オブスキュラに閉じ込めたい   作:多治見国繁

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第9話 すり減っていく夏

目が覚めた。

 

新しい朝。

夏の暑い朝。

 

窓の向こうから差し込む日差しが、やけに眩しい。

セミの声がけたたましく響いていて、もう朝から全力だ。

 

今日もカンカン照り。

 

布団の中で、しばらくぼんやりと天井を見つめる。

体が、やっぱり重い。

 

——昨日の疲れが、全然抜けてない。

むしろ、眠ったことで余計に体がだるくなった気がする。

 

期待はずれ。

ぐっすり寝たら、全部リセットされるかと思ってたのに。

 

現実はそんなに甘くなかった。

 

あまりスッキリと起きられなかった。期待はずれ。

 

昨日の夜、あんなに「今日は寝るしかない!」って思ったのに、結局これか。

ちゃんと寝たはずなのに、疲れはそのままどころか増してる気さえする。

 

あーもう、嫌だ。布団から出たくない。

でも学校行かなきゃ……。

 

布団の中で、ぐだぐだと体を丸めながら、ぼんやりと思う。

—— 今日、佐野さんとどう接すればいいんだろう?

 

昨日のことを思い出すと、胸の奥がざわつく。

足を舐めさせられたこと。

首輪をつけられたこと。

抱きしめられたこと。

震えていたこと。

そして、すぐに何事もなかったかのように戻ったこと——。

 

あんなことがあったのに、どうやって普通に接すればいいの?

私だけが意識して、ひとりで焦って、勝手に気まずくなって……

でも、佐野さんは何事もなかったみたいな顔をして、普通に学校にいるんだろうな。

 

それが、なんか悔しい。

 

「おはよう」って普通に言える?

昨日みたいなことがあったのに?

 

答えは出ない。

だけど、考えていても時間は待ってくれない。

ぼんやりしていたら、部屋の外から 「楓花! 起きなさい!」 というお母さんの声が響いてきた。

 

—— あぁ、もう行かなきゃ。

 

仕方なく、重たい体を引きずるように布団から這い出した。

 

今日も、お兄ちゃんが私のことをいじってくる。

 

「楓花、寝ぼけた顔してるぞー。まさか、まだ夢の中だったりして?」

 

いつもの軽口。

私は適当に「うるさい」と返すけど、お兄ちゃんは全く気にしていない。

 

お兄ちゃんは呑気でいいな。

 

朝からテンション高くて、何の悩みもなさそうで。

学校で嫌なことがあった日も、疲れて何も考えたくない日も、いつも変わらない。

それがいいところでもあるし、今はちょっとだけ、羨ましくもある。

 

私の気も知らないで。

 

昨日のことを考えるだけで、胸の奥がざわつく。

でも、それを誰にも言えるはずがない。

言ったところで、わかってもらえるとも思えない。

 

—— あぁ、なんでこんなことになったんだろう。

 

「楓花、ほら、ボーッとしてないで食べろよ」

 

お兄ちゃんの声で、ハッとする。

目の前には、朝ごはん。

卵焼き、味噌汁、焼き魚。

いつもの朝食。

 

だけど——

 

味がしない。

 

箸を動かして、口に運んで、ただ機械的に咀嚼する。

昨日の夜もそうだった。

食べてるのに、何も感じない。

まるで、食事がただの作業になったみたい。

 

「……ごちそうさま」

 

なるべく自然に席を立つ。

お母さんが「ちゃんと食べた?」と聞いてくるけど、私は笑顔で誤魔化す。

 

——何も考えたくないのに、頭の中が佐野さんでいっぱいだった。

 

人生の中で一番か二番に大切な、高2の夏。

 

—— どうして、こんな憂鬱な気持ちで過ごさなきゃいけないんだろう。

 

本当なら、もっと楽しいはずだったのに。

もっと、普通の高校生らしく、笑って過ごすはずだったのに。

 

外は快晴。

眩しいくらいに、太陽が輝いている。

それなのに、私の心はまるで夏の終わりみたいに、どこか沈んでいた。

 

身支度を整え、髪をいつものポニーテールに結ぶ。

 

お気に入りの黄色いリボンを手に取る。

柔らかな布の感触を指先で確かめながら、いつも通り髪に結びつける。

 

——これで、いつもの私。

 

鏡に映る自分を見て、そう思い込むように頷く。

でも、胸の奥に絡みつく重さは、どうしても消えてくれなかった。

 

「行ってきます」

 

いつもと変わらない調子でお母さんに声をかけ、玄関の扉を開ける。

朝の空気が、じんわりと肌にまとわりつく。

 

——その時だった。

 

「……あれ?」

 

扉の向こうに立っていたのは—— 梨乃だった。

 

おかしい。なんで?

 

梨乃の家は私の家と反対方向にある。

学校に行くなら、わざわざこっちに来る必要なんてないはず。

 

「梨乃?」

 

驚いた声を出すと、梨乃はふわりと微笑んだ。

だけど、何か言いたげに私をじっと見つめている。

 

「おはよう、楓花。びっくりした?」

 

「……うん、だって、どうしてここに?」

 

「迎えに来たの」

 

当たり前みたいに言う。

 

だけど、その言葉の裏には—— 何かを確かめようとする気配 があった。

 

「今日は一緒に学校行きたくて。何もおかしくないよ?」

 

梨乃は、あくまで自然に、そんなふうに言った。

 

でも—— 違和感がある。

 

梨乃が迎えに来るなんて、今まで一度もなかった。

それなのに、今日はわざわざ家まで来て、こうして私を待っていた。

 

「……そっか」

 

私はとりあえず頷いたけれど、心の中では引っかかりが残る。

 

——何か、変だ。

 

梨乃はいつも通りの笑顔を向けている。

でも、その目はどこか探るようで——まるで、 私の異変を見透かそうとしているみたいだった。

 

「じゃあ、行こっか」

 

梨乃が軽やかに歩き出す。

私は、少しだけ息を飲んで、その背中を追いかけた。

 

「……うん、大丈夫だったよ」

 

なるべく平静を装って答える。

でも、自分の声が微かに引きつっているのを感じた。

 

——大丈夫じゃない。

 

でも、梨乃には言えない。

佐野さんとの、あの放課後のことなんて——。

 

先生に呼ばれたことより、私の頭を支配しているのは、もっと別のことだった。

 

佐野さんのこと。

佐野さんの肌の温度。

佐野さんの匂い。

佐野さんの、あの震えた声——。

 

全部、胸の奥にべったりとこびりついて離れない。

 

あの時、佐野さんは確かに「縋る」ように私にしがみついた。

でも、その直後には何事もなかったかのように離れていった。

 

——あれは、一体なんだったんだろう?

 

「……なら、よかった」

 

梨乃の言葉が、遠く感じる。

彼女は少し安心したように笑って、また歩き出した。

 

私は、そんな梨乃の顔を横目で見ながら、何も言えなかった。

 

言わないほうがいい。

言ったところで、きっと梨乃には理解できない。

 

佐野さんが見せた弱さ。

そして、その直後に元に戻ったこと。

 

——私は、それを知りたい。

 

昨日、私はそう誓った。

だから、今日からもっと佐野さんを「知る」努力をする。

 

その決意を胸に抱いたまま、私は黙って歩き続けた。

 

疑念と誤魔化しと

 

「ねえ、ふうちゃん。もう、隠し事は嫌だよ?」

 

梨乃の声が、静かに耳に届いた。

 

—— ドキッ。

 

まただ。

また、心臓が跳ねる。

 

どういうこと?

もしかして、梨乃は昨日のことを知っている?

私が佐野さんと、あんなことをしていたって——?

 

梨乃は何も言っていないのに、頭の中で勝手に想像が加速する。

どんどん悪い方へ、どんどん最悪の方向へ転がっていく。

 

「……言えないこともあるんだよ……」

 

気づいたら、そう呟いていた。

しまった。

口にした瞬間に後悔する。

けど、もう遅い。

 

梨乃の耳には、しっかり私の言葉が届いていた。

 

「……どういう意味……?」

 

梨乃の声が、一段低くなる。

目を細めて、じっと私を見てくる。

 

しまった。

 

このままじゃまずい。

 

「あ……えっと……違うの!」

 

焦って、私は取り繕うように言葉を継ぐ。

 

「そういうことじゃなくて、ほら! スマホのパスワードとか! 私の体重とか!」

 

苦し紛れの誤魔化し。

でも、それだけじゃ足りない。

疑いの眼差しが、まだ消えていない。

 

だったら——

 

私は梨乃の耳元に顔を寄せ、ゆっくりとニヤッと笑みを作った。

 

「梨乃のおっぱいの重さとか、感触とか、温かさ……とかね?」

 

わざと、声を低くして囁く。

 

そして、いたずらっぽく ウィンク してみせた。

 

「そ、そういうことじゃなくて! もう! ふうちゃんのエッチ!」

 

案の定、梨乃は顔を真っ赤にして抗議してくる。

 

—— 助かった。

 

この反応なら大丈夫。

少なくとも、昨日のことは知られていない。

 

ほっとする。

 

でも、胸の奥に残る モヤモヤ は消えなかった。

 

—— 「隠し事は嫌だよ?」

 

梨乃のその言葉が、妙に心に引っかかっていた。

 

今日もまた、私は 探す。

教室の中、廊下、窓の外——

佐野さんの姿を。

 

でも——

 

いない。

 

どこにも、いない。

 

昨日と同じ。

今日も、佐野さんは姿を見せない。

 

胸の奥がざわつく。

気のせいかもしれないけど、妙に静かな気がした。

 

でも、私はどこか ホッとしていた。

 

佐野さんがいないことに 安堵 している自分がいた。

 

会いたい。

でも、会いたくない。

 

昨日のことが頭をよぎる。

支配され、翻弄され、そして——

あの一瞬だけ見えた 弱さ。

 

そして、その後にまた、何事もなかったように戻った佐野さん。

 

あれは、なんだったんだろう?

 

わからない。

わかりたくない。

でも、知りたい。

 

——もう、めんどくさい。

 

私が佐野さんの姿を探していることに、気づかれたくなかった。

でも、無意識のうちに 目が泳ぐ。

 

——どこ?

 

昨日と同じように、いないのか。

それとも、どこかで私を見ているのか。

 

そんなことを考えながら、何気ないふりを装って 教室を見渡していた。

 

でも——

 

「……ふうちゃん」

 

ふと、梨乃の声がした。

 

私は、ビクリと肩を跳ねさせる。

ゆっくりと、梨乃の方を向くと——

 

梨乃が じっと こちらを見ていた。

 

まるで、 何かを確かめるように。

探るような、けれど、どこか優しい眼差し。

 

「……なに?」

 

私は、できるだけ平静を装って聞き返す。

 

「……ううん、なんでもない」

 

梨乃は微かに微笑んだけれど、

その目はまだ 私の心を覗こうとしていた。

 

——梨乃には、全部見透かされている気がする。

 

なぜ、私だけ こんなふうに悩まされなければならないのだろう。

どうして、普通の高校生活を送ることができないのだろう。

 

——私は、怖い女の子に好かれる運命なの?

 

佐野さんだけじゃない。

最近では、梨乃さえも 怖く感じる時がある。

 

昔は違ったのに。

 

幼馴染で、ずっと一緒にいて、何もかも話せる存在だった。

けれど、最近の梨乃の目は、前とは違う気がする。

 

優しいはずなのに、時折見せる じっとした視線 が、私の心をざわつかせる。

まるで、私の中を 見透かそうとしているみたいに。

 

——梨乃は、何を考えているの?

 

佐野さんに翻弄されるだけでも、もう手一杯なのに。

なぜ、私の周りはこんなにも 普通じゃないものばかり なんだろう。

 

ふと、息が詰まるような感覚に襲われた。

 

戻れない夏、始まる綱渡りの日々

 

——幸せな夏に帰りたい。

 

ただ、友達と笑って、アイスを食べて、部活のあとに駄菓子屋に寄ったりして。

何も考えず、暑さに文句を言いながら、平凡な毎日を過ごす。

 

そんな夏が、私にはあったはずなのに——

 

でも、私はもう、踏み込んでしまった。

 

踏み込むな と警告されたのに、自分から足を踏み入れたのは私だ。

だから、戻れない。

戻る資格なんて、とうに捨ててしまったのかもしれない。

 

後悔しても、もう遅い。

 

それなら——

 

せめて、責任は果たさないといけない。

 

佐野さんを知りたいと言ったのは私。

引き返すことを選ばなかったのも私。

 

ならば、この道を進むしかない。

怖くても、後悔しても、もう止まれない。

 

今日もまた、綱渡りのような一日が始まった。

 

足元は不安定で、どこか踏み外せば簡単に落ちてしまう。

でも、落ちるわけにはいかない。

 

この細い糸の上を、私は今日も渡り続ける。

 

夏の暑い日差しが、容赦なく照りつける。

蝉の鳴き声が遠くで響き、風はぬるく、肌にまとわりつくようだった。

 

——その日も、1日が過ぎていく。

 

授業を受け、昼休みになり、放課後が来る。

何気ない時間の中で、私はただ過ごす。

 

昨日と同じように、教室で授業を受け、ノートを取り、先生の言葉を聞き流す。

昼休みになれば、クラスメイトが騒がしくおしゃべりをしながら弁当を広げる。

いつもの日常。

いつもの景色。

 

だけど、私の中では、何かが変わってしまっていた。

 

何をしていても、意識のどこかに佐野さんの影がつきまとう。

ペンを走らせる手が止まるとき、ふとした瞬間に視線が泳ぐ。

知らず知らずのうちに、佐野さんを探してしまう。

 

束の間の静けさだった。

 

——今日は、佐野さんは現れない。

 

授業が終わり、廊下を歩きながら、私は気づく。

教室にも、廊下にも、屋上にも、図書室にも、美術準備室にも、どこにも——佐野さんの姿はなかった。

 

昨日までは、気配を感じることができた。

あの黒い髪。感情の読めない瞳。

まるで深い湖の底に沈むような静けさを持った、どこか儚げな少女。

 

でも、今日は——どこにもいない。

 

どこかホッとする気持ちがあった。

 

「また、命令する」

 

そう言い残して去っていった佐野さん。

昨日のあの夜を思い出すと、無意識に肩に力が入る。

 

私に突きつけられた「覚悟」の問い。

そして——あの、縋るような抱擁。

 

思い返せば返すほど、胸がざわつく。

彼女が見せた弱さ、ほんの一瞬だけ垣間見えた脆さ。

それを、私は受け止めることができたのだろうか?

 

いや——そんなことを考えている時点で、私はもう、彼女の世界に足を踏み入れているのかもしれない。

 

どこかホッとしているくせに、それと同時に、違和感が胸の奥にしこりのように残る。

 

電話もない。

 

佐野さんの存在を感じさせるものは、どこにもなかった。

 

まるで、最初から私の人生に存在していなかったかのように——

昨日までの出来事が、夢だったかのように。

 

でも、夢ではない。

 

私の中に残る記憶が、それをはっきりと証明していた。

足に触れた感触、囁く声、そして——あの、抱きしめられたときの温度。

 

まるで、何かを訴えるように、私を求めるように、必死にしがみついてきた腕の力。

 

「……静かにして」

 

震えていた。

それなのに、翌朝には何事もなかったかのように、いつもの冷たい佐野衣織に戻っていた。

 

——彼女は、何を隠しているの?

 

——佐野さんは、どこにいるのだろう?

 

ふと、校門の向こうに沈みゆく太陽を見上げる。

熱を帯びた空気が揺らいで、景色を歪ませる。

 

オレンジ色の光が地面を照らし、長い影が伸びる。

じりじりと肌を焼くような夏の夕暮れ。

 

風が吹く。

熱気が舞い上がり、頬をかすめる。

 

でも——佐野さんの影は、どこにもなかった。

 

そのことが、無性に不安を掻き立てた。

 

休み時間、私は何度も佐野さんを探していた。

 

黒い髪。

感情の読めない瞳。

静かで、冷たくて、それでいて、どこか脆さを秘めた女の子。

 

姿は見えないのに、気配だけが、頭の中にこびりついて離れない。

 

廊下を歩くときも、教室の中でも、ふとした瞬間に目が泳ぐ。

探しているつもりはないのに、無意識のうちに視線が彷徨う。

 

——そのたびに、梨乃と目が合った。

 

最初は偶然かと思った。

でも、二度、三度と続くと、それがただの偶然ではないことに気づく。

 

梨乃は、私を見ていた。

 

目が合うと、ほんのわずかに目を細める。

探るような、見透かすような、その視線。

 

まるで、私の中にある何かを確かめるみたいに——

 

私は、息を呑む。

 

梨乃は、私のことをどう思ってる?

私が佐野さんを探していることに気づいている?

それとも、それ以上の何かを感じ取っている?

 

胸の奥がざわつく。

 

知りたくないような、でも、知るべきなような。

そんな、居心地の悪い感情が、喉の奥にひっかかる。

 

——梨乃は、私に何を見ているの?

 

その疑問が浮かんだ瞬間——

 

ある言葉が、脳裏にこびりつくように蘇った。

 

「彼女の秘密も、全部……私は知ってる」

 

佐野さんが、あの夜に言った言葉。

 

——梨乃のことだ。

 

私は、そのときすでに気づいていた。

佐野さんが指していた「彼女」が梨乃であることは、わかっていた。

 

だけど——

 

本当に、どこまで知っているの?

 

知っている、とは言ったけれど、それがどの程度のものなのかはわからない。

梨乃の「秘密」のどこまでを、佐野さんは知っているのか?

どんなふうに知ったのか?

それを知って、佐野さんはどう思ったのか?

 

何より——

 

梨乃は、それを知っているのか?

 

もし、梨乃が知らないままなら。

もし、佐野さんだけが知っていて、梨乃はそれに気づいていないのなら——

 

この視線の意味は、一体なんなんだろう?

 

梨乃の目は、ただの親友を見る目じゃなかった。

いつものように笑いかけてくるわけでもないし、何か話しかけようとするわけでもない。

 

ただ、じっと見ている。

 

私が何を考えているのかを探るように。

私の中に何があるのかを暴こうとするように。

 

まるで、私が何かを「知っている」と、梨乃が確信しているみたいに——

 

知っているのは、私じゃなくて、佐野さんのはずなのに。

 

それなのに、梨乃はまるで「私が」何かを隠しているかのような目で見つめてくる。

 

何かがおかしい。

何かが、少しずつ、噛み合わなくなっている。

 

佐野さんが私に「知ることは人生を変える」と言ったように。

もしかすると、梨乃にとっても——

 

知ることが、全てを変えてしまうのかもしれない。

 

もし、梨乃が佐野さんに「秘密」を知られていることを知ったら?

それを私が知っていると知ったら?

 

梨乃は、どうする?

 

今まで通りでいられる?

それとも——

 

想像したくない未来が、頭をよぎる。

でも、私はもう、それを考えずにはいられなかった。

 

私は、息を飲んだまま、梨乃の視線から目をそらした。

 

梨乃の目は、なおも私を見つめていた。

 

そして——

 

その瞳の奥に、微かな影が揺れているのを、私は見た気がした。

 

それは、私に対するもの?

それとも、自分自身のこと?

 

梨乃は、私に 何を知ってほしいの?

それとも——私が 知ることを拒むもの を、梨乃はもう知っている?

 

不安が、ゆっくりと胸の奥に沈み込んでいく。

 

——佐野さんの言葉と、梨乃の視線。

 

それが、どこかで繋がる気がしてならなかった。

 

カウントダウンのように、日々が過ぎていく。

 

夏休みが始まるまで——あと、数日。

 

教室の中は、どこか浮き足立った空気に包まれていた。

誰もが、目前に迫る長い休みを心待ちにしている。

 

「夏休み、海行くんだ〜!」

「こっちは花火大会! 彼氏と!」

「課題とかマジでやりたくないんだけど……」

 

そんな会話が、あちこちから飛び交う。

楽しそうな声、弾む笑顔、熱気を孕んだ教室の空気。

 

なのに——

 

私だけが、その空気の中にいない気がした。

 

まるで、自分だけが別の時間を生きているみたいに。

 

周りの景色が、どこかぼやけて見える。

皆と同じように笑っているはずなのに、どこか薄く、上辺だけの笑顔。

 

心の奥にあるのは、期待でも楽しみでもなく——

ただ、妙なざわつきと、重たさだった。

 

夏休みまで、あと数日。

 

それは、みんなにとっては「自由」の合図かもしれない。

でも、私にとっては——違う。

 

佐野さんが、また私の前に現れるのか。

梨乃の視線が、これからどう変わっていくのか。

 

夏休みが来たら、何かが変わる?

それとも、このまま?

 

——でも、もう変わり始めてる。

 

佐野さんと過ごした、あの放課後を境に。

梨乃の目が、私を捉えるようになってから。

 

「ふうちゃん?」

 

ハッとする。

梨乃の声。

 

「どうしたの?」

 

気づけば、じっと窓の外を見ていた。

夏の光が眩しくて、何もかも白く溶かしてしまいそうなほどに強くて——

 

「……ううん、何でもない」

 

私はそう言って、また、いつものように笑ってみせる。

 

でも、その笑顔がどこまで誤魔化せているのか。

梨乃は、何も言わず、ただ私を見つめたままだった。

 

夏休みが始まるまで、あと数日。

 

その時間が、長いのか短いのか——

今の私には、わからなかった。

 

つづく

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