はるかと観音を食事に誘おうとした広瀬が、ああでもないこうでもないと悶えたり、お店の手配を間違えて慌てふためくお話
野上武志先生『はるかリセット』(秋田書店チャンピオンRED/チャンピオンクロス)から
エッセイ風二次創作
ひとを食事に誘うのはわたしにとって大変な勇気のいることで、どれだけ繰り返しても慣れることがない。
はるか先生と観音さんに声をかける時は下書きを何回も書き直して、連絡はできる限り先送りにするのが常だ。新年会の都合を1月に入ってから聞こうとしているのだから、我ながら擁護のしようがない。
会える機会に次の約束を取り付けられればよいものの、わたしは話術のスキルもからっきしであるので、毎度のようにえっちらおっちら駄文をこねくり回している。
最近はようやくチャットで『いついつにお食事どうでしょうか!?』と前のめりに送ることができるようになったけれど、それでも『お疲れです!』と『どうぞよろしくお願い致します』で文面を挟まなければ生きた心地がしないのだ。
連絡手段の主流がメールだった頃はよかった。ほとんどのお願いが定型文という名の緩衝材によって包まれることで、形式さえ守れていれば、失礼にはあたらない。制限によって自由な形をとることができ、またいくらでも長大な文面を送りつけることも可能だった。
だがチャットは、チャットはダメだ。長すぎれば目が滑るし、会話の流れが白けてしまう。時候の挨拶から結びの挨拶まで盛り込もうとすれば、たちまち画面を埋め尽くし、どうしようもない奴の烙印を押されるのは避けられない。
定型文を打っていようものなら瞬く間に会話の流れから取り残される。わたしにいわせれば既読機能は最悪の発明品であり、レスポンスの遅さによってわたしは幾度となく公開処刑されてきた。
だって、その問いに対する答えは下書きの用意がないんだもの!
同期である沖野まひろはこの分野における達人で、彼女は実に美しく、執事が主のために紅茶を注ぐように、スマートに会話をサーブしてゆく。注いだことを気付かれず、しかし常にカップは満たされているのがベストだ。
対するわたしはお盆に載せた食器をガチャガチャとぶつけて「さあこれから注ぎますよ」と宣言した挙句に狙いを外してソーサーに茶をこぼすような会話しかできない。配膳ロボットの方が愛嬌があってマシという具合なのだ。
はるか先生と観音さんの両雄に対してであっても、恐ろしいことにまひろは敬語とタメ口を巧みに織り交ぜて話す。しかも面白いのだから、大抵の場合わたしは黙っていた方がいい。沈黙は金雄弁は銀というのは、黙るしか能のない人の僻みなのではないかと思う。
まひろには絶対に知られたくないけれど、わたしは密かに彼女たちの会話を研究して、チャットのスキルを磨こうとしているのだった。『ご検討賜りたく』とか『ご多忙のところ大変恐縮ではございますが』を省けるようになったのは、これでも小さな進歩なのだ。
恥を忍んでまひろにチャットの極意を聞こうとしたことがある。
彼女の回答は要するに「正解なんてないよ」とのことだった。もちろん、わたしは憤慨した。
このようにして紆余曲折、人知れず無意味にああでもないこうでもないと付けたり消したりしながら先生方にチャットを送ったところ、
『その時期、はるか先生は日本にいないんじゃない?』
「ぐわーっ!」
のっけから観音さんの返信でわたしは悶絶した。
そうだった!台湾のイベントに参加されるとかなんとか。わたしはもうパニックになった。都合が合わずに断られる場合の下書きがあっても、自分から無理を言った場合の下書きはなかったのだから。
『でも僕は行けるよ』
『ありがとうございます!ありがとうございます!』
『私のことは気にしないで、楽しんできてね!』
『ごめんなさい!ごめんなさい!』
哀れなわたしを気遣ってくれた観音さんのおかげでギリギリ踏みとどまったものの、こうしてわたしのバッドコミュニケーションの歴史に新たな一ページが加えられたのであった。当然、下書きの量も増えた。
お目当てのドイツ料理店にはるか先生を誘ってフラれたのはこれで二度目だった。お忙しい方だし、なによりもわたしの言い出すタイミングがいつも悪い。
フラれたことより、申し訳なさでいっぱいだった。
誘いを断るのは断られるよりも大きなストレスになる、とわたしは思う。というのも、当たり前のことではあるけれど、誘う側は常に先手であるのに対して誘われる側は後手であり、誘われる側は事前に誘われないという選択肢がないからだ。
誘いというのはつまるところ、承諾か辞退かの二択を迫ることと同義だ。この二者間の関係が悪いものでなければ、たとえ両者が自覚的でなくとも、辞退は負担になる。だから敢えて結婚式に友人を招待しないことがあるように、誘う側は常に相手のことを考えるべきだ。
この面倒な解釈をもってして、いよいよわたしは人を誘うのが億劫なのだ。だが都合を聞かなければ予定を立てることもできず、虎穴に入らずんば虎子を得ずの精神で、ええいままよと温めていた下書きを送りつける。
そして結果に一喜一憂し、意気消沈する。こうした倒錯した性格の持ち主であるわたしは、先生方の予定が取り付けられたとしても、今度はその食事会をうまくアレンジできるだろうかともだえ続けるのだ。
――――
2月にまでずれ込んだ新年会の当日。
予約の一時間ほど前に会場の最寄り駅についたわたしは、近くのクラフトビアバーへと足を運んでいた。いつからか自分が主催する食事会では、近くのクラフトビールのある店で0次会をする習わしができていて、今日もさほど考えなしに「ここが会場です!」と踏み込んだのだった。
「しまったぁ」
お店の入り口で立ち尽くす。
土曜日の夕方で店はほぼ満員。うかつだった。なんで平日空いてたからって考えなしに決めちゃったのかなあと後悔が雪崩のように襲い掛かる。
0次会は来れる人はいつでもカモンというスタイルで、これまではほとんどわたしひとりで過ごすパターンか、思っていた以上にたくさん参加するのパターンの2つしかなく、最終的に何人になるのかという不安が頭をよぎる。
チャットには既にまひろを含めて2人が参加のリアクションを返してくれていた。観音さんとわたしもいれて既に4人。
予約を取れない店だったのでどうしようもなかったものの、座れない人が出たとして、それは言い訳にならない。お店を選んだのはわたしだし、皆はわたしを信頼してお店を選ばせているのだから。
なんとか椅子が2席とソファ2席の、4人席を確保してもらえた。店内を見回すと、カウンターしか空いていない。始まる前から上限に達していた。
椅子に腰かけてわたしが胆を冷やしていると、
「僕が来た!」
と観音さんが真っ先に駆け付けてくれた。
美味しいクラフトビールに目がない、というだけではなく、観音さんはいつも誰よりも早く現れる。社会人やデキるビジネスウーマンとしては当然のことかもしれないが、オフの時にまでそれを徹底できる人は少ないのではないだろうか。
わたしはといえば時を司る神だか女神だかに呪われていて、時間調整が恐ろしく下手なので、5分遅れるか30分早く着くかのどちらかしか選べない。よかった、今日は早く来て正解だった。
「こちらへどうぞ、遅くなりましたがあけましておめでとうございます!」
「こちらこそ、あけましておめでとう!今年もよろしく!」
観音さんをソファに案内しながら、事前に用意していた会話のテンプレートを脳内に呼び出す。油断すると挨拶さえままならないので、チャットと同じように会話を準備しておくのだ。
「おお!面白いビールがあるね!」
悪くない反応にほっとする。このお店は、観音さんの出身地の醸造所の中でも人気の高いブルワリーのビールがよく繋がっていて、今さらながら選んだ理由を思い出した。
メニューをめくる観音さんを眺めながら、わたしは二重の意味で安堵していた。早く来てよかったし、最初に来たのが観音さんでよかった、と。
観音さんに座る席がないなどとは絶対に言えないから。わたしは卑怯で小賢しい人間だ。観音さん以外になら、窮屈な思いをさせてもいいのだと判断しているのだ。
どんな集まりにでも年齢やお祝いなどで何らかの順番、序列ができる。それは仕方ないことだし、避けられないことだけれども、わたしはそれを意識的に理解した上で、他のメンバーと観音さんを比較したのだから、より悪く、より不誠実だ。
わたしが自己嫌悪に酔っているうちにビールが運ばれてくる。
「「かんぱーい!!」」
香り高い黄白の液体を並々と注がれたグラスが交わされる。
「「うまーい!!」」
と機嫌よく味わう間もなく、チャットが新しい投稿を知らせてきた。
『連絡遅れてごめん!今から行きます!』
普段なら嬉しいはずの連絡に心臓が跳ね上がる。自分から誘っておいて、これ以上増えないようにと願うのは勝手すぎるけれど、ああ、5人目が!
わたしはいつもこうなのだ。飲み会の人数でさえ、まともに管理できやしない。それもこれも、わたしが人を誘うのが下手過ぎるからだ。
この状況の解決策は、『お店の席がいっぱいなので、以降は座れないかもしれません』と正直にチャットに書いてしまうことだったはずだ。
けれども既に向かっている人がいるかもしれないし、いないならいないで説明しなくてもいいし、という怠惰と妥協と臆病さがこの事態を予定調和的に招いたのだった。
『お店が混んでるのでキツキツかもしれません!すみません』
と慌てて書き込む。言うに事を欠いて、わたしは更に曖昧な言い訳を重ねた。
青くなったり赤くなったりしているわたしに気付いた観音さんが「どうかしたの?」と優しく問いかける。
「わたしのオペレーションのミスで、これから3人来ちゃうことになって」
「大丈夫、大丈夫!こっちに座ればいいから!」
観音さんはそういってソファをぽんぽんと叩いてみせた。
最初から正直に話せばよかったのに。観音さんはこんなことで怒ったりするような狭量な人ではないと知っているのだから、不意打ちのように知らせなくてもよかったのに。
「広瀬君はいつもそんなのばっかり飲んでるよね!」
わたしのサワーの入ったグラスを指しながら、何事もなかったかのようにからからと観音さんが笑う。ビールの味は、わからなくなっていた。
会話のテンプレートから完全に逸脱してしまったわたしは、その後もずっと朦朧としていた。最近飲んで美味しかったビールの話、年末の旅行の話、執筆のアドバイス、どれもちゃんと覚えているし返事はしていた、と思う。
観音さんを独り占めできるのは身に余る贅沢だ。にも関わらず、わたしを認識するわたしは、内省と罪悪感が混じった自己憐憫の旅にわたしを連れ出してしまった。
そうこうしているうちに3人が到着した。
挨拶を済ませながらまひろが隣の椅子に、残り2人が観音さんの両隣に座る。わたしが大山鳴動して乱れたわりには、最初からそう決まっていたように皆はきれいにその場へ収まった。
まひろが会話に加われば、わたしの出る幕はない。わたしのことを説明するのでさえ、彼女の方がうまくやってのけるのだから。
既に戦力外通告状態だったわたしはフェードアウトし、ぼんやりと皆の話に耳を傾ける。
安心して呆けているのではなかった。むしろ全く別の考えが頭の中に溢れてくる。
「わたしも観音さんの隣に座りたかったなあ」
口には出さなかったものの、考えとはつまりそういうことだった。
なんて浅はかなんだろうと思う。先ほどまで誰が座れて誰が座れなくなるかとごちゃごちゃと計算していた癖に、今度はこれだ。勝手にも限度がある。しかし考え始めると止まらない。
席次とはとても面倒な代物で、その時の運と序列が複雑に絡み合って形成される。組織によっては秘伝書としてルールが制定されているとも聞く。
それはともかく、ではわたしはどこに座りたかったのだろうか。隣がいいだろうか、今と同じ対角線がいいだろうか。
対角線上に座れば相手の仕草をつぶさに観察できる。人の良い面を褒めて悪しき面を貶し、その場を最も楽しい状態に持ち込む観音さんの手腕はいつも勉強になる。わたしは逆立ちしても100人集まっても真似も再現も出来ない芸当だ。
隣はどうだろうか。貴重だが、怖くもある。観音さんは時折、笑顔のままでも全てを見透かすような目をするときがあり、その心眼は距離が近ければ近いほど真価を発揮するように思える。
わたしは周知のものであっても、自分の底の浅さを勘付かれたくはなくて、観音さんから逃げることがあった。が、最近になってなんだか「見透かされたい」と思う気持ちが芽生えてきている。
多少の図々しさを身に着けたこと、あるいは既に知られているのだから隠してもしょうがないというある種の達観ゆえだろうか。図々しさといえば、以前のわたしであれば、このような状況なら自分ひとりで店を出て席を空けるという選択肢を考えたはずだ。
しかしそんなことをすれば、残された4人が同じように席を立つのも明らかだ。やはりわたしは人間関係のあれこれを計算して、無い知恵を絞って小狡く立ち回ろうとする性根の腐った女なのだ。
思考の渦にはまってぐるぐる回る。
「広瀬君、グラス空いてるよ!」
気付くと観音さんが笑顔でわたしの空いたグラスを突っついていた。
次いでメニューを手渡してくれた隣のまひろをまじまじと見る。
どれもこれも、むかつくくらい正解なんてないことばかりだ。
わたしはその日、飲んで飲んで飲みまくることにした。
(正解なんてない 終)