日本書紀には書いていないが、602年には百済が、603年には高句麗が新羅に攻め込んでおり、常識的に考えると三国(百済・倭・高句麗)の共同作戦であったのだろう。

 そして三国共同作戦であったことを押さえると、ようやく601年の記事「高句麗と百済に使者を遣わせた」、「新羅からスパイが来た」などの意味がわかる。どのタイミングでどの国がどれぐらいの兵を出すか、の調整に非常に時間がかかったのと、それを新羅が探ろうとしていたということである。

 日本書紀にはこんな感じで、記事の背景とかは何も書かれていないため、それだけだと何の意味があるのかがわからない。そこを別の資料を踏まえながらストーリーをつくってやっているのが本小説を作成している目的である。いうなれば日本書紀に注釈をつけてやる仕事をしていると思ってくれていい。
 
 で、今回の話は、百済・武王が即位して、三国共同作戦の話が整っていく流れを描いてみた。
 ということで、前置きはこれぐらいにして、小説パートに入りたい。
 



第二次朝鮮出兵 その③ 三国同盟 (600冬)

百済・武王即位

 このころ百済では、国王の薨去が相次いでいた。

 598年の隋の高句麗遠征で大いなる失態を演じた威徳王はその年の十二月に死亡。次の恵王も在位一年で死亡、さらにその次の法王も一年で死亡した。つまりは三年間で三人の王が死亡したということである。

 その後をついで600年5月、武王が即位した。百済紀には「容姿が優れていて、志や気力も衆に優れていた」と評されている。その武王の即位の直後に、倭国が新羅と戦争して任那を取り返し、さらに新羅がそれを取り返すという事件がおこった。このとき武王も戦争に参加したく思ったが、相次ぐ王の交代による混乱もあって動くことができなかった。

 

 そうして冬になり、百済国内がようやく落ち着きを見せ始めたころ、武王は倭と高句麗に使者を向かわせた。三国で共同して新羅を攻めようというのである。

 

倭国、議論

 この百済・武王からの提案にヤマトは沸き立った。

「これぞ待っていた天の声です。百済とともに新羅を討ちましょう。」

声高にそう主張したのは来目皇子であった。

 

 厩戸はあまり気乗りがしなかった。もちろん今回の新羅の行動には厩戸も非常な腹立ちを覚えている。しかしこんなことを続けていてもきりがなかろう。こちらが出向けば屈し、帰ればまた背く、その繰り返しである。それに昨年までならともかく、隋の姿勢が変わった今では新羅を屈服させることも難しいのではなかろうか。

 

「だからこそです。」

と来目皇子は言った。

「隋の文帝がいなくなって広皇子が完全に朝廷を掌握すれば、すぐにでも新羅と組んで高句麗と百済を滅ぼしにかかるでしょう。そうなれば手遅れです。その前に是が非でも新羅を滅亡させなければならないのです。」

 

「滅亡・・・?」

無理だな、と思う。国を一つ滅ぼすというのはそんな簡単な話ではない。新羅には数百万の民がいるのだ。

 厩戸はそう言ってやりたかったが、来目皇子の後ろに続く面々をちらっと見て、慎重に言葉を選んだ。

「ヤマトと百済と高句麗が共に力を合わせれば、新羅軍をうち破ることは可能であろう。出兵には反対ではないが、武王という者がどれほど信用できるかまだわからぬ。それに高句麗と百済の間もわだかまりがあるから、高句麗が乗ってくるのかも不明だ。しばらく考えさせてくれ。」

 

 館に引き上げた厩戸は慧聡に聞いてみた。

「百済の武王より使者が来ている。武王とはどのような人物だ?」

「非常に勢いのよい人物です。」

慧聡はそう答えた。

「ただ自らの力を恃みにするあまり、まわりが見えなくなることがよくありました。私がいない間に少しは変わっているかもしれませんが。」

「あせりすぎでございますな。」

と、吉士磐金が口をはさむ。

「武王は即位したばかりで百済の国内すら完全に掌握してないはずです。対外的な信用はなおさらです。今の時期にこのような大作戦を計画したところで、どれほど実のあるものになることやら。慧聡どのの言われるとおり、周りが見えていないのでしょう。」

「確かにな、、、自分や自国が国際社会からどのように見られているか、信頼されているかどうかが、あまり見えない人のようだ・・・だとすると高句麗はどうするのかな。」

その厩戸の言葉に、周りの者たちは慧慈の方を振り返った。やむなく慧慈が口を開いた。

「高句麗にとって新羅征伐は魅力的ですが、同時に百済に利用されることを強く警戒するでしょう。百済には貸しはあっても借りはないですから。なので、まず百済に出兵させて、百済優勢を確認してから自身も出兵、ということになるでしょう。」

「なるほど。そこは我々も同じであるな。」

 

 厩戸が側近らとそのような話をしているときに、馬子がやってきた。ちょうどよいと思って馬子にも考えを語らせた。

「今のヤマトの激情を封じ込めるのは、損な役割であり得策ではありません。むしろ私はこの機会を利用して、太子の権限を強化することを考えております。出兵する方がよいでしょう。ただしあくまでも百済主体というのが条件です。」

「なるほど、大臣もそういう考えならばよかろう。しかしそうなると、三国のどこも主体的に戦おうとせず、共同作戦自体がなくなるのではないだろうか?」

「そうなる可能性はありますが、我々も高句麗も積極的に前に出ないとなると、百済が前に出ざるを得ないでしょう。武王は百済国内での地位を確かにするためにも、何か華やかな実績が欲しいでしょうから。」

「ああ、前年の我々といっしょだな・・。」

 

 方針が決まったところで厩戸は散会を命じ側近達は引き上げていった。だが馬子はなかなか立ち去ろうとはしなかった。

「もう一つ、お耳にいれたいことがあります。どうかお人払いを。」

「ほう、慧慈、慧聡にも言えぬ事か。」

「お二人の人格を疑っているわけではありません。ですが、お二人は聞かない方がよろしいはずです。」

「大臣のおっしゃるとおりでございます。我々はヤマトの裏にまで関わるつもりはございません。少し離れておきましょう。」

二人の足音が遠ざかったのを確認して、厩戸が尋ねた。

「どうしたのだ、大臣。」

「来目皇子のことでございます。お気づきでしょうが、来目皇子は危険でございます。十分に注意してつきあってください。」

厩戸は無言でうなずいた。

 

 601年正月、ヤマト朝廷は百済の提案に対し1年後の出兵を約束した。遠征軍の規模は2万5千と決まった。

 

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日本書紀にいう

 602年2月、久目皇子を新羅攻略の総大将として、軍兵2万5千を授けられた。

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(続く)

 

 

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