軽口交わして 本音零した
時刻は大体午前中。俺は庭に立って、上も下も青の世界をぼんやりと眺め待っていた。
「ただいま。」
いつの間にか、君は俺の隣に立っていた。半袖シャツと黒いスカートの学生服で。
「お。今年は早かったね。」
「誰かさんがフォーミュラカーにしやがったせいでね。」
ちらりと奥の棚に視線をやった。竹輪のタイヤを履いた胡瓜のF1カーが、白い平皿の中に鎮座していた。
「ちゃんと来れたようで何より。」
「精霊馬ってそんなフリースタイルじゃないでしょ。去年だってさ、ロケットだったじゃん。」
「ファルコン9ね。」
「また死ぬかと思ったよホント。」
「ちゃんと軟着陸できたからよくない?」
「そういう問題じゃない。」
竹串とはんぺんで専用の発射場まで作ったのに。
「で、また上がったの?潮の匂い近いね。」
「今年に入ってから三十八センチ。去年から六メートルは上昇してきてる。」
「うぇ〜、都心はもうヴェネツィア並だね。」
眼下に広がる水面を見下ろして、ため息を零した。
今から八年前、未曾有の海面上昇が発生した。原因は今日に至っても未だ不明。天災に該当する様なものだから、人類は慣れることを余儀なくされた。
それはちょうど、かつて同級生の友人だった君が死んだ年と重なる。死因は軽自動車との交通事故。下校中だった。
ここからが本題。一番の不明な事象は、このように何故か毎年お盆になると俺の家に帰ってくる。今になっても謎。
相変わらずおちゃらけた調子だから、未練があるのかないのか分からない。従って、原理の解明もできない。スピリチュアル相手に理論は通じないか。なんかこう、じゃんけんみたいな相性で。三つ目は馬鹿。
「ふー、やっぱ夏と潮が混ざった匂いはいいね。帰省の懐かしさを味わえる。」
「帰省ってか帰世?」
「山田くーん、座布団一枚見せてあげて!」
「くれないんかい。」
初めは幻覚か何かだと思ってたが、しっかり一週間居座られた頃には信じざるを得なくなった。
翌年にふざけて精霊馬を原付にしてみたら、君は「人生で初めて法定速度超えた」と言って帰ってきた。テーブルにあった胡瓜の原付を一度も見ていないのに。俺はとっくに理解を諦めた。
「もうここらで残ってるのは俺くらいだ。」
「立地の標高が高くて良かったね。」
「この勢いだったら、今年中には庭も浅く浸かりそうだよ。」
世界はまさに、母なる海へ帰らんとする崖の上のって感じだ。ここはまだ浅瀬すぎてシーラカンスはおろか、小魚すら泳いでないけど。
「さて、暇だよ。なんか話して。」
「……Goodbyeの語源はGod be with yeって言うやつ。」
「ダメー」
「ダメかぁ。」
「もう答え出てるもん。」
君は死人のくせに口あり。しかも減らない。
「逆にさ、なんかないの?」
「あるにはある。」
「じゃあ最初からやっ……」
「そぉーれ!」
どんと俺は背中を突き飛ばされ、水面に顔面から突っ込んだ。
否応なく全身ずぶ濡れ。水を吸ってしみっしみの服に不快になりつつも、よたよた陸地に上がる。
「それがやりたいことかよ!」
「さらにもう一発!」
「待っ……」
ばしゃあ
「ぶは!」
「天丼芸は案外好きだよ。」
ばしゃあ
「そんなん知っ……」
「溺れ死にそうになってきた?」
ばしゃあ。
「殺してやろうか…!」
「あは、どうやって?」
「溺れるところだったんだぞ。」
「ふふふ、ごめんごめん。でもまぁ、元気そうでよかったよ。」
憤る俺をよそに、君は少し困ったような、笑ってるような、呆れてるのかもしれないような複雑な顔で謝った。
四回も突き飛ばされたら、そら怒る元気も沸くわ。いつまでも学生気分なやつめ。
「ずっと学生だもん。」
「読むな。」
「顔に書いてた。」
「黙読しろ。」
「どっちさ。」
帰りの茄子に期待しておけ。この世の景色を堪能する暇なく送り返してやる。
「シャワー浴びてくる。」
「えー、構えよ。」
「誰がそうさせたんだよ…!」
「ごめんってば。」
こんな半端な時間にシャワーとか、なんか生活リズム狂いそうでむず痒い。
「なんか飲みたい。」
「冷蔵庫に色々ある。粉系は戸棚。」
「晴れた日の夏の相場は麦茶って決まってるよね。はいタオル。」
「ありがと。」
シャワーを軽く済ませて上がると、君は麦茶を盛大に煽っていた。二リットルのピッチャーが半分を過ぎている。どうやら四杯目のようだ。
「んぐっ……んっ……ぶはぁー!飽きた!」
「これから昼だってのに、どうしてそこまで無謀なんだ。」
「昼!何?」
「麻婆茄子とか昨日の余り。」
「余り……私これでも客人なのに……」
程なくして、テーブルに料理が並んだ。メインは言うまでもなく。あとは米と味噌汁の標準装備に、作りすぎた鶏ハムとカブの浅漬け。
「んんー、んまい。ねぇ、もっと夏っぽいのないの?」
「これだって夏だろ。文句言わないの。」
「バーベキュー、流しそうめん、冷やし中華…」
「まぁでも、スイカはあるよ。」
「サヨナラ勝ち───、か。」
「何にだ。」
けたたましすぎる蝉しぐれをバックグラウンドに、箸を進める。やっぱ人がいると消費が早くて助かるわ。
「蝉ヤバくない?」
「木が少ないから密集してきてるんだよね。」
「みんなダ・カーポしてる。」
「音だけど曲じゃねぇ。」
「それはそう。……ふぅ、ごちそうさま。さ、スイカスイカ。」
昼食を食べ終わった君はスイカを探し当て、鍋(桶がないとボヤいていた)に氷水と一緒に入れて庭に持っていった。古臭い夏の楽しみ方してるなぁ。
最後のカブを食べ切って、食器を片し、居間から外を眺める。
こうして見ると、世界は表情を変えていない。空と雲と草葉と、目に優しい風景。自然は輝かしく燦々としているのに、人類はきりきりと追い詰められていく。
どうなんだ?全部が沈んだとして、俺に何ができるんだろうか。
四六時中疑い続ける。それは正義からなる行いか、あるいは猜疑心満載の人による業か。境界線は紙一重。踏み外せば狂人。
こうして暇な時間が溢れると思考の時間が増えるから、陰謀論とか信じるようになるんだろうな。水面上昇は人工降雨説。
……あほらし。自国に災害起こしても自分の首締めるだけだろうが。
「ふぅー……依然として猛暑日なのがねぇ。」
「このスイカ、ちっとも冷えない。氷水に漬けてるのに。」
「食べたいなら風情がってないで冷蔵庫入れな。」
「面の皮が厚すぎるー」
「そうだけどそうじゃない。」
君は渋々冷蔵庫を雑に開けてスイカを放り込み、引っぱたくように閉めた。上面に置いてあった電子レンジが少し揺れた。
「明日の朝に食べる?」
「昼にしよ。風鈴と蝉の鳴き声聞きながら、これぞ醍醐味ってムーヴメントに浸るんだ。」
「スタバのあいつらやん。」
「超失礼。」
二人してだらけて、時間の流れを遅くしている。会話は自然と、この異常気象になった。
「温暖化とか言っても、もう何年経つよって話。」
「南極が溶けたから?」
「それこそ、氷山の一角に過ぎないね。もっと別の原因があるってニュースでやってた。」
「なんだろ。」
「さぁ。俺にはスケールが大きすぎる話さな。」
欠伸混じりの伸びをしながら、そう答えた。
チラリと外を見ると、山の向こうに大きな入道雲。風景だけは一丁前に、ずっと昔から変わりもしない夏の顔。
「……そろそろ雨降るかも。」
「閉めよっか。」
「うん。お願い。」
想定通り、三十分後には空が黒雲で覆われ、ざぁざぁと激しい大雨に見舞われた。遠雷が響き、大粒の雨がバタバタと屋根を叩きつけている。
「これで海面も上がるんだよ。ホントどうかしてる。」
「明日には止むのかな。」
「朝には止んでるってさ。九時には晴れてるらしい。」
「ならいいや。」
暫く雨模様を眺めていると、ブレーカーが落ちて停電した。まだ夕方じゃないのに、一気に部屋が暗くなった。
「あらま。送電線に落ちたか?」
「うわ、いいねぇ。テンション上がってきた。」
「子供か。」
何も見えないでいるのも嫌なので、小皿の上にロウソクを置き、火をつけた。優しすぎる火が部屋を極わずかに照らす。
「最高の雰囲気じゃん。」
「暗いと本も読めないし暇だよ。」
「百物語でもする?」
「百話目が目の前にいる。」
「あはは!そうじゃん!」
暇であることには変わらなかったので、結局することにした。
「三人の男が、心霊スポットで有名なトンネルで肝試しをしました────」
割愛。
「────初めから、一人増えていたのです。」
「ふーっ。」
「あギャい!」
すっかり短くなったロウソクの火を吹き消すと、君は跳ねて驚いた。そんなに集中して聞いていたのか。
「し、死ぬ……」
「もう死んでんだろ。」
「そうだけど……あぁ、ふぅ……」
「次。君の番だよ。」
ロウソクを挿し替え、火をつけた。
「死ぬ瞬間の感覚って、知ってる?」
車に轢かれて、全身が全方向から圧かけられてるみたいに痛くて。
でも、だんだん脳が麻痺して、むしろ、ほわほわ、じんじん、って暖かくなるの。
冬の朝の寝起きのような、動きたくても抗えない心地良さ。
痛みなんてどうでもよくなって、ずっと心残りだけを考えてた。
そこで初めて、「あぁ、どうしようもなく死ぬんだ」って。
「やっぱ死ぬ間際は脳内麻薬ドパるんだね。」
「あ゙?台無しクソ太郎がよ。」
「だって話に乗り込めない。」
「感受性!」
だって非現実的なんだもん。
「怪談話とか非現実そのものでしょ!」
「読むなっつの。」
「じゃあそのチベットスナギツネみたいなさぁ、退屈を前面に押し出した無の顔やめてよね。」
「あれは写真に捉えるタイミングが悪いと思ってる。」
怪にも談にもならない問答を繰り広げ、幾許か暇を潰せたが、停電はまだ復旧しない。
「はーあ、肝冷えるどころか少し熱籠ったわ。」
「常に冷たいからすぐ冷えるんじゃない?」
「でもインフル罹ったら三十六度五分まで上がるよ。」
「ど平熱やんけ。」
死者も風邪を引くんだな。誰に教えても信じてもらえない無駄知識すぎる。
「そろそろちんたら晩飯作りますかねぇ。」
「確か台所の下の棚にカセットコンロあったよね。」
「よく覚えてるね。でもどうしようかな、あんまし選択肢ないんだよね。」
「肉焼こう。腐らすよかいいでしょ。」
しかし肉の在庫は牛ロースが二パックくらい。暗い中開催した焼肉は、殆ど野菜に出番を奪われていた。
「肉まだ?」
「玉ねぎとこんにゃくはいけるよ。」
「焼肉においてさ、肉の切り札的運用なんて初めて見たよ私。」
「まだ鶏ハム余ってっから食べな。」
「焼きハムにしてやる。」
こういう晩飯も意外と乙なものだった。停電が影響してるから、非日常を感じるのかもしれない。
「あー、マジでやることない。これでまだ八時半かよ。」
「こんな天気じゃなきゃ、庭で花火でもしたかったのに。」
「もう寝ない?」
「まだ寝ない。」
寝るには早いが、あと数時間が途方もない。諦めよう。
「そ。じゃあ寝る前になったらローソク消すんだよ。」
「お爺!」
「寝て時間すっ飛ばす。合理的判断と言いなさい。」
エアコンは稼働していないが、外気が冷えていたので寝苦しさはそれ程でもなかった。
「おはよう。」
「既にあっつい……」
昨日の真っ暗な大雨はどこへやら、すっかり快晴だ。庭の雑草が半分くらい浸ってるけど、これくらいなら蒸発してくれるはず。
「うーん、昨日の大雨が嘘みたいに晴れたね。」
「一帯が冷えたから涼しくていいねぇ。また増水したのは痛すぎるけど。」
「スイカは冷えてるかな?」
「停電の復旧は……昨日の深夜か。じゃあ大丈夫じゃないかな。」
テレビを見ながら駄弁っている間にあれよあれよと昼になり、二人でよく冷えていたスイカを齧った。
「食べきれない分はジュースにできない?あとあれ、アイス。」
「詰め込むねぇ。アイスは確か……ちっちゃいアソートのやつがあった気がする。」
それを聞くなり君は冷凍庫を漁り、箱ごと抱えて嬉しそうに持ってきた。
「まさかの未開封。さては私のためかぁ?このこのぉ。」
「買ったけど興が乗らなくてシリーズだよ。」
「お腹すいてる時に買い物行って、帰ってご飯食べたらどうでも良くなってた。でしょ?」
「当たり。」
君はオレンジ色のを一つ取り出し、ガリガリと噛み進めている。やりたいことが詰め込まれている分、消費も早かった。
「ね、ね、ひまわり畑行こ。」
「……もうそんな時間か。」
十二日の昼過ぎになると、決まって俺たちはひまわり畑に行く。いつからそう示し合わせたのか、もう思い出せないけど。
「あ、駐車場の端っこ浸かってる。」
「ここもいよいよかぁ。」
「私たち、今年でここも見納めになるのかなぁ。」
「花畑まで沈んだら俺ん家はとっくに沈んでるからね。」
「帰る場所すらなくなっちゃう!?」
小高い丘にある、ひまわり畑。標高は俺の家よりも高く、花畑はまだ異常気象の影響を受けていない。青空に浮かぶ太陽に向かって全員が顔を上げている。
「金色の絨毯!」
「大雨で散ってたらどうしようかと思ってたけど、案外杞憂だったね。」
「つばの広い麦わら帽子に、白い無垢のワンピースを着るんだ。まるで夏を体現したような私の眩しさにあなたの目が眩むんだ。眩め〜!」
「そんなことしなくても、とっくに眩んでるよ。」
「んふふ〜」
そうして、ひまわり畑で君は笑うんだ。太陽に向かって誇らしげに咲き誇る花にも負けない、満面の笑みで。
俺は笑えなかった。急に感情が切り替わってしまった。君の笑顔が、どうしようもなく綺麗なのに儚くて、泣かないように唇を噤むことで精一杯だった。
あぁ、毎年来るって分かってるのに、また君が帰ることを思えば、みっともなく泣いてしまいそうになる。
どうして死んでしまったんだ。どうせなら、この世の終わりまで君といたかった。
「あれ、少し頬こけた?」
「まだ二十六なのにね。君を置いて、俺は一人老けてしまうんだ。そうしたらきっと、君に愛想を尽かされる。」
「ううん。ずっと好きだよ。」
「……そうか、そうかぁ。」
十八で止まった君から、俺はただただ離れていく。
やめてくれ。こんな俺を好きになる理由なんてないだろ。君の未練がそうなのだとしたら、君を縛り付けてるのが苦しいよ。
いっそもう来ないと言って、俺を諦めさせてくれたら良かったのに。
「あー、泣いてるぅー。初心なんだぁ。」
「……それでいいよ。そういうことに、してくれ。」
故郷も母校も思い出も何もかも。全部、全部海に沈んだ。
あるのは、解けかけた記憶と、君と過ごしたお盆の時間。
なぁ、君は何がしたい。この滅びゆく惑星で。
「君が死んだ場所も、もう何メートルも下にある。巡れないんだ。あの頃を足で踏み、懐古に浸ることすら許してくれない。」
「……なくなっちゃったんだよね。もう、何もかも。ここは街の全部が見えていたのに。」
「そうさ。それを思う度に、俺を繋ぎ止めている何かが砂のように零れ落ちていく。」
未だ罅は拡大して、いよいよ残すは大雑把な未来のみ。
「怖いんだ。覚束無い将来を憂いたあの頃以上に、諦観の死がずっと近い。水面が上がって、居場所も無くなっていく。」
「でも、何もできない。」
「そう。何もしてこなかったから。」
ただの十把一絡げ。少しだけ背伸びしたクラゲのように、何にも属さずただ漂っているだけ。
一思いに食われていたら、どれだけマシだっただろうか。
……はぁ。下を向いてるのは俺だけか。ひまわり以下。面白いな。
「ねぇ、いつ?」
「あぁ何、日没も見たいの?」
「死ぬの。」
「は?」
時間が引き伸ばされた。突如現れた青天の霹靂。こちらから惹起させた訳でもなく。
一瞬の緊張を表すように、汗がゆっくりと頬に伝って落ちた。
「私、ずっとあなたを待ってるんだよ。それなのに、いつまで経っても来ないんだもん。」
「死ぬのは嫌だよ。」
「ふーん。がらんどうになってもまだ生きたい理由があるんだ?」
「それは……漠然としか。」
正直、無い。終わりつつあるが大して変化していない世の中で、元々薄れている俺が生きていくのはもっと難しい。
「くたびれてるねぇ。厭世的?」
「……かもな。」
「惰性で生きてるってことね。」
「だからって自殺願望に繋がる訳じゃない。」
自殺なんてできるわけが無い。他人への迷惑とか、そんなことを考える以前に行動に移せない。
「死ぬのは怖いもんね。それが自殺なら尚更。あなたは大きな覚悟キメれる精神持ってないし。」
「うっ……」
「何かに振り切れられない。感受性の薄い冷笑家。でも何かになりたい。なのに自由になると甘えて何もしない。ちぐはぐで、人と呼ぶには些か足りなくて。」
ナイフでブルばっか刺されてる。こんなに罵倒されたの初めてなんだけど。
「急にどうした。つまり何?」
「今日は、死ぬには晴れすぎてるよね。」
太陽に手を翳し、目を細めながらそう言った。それはまるで、”月が綺麗ですね”とでも言うように。
「なんだよ…俺を、殺すのか。」
「もうさぁ、一週間だけ会ってまた一年おさらばっての、我慢ならないんだ。」
「まだ三日以上も残ってる。」
「それで引き下がる程、この言葉は安くない。」
じり、とひまわりを掻き分けて君が俺の元に歩み寄る。後退していると、水を掻き分けた音。いつの間にか後ろは海だった。
「く、来るな。」
「そりゃ無理な頼みだよ。」
「もっと別の方法があるはずだって!」
「いずれ自分の家も沈むんだから、いいタイミングだよ。往生しな。」
「やめ……!」
正面から抱き着くように腕を回されて首が絞まった。とん、と水の中に飛び込んだ。
既に深い。去年沈んだ市街が見えた。
首は完璧に極まっている。苦言を呈そうものなら、小粒の泡を吐くばかり。
首が折れるか、溺死か。
水面から差し込む光は逆光となり、俺をじっと見つめる君の目から光を奪っていた。
「死ね。」
「がぼ…っ、っ……」
「死ね。死ねよ。諦めなよ、いつもみたいにさぁ!」
透き通るような水の中は、次第に滲んでぼやけていった。俺の迎えは獄卒か火車だから無理だろとか、もう詰んでるからか、走馬灯は仕事しなかった。
思考がただただ無意味に回る。なるべく死を思いたくないから。
一際大きく吐いたあぶく。それと、内側から響いた何か不快な音。何故か痛くなかった。意識が遠のく。
遠のいて、少し上で固定した。
一度暗くなった視界が、次第に明るみを増していく。
「っぅあはっ!!……っ、はァ、はっ。」
「俺…俺はっ……!」
「晴れて私の仲間入り。空は晴れてるしね。ぷふっ。」
俺は溺死と頸椎骨折で殺された。死を実感する暇もなく即死。
「はー、上手くいってよかった。」
「そこまでして、俺と……」
「死がふたりを分かつまで、とは言うけど、私たち死んでるからもう分かれることもないよね。」
君の手が、折れたはずの俺の首に絡んでくる。もう冷たくなかった。
「いつもあなたはそうだったよね。よっぽどのことがない限り、誰かが動機を作らなきゃ動かない。」
「だとしてもこんなこと望んでない!」
「あんだけ生きるのヤダヤダってゴネといて、死んだら死んだで手のひら返し?」
望まぬ死なんて、だれだって安直に受け入れられる道理がないに決まってる。
織姫と彦星のような関係こそ、君の思う夏の在り方なんじゃないのかよ。
「ねぇ、いい加減諦めて私といようよ。死後は永遠。経験者が言うんだから、間違いない。」
「六道どこいった。」
「無神教だから分かんない。」
「それが罷り通る世じゃないだろそっちは。」
死にかけているこの世を死んで離れ、何も考えず君と安寧を永遠に享受する。
それはある意味本懐のようで。
「そうだ、帰りは二人乗りね。」
「……あぁ、茄子の。」
「今度は自分も乗るから、もう変なの作れないでしょ。」
「二人乗り……どーすっかねぇ。」
そう思えば、悪くないのかもしれない。