露命の灯火   作:甘草粥

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其の一

 

 数千年前 尸魂界 某所 

 

 息絶えた弱者の血潮が土煙舞う痩せた大地()に滲んでいく。道に沿って点在する幾百、幾千の骸から流れ出た液状(・・)()魂の精髄で上書きされた道は太陽が尾を引いたように鮮烈で、凄惨で、目にした者の魂をも震わせた。反撃の余地すら与えぬままに一太刀に切り伏せられ、深く刻み込まれた傷跡は災禍の残り香を(くゆ)らせている。

 無様に事切れた様相に反し、その肉塊には〈敗北〉の二文字も〈暴力〉の二文字も記されていなかった。互いの矜持を刃に乗せて刀を振るうことを〈戦い〉と呼び、先に膝を付いて諦めた者を〈敗者〉と呼ぶのだとするならば、その邂逅(かいこう)に名前など存在しないのかもしれない。しかし、その仮定を拒絶するように、全てが終わった後に残る〈死〉の一文字だけは、事の一切を語る決して揺らぐことのない〈証〉として、禍々しい光を放ちながら赤く染まった道を仄かに照らしていた。

 死屍累累の先で唯一人歩みを進める者が握る斬魄刀は、鋒に向かうに連れて刃の幅が広がっていく特殊な形状をしており、鎌の刃を逆さに取り付けたような湾刀の先端から血が滴り落ちる様は、数多の命を奪った凶刃であることを差し置いて、死を待つだけの蹌踉(そうろう)たる老い()れを想起させた。

 

「つまらぬ」

 

 言い終えるのが先か刀を振り下ろすのが先か。熱を失った男の声を合図に、飽和した屍の山に新たな塵が積もる。湿り気を帯びた刃はどうしようもない餓えで満たされており、その渇きが涙となって一定の間隔で鋒から溢れ落ちている。

 道は尚も続く。後に瀞霊廷と呼ばれる〈選ばれし者(貴族)〉たちの聖域へ向けて────。

 

 数刻後 貴族街 元字塾 

 

「総師範殿ォ!!奸賊(かんぞく)がこの元字塾に向けて迫ってきているとの報せが──、」

「〝奸賊〟か……存外間違いでもないが、(それがし)にも〝剥生(はぎう)〟という名があるのだ」

 『そちらで呼んで貰おうか』額に浮かぶ汗を拭い、荒い息を整えながら言葉を紡いでいた塾生の瞳から光が消え、文末と共に地に伏せる。元字塾の庭先に緊張感が駆け巡り、息を飲む音さえ聞こえてきそうな静寂の中、その剣塾の総師範である山本重國や塾生をはじめとして、偶然その場に居合わせた使用人や商人たち計六十四の視線はある一点に集まっていた。

 事切れた塾生の背後に現れ、〈剥生〉と名乗った一人の男。

 襤褸(ぼろ)を仕立てたような朽ち果てた着物の裾から伸びる手は酷く荒れており、妙に長く角ばった指で柄を握る様は、(つる)を伸ばす(ツタ)を想起させる。左の口角から頬を通り、耳のすぐ近くまで伸びる傷跡は一見笑っているようにも見え、光を失った艶のない瞳や時折見せる首を曲げる仕草、剥生が見せる一挙手一投足が複雑に絡み合い、言い表せない薄気味悪さを放っていた。

 山本と剥生は両者似たような髪型をしており、見た目や声色、立ち居振舞いから察するに歳は山本と同程度だと思われたが、太陽と月のようにあまりにも対極的な雰囲気が剥生の本質を影の中へと隠していた。

 山本は剥生の全身を一通り見回すと今一度視線を下へと落とす。現時点で得られた情報は外付けのものばかりで、剥生の全容(素性)が分からないことに変わりはなかったが、その手に握る血濡れ(・・・)()斬魄刀(・・・)は罪を咎めるには有り余るほどの証拠だった。

「貴様……よくも財部(たからべ)殿をォォオ!!!」

 つい先日階級を上げたばかりの一人の塾生が剥生に斬りかかる。怒りに身を任せて刃を振るった男の名は似刈(にがり)堪兵衛(じんべえ)災禍(剥生)の襲来を報せた男──財部(たからべ)杈門(さもん)が特に寵愛して手にかけていた若い門弟で、似刈自身もそれに応えるように財部のことを強く慕っており、血の繋がりにも勝る絆で結ばれた二人は実の親子のようだと周囲から揶揄されるほどであった。

『情に(ほだ)され命を捨てる……か』

 剥生が言葉を発することは無かったが、迫る刃を一瞥する死人のような瞳は確かにそう呟いたように見えた。

 似刈が振り下ろすよりも遥かに早く振り上げられた剥生の刃は似刈の肉を食らうと彼岸花を思わせる鮮血の花を庭先に咲かせた。剥生の足元で重なる死体に降りしきる赤い雨は尊厳を踏みにじる音色を纏っている。元字塾に現れてから今に至るまで、剥生は始解すらしておらず、二人を屠ったのは剥生自身の剣術の腕によるものだった。

 使命感か正義感か、はたまた蛮勇か。一連の流れを目の当たりにしても尚、戦意を削がれることがなかった二人の師範代が阿吽の呼吸で共に刀を抜いた。

 

狂瀾(きょうらん)()げ──『鉤葛(かぎかずら)』」

 

(すす)げ──『青足蝤蛑(あおあしがざみ)』」

 

 解号を唱えると同時に斬魄刀の形状が変化していく。〈鉤葛〉と呼ばれた斬魄刀は茎に鉤状の小枝を持つ鉤葛の如く、一本の竿の先端から伸びる糸の端部に(かぎ)状の刃を携えた釣竿のような姿へと変化し、〈青足蝤蛑〉と呼ばれたもう一振の斬魄刀は身の丈ほどある巨大な蟹型の生物へと変化した。

 剥生の目に依然として焦りは無く、機を伺う師範代二人を前に、その命を終わらせることは前提として、『ただ殺すのも味気ない』と言わんばかりに刀を握り直し、血に濡れた己の斬魄刀の名を呼ばんと口上を唱えはじめた。

 

「五体()けども留めおき──────」

 

 師範代らがそれを見過ごす筈もなく、それぞれ攻撃を仕掛けたが、剥生はその身一つでそれらを()なすと、掌に留めた霊圧を放って〈鉤葛〉を弾き飛ばし、〈青足蝤蛑〉の爪を砕いてみせた。

 

「万象一切────」

 

 そこで初めて山本重國が動く。

 財部と似刈が凶刃の餌食となった瞬間(とき)、意外にも山本の心に怒りはなく、目の前に現れた未知の存在との力の差をただ静かに推し量るに留まっていた。似刈に関しては力の差(それ)を読みきれなかった罰が下ったのだ、と憐れみに近い感情さえ抱いていた。虚討伐にて培われた〈一死以て大悪を誅す〉という信条が、死を糧にして勝ちを見出だすという(はた)から見れば非情とも取れる選択肢を選んだのだった。

 これまで静観していた山本が斬魄刀を抜いた理由は二つある。一つは師範代二人の始解を前にしても剥生の霊圧に全く揺らぎが見られなかったこと。もう一つは、鬼道などを用いず、己の霊圧と膂力のみで始解を圧倒するという圧倒的な霊力量を目にしたこと。

 尸魂界で名を馳せた剣客の才を持つ数多の者が一堂に会する元字塾に斬魄刀の解放すらせずに踏み入んだ奸賊()が、今、満を持して斬魄刀を解放しようとしている。霊覚ではなく、本能(・・)がそれを阻止せよ、と霊力を滾らせた。

 

「灰燼と為せ──『流刃若火(りゅうじんじゃっか)

 

 太陽へ直に触れているように鋭い霊圧が一瞬で周囲一帯に迸り、波打つ炎へと変化しながら剥生へと襲いかかる。剥生は自身を囲う三者三様の斬魄刀を順に見やると、師範代が持つ一棹(・・)一体(・・)を刀の峰で弾き飛ばす。しかし、それと同時に〈流刃若火〉から放たれ、鳳凰の形へと変化した炎が剥生の心臓目掛けて嘴を突き立てた。

 

 煌々とした炎によって禍々しい霊圧は消え、つい先程までそこにあった平穏が再び顔を覗かせた。目の前で繰り広げられた息をつかせぬほどの戦いに息をするのも忘れていた者達が一斉に吐息を溢す。

 玉石が敷かれた前庭に膝を付いて肩で息をする師範代を山本が見やる。振り抜いた刀を鞘へ収める吐息は鈍く重い。

 未だ燃え盛る火炎。

 奸賊(剥生)を焼き尽くす火柱が亡くなった塾生への弔いの火ではなく、これから始まる蹂躙の口火(・・)だということを理解する者は剥生本人を除いていなかった────。

 

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