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日本書紀にいう。
崇峻五年(592)十月、猪をたてまつる者があった。天皇は猪を指さしておっしゃった。
「いつの日かこの猪の頸を斬るように、自分が憎いと思うところの人を斬りたいものだ」、と。
このころ朝廷で武器を集めるのが、いつもとどうも違っていることがあった。
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<猪の首を斬るように・・・>
秋になり、まもなく1年がたとうとしていた。
新羅からはまだ何も譲歩が得られなかった。また蘇我馬子大臣も、未だに出仕してこようとはしなかった。
ちょうどこのころ、大王に猪をたてまつった者があった。猪の図太い首や胴体、ふてぶてしい顔つきをみて、崇峻はまたあの男のことを思い出していた。
「この猪の首を斬るように、あの憎たらしい男の首を斬ってやるときが待ち遠しいものだ。」
そういいつつ、崇峻は猪の首のところに刀をあてて、ニヤッと笑いながら周囲を見渡した。群臣たちはうろたえつつ、黙って目を伏した。崇峻は満足であった。
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日本書紀にいう。(再掲)
崇峻五年(592)十月、猪をたてまつる者があった。天皇は猪を指さしておっしゃった。
「いつの日かこの猪の頸を斬るように、自分が憎いと思うところの人を斬りたいものだ」、と。
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崇峻のこの言葉はすぐに朝廷の内外に広まった。噂を聞いた厩戸皇子は嘆いた。
「何と軽はずみな事をおっしゃるものだ。大王は、国とは何か、ということをまるでわかっておられぬ。」
天を仰ぐと、冬の夜空に惑星が怪しく瞬いていた。
「禍、これより始まるべし…」
思わずそうつぶやいていた。
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聖徳太子伝暦にいう
(崇峻の言葉を聞いて)太子は非常に驚き、「禍はこれより始まります」と奏上した。云々。
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このころ、朝廷内の武器庫にちょっとした異変があったが、気づいたものは少なかった。
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日本書紀に言う、(再掲)
このころ朝廷で武器を集めるのが、いつもとどうも違っていることがあった。
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<鈴鹿関>
畿内と東国とを隔てる鈴鹿山脈の山中に、鈴鹿関という関所が設けられている。宮殿で崇峻が猪をののしってから数日の後、その鈴鹿関に荷駄隊が近づいてきていた。
「東国が朝貢だと?」
関守が驚く。東国の国王たちが蘇我大臣と組んで、大王と反目していることは関守たちも知っていた。
(どうしてこんなときに…)
そう思うのが当然であった。
「とにかく調べさせてもらおう…例年よりだいぶ多いのではないのか。」
「前のことがあったから、大王の許しを請うために多めにしてあるのだ。」
と、荷駄隊の若い隊長が答えた。
”入り鉄砲に出女”という関の役割は古代でも変わらない。関守は慎重に荷駄を検査し、武器らしきものがないことを確認してから通行を許可した。
荷駄隊は鈴鹿峠を越えてなおも進んでいった。
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(その⑥「東国からの調」につづく)
補足・解説
鈴鹿関(すずかのせき)ヤマト国と東国との国境地点にある関所。律令制の下で本格的に整備されるのはもう少し後だが、この当時にも当然、国境監視施設みたいなものが存在したであろうと推測した。