露命の灯火   作:甘草粥

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其の二

 

「────三世(さんぜ)(あざな)い………

       (まか)り通らん────『傴僂在実(かがのありざね)』」

 

 瞬間、山本は自身が犯した判断の誤りに気づく。剥生の霊圧は途絶えた(・・・・)のではなく、極限まで圧縮して体表に留めることで炎を鎖す霊圧の鎧(・・・・・・・・)へと変化していた。

 剥生が纏っていた霊圧が解かれるのに合わせて、霊圧の鎧を覆っていた炎が弾け、燃える礫となって四方へと飛び散っていく。目を僅かに細めながら眼前に迫る炎を〈流刃若火〉で薙ぎ払い、解かれた斬魄刀に向かって視線を飛ばす。

 幽美な三日月を思わせる刃先に向かって歪曲した斬魄刀。煌めく刃には言い表せぬ嫌悪感を抱かせる禍々しさが宿っていたが、それと同時に目にした者全てに『その光を瞳に焼き付けたい』という使命感にも似た感情を呼び起こさせた。

 皆が〈傴僂在実〉の虜となっていた。

 恋煩いによって盲目となるように。憧れを抱くことで理解を手放してしまうように。人生の奔流に成す術無く呑み込まれるように。〈傴僂在実〉と皆の視線が抗うことのできない因果によって結ばれていく。

 瞬きすら忘れさせる呪いにも似た魅力によって乾いた瞳を潤すために山本は瞼を閉じた。

 

 刹那の間を置いて瞼が開き、十分に潤んだ山本の双眸が捉えたのは、既に命を潰えた仲間たちの姿だった。

 今しがた剥生が弾き飛ばし、前庭の此処彼処(そこかしこ)で燻っている火種が計三十一にも及ぶ骸へと引火していき、情念の炎となって立ち昇る。

 瞬歩の遥か上を行く歩法を用いたとしても説明がつかない一瞬の内の出来事。胴や手足を両断され、呻き声すらあげることのない肉塊は、今直ぐに治療を施しても助からないということを如実に示していた。血走った目を見開く山本の傷のない(・・・・)額から一筋の汗が滴り、皮膚が焼け焦げる香りがその鼻腔を刺す。

 前庭に敷き詰められた白い玉石を赤く染め上げる血潮と燃え滾る炎が織り成す紅蓮の海が辺りに広がっていたが、憂いを帯びた剥生の瞳は何処を見るでもなく虚空を見つめており、そこに闘志の炎は見られなかった。物言わぬ瞳の奥に潜む侮蔑とも異なる渇いた感情が、光を生み出す炎を嫌って更に奥へと入り込んでいく。

 

 剥生にとって山本以外は決闘における部外者(・・・)であり、圧倒的に格下であるにも関わらずわざわざ始解をしてまで塾生や商人たちの命を奪ったのは、山本との戦いの場を整えるための単なる準備の一つに過ぎなかった。圧倒的力量差が生み出すその狭間(空間)に〈勝負〉という概念が介在する余地はなく、準備(・・)という名の鏖殺(・・)によってその者たちの尊厳は一瞬にして踏みにじられたのだ。

 ここから十年後、護廷十三隊が創設されるまで〈武〉の最高到達点で在り続けた元字塾が一人の男によって壊滅したという事実は、山本の胸に耐え難い屈辱と深い畏怖の念を沸き上がらせた。

位置が逸れた(・・・・・・)と思ったが……。偶然か(ある)いは……──」

 辛うじて山本に届く程度の呟きと共に笑みを溢した剥生の前方で起こる異変。十尺(じっしゃく)──約三メートルの間を空けて、沈黙を燻していた灰色の煙を押し退け、剥生を隠すように純黒の霧が立ち込める。確かな存在感を放つ黒霧が数秒かけて抜き身の刀に収束し、その相方となる鞘を支えとしながら、伏していた一人の男がよろめきつつ身体を起こす。

聡示郎(そうじろう)ッ!」

「重國殿……。(わたくし)めの心配は御無用。敵の術に少々面食らった(・・・・・・・)だけで傷は負っておりませぬ」

 山本の呼び掛けに対して、場を和ますようなわざとらしい大きな笑みを見せた男──九麓(くろく)聡示郎旭影(あさかげ)は、山本が元字塾を創設するよりも前に弟子入りした正真正銘の一番弟子であり、今の元字塾において山本に次ぐ実力を秘めた若き天才であった。

 天性の剣才と始解の能力(・・)によって生み出される〈抜刀速度〉は山本をも凌駕し、その剣技を見込まれて中級大虚(アジューカス)の単独討伐依頼を任されたことも多々あり、次代の酋長(しゅうちょう)として周囲からも大きな期待を寄せられていた。

 

 確固たる自信を瞳に宿して立ち上がった男を前に剥生は思う。常人であれば避けようのない自身の攻撃を躱した想定外の伏兵(逸材)。自身の攻撃を()なすために解号を省略して解放させた斬魄刀──〈常宵(とこよい)〉が九麓の確かな実力を証明していた。剥生が聞くことが叶わなかった『降り(そそ)げ』という解号を知らしめるかのように、刀の棟から溢れ出る黒い霧が赤く染まった玉石を黒く塗り潰していく。

 何度も膝を付きながら立ち上がろうとする九麓を見下(みお)ろしていた剥生が、張りつめた空気を裂くように明朗な声で笑う。

「〝一抜一殺(いちばついっさつ)〟の傴僂在実の能力(ちから)少々面食らった(・・・・・・・)の一言で済ますとは……なッ!」

 言葉を紡ぐ隙を狙い、刀の棟から黒霧が放出される能力を持つ〈常宵〉を振り上げて攻撃を仕掛けた聡示郎を剥生が蹴り飛ばす。それとほぼ同時に山本が剥生へと斬りかかったものの、距離を詰める道中(過程)で先の〈不可視の斬撃〉によって身体ごと弾かれ、その衝撃によって道場の軒下で(うずくま)る聡示郎の横を抜けて道場奥の壁の方まで突き飛ばされた。〈流刃若火〉が弾かれた瞬間に聞こえた『そう急くこともあるまい』という幻聴じみた剥生の言葉が山本の脳内で反響する。

 我が物顔で前庭(敵地)の中央に立つ剥生と今一度立ち上がり〈常宵〉を構える聡示郎、そして今の一撃によって折れた肋骨を庇いながら崩れ落ちた壁材を押し退けようとする山本。互いに八間──約14メートルの間を空けて三者三様の思考を巡らせる。

 (はた)から見れば山本に目立った外傷は無いように思えたが、先の衝撃によって体内の霊子結合は大きく乱されており、見た目に反してその体内()では、生きているのが不思議なまでに複数の臓器が甚大な損傷を負っていた。

「賊は私に任せて重國殿は少し休んでいてくだされ。伏しているよりも立っている方が私の性分に合っております故」

 『しかし腰を痛めた(・・・・・)とは、いくら天下無敵の重國殿と云えども()には勝てませんな』振り向くことなく剥生を見据えたまま聡示郎が山本に向けて声を飛ばす。真実を理解した上で付け加えた気遣い(冗談)を聞いて山本の口元が緩む。

「剥生と名乗っておろうにその名すらも呼んではくれぬか……。まァ、良しとしよう。たまには食前酒(・・・)を啜ってみるのも悪くない」

 微かに上がった口角に呼応するように、光を失っていた仄暗い瞳に小さな炎が灯る。対する聡示郎は、身体全体を深く落とし、足を縦に広げて鍔に親指を掛けて抜刀の姿勢に入ると、居合いの構えと共に鎮まったはずの霊圧が一瞬にして再び昂りを見せ、間を置かずに一気に解き放たれた。

「──ッ!!」

 抜刀と共に飛散した黒霧が剥生の視界を黒で埋めつくし、その闇の中を白銀の刃が駆ける。聡示郎が詰める形で二人の間合いは即座に縮まり、〈常宵〉の鋒は剥生の胸を掠め取った。僅かに遅れて〈見えない斬撃〉が聡示郎を襲ったが、抜刀の直前に唱え、時間差で発現するように仕組んでいた円閘扇(えんこうせん)によってそれを防ぎつつ、距離を取るために宙返りするような形で元居た場所へと戻った。

「やはり〝霊鳴(れいめい)〟を聴いていたか」

 着物の左襟の縁をなぞるように斜めに切れた布地に触れながら剥生が呟く。両断するつもりで放った一太刀は剥生を仕留めるどころか、その薄皮一枚すら切ることは叶わず、実力の差を知らせる形無き刃となって聡示郎の胸へと突き刺さる。

 

 同系統の能力を持つ斬魄刀同士は、ある一定距離まで近づくと互いを求めるように共鳴し、刀に込められた霊力を震わせて霊子の波動を所有者へと伝える特性を持っていた。俗に〈(れい)(めい)〉と呼ばれるその現象は、解放前は勿論のこと、まだ始解を修得していない者に対しても発現するため、斬魄刀の始解に至れぬ者の適性を見出だす用途で用いられることも屡々(しばしば)あった。

 戦わずして相手が持つ斬魄刀の能力系統が判るため、両者にある程度の実力差があったとしても試合の運びが平行線を辿ることも多く、そうした一面を見れば有用な特性ではあるものの、倒さなければならない敵相手に発現することはあまり望ましいものではなかった。

 後に〈共鳴〉と名前を変え、形骸化した大義によって絶たれた〈二つの氷輪丸〉を再び繋ぎ合わせる〈楔〉の役割を果たすこととなるが、それはまた別の話である。

 

 剥生は喉の奥で独りごちる。今、この場において霊鳴の()の側面が降りかかっているのは自身の方。〈常宵〉の棟から吐き出される黒霧の本来の用途は、闇に乗じて敵を屠るための煙幕であろうにも関わらず、納刀したまま解放することで鞘の内部を黒霧で満たして超高圧状態とし、抜刀と共に破竹の勢いで放出される黒霧に刃を乗せて相手を刈り取る自身と同じ〝一抜一殺〟の抜刀術へと昇華させた聡示郎の発想力。本来の能力でいえば系統が異なるにも関わらず、〈傴僂在実〉と同じ霊鳴を聴くまでに〈常宵〉を鍛え上げた潜在能力。型に囚われない柔軟な発想力と山本や自身にも届き得る潜在能力を併せ持った思わぬ伏兵によって戦況は傾きつつある。

 炎の海の向こうでは一匹の若い虎が牙を剥き、次こそは息の根を断つと言わんばかりに唸りを上げる物言わぬ霊圧を凝縮させながら再び抜刀の構えをとっていた。

 

 霊鳴の波動が両者の掌に走る。聡示郎の抜刀速度は更に加速し、瞬歩の踏み込み音さえ置き去りにして剥生目掛けて炎と黒煙が支配する空気を切り裂きながら進む。前庭の片隅に立つ犬槇(いぬまき)の木へと火の手が伸び、救いを求めるかのように幹から枝葉へ向けて上っていく。時折鳴る火が弾ける音が、声の途切れた戦場に響き渡る。

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