オブスキュラに閉じ込めたい   作:多治見国繁

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第10話 影のように

また次の朝が来た。

 

窓の外には、眩しい夏の光。

それなのに、私の心はどこか曇っている。

 

今日もすっきり起きられない。

昨日、早めに寝たはずなのに、疲れが全然抜けない。

体が重い。まぶたも、なんとなく腫れぼったい気がする。

 

気にすることが増えた。

佐野さんのことだけじゃない。

——梨乃もだ。

 

昨日の梨乃の視線が、頭の中にこびりついて離れない。

何かを探るような目。

何かを確かめようとするような目。

 

そして、それを意識してしまう自分がいる。

 

——何か、変わってきている。

 

でも、何が変わったのか。

それが、はっきりとはわからない。

 

いつもの朝、変わる空気

 

「楓花ー、また寝ぼけた顔してるな!」

 

朝食の席で、お兄ちゃんがからかってくる。

 

「うるさい」

 

適当にあしらう。

でも、全然気にしてないのがわかる。

 

お兄ちゃんは、いつも変わらない。

悩みもなく、のんきで、朝からテンションが高くて——

何も考えずに生きてるみたいに見える。

 

その変わらなさが、今は少し羨ましい。

 

私は、昨日のことをまだ引きずっているのに。

 

食事を済ませ、身支度を整える。

制服のリボンを結び、ポニーテールを作る。

 

——いつも通りの、はずだった。

 

玄関を開け、外に出る。

 

すると——

 

いた。

 

梨乃だ。

 

家の前の道路で、私を待っている。

 

普段なら、特に気にしない光景。

でも、今は違う。

 

確実に、怪しまれている。

 

目が合った瞬間、梨乃はふっと微笑んだ。

けれど、その笑顔の奥には、何か別のものが潜んでいる気がする。

 

探るような、問い詰めるような、そんな空気。

 

「おはよう、ふうちゃん。今日も一緒に学校に行こ?」

 

梨乃の声は明るい。

けれど、そのトーンの奥にある微かな違和感に、私は気づいていた。

 

「……うん、おはよう」

 

少しだけ——ほんの一瞬だけ、返事が遅れた。

言葉を出す前に、迷いが生まれてしまったのだ。

 

その一拍の沈黙を、梨乃は見逃さなかった。

 

「ふうちゃん、また……返事、ちょっと遅れたよね?」

 

「え……?」

 

「昨日もそうだった。今日も」

 

梨乃は私の顔をじっと見つめながら、

少しだけ声のトーンを下げて言った。

 

「何か……都合の悪いことでもあるの?」

 

ドクン、と心臓が鳴る。

 

——どうしよう。

まるで見透かされたような、その言葉に。

 

「そ、そんなことないよ! ただちょっと……寝起きでぼーっとしてただけ!夏バテ気味かも!」

 

笑って誤魔化そうとしたけれど、自分でもそれが空回っているのが分かった。

 

「そっか……なら、いいけど」

 

梨乃はそう言いながら微笑んだ。

でもその目は、やっぱり何かを探っているようだった。

 

——逃げられない。

 

どんどん、梨乃の視線が深くなっていく。

佐野さんのことも、昨日のことも、全部——

何も知らないはずの梨乃に、少しずつ包囲されていくような感覚。

 

それでも私は、何も言えない。

 

だって、言ってしまったら——

すべてが壊れてしまいそうだから。

 

胸の奥が、またざわつく。

 

梨乃は、何を考えてる?

私に、何を聞こうとしてる?

 

疑問が渦を巻く。

 

——今日は、どんな1日になるんだろう。

 

そんなことを考えながら、私は梨乃と並んで歩き出した。

 

梨乃は、いつも通りを装いながら、明らかに私の様子を窺っている。

 

バカな私でも、わかる。

いつもの梨乃なら、こんなふうに探るような目はしない。

でも、今は違う。

 

視線が、少しだけ鋭い。

笑顔の奥に、何かが隠されている。

——私が何かを隠していることに、気づいている。

 

息を呑む。

 

このままじゃダメだ。

梨乃の疑いを振り払うには、何かしないと。

どうすれば——?

 

私は、脳内をフル回転させる。

何か、話題を変えるきっかけが必要だ。

 

そして——

 

ふと、あることを思い出した。

 

——今日、体育がある。

 

夏休み前、最後の体育。

 

教室の窓から差し込む陽射しに、汗の記憶がじわりと蘇る。

暑くてジメジメしていて、みんながだらける時間。

だけど、私にとっては——今日はチャンスだ。

 

これは使える。

 

ここで、私は“いつものふうちゃん”を見せる。

バカで、ちょっとおかしくて、いつも通りのおっぱい星人。

そうやって、昨日の違和感を全部かき消すんだ。

 

佐野さんのことも、心のざわつきも、梨乃の探るような視線も。

 

全部、全部ごまかしてやる。

 

私は、心の中で拳を握る。

やるしかない。演じきるしかない。

 

ふっと、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 

その変化に、隣を歩く梨乃がわずかに反応する。

横目でこちらを見て、少しだけ眉をひそめた。

 

——あ、気づかれた?

 

やば……でも、もう引き返さない。

 

私は歩みを緩めて、梨乃の肩にそっと近づき、耳元でささやく。

 

「ねえ、梨乃」

 

「……なに?」

 

「今日、体育あるよね……?」

 

「え? う、うん、あるけど……」

 

梨乃は少し戸惑ったように答える。

私は、ニヤッと笑って、目を細めた。

 

「梨乃のおっぱい、また触らせてくれる?」

 

「はぁっ!?!?」

 

想定通りのリアクション。

梨乃の顔が、一瞬で真っ赤に染まる。

耳の先まで熱を持って、言葉にならない悲鳴をあげる。

 

「な、なに言ってるのふうちゃん!?

朝からそんなこと言う人、いないからね!?」

 

「え〜? 前は触らせてくれたのに〜」

 

「前と今は違うのっ! ほんとに、もう!」

 

ぷくっと頬を膨らませ、目を逸らす梨乃。

その反応が、あまりにも“いつもの梨乃”で——

私はちょっとだけ、安心する。

 

「じゃあ、もう……触らせてくれないの?」

 

「……し、知らないっ!」

 

そう言って、さらに顔を赤らめながらぷいっとそっぽを向く梨乃。

 

完璧だった。

私は、梨乃の視線が私に向けられていた“理由”を、これで上書きできたと確信していた。

 

心の奥底に押し込めた、重く沈んだ現実を、

今だけは、軽口で塗りつぶす。

 

“いつもの私”を演じることでしか、もう立っていられなかった。

 

少しだけホッとして、私は梨乃と並んで歩き続ける。

 

でも——

 

心の奥が、きゅっと軋んだ。

 

——これで、本当に誤魔化せたのかな?

 

梨乃のあの目。

昨日の視線。

そして今の微妙な反応——

 

もしかして、彼女はそれでも気づいてるんじゃないか。

 

「ふうちゃんは今、何かを隠してる」って——

 

だけど、もう戻れない。

 

私は、“知らなかったふり”をする道を選んだのだ。

 

それでも、どうか、今日一日だけは。

この芝居が、通じてくれますように。

 

 

いつも通りの一日が始まり、午前の授業を終えたあと、お弁当を食べて、そして——午後。

 

勝負の体育の時間がやってきた。

 

ここで、“いつもの私”を演じきらなければならない。

 

梨乃の疑念を振り払うためには、

「変わらないふうちゃん」

「何も気にしてないふうちゃん」

「相変わらずバカで、ちょっと変態な、からかい好きのふうちゃん」を見せなきゃいけない。

 

そうしなきゃ、きっと梨乃に見抜かれてしまう。

 

心がざわついてることも。

佐野さんのことが頭から離れないことも。

昨日の私の態度が、どこかぎこちなかったことも。

 

全部、あの子には見透かされてしまう。

 

だから私は、決めていた。

 

今日は、やる。

 

着替えの時間。女子更衣室。

 

放課後が近づく蒸し暑い午後。

外は容赦なく太陽が照りつけて、窓を開けてもぬるい風しか入ってこない。

体育館から漏れてくる音と湿気。

制服を脱ぐたび、肌に貼りついた布がぺりっと音を立てる。

 

空調の効かない更衣室の中で、

熱気と汗のにおいがごちゃまぜになって、

どこか甘く、少しだけくすぐったい空気が漂っている。

 

私は、着替えながら隣の梨乃にそっと視線をやる。

 

いつもと同じように、梨乃は制服のシャツを脱ぎ、ていねいにたたみながら、何気ない顔で体育用ブラに手をかけていた。

 

梨乃が着けていたのは、薄紫のレースがあしらわれた、どこか大人びた印象のブラだった。

 

透け感のある繊細なレースが、汗ばむ肌にしっとりと貼りついていて、

その柔らかな曲線をほんの少しだけ際立たせていた。

落ち着いた色合いなのに、どこか艶めいた雰囲気がある。

 

「……え、梨乃って……こういうの、着けるんだ?」

 

私は思わず口にしてしまう。

 

すると、梨乃は顔を真っ赤にして、

 

「ち、違うのっ……!サイズが合うのが、こういうのしかなくて……っ」と、小さく言い訳をする。

 

そう、きっと彼女にとっては実用的な選択のはず。

けれど——そのブラは、梨乃の体にあまりにもよく似合っていて、

意識していないはずの“色気”が、そこからこぼれ落ちていた。

 

——今だ。

 

この自然な流れの中で、私は“いつもの私”を始める。

 

「ねぇねぇ、梨乃〜」

 

わざと声を甘く、いたずらっぽく呼びかけながら背後に回り、

ぴたりと梨乃の背中に体をくっつける。

 

そして——宣言通り、梨乃のおっぱいに、そっと手を伸ばした。

 

「ふ、ふうちゃんっ!? なにしてるのっ!?」

 

案の定、声が裏返る。

そのリアクションがもう、愛おしくて、私は笑いをこらえながらにへらっと笑う。

 

「へへへ〜っ、予告通り〜!今日も元気に確認タ〜イムっ!」

 

手のひらに伝わる柔らかさ。

ふわっと沈んで、だけど確かな弾力があって。

汗ばんだブラ越しの体温が、じんわりと私の指に染み込んでくる。

 

——昨日までの重たく湿った気配とは、全然違う。

 

【挿絵表示】

 

 

「ふ、ふうちゃんっ、ほんとにもう……っ!」

 

「でもさ、安心したよ〜。ちゃんと今日も、重たくてあったかい梨乃のおっぱい健在だもん」

 

「もぉおおお!ばかっ!」

 

ぷくっと頬を膨らませる梨乃。

でも、手を振り払おうとはしない。

 

私はニヤニヤしながら、さらに調子に乗る。

 

「ねぇねぇ、もしかしてさ〜、見せつけたいって思ってたり?ふふっ」

 

わざと耳元に顔を寄せて、吐息混じりに囁くと、

梨乃の耳が目に見えて赤くなっていく。

 

「ち、ちがっ……そんなわけ、ないもんっ!」

 

肩をぷるぷると震わせながら否定する姿が、もう、可愛すぎて。

 

私は、さらに囁きを重ねる。

 

「でもさ〜、“いやらしくないブラ”つけてますよ〜って顔しながら、ほんとはちょっと意識してたりして〜?」

 

「ち、ちがうってばっ!ほんと、ふうちゃんのエッチ!」

 

「えへへ〜、でもさ〜、私に見られるぶんには、別にいいんでしょ?」

 

「よ、よくないよぉ……!」

 

言いながらも、梨乃は目をそらして、それ以上否定しない。

 

——そう。

 

怒ってるふりしてるけど、本気じゃない。

 

だから、私はこのやりとりを続けられる。

この、ふざけた“バカなふうちゃん”を、演じていられる。

 

そんな風にじゃれ合っていられることが、

今の私にとって、どれだけ救いになっているか。

 

胸の奥に重く沈んだ不安や罪悪感を、

たった数分間だけでも忘れさせてくれる、魔法みたいな時間。

 

でも同時に、心の奥では思う。

 

——こんなふうに誤魔化していられるの、あとどれくらいだろう?

 

“普通の私”を演じることで、

どこまで逃げ続けられる?

 

不安の影がチラリと見えた瞬間、私は急いでその思考を頭から追い払う。

 

ダメダメ、今は笑ってなきゃ。

 

今だけは、いつも通りのふうちゃんでいるって、決めたんだから。

 

私は体操服のシャツを頭から被り、くしゃっと髪を整えながら鏡を見た。

 

——バカで、明るくて、変態な、ふうちゃん。

 

その仮面をきっちり被って、

また今日も、みんなの前に出ていく。

 

そうやって、今日もなんとか取り繕った。

 

ほんとは、ぜんぜん余裕なんかない。

心の奥では、何かが崩れていく音がしてるのに。

 

でも、それでもいい。

 

私が崩れてしまったら、たぶん全部壊れてしまうから。

 

だから、せめて——

 

梨乃の前では、変わらないふうちゃんでいたかった。

 

そうやって笑って、からかって、

騒いで、誤魔化して。

 

それが、今の私にできる、精一杯の“強がり”だった。

 

 

そしてふと、気づく。

 

——そういえば、今日もいなかった。

 

佐野さんの姿。

 

朝から一度も見ていない。

授業中も、休み時間も、放課後も。

教室にも、廊下にも、あの無表情な少女の影はなかった。

 

あれから、何も連絡もない。

電話も、メッセージも、一切ない。

 

……もしかして、本当にいなくなってしまったのだろうか。

 

そんなことを考えた瞬間、

胸の奥が、ひゅうっと冷たくなる。

 

——なんで、こんなに気になるんだろう。

 

怖いと思ってたはずなのに。

もう関わりたくないって、思ったはずなのに。

 

それでも私は、今日もまた——

無意識に、佐野さんの姿を探していた。

 

今日は——平和に終わる。

 

そう思っていた。

梨乃には、なんとか誤魔化せた。

佐野さんも、姿を見せなかった。

 

何も起きない日常。それが、これほど安らぐものだとは思っていなかった。

 

今日は、ぐっすり眠れる。

久しぶりに、心を休められる夜になる——

 

……そのはずだった。

 

けれど、現実はそんなに甘くないらしい。

 

布団に入って、スマホを何気なく確認したとき。

そこに、見覚えのないアドレスからのメールが届いていた。

 

その送り主は、名前などなく、ただ一言——

 

**「佐野衣織」**とだけ、件名に記されていた。

 

「……えっ?」

 

思わず、心臓が跳ねる。

 

教えた覚えはない。

電話番号も、メールアドレスも。

一度も、佐野さんに伝えた記憶はない。

 

なのに——どうして。

 

番号ではなく、メールアドレスを使ってくるあたり、明らかに「意図的」だとわかる。

私の個人情報を、あの子はどこかで知ったということ。

その事実が、ひやりとした寒気を背中に這わせる。

 

そして、開いたメールの本文にあったのは、たった数行のメッセージ。

 

「あなたの秘密を、教える。」

「あなたが知りたがっていたことの正体を。」

 

たったそれだけなのに、指先が震えた。

画面の中の文字が、まるで毒のようにじわりと心に染み込んでくる。

 

佐野さんが言っていた「覚悟」。

 

それは、きっと——この先にあるものなのだろう。

 

私は、スマホの画面をじっと見つめたまま、しばらく動けなかった。

 

了解、先ほどの続きとして自然に挿入し、緊張感と不穏な空気を強調しながら書いてみます。

 

 

メールの下には、さらに一行だけ、短い文が続いていた。

 

「今すぐ町外れの廃墟に来て」

 

私は、思わず息を止めた。

 

町外れの——廃墟。

あの、古い工場跡地のことだろうか。

 

昼間でも不気味で、人通りもない場所。

子どもの頃は、肝試しの定番だったけど、夜になると誰も近づかない。

 

——そんな場所に、今すぐ来いって?

 

背中を、冷たいものがひとすじ這い上がる。

 

何をするつもりなの?

こんな時間に、こんな場所で?

 

心臓が、少しずつ速くなる。

さっきまでの安堵が、音もなく崩れ落ちていく。

 

画面を見つめたまま、喉が乾く。

まるで、このメールを開いた瞬間から、別の世界に引き込まれたような——そんな感覚。

 

佐野さんは、何を見せようとしているの?

 

「……行くしか、ないの……?」

 

小さく呟いた声は、自分でも驚くほど震えていた。

 

「……いや、行かないと」

 

自分の声が、思った以上に静かで、でもどこか固かった。

指先がまだ震えているのに、心の奥では別の熱が静かに燃えている。

 

「私は……覚悟をしたんだから」

 

あの夜、佐野さんに問い詰められて。

“知ること”がどういう意味なのかを、何度も、何度も突きつけられて。

 

それでも私は「知りたい」と言った。

全部、分かった上で——自分の意思で、そう答えた。

 

「それでも、知りたいって言ったんだから……」

 

覚悟を証明する。

佐野さんは、そう言った。

 

なら、今がその時なんだ。

 

行かなきゃいけない。

逃げたら、あの時の自分に嘘をつくことになる。

 

私はスマホを強く握りしめ、深く息を吸った。

 

——怖い。

だけど、それ以上に、私は“真実”を知りたいと思ってしまっている。

 

佐野さんが抱えるもの。

梨乃の“秘密”。

そして、自分がどこに巻き込まれようとしているのか。

 

「……行こう」

 

決意のように、囁く。

 

制服のまま、鞄を肩にかけて、玄関のドアに手をかける。

外はもう、夜の気配が濃くなってきていた。

 

夏の空気が、少しだけひんやりとして、肌を撫でる。

 

それでも私は一歩を踏み出す。

 

——行こう、佐野さんの元へ。

その先に何が待っていようとも。

 

 

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