露命の灯火   作:甘草粥

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其の十

 

 剥生は斬魄刀を構えたまま、山本の挙動に意識を向けながら戦況を整理する。霊力を回復されたとしても、相手の力を奪い取る〈戒名塑像(能力)〉を持つ剥生にとってそれは有利に働く部分も多く、山本を覆っている〈断空〉を率先して破壊する理由にはならなかった。鉄壁の守りの中から破道を唱える訳でもなく、口を結び、霊力の回復に専念している以上、事を急く必要も無く、剥生は勝利への筋道を今一度構築し直すこととした。

 その直後、違和感が剥生を襲う。今思えば不自然なまでに動く気配を見せなかった山本の口元が蜃気楼のような揺れと共に(ほころ)び、それと同時に〈断空〉が解かれる。

「『曲光(きょっこう)』による幻かッ!!」

 霊圧によって光を曲げ、対象を見えづらくする縛道と〈断空〉によって生じる本来は何の意味も持たない光が屈折する特性を併せた取るに足らない矮小な幻術。それは身を護るためではなく、賊の息の根を止めるための圧倒的な攻めの一手だった。

 〈戒名塑像〉の四つの瞳が捉える集塊は無条件に映し出されるわけではなく、剥生本人の認識(・・)を元にして具現化される。そのため、例え相手が声を発していたとしても、剥生の耳が潰れた状態ではその声は霊塊として具現化されないという特性を持っていた。

 優勢だと誤認し、攻め(あぐ)ねていた数十秒の間に唱えられていた無音(・・)の詠唱が、剥生の鼓膜に一気に雪崩(なだ)れ込む。

 

〝 (くで)死魚(しにうお) 熱砂(ねっさ)(つぶて)

     青き朝焼けを括る枝

             緩慢(かんまん)な糸・傀儡(かいらい)

              錆び付き・躊躇いの風 

 

  狼狽する蝿の眼光

     恐れを知らぬ弱者の警笛

 

          甕天(おうてん)千尋(せんじん)(まつろ)わざりし(つわもの)よ          

(まなこ)(ついば)四魂(しこん)を貫け 〟

 

「破道の九十四────『黙禍蛮噤怪嘯(もっかばんきんかいしょう)

 

 山本との距離を取る剥生の前に、鳥の形を象った一万の炎の塊が現れ、命を燃やし尽くす灼熱の海嘯となって剥生に迫る。発動者からの霊力供給を断ち、その場で最も霊圧が大きい者を自動的に啄むように命令された炎の鳥の群れは、〈戒名塑像〉の攻撃によって半分以上が消し飛んだものの与えられた命を忠実に遂行し、〈戒名塑像〉に巻き付いていた霊塊の三割を喰い千切った。

 然るべき場所へ霊力が戻った今現在の互いの霊力残量は山本が僅かに多く、戦いは振り出しに近い状態へと巻き戻った。剥生は『一本取られた』と言わんばかりに喉の奥でくつくつと嗤って刀の柄を握り直した。

「丁度良い。御主にも視せて遣るとしよう。某が視ている世界をな──」

 『〝四魔眴(しまのめくばせ)〟』剥生の声を合図に、〈戒名塑像〉の目に灯る火球が空に浮かび上がり、強い光で辺りを照らし始める。その光は集塊をより一層濃く映し出し、山本でさえ視認できるほどに隠れていた集塊の姿を日の元に炙り出した。

「『四魔眴』によって炙り出された集塊はその根を下ろす者との繋がりをより強固なものとして反映させる。これまでと違い僅かな傷であっても致命傷になり兼ねん。今御主が視ている某の集塊も同様にな」

 『我らの剣は〝諸刃の剣〟と相成った、ということよ』飄々と語る剥生だったが、それは次の一手で雌雄を決するという宣戦布告の意味が込められていた。

 

「 残火の太刀〝西〟 」

         『  〝 残日獄衣 〟  』

 

 解放と共に白砂は溶け、他と混ざり合ってひとつの溜まりとなり、その中へ山本の足がゆっくりと沈んでいく。霊子で足場を作らなければ歩くことも(まま)ならない超然たる炎の獄衣。自身の霊圧によって体表部分に留めているため、その熱は剥生に届いていなかったが、見るだけでも眼球が焼け落ちそうな鮮烈な赤を目にして剥生は猛烈な喉の乾きを感じ、口の中に溜まった僅かな生唾を飲み込んだ。

「一千五百万度の熱を纏った攻防一体の型よ。この身に抱き寄せた太陽で死に損ないの骸骨(・・)(もろ)共葬ってくれるわ」

 『()くぞ』踏み出した衝撃によって溶岩が爆ぜる。それらを置き去りにして間合いを詰める山本を覆っていた霊圧が解かれ、抑えられていた炎が〈戒名塑像(剥生)〉に牙を剥く。

「通じぬと言った!!!」

 〈残火の太刀〉が放つ炎熱によって焼け焦げ、所々骨が見えつつある身体から溢れ出る血と汗を(いと)わずに振り抜く〈戒名塑像(剥生)〉の渾身の一太刀。刃の先にあるのは、虚圏全域を照らすほどの猛々しい霊圧と光を放つ太陽と化した一人の男。山本の魂そのものである炎であったが、剥生は〈戒名塑像〉の左腕と半身を犠牲にして残る全ての霊力を刀身に集め、全身が溶けるよりも早く、炎が放つ(霊塊)を刈り取ろうとしていた。

 

「 残火の太刀〝東〟 」

             「 ──────穿て(・・) 

 

 『〝旭日刃〟』それまでの斬術と近い、唯一点のみを狙った神速の突き。山本が三つ目の卍解の名を呼んだ直後、猛烈な寒気が剥生を襲っていた。それは恐れや体調の悪さといった感覚的なものではなく、息も凍るような極寒の地で絶えず水を浴びせられているかのような痛みに似た寒さだった。

 その目で捉えた筈の炎は視界の何処にも見当たらず、胸に咲いた仄かな温もりと、口から洩れ出た赤い血が自身の敗北を告げていた。温もりの正体を探ろうとして胸に手を当てようとした剥生だったが、そこにある筈の肉体(もの)は無く、震える手は空を掠めるに留まった。焼けた(・・・)というよりも、文字通り跡形も無く吹き飛んだ(・・・・・)という表現が似合う断面から垂れた血が穢れの無い純白の砂を汚していく。〈旭日刃〉の一突きによって胸に大きく穴を開けた姿は、虚の姿に酷似していた。

 薄れゆく剥生の意識の中で炎と氷が廻転する。天と地が隣り合わせに思えるほどの温度差(隔たり)によって生まれた認識と現実の齟齬(そご)。在る筈の事実()を見失い、無い筈の空虚()を掴んだ結果、剥生はその狭間で命を落とすこととなる。

 四魔眴(しまのめくばせ)によって山本にも霊塊が視認できるようになったことで、〈残火の太刀〉によって生じる間合い(集塊)を逆手に取り、攻撃に合わせて卍解を切り替え、集塊の長さを変化させることで命を刈り取る筈の刃は(くう)を切るに終わった。

 虚圏に似つかわしくない鮮やかな色彩を帯びた砂に膝から崩れ落ちる剥生自身もその事は理解していた。

「まさか卍解までも間合いを見誤らせるための囮に使うとは……山本重國よ……畏れ入った」

 意識を保つことさえ困難であろう瀕死の状態で剥生は賛辞の言葉を残す。かつて元字塾を壊滅に追いやった仇敵を見下(みお)ろしながら山本がそれに応える。

「人を成すのは〝今〟であろう?貴様の斬魄刀が示すのは魂魄の循環を成す三界そのもの(・・・・)。瞬く間に過ぎ()畢生(ひっせい)を体現する傴僂在実(始解)を現世の人間とするならば、肉を削がれた身体で()くした物を探し続ける戒名塑像(卍解)は、虚圏と尸魂界の狭間で彷徨う死神もどきと言ったところか」

 剥生は口を挟むわけでもなく、瞼を閉じ、微笑を浮かべながらその声を聞いている。

「解号から察するに刀の形も三界……いや、人生に(なぞら)えたものなのだろう。背を曲げた三日月と姿を拝めぬ(さく)の月……そして今ここに在る盈月(えいげつ)が魂魄の終わりと次なる世界を意味している……」

 『違うか?』そう言って顔を上げた山本の視線を跳ね返すように、〈戒名塑像〉が背負う鏡のような光背がきらりと光る。大きく欠けた剥生(本体)の身体とは対照的にその満月(盈月)は傷ひとつなく、それはまるでこれまでの人生に一握の悔いも無いと言い張っているようだった。

「何をせずとも明日が来ると思うて『今』に胡座をかき、護るべき門下生(もの)を持った結果、強く在り続けたいという原初の矜持を忘れた儂はさぞ憐れに見えたことだろう……。今を生き抜いた先に明日がある。過ぎた過去()の積み重ねこそが人生であり、それ即ち人であると」

 剥生は穏やかな表情のまま、ただ静かに言葉に耳を傾ける。

「〝三界を罷り通る〟夢の半ばで命を散らすのはさぞ悔しかろう。……じゃが安心せい。地獄の餓鬼は戯れ上手と聞いておる」

 わざとらしく皮肉を投げる山本。鈍重な瞼を開け、既に光を失った瞳で山本を見やる剥生は、山本にも聞こえないほどの声でくつくつと笑ってから口を開いた。

「見事であった──」

 裂けた頬の傷跡にも負けぬ笑みを浮かべながら残した最後の言葉。結合限界を迎えた肉体は霊子へと還り、虚圏の一部と同化していく。〈戒名塑像〉もそれに伴って崩壊を始め、一本、また一本と骨が溢れ落ち、それに伴って支えを失った光背が砂漠へと突き刺さる。剥生と〈戒名塑像〉の骨格が消え去ったのを確認するかのように、最後に残った光背もその後を追って霊子の粒となり、赤く濡れた砂の中へ溶けていった。

 鎮魂の鐘が鳴り響いていた。潰れた右目と〈残日獄衣〉の有り余る熱によって焼き焦がれ、骨が剥き出しとなった右手が戦いの激しさを物語る。残された浅打を手に取り地面へと突き刺すと、それを合図にしたように霊圧で辛うじて繋いでいた右手の感覚が途絶え、事切れたことを把握する。

「万象一切灰燼と為せ────『流刃若火』」

 〈戒名塑像〉を思わせる剥き出しの右手から左手へと〈流刃若火〉を持ち変えると、山本はその浅打に対して火を放った。その最後を見届けるでもなく虚夜宮に背を向けて歩きだす。滴る血は穢れなき白砂に道を作り、赤く染まった一握の砂の中にそこにいた者達の記憶を閉じ込める。

 

 山本が虚圏を離れて数刻が経った頃、虚夜宮へ帰還したバラガンの一行は残された霊圧の残滓を浴びて戸惑っていた。強者の痕跡はあるものの、両者の姿も霊圧も何処にも感じられず、霊圧の残滓以外にあるものとすれば、一面を染めるほどの血液と一振りの浅打だけだった。

「……どこぞの死神でも迷い込んだか。王の不在を狙うとは不遜な蟻め────」

 虚夜宮の片隅に突き立てられた燻り続ける矮小な墓標。焼け焦げたその刀は〈残火の太刀〉に良く似ていた────。

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