《1》
温泉の町での一件は、ひとまず解決した。
遅れてやって来たグラディス領お抱えの軍団の対応をシトリーに任せ、蛙になったティノ達を人間に戻したりと後処理を円滑に進めていった。
バレル盗賊団はそのまま連行され、共闘したハンター達も皆それぞれの活動に戻るため片付けを始めている。温泉ドラゴンもクライの指示で救出され、アンダーマン達は大人しく地底へと帰っていった。
こうしてようやく『
***
太陽の下、倒壊した建造物が再建されていく風景を横目に、ルシアは苛立ちを募らせていた。
温泉を楽しみにしていたルシア。盗賊団やらドラゴンのせいで、町を破壊されたのが原因で苛立っている……訳ではない。
再建が進んでいるものの、別に全ての旅館や温泉施設などが営業できていないわけではない。被害を受けず無事なところも多々あり、何なら
様々な温泉施設も町を救った
そして何より一護と楽しみにしていた温泉だ。
勿論、ルシアの歩く隣には一護がいる。
では何故、この満点のような状況下で苛立っているかと言うと、それは単純なことであった。
「それにしても、あんな絶妙なタイミングで一護さんが来てくださるとは思いませんてました。さながら白馬に乗った王子様のような凛々しさでしたよ」
ルシアの隣を歩く一護の、その反対側にはシトリーがいたのだ。
流石に全ての時間を一護と二人きりで楽しみたいなど、土台無理な話である。だが少しの時間だけでも二人で温泉の町を楽しむ、と切に願っていた矢先がこれであった。
ルシアは不満そうに頬を膨らませて、共に歩くシトリーに言葉を投げかける。
「ちょっとシト、一護さんにくっつき過ぎです。もう少し離れて歩いてください」
「えー、そんなことありませんよ。この距離感は普通だと思いますよ? ねぇ一護さん」
ルシアの指摘に対して、シトリーは猫なで声を上げて一護に同意を求めた。
「お、おう。そう、なのか?」
「はい。それに私たちは幼馴染です。ならこれも至って普通の接し方です」
戸惑いを見せる一護の隙をついて、シトリーが一護の腕に抱き着いた。
それも胸を押し付け、浴衣の胸元を開けて谷間をしっかり見せつけるが如く。自身の武器をしっかり把握しており、惜しみなく使っていた。
「っ! お、おいシトリー、少し離れろ……!」
「いいじゃないですか。今まで離れていた分、こうして一緒に過ごしましょう? 何でしたら、帝都に帰った際は住居を共にしてもいいですよ?」
「馬鹿なことを言わないでください! あと腕をそんなくっ付けないでください! ああもう、一護さんも顔がニヤけてますよ!」
「ニヤけてねえよ!」
盛大に狼狽えを見せる一護とルシアを、シトリーはまるで可愛い物でも見るかのような視線を向ける。
だからこそ、意地悪なことを言ってしまいたい欲求に駆られた。
「ルシアちゃんもほら、一護さんの片腕あいてますよ?」
「だから何ですかっ!?」
赤面しながら子犬のように吠えるルシアをからかって楽しむシトリーに、一護はじっとりと嫌な汗が背中を伝った。
再会してまだ数日だが、それだけでルシアがいつ爆発するのかを、だいたいだが読めるようになってきた今日この頃。爆発した暁には憤怒から放たれる魔法か、もしくは機嫌を損ねてしまうだろう。
一護は天を仰ぎながら、なぜこうなったのかを振り返った。
――時は遡り数時間前。
とある高級旅館の一室で、シトリーとアンセムを覗くメンバーが顔を合わせていた。
畳の部屋で、全員が浴衣に着替えている。それに対して一護はどこか懐かしい気持ちになっていた。
「改めてだけど、会えて本当に嬉しいよ一護。何年ぶりかな? 身長も凄い伸びてるね。元気そうでよかったよ。病気とかしてなかった?」
「お前は親戚のおっちゃんかよ。まぁけど、俺も会えて嬉しいぜクライ。これでようやく腰を据えて話せるな」
畳に座布団を敷き、各々がお着き菓子を摘みながら寛いでいた。
「全くです。リーダーは行くところ行くところでトラブルを起こしますから。ゆっくりできる時間の方が貴重なくらいです」
「そいつはまた難儀だなクライ。今回の騒動も、引き寄せちまったってわけか」
「うんうん、僕は意図してないけど、そうなった感じかな? 本当はバカンスだから、こんなことになってほしくなかったんだけどね」
「……もう、本当にお気楽な二人ですね」
一護とクライの能天気さに、ルシアは呆れて溜息をついた。
クライもトラブル体質だが、一護も負けじとそれに近いものを持っている。この二人が揃うと、化学反応を起こして更なるトラブルが生まれそうな気がする。それも国家レベルの。
先行きの見えない今後の
「いいじゃん。波乱万丈上等だっての。退屈なのよりマシじゃん。なぁティー?」
「は、はい! お姉さま!」
リィズに振られたティノが動揺しつつ答えた。ティノ的にはトラブル三昧は嫌なようだ。
「そういやティノ、だったよな。まさかクライ達の知り合いだったなんて驚いたぜ。すげぇ偶然だな」
「はい。私も黒崎さんがますたぁ達の幼馴染だったと知り驚きました」
「これから俺も
「いえいえそんな。私の方が迷惑をかけると思いますので、えっと、その時はよろしくお願いします!」
ティノとは数日前、宝物殿にて出会っている。
帝都のトレジャーハンター事情について様々なことを教えてもらい、そこから縁が途切れず繋がっていきスヴェンやアークなど、
更には幼馴染たちと顔馴染みどころか、一緒にバカンスを楽しむ仲ともなると神の導きたる縁と感じずにはいられない。
「ねぇねぇ聞いてよ一護ちゃん。ティーはね、私の弟子なんだよ。凄いでしょ!? 私ってば教える立場になったんだよ」
「は? リィズが先生だと?」
リィズの誇らしげに言った衝撃発言に、一護は面食らった。
あのリィズが先生? 天真爛漫と破天荒さを絵に描いたような短気属性のリィズが教鞭を振るっている? 鞭を降っている姿は想像に難しくないが、これが指導する側となると想像が難しい。
一護はクライに疑惑の視線を送るとそれを肯定するように、クライがうんうんと頷いて見せた。どうやら真実であったらしい。
「なぁに一護ちゃん、疑ったの? 心外〜」
「いや、今までのお前との付き合いを見てたら疑って当たり前だと思うぜ。まだルシアかアンセムの方が納得できる」
「失礼しちゃう。こう見えてちゃんと鍛えて上げれてるんだから。なぁティー?」
「は、はい! しっ、しっかり鍛えさせてもらってます!」
急に振られたティノがドキッとして、言葉が上滑りしてしまっていた。
その態度を見て、一護は合点がいく。
これはリィズ目線で、相当なスパルタ教育を受けている。おかげでティノは肩を震わせて、表情が強張っていた。
思えば幼馴染たちは自分に厳しいところがある。各々が求道を極めんとしている為、それ故に他人にも厳しいところがあり、誰かを指導するのには向いていないと思う一護であった。
「それより一護さぁ、さっき俺の相手を取ったんだから、確認だけどこれって貸し1だよな?」
「何だよ藪から棒に。まぁあれは悪いことしたと思ってるけどよ」
ルークが茶を飲みつつ、確認するように念を押してきた。
先ほど、リィズとルークが相対していたグリムジョーとの戦いを横から奪った一護。二人からすれば極上の獲物を、喰らう寸前に横取りされたに等しい。
「あの厳つい顔した
「分かったよ。貸しにしてやる」
「よしやったぜ。こいつは棚ぼただなおい」
「ちょっとルークちゃん。あの相手ってもともと私がしてたんだけど。それをルークちゃんと一護ちゃんの二人に取られた私の立場は?」
「おう、だったら一護に貸しをつけとけ」
「いや、この場合はルークちゃんも私に貸しだからね。勿論、一護ちゃんも」
「分かった分かった。今回ばかりは俺が強引すぎたってのもあるから、この貸しはいつか返してやるよ」
恐らく決闘という場で、と言う覚悟を秘めながら一護は後悔の念を抱いて嘆息した。
「一護、知ってると思うけど、リィズとルークの貸しは倍にして返さないと満足しないから気をつけてね」
「だろうな。つうかクライ、この後はどうするんだ? 少しはこの町でゆっくりするんだろ?」
「そうだね。せっかくみんな揃ったんだし、温泉をみんなで浸かりたいね」
「温泉……」
一護とクライが会話をする中で、ルシアが温泉と言う単語に引っ掛かりを見せ、同時に一護を見据えた。
「一護さん、温泉」
「あ、ああ、覚えてるぜ」
「? ルシアお姉さま?」
強い視線で、暗に約束覚えてますよね?と言う確認を込めて、ルシアが呟くように言った。その隣に座るティノは今まで感じたことのないルシアの雰囲気に、少し怪訝な表情をしていた。
そして戻ってきたシトリーとアンセムに事情を説明し、巨漢のアンセムを含めたみんなで温泉を楽しむべく行動に出た。ちなみにこの温泉の町にはアンセムが入れるような大きな温泉がないため、自分たちで作ることとなった。
既にその考えを予測していたのか、シトリーがスルスの町の一画の土地を購入していた。恐ろしい資金力である。
そんなこんなでルークが温泉を掘るだの、ルシアの魔法で源泉を掘り当てるだの、様々な案が出た。しまいにはクライがルシアに温泉を出してなどと、気軽に言ったため怒り心頭だった。どこぞの青タヌキかっての。
そして紆余曲折を経て、滞りなく温泉開発が進んだ。それはひとえにアンダーマンの協力があったからである。何でもクライのことを諦めていないのも、人間に自分たちの方が上位種族なのを誇示するために行動していたとか。
それでアンダーマンの協力のもと源泉を引いたり、新たな建築物の建造、そして壊れた町の再建にも手を貸してくれた。
よって、ここでみんなに空き時間が出来たのだ。
「……今ですね」
ルシアは仲間たちが見学や手を貸す中で、そっと一護に歩み寄った。
「一護さん、今いいですか?」
「おう、どうしたルシア?」
アンダーマンが自身の触手で建築作業をするのを興味深そうに見ていた一護は、近づいてきたルシアに視線を移した。
「お、温泉に、二人で一緒に行きましょう?」
「温泉にか?」
今まさにアンダーマンの手により開発が進んでいる温泉を一瞥し、この温泉じゃダメなのか?と疑問に思う一護。
しかしルシアが最近、何やら憤懣が溜まっていると感じていたため大人しく従うことにした。
「ああ、いいぜ。他のみんなも誘うか?」
「いいえ、今回は二人でお願いします。誰にも気付かれないようにしてください」
ルシアは人差し指を口元に当てがい、静かに行動するよう示唆する。
意図が読めない一護だが、下手に逆らってはいけないと長年の幼馴染としての直感が働き、その指示に黙って従う。
そして浴衣の裾を引っ張られる形で、隠密行動さながらの動きで移動した……その時である。
「二人で何をこっそり密談していたのですか?」
二人の行く手を遮るようにして、不穏な笑みを浮かべたシトリーが現れた。
さながら逃がさないと言わせんばかりの気迫を纏った彼女に、ルシアは歯痒い思いで拳を握り締めた。
「シト、どうして……ッ」
「ん~、二人の様子を見るからに、逢引き、と言うやつですか?」
「ちッ、ちが――」
「はい、お静かに。分かっていますよ。誰にも気づかれたくないんですよね? 大声で反応したらバレますよ」
全て見透かされているかのように注意を受け、心中穏やかではないルシア。なぜここまでこちらの行動を把握しているのか、疑問が沸々と湧いてくる。
横目に他のみんなの様子を伺うと、アンセムがアンダーマンたちの作業を見守り、恐らくその影に隠れてクライとティノがいる。ルークとリィズはアンダーマンに勝負を挑もうとしているのか、重い石材などを持ち上げたりと挑発行為が続いていた。
よって今のところ、誰もこちらに気づいた気配はない。
「……何が望みですか?」
観念したようにルシアが下唇を噛みしめると、シトリーは殊更に笑みを深して遠慮なく所望を口にした。
「私もご一緒させてください」
勝気な笑みを浮かべて言った単調な言葉に、ルシアは崖に叩き落されたような絶望を抱くこととなったのだった。
《2》
そんなこんなで三人で温泉の町スルスをぶらついている。
観光客はいないものの、各所で再建作業が行われていたりアンダーマンに驚きの声を上げている者がいたりと、閑散とはしていなかった。
そして幸いなことに、無事なところは営業してくれている為、退屈もしない。
「あ、一護さん、お土産屋さんがありますよ。そういえば知ってますか? この町の名物に『温泉ドラゴン卵』という温泉卵があるんですよ。一緒に食べてみませんか」
「温泉ドラゴン? この町にドラゴンがいんのか?」
「はい。一護さんが参戦される前に沈められてしまいましたが、それまでは猛威を振るっていたドラゴンです。蒸気を放つのが特徴的なドラゴンですね」
「へぇ、そんなのがいるのか」
関心も少々に、一護の視線は土産屋から営業中の温泉施設を探すためキョロキョロとし始めた。
ルシアとの約束である温泉。
まずは何より、それを最優先にして動くことを心掛けている。これ以上、ルシアの機嫌を損ねることをしたくないがゆえ。
すると、ちょうど前方の一等地であろう場所に古色蒼然とした温泉宿があった。のぼりには日帰り入浴歓迎とある。
絶好の場所を見つけた一護は、二人に声を掛けようとした瞬間だった。
「いい温泉だったわね。これでもう心残りはないわ」
「たく、俺は早く帰って宝物殿で修行してえよ」
「皆さんには、本当に感謝してます。ありがとうございました」
その温泉宿から団体さんが出てきた。
一人は一護たちがここにくる途中に助けたクロエ。そのクロエが恭しくしているのは赤毛の少年が率いているパーティと、そして一護と同い年くらいの女性。
更に、まだ団体さんは続いた。
「いいや、感謝を言われるほどの働きはしていない。するのなら、千変万化に感謝するといい」
恐らく高レベルハンターだろう、恵まれた体格と大きな剣はそれだけで厳格な威圧感を感じ取れる。ここにルークがいなくてホッとした。
するとこちらに気付いたのか、大男が突き刺すような視線を向けてきた。
「貴様は『
視線をシトリーから、一護とルシアに移して観察していく。
一護は不審に思い、シトリーに耳打ちした。
「誰だ、あいつら?」
「
「そいつは大物だな」
レベル7と言えば、トレジャーハンター界でも屈指の実力者に与えられる称号だ。一護よりも5も上である。
「あと、もう一つのパーティーは私も詳しくはないのですが、確かクライさんのお知り合いですね」
「そうか。なら、挨拶くらいはしとくか」
シトリーの話を聞いた一護は、団体のパーティーグループに歩み寄った。
すると観察していたアーノルドが、一護に先んじて声をかける。
「貴様は、千変万化の仲間か?」
「千変万化ってクライのことだよな? なら、仲間で間違いないぜ。俺は黒崎一護、よろしくな」
一護は自分よりも背丈が上の男に対しても、一切臆することなく名乗った。
アーノルドも目の前の男が、あの時に乱入してきた黒衣を纏った男だと理解して名乗り返した。
「俺はアーノルド・ヘイルだ。そうか、やはりあの男のパーティーメンバーで間違いなかったか」
「何で俺がクライの仲間だって分かったんだ?」
「あそこの女とは少なからず因縁があってな。共にいたと言うことで、簡単に推察できただけのこと」
視線を後ろで素知らぬ顔をしているシトリーに向けて、アーノルドはどこか蟠りの残しているような心境となっていた。
因縁、とはまた穏やかではない物言いに、一護は疑念を抱くも
「アンタらも帝都のハンターなのか?」
「いいや、俺たちは霧の国ネブラヌベスの出身だ。小国でレベル7になった身だったのでな。ハンターの聖地である帝都に赴き、俺たちのレベルが通じるか確かめに訪れていただけだ」
「それで、通じたのか?」
「……いいや、俺たちがまだまだ未熟だと思い知らされる結果となった」
後ろにいる我関せずと周囲を眺めているシトリーに、刺すような視線を向けてアーノルドが言った。
一体この二人に何の因縁があったのか、一護の知る由はなかった。だが手を出してこないところを見るに、何かしらの理由か恩が出来たのだろう。
そんな憶測を立てていると、クロエが話しかけてきた。
「黒崎さん、あの時はどうもありがとうございました。おかげで無事に依頼も成し遂げることができました」
「クロエ、だったよな。俺はほとんど何もしてねえから、労いなら他のみんなにしてやってくれ」
謙虚な態度の一護を見て、クロエは少しクライと重ねてしまった。
クライは自分の成果を他人に譲るところがあるので、そんな姿勢がどこか似ていると感じてしまった。
「お前、あの千変万化の仲間なのか?」
「ん、ああ」
赤毛の少年が横柄な態度で、一護に話しかけてきた。
一護的には生意気なガキが絡んできた心象に近いが、自分よりもハンターレベルが高い相手と言うことはまだ知らない。
「俺はギルベルトだ。悪いけど千変万化に伝えといてほしいことがある」
一護も自己紹介をしようとしたが、ギルベルトは矢継ぎ早に用件を口にした。
「俺はいつかアンタを越える。首を洗って待っとけってな。頼んだぜ、絶対に伝えてくれよ」
「お、おお。分かった、伝えとくぜ」
熱意を滾らせて真摯に言った言葉に、一護は押し負けるかたちで頷いた。
こいつはクライのライバルなのか? と一護は率直に感じ取ると、いい関係じゃねえかと間違った解釈で理解してしまった。これはただのギルベルトの一方的な想いである。
「クライの友達なら、私も自己紹介しておこうかな」
そして栗色の髪をした一護と同い年くらいの女性が、先のギルベルトとは対照的に落ち着いた物腰で話しかけて来た。
「私はルーダ・ルンベック。まだハンター歴は浅いけど、帝都を中心にソロハンターをやってるわ。よろしくね」
「俺は黒崎一護だ。帝都でなら、これからも顔を合わせることもあるだろ。よろしくな」
二人は握手を交わし、自然と一護の視線が下に行く。
リィズやティノと負けず劣らぬの露出具合。しかも前者二人と違い、ルーダは色香漂うたおやかな身体つきをしている。正直、かなり色っぽい。
小恥ずかしくなり顔を逸らすと、その先に笑みを浮かべるシトリーと、仏頂面のルシアがいた。
「ほら一護さん、こんなところで油を売っていないで行きましょう。時間の無駄ですよ」
「鼻の下が伸びてます。早く温泉に行きますよ一護さん」
「お、おう。じゃあな、みんな」
一護は二人に引っ張られながら、唖然とするクロエたちを背にその場を後にした。
この時の二人の心中では、ルーダと言う女性は一護と気が合いそうなので危険、と判断して動いていた。
***
かくして、一護たちは遂に目当ての温泉へとやって来た。
日帰り温泉施設で、他に客もいないので三人の貸し切り状態。源泉かけ流しで、和の国直伝の中庭が作庭されており、心が洗われる景観を堪能しながら温泉を満喫できる露天が売りの施設。
一護は、そんな極楽浄土を全身に感じながら熱い湯に身を預ける。
まさに風流。
晴天の下、自然の空気を感じながら熱い湯船に浸かると、今日までの疲れが全て湯に溶けていく。
文句のつけどころのない温泉だが、唯一問題があるとすれば……
「一護さん、知っていますか? 温泉って化学成分が一定量以上ないと温泉とは呼ばないらしいですよ」
「ああ、そうなのか」
「後ですね、温泉旅館などのお部屋に置いてあるお菓子ですが、あれって温泉で貧血や立ちくらみを防ぐためなんですよ。知っていましたか?」
「ああ。つか何で雑学を披露されてんだ俺」
「シト、もう少し離れてください。一護さんが窮屈そうです」
「え~、そうですか? そんなことありませんよね一護さん」
「ちょっとなに寄ってるんですか、もお!」
一護の両脇には、同じく湯船につかるシトリーとルシア。
露天風呂も内装も完璧だが、問題は混浴しかなかったことだ。
何でもこの温泉施設の経営理念が「男も女も裸で平等に一期一湯」などと頭を痛めるもので、それ故に混浴しかない。入る前に気づくべきだったが、時既に遅い。
救いかどうかは分からないが、温泉の成分により湯の色は透明ではなく乳白色なところだろう。なので浸かっている間は、大切な部分が見えない。
「たく、何で混浴なんだよ……」
子供の頃と違い、二人とも年相応の豊麗な身体つきになっている。張りのある肌は白く雪のようであり、湯の温もりからくる熱により頬が艶やかな朱を帯びていた。
正直、目のやり場に困るところだ。
「一護さん、もしかして恥ずかしいんですか? 意外と初心だったんですね」
「うるせぇよ。つか、お前は羞恥心とかねえのか? まさか男の身体に慣れてるって訳じゃ、ねえよな?」
「そんな酷いです一護さん! 言っときますけど、私は純潔ですから。一護さんだから、特別に一緒に入浴してるんですよ?」
「聞いて……いや、聞いたのか。くそ、調子が狂うな……ッ!」
動揺を隠せない一護。
幼い頃は薬の勉強に必死に取り組む、内向的で物静かな性格だったのに、今では立派な魔性の女の出来上がりである。後でクライにどういう経緯があってこうなったか問い詰めようと決めた。
「あ、あの一護さん。私も、もっ、もちろん純潔ですから! か、勘違いしないでくださいね」
「おうそうか」
何やらシトリーに対抗するようにして声を上げるルシア。
ルシアもルシアで抜群のプロポーションをしており、立派な妖艶的女性になっている。正直、意識しない方が難しい。アンセムも全体的に大きく成長しているのに、なぜリィズだけ体型がほぼ変化していないのか、これは流石に誰にも聞けない。
「…………私の時は、冷静に答えるんですね」
動揺を殺して、頑張って冷静に答えたのが仇になったらしい。
ルシアがジトーっとした物言いたげな目で一護を見てくる。その視線から一護は逃げるように目を泳がせた。
「あ……そう言えば、山の温泉って動物だけじゃなくて、実はモンスターなんか浸かりに来るらしいぜ」
「なに一護さんまで雑学を披露しているんですか? しかも、そんな雑学はありません」
話を逸らすために、急ごしらえの与太話をするも軽く一蹴されてしまった。
「……はぁ、もう面倒です。一護さん単刀直入に聞きます」
「は、はい」
ルシアが威圧感を纏って顔を近づけてきたため、一護は盛大に狼狽えてしまった。
「私のこと、どう思っていますかっ!?」
「え、妹、みたいな」
決死の覚悟で聞いた質問だったが、一護は即答する。特に熟考することも焦らすこともなく、即答する。ドキドキ感皆無である。
その回答を聞いたルシアは、ジト目どころか睨むようにして腹の底から一言口にした。
「がっかりです!」
「何でだよ!?」
「一護さんに乙女心を求めてはいけませんよルシアちゃん。鈍感なんですから。そこはホント、昔から変わっていませんね」
「馬鹿にされてんのか俺……」
シトリーの横槍が突き刺さり、一護は肩を落として溜息をついた。
「ですから、一護さんには直接的な物理干渉が一番の愛情表現になります。例えば、こんな風にです」
湯船を揺らして、シトリーが身を寄せると、そのまま一護の片腕に腕を回してきた。
一護も、そしてルシアもそれに驚愕の表情をした。
「ッ!? シトリー! お前なにしてんだよ!?」
「一護さん、あまり暴れないでください。色々と当たってしまいますよ?」
「聞いたことねえよんな脅迫!」
しかもガシッと力強くホールドされている。流石はリィズとアンセムの妹、引き剥がすことができない。
「何してるんですかシト! 破廉恥です! 今すぐ離れてください!」
勢い余ってだろうか。ルシアは湯船から立ち上がって、シトリーに抗議した。すっぽんぽんを曝け出した具合である。
「ッ!? おいルシアまえまえ!」
「――ッ!!?」
ルシアは声にもならない悲鳴を上げて、頭まで湯船に潜る。
そして顔から火が出る思いをしたルシアは、そのまましばらく湯船から顔を出さなかった。
「あら、ルシアちゃん。随分と大胆なことをしたと思ったら、本意ではなかったようですね」
「当たり前だろ……」
シトリーと違って慎ましい性格をしているルシアだ。そんなことを意図してする訳ない、と心中で痛切に思う。
――ああ、あの頃の内気なシトリーはどこへやら。
「一護さん、目が口以上にものを語っていますよ。おおかた、私とルシアちゃんを比較して、何で私はここまで積極的に大胆なことができるんだろうと思いましたね?」
「……当たらずとも遠からずだ。まさかシトリーが、こんなグイグイくるタイプだなんて思わなかったからな」
「――一護さんが悪いんですよ」
瞬間、シトリーが耳元でささやくように呟いた。
生温かい吐息が耳に触れ、一護は背筋に淡い震えが走り抜ける。
そしてシトリーの囁くような艶めかしい声が、ダイレクトに一護の鼓膜に響いた。
「ずっと私を待たせるんですもの。この十年に渡る想い、ぶつけてもいいじゃないですか」
言葉の輪郭が、そのまま肌に溶けていくようだった。
恋する乙女の恋い焦がれる長年の恋情をほとばされては、流石の鈍感な一護でも察しがついてしまう。
何て答えたらいいのか分からず窮していると、すぐ片脇からルシアが湯船から顔を出した。随分と長い潜水だった。
「……なに一人で思いの丈をぶつけてるんですか、もお」
スススと、ルシアが一護の前に移動し、そのまま湯船に浸かる一護の膝の上に座った。
「なッ、ル、ルシア……?」
胡坐をかいて座る一護の足の上にお尻を置いて座るその体勢は、とてもではないが一護の許容の外だった。
心臓がドキドキと鼓動を早くする。ルシアに聞こえるのではないかと、焦るくらいである。膝の上に、柔らかな重みが乗り、密着した太ももから彼女の体温が伝わってくる。その温もりに、全身の血が激しく巡るのを感じた。
「わ、私も、一護さんとこうしたかったんです……! す、少しくらい、我慢してくださいっ」
恐らく顔を真っ赤にして言っているのだろう。
自分の膝の上に、こちらに背を向けているため顔は見えないが、声の震えから察するに恥ずかしさが爆発して真っ赤のはずだと、一護は同じく顔を真っ赤にして思った。
「ルシアちゃんがここまで積極的に好意を示すなんて、とても驚きです。全く、一護さんも罪作りな人ですね」
「好意とか、そんな直接的なこと言わないでください。私だって、もう心臓が張り裂けそうなくらい恥ずかしいんですから……っ」
「そんなルシアちゃん、とっても可愛いですよ。だって、こんなスキンシップを求める姿、初めて見ましたから」
「うるさいですよ。せっかくの雰囲気が台無しになるので、少し黙ってください」
そして黙って湯船に浸かる三人。
どう切り出すべきか、やはりここは男らしく自分から口火を切るのが最適か、などと悶々としながら頭を抱える。長年、宝物殿の攻略や修行に明け暮れていたせいで、この年までこういう場面での異性との言葉の紡ぎ方を知らない。
千思万考の末、思考の海に沈みそうになった瞬間、二人から先に声が上がった。
「あの一護さん。私たちの想い、応えてくれますか?」
「え?」
「私たち、と言うのは大変不本意ですが、今はそれで結構です。一護さん、あの、どうですか?」
「うら若き乙女にここまで言わせたんですよ? ここで答えてくれないと、少しだけ幻滅しちゃいます」
二人の熱が同時に押し寄せてきて、耳の奥で自分の鼓動がうるさいほどに響いている。
板挟みとなったこの状況だが、相手は幼い頃から付き合いのある幼馴染。片や自分の家で一緒に薬の勉強をしてきた友で、片や一緒に寄り添って魔法の勉強に付き合って上げた友。
一護からすれば、妹のようなものだと思っていた。だが今は一人の女として、一護に精一杯の想いをぶつけている。
だからここで二人を傷つけるようなことは言えない。
故に一護は脳髄が焼き切らんばかりに考えて、慎重に言葉を選び、その先に続いて言った。
「二人とも、ありがとな」
喉の奥に張り付くような緊張を飲み込んで、二人に向けて言葉を紡ぐ。
その張り詰めた雰囲気に、シトリーとルシアも緊張で身体が固まってしまった。
「こういう時、どう応えたらいいか俺には分からねえ。だけど、ここで何も言わねえなんて、逃げもしねえよ」
一護の言葉に、二人は鼓膜を激しく震わせた。ドクン、と心臓が大きな音を立てて跳ね上がり、全身の血が指先まで一気に駆け巡るのが分かる。
「だから、こう言うのも悪いんだけどよ、俺の今の想いを二人に言うぜ」
次に一護が何を口にするのか、まばたきすら忘れて意識が集中してしまう。
喉はカラカラに干からび、思考が完全に立ち往生している。一護が小さく息を吸い込む気配が、湯気の立ち込める静まり返った空間に微かに響いた。逃げ出したい、と本能が叫ぶ。一護の真っ直ぐな想いを聞いてしまえば、もうこれまでの関係には戻れない。
急激な後悔と恐怖が押し寄せてくる。もし「ごめんな」と言われたら、明日からどんな顔をして一護に会えばいいのだろうか。
早計だった。再会して、もっと共に過ごす時間が過ぎ去った後に想いを告げるべきだった。
だが、そんな後悔は遅く、一護が続く言葉を口にした。
「これから先、一緒のパーティーで長く共にするだろうよ。だから、悪いんだけどお――」
ガララッ――
「何だ貴様ら、この温泉にいたのか」
誰も客のいなかった露天風呂の戸が開いたかと思うと、見知った面々がいた。
それは巨漢のアーノルドとそのパーティーである。全員が腰にタオルを巻いて立っていた。
緊迫していた空気が、ガラスの割れるような音を立てて木っ端微塵に砕け散る。一護の台詞も途中で途切れてしまった。
「おっと、すまない。……何だ、場違いだったか? いや、それより混浴だったのか……ふむ」
アーノルド一行も、まさか二度風呂しようとして訪れた温泉に先ほど会った一護と、二人の女性が緊張の面持ちでいたのなんて露知らず困惑していた。
しかも三人とも、凄く真剣そうだった雰囲気だ。今は虚を突かれて唖然としているが。
困った末、アーノルドは精悍な顔つきを崩さず回れ右をした。
「ふっ、修羅場のようだな。これは失礼をした。俺たちは出ていくとしよう。それでは、励めよ黒崎一護」
結果、ニヒルに笑って決めたアーノルドはそのまま仲間を引き連れて中に戻っていった。
しかしこの張り詰めていた空気は一瞬で霧散し、既に修復不可能だった。
こういう時はどうしたらいいのか分からず一護も困惑していると、シトリーとルシアの雰囲気が殺気立ったのが分かった。
「すみません一護さん、お先に出ますね」
「失礼します一護さん。少々、やることができましたので」
「お、おう。ほどほどにな」
赫怒の念を感じたため多くは口にせず、出ていく二人の背中を眺めながら一護は天を仰いだ。
ああ、正直助かった。
自由に空を飛ぶ小鳥を見ながら、改めて自由って最高だなと心の底から実感した。
そのあと直ぐに、アーノルド達の悲鳴が聞こえてきたのは忘れることにしたのだった。
こうして温泉の町スルスの出来事は幕を閉じた。
一護たちは翌日、真っすぐに帝都に帰還した。