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<関連史実>
600年2月 倭国が新羅に出兵し、任那復興を認めさせた。 ←前章
この年、隋で皇太子廃嫡 ←本章①隋政変
(秋?)新羅が背反
←本章②境部摩利勢解任
この年(5月)、百済・武王即位 ←本章③三国同盟
601年2月 斑鳩宮を建設開始 ←本章④斑鳩宮建設着工(今回の話)
3月 高句麗と百済に使者を遣わせた
9月 新羅からスパイが来たので捕まえた
11月 新羅を攻めることを計画した
602年2月 来目皇子を新羅征討の総大将として、2万5千の兵を預けた
(後略)
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ようやく本小説のタイトルでもある「斑鳩(いかるが)」の名前が歴史上に登場する。
ここで建設開始された斑鳩宮が、この後40年間、倭国の政争の震源となり続ける重要な場所なのであるが、日本書紀にはいつも通り何の説明もないので、その背景とか目的とかは読む側が考えてやる必要がある。
そして、まず私の推測の結論から述べると、斑鳩宮の建設目的は「国連軍総司令部」であろう。
何といってもこの時は「朝鮮半島への2万5千という史上最大規模の派兵を準備中」であり(多少は誇張が入っているかもしれないが)、当時の倭国の国力からいえばかなり無理をした動員であり(参考までに後の白村江の戦いでは2万7千)、そのための兵糧の集積、道の整備、駐屯基地や中継基地の建設なども必要になるだろうから、気まぐれで新都建設なんてしている余裕はないはずであり、それよりも斑鳩宮建設もまた軍事目的であったと考えた方がしっくりいく。
では、なぜ国連軍総司令部が、今まで通りの飛鳥ではなく、新しく斑鳩に置かれたか、ということについては、前書きが長くなったので次回で説明することにしたい。
中臣方子
601年春、年が明けてもまだ倭国連合では、遠征軍に関する議論が続いていた。
遠征軍の総大将については、馬子が葛城烏奈良(かつらぎのおなら)を推薦したが、これに中臣方子(なかとみのかたのこ)が猛然と反対した。
「これほどの規模の軍を、どこかの一氏族の者が率いるのはよくありません。太子自らが軍を率いられるべきです。」
中臣方子はこのときの中臣氏の氏上(頭領)であり、また倭国連合の大連(=おおむらじ、常任理事国のよう存在)でもあった。物部守屋の敗死以来、国連における大連の求心力は低下していたが、それでも中臣氏は別格の存在として依然、多大な影響力を有していた。
その中臣方子の反対に対して厩戸が応じた。
「前回は境部摩利勢が率いたではないか。」
「数が違います。二万五千というのは倭国連合が出しうる最大の遠征軍であります。当然、太子が率いられてしかるべきです。」
「しかし私は国連の統率のほかに、ヤマト王国内でのお役目もある。遠征は難しい。」
「ならば太子の弟君の来目皇子を代理としていただきたく存じます。」
それはならぬ、と動きかけた厩戸を馬子が目で制した。代わりに馬子が発言した。
「中臣方子の言い分、もっともである。今回は倭国連合の命運をかけた大事な遠征である。太子に軍を統率してもらうことにしよう。ただし太子はお役目もあるから飛鳥を遠くは離れられぬ。斑鳩の地は飛鳥にも近く、また軍需物資の集積にも便利な地である。ここに参謀本部をおいて太子に全体の統率をしてもらい、前線には代理として来目皇子に行っていただくことにする。それでよろしいか。」
「願いどおりでございます。」
「謹んで拝命し倭国連合のために全力をつくします。」
中臣方子と来目皇子はそういって拝礼した。
散会後、厩戸は馬子に言った。
「来目皇子に気をつけろといったのは大臣ではないか。なぜあんなことを言ったのだ。」
「同時に太子も軍権をにぎられました。軍権というのは最も単純原始的で、それゆえに強力な政治力でございます。」
「しかし実際に兵を率いるのは来目皇子だ。危険ではないのか。」
「確かに危険は伴います。ですが、すべての国や氏族が来目皇子や中臣氏の思想に賛同しているわけではございません。兵站と指揮権さえしっかり握っておけば、彼らも勝手なことはできないでしょう。」
「それで斑鳩を抑えるように言ったわけか。」
「はい。それと軍の一部は遠征させず、予備軍として斑鳩に残しておく必要があります。」
「それは?」
「遠征軍が開き直って反乱をおこしたときの備えとなります。また予備軍の存在によりヤマト王国への影響力を強化できますし、いざというときには飛鳥に進軍して遠征軍の将の家族を人質にとることもできます。」
ああ、と思いながら、厩戸はいやな気がした。自国の将の家族を人質にとることを考えなければならないとは・・・これも政治というのか。
そんな厩戸の表情を見ながら馬子が続けた。
「何も好きこのんでそのような手段を用いるわけではありません。そういう手段を残しておくことによって、反乱する気をなくさせるだけでございます。」
「そうか。」
「太子は斑鳩に残しておく氏族を選んでいただきたく存じます。太子に忠節を尽くし、来目皇子と中臣の息がかかっていない者がよろしいでしょう。」
「それならば秦河勝(はたのかわかつ)がいる。それと大伴咋(おおともくい)、葛城烏奈良も大丈夫であろう。」
「大伴咋には遠征軍に加わってもらおうと思います。軍事に関して中臣氏と対抗できる氏族が一人はいた方がいいでしょう。」
「ならば、河勝と烏奈良の二人だな。」
「少のうございますな。二人の手勢を合わせても二千に届きません。遠征軍の規模を考えるとせめて三千は必要です。」
「摩利勢がいればな・・・、今さら仕方ないが。」
そう言いつつ、厩戸は目を閉じてもう一度、自分の側近を一人一人思い出していた。吉士磐金、吉士雄成は外交官だし、慧慈慧聡は僧だし、妹子は小豪族すぎる。その他の者も年若すぎて兵を率いるには至らない・・・
ちょうどそのとき、家人があわてふためきながら駆けてきた。
何事か、といぶかしむ厩戸に、その家人は青白い顔をして言った。
「申し上げます。ただいま、粟原(あわら)とか名乗る者が『太子に申し上げたいことがある』と言って門前に来て騒いでおります。今、警備の者を集めているところです。」
「それだっ!、粟原がいた。」
驚き戸惑う家人に、厩戸が続けた。
「心配いらぬ。古い友人だ。ここに案内してくれ。」
「天の配剤ですな」と、馬子も応じた。
尾張粟原
家人に案内されて粟原が入ってきた。同じ東国でも尾張人は蝦夷人と違って、比較的毛が少なく扁平な顔立ちをしている。どちらかというと渡来人に近い。それでも東国特有の粗野で武骨な雰囲気を持っていた。まして粟原の顔には数カ所の刀傷がある。家人が勘違いしておびえるのも無理はない。
「粟原よ、家人が騒ぎ立ててすまぬな。先年の遠征ではご苦労であった。」
「その遠征について、申し上げたきことがあって参上いたしました。」
「うむ、申してみよ。」
「われわれ東国の者にとって、筑紫や朝鮮ははるか遠隔の地でございます。すでに近年二回の兵役を勤めております。また来年もというのは負担が重すぎます。」
聞いた厩戸と馬子が目を合わせてうなずきあった。
「よし、わかった。粟原よ、それならば、来年の役は予備軍としてヤマトの地で待機するのではどうか。」
栗原がびっくりしたように見上げた。
「それならばずいぶん負担が軽くなります。そうしていただくとありがたく存じます。」
「よし、決まったな。栗原よ、来年の春には東海兵二千を率いて、斑鳩に来るようにせよ。」
「確かに承りました。」
わけのわからなそうな表情をしつつ、太子の気がかわらないうちにと、栗原はそそくさと退出していった。それを厩戸と馬子は笑いながら見送った。
2月、斑鳩の地に参謀本部の建設が始まった。会議室のほか、大広間、練兵場、倉庫群、外国の使者の接待使節なども兼ね備えた参謀本部は、さながら一つの政庁のようであった。
補足・解説
斑鳩
飛鳥の北西20kmのところにある地。聖徳太子の時代に斑鳩宮が建てられた。現在、その跡に法隆寺がある。
連(むらじ)
基本的には地方王国の長であり、連にとってはヤマト王家は主君ではなく盟主にあたる。広域暴力団の組長がヤマト王家で、その傘下の各暴力団が連と思えばいい。
この連の中でも特に強力だったのが物部連、中臣連、大伴連、尾張連の4つであり、これらを連の中でも別格なものとして大連(おおむらじ)と呼称することもあった。ただし、本小説の時期には物部連は没落している。
臣(おみ)
ヤマト王国の有力家臣のこと。ヤマト王家とは君臣関係となる。
(例:蘇我臣、葛城臣、境部臣・・・・)
臣の中でのトップを大臣(おおおみ)といった。この時期は蘇我本家が代々大臣を務めている。
倭国連合(わこくれんごう)
ヤマト王国を盟主に西日本の王国を構成員とする国家連合体。
本小説では単に国連と呼ぶこともある。
この時点ではヤマト王国の厩戸皇子が事務総長(摂政とよぶ)を務めていた。