露命の灯火   作:甘草粥

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其の四

 

「去ね」

 

「 ──卍解── 」

      「 ─────『傴僂在実戒名塑像(かいみょうそぞう)』 」

 

 死を告げる山本の声を剥生が呟いた四つの音が掻き消す。続けざまに放った言葉に合わせて、満月を思わせる真円の光背を持ち、地獄の門にあしらわれた装飾に酷似した二つの頭部を持つ上半身のみの骸骨が剥生の背中に被さるような形で姿を現した。

 

          

〝 卍解 〟

 

 それは死神として頂点を極めた者のみに許される斬魄刀戦術の最終奥義。斬魄刀との〈対話〉と〈同調〉を済ませて始解を手にした山本も無論、卍解(・・)という始解の次なる境地(・・)が存在することは知っていた。

 霊王と共に尸魂界を創り上げた五代貴族の始祖。その者達と同時期、あるいはそれよりも遥か前の〈原初の世界〉が始まった頃から世界を観測(記憶)し続け、今は天上に(そび)える霊王宮にて霊王を守護する未知数の叡知──兵主部一兵衛。斬魄刀の元となる〈浅打〉を造り出し、尸魂界を守る未来の死神達のために刀を打ち続ける偉才の刀匠──二枚屋王悦。

 その順番については山本の与り知るところではないが、〈真打〉という元来の名を変えて〈卍解〉と名付けられた斬魄刀戦術の境地に至った者はそれら総てを合わせても僅か七名のみ。

 五大貴族の始祖が没し、兵主部と二枚屋の両名が霊王宮へと昇った今、尸魂界において自他共に最強であると自負していた山本は、自身がその境地に至れぬことに若干の歯痒さを感じていたものの、〈卍解〉とは謂わば〈選ばれた者のみに与えられる因子〉のようなものであり、世界を創り上げた五大貴族の血を引くわけでもなく、超然たる異能を持つわけでもない自身には関係のない話だと己に言い聞かせ、未練を絶ち切るようにそう思い込んでいた。

 実のところ、卍解に至らずとも〈山本重國〉の名とその斬術、そして〈流刃若火〉が放つ圧倒的な炎の威光は、尸魂界のみならず虚圏の深部にさえ届きつつあった。だからこそ、目の前に突如として現れた〈剥生〉と名乗る誰とも知らぬ一介の男が、斬魄刀の〈屈服〉と〈具象化〉を経て、自らの分身でもある刀の真名を知り、純然たる真の力として顕現させたという事実は、山本の魂の奥底に眠っていた〈強者に対する畏怖の念〉を呼び起こすには十分であった。

 尸魂界の一角を塵に還すほどの炎と化した山本の霊圧の勢いが細ることはなかったが、肉体を過ぎて魂へ向かって侵食する〈畏れ〉から山本は無意識に三歩後ずさった。

 〈戒名塑像〉と呼ばれた卍解は死すら容易く掴めるといった毒々しい様相を呈していたものの、後退する間際に山本が放った斬撃によって呆気なく斬り取られ、地面に落ちた肘から先の部分は煤のように変化して跡形もなく消え去った。

 能力の真髄がどのようなものかは分からなかったが、始解の力であっても卍解(それ)に対抗することが可能だと悟った山本は、溢れていた炎を刃に収束して今一度斬撃を放った。その一撃は剥生どころか〈戒名塑像〉の全身を両断するほどに大きく、解号の通り通り総てを灰塵に帰すほどの熱を持っていたが、剥生がその手に握った〈傴僂在実〉を振り上げた次の瞬間、その斬撃は跡形もなく消え去り、代わりに山本の肩から腰にかけて深い太刀筋が刻み込まれた。

 訳も分からず血反吐を吐いて膝をつく山本を剥生と〈戒名塑像〉が見下ろしていた。斬った筈の〈戒名塑像〉の左腕は何事もなかったかのように元の状態へと戻り、その左腕には肉を削がれて骨だけとなった腕を治そうとするかのように赤い布が巻き付けられていた。

「これが卍解(・・)……か……」

 多量の失血により倒れそうになる身体を踏み出した右足で支えながら、その身に纏う大火とは不釣り合いな小さな声を落とす。致命傷に足る深い傷を負い、徐々に霊圧が弱まっていく山本を見ながら剥生は言葉を返した。

「〝霊絡〟を見たことがあるだろう?我等が持つ霊気が可視化され、帯のような形状となったものだ。(もっと)も、霊子の薄い現世と違って尸魂界(こちら)では見ることは叶わぬが……」

 『熟達した死神相手に説明などは不要か』緊張感を欠いた言葉を紡ぎながら剥生が〈傴僂在実〉で何度か空を斬ると、それに合わせて山本の身体の節々に切り傷が刻まれていき、そこから溢れ出た血が戦いによって薄汚れた着物を赤く染め上げた。

 山本は斬魄刀こそ握ってはいたものの、攻撃を仕掛けられずにいた。深傷を負っていたという面も一因としてあったが、どちらかといえばそれは〈傴僂在実〉の能力を見極める(・・・・)ための静観であった。

 始解で見せた不可視(・・・)かつ不可避(・・・)の斬撃と、必殺と呼ぶに値する先の自身の一撃を跳ね返した(・・・・・)卍解の能力には何らかの繋がりがある。己の魂の精髄を反映させる斬魄刀が異なる能力を(もたら)すことは無い筈。

 卍解を会得していないながらも、愚直に剣と向き合い続けた経験と感覚が山本に確かな実感を与えていた。思案に喘ぐ山本を他所に剥生はのうのうと語り続ける。

「なにも霊絡に限った話ではない。霊圧、声、感情、香り──…………。人を起点とし、端緒(たんしょ)を為したそれら凡ての事柄は姿無くとも間違いなくそこに在る(・・)。某の卍解〝戒名塑像〟は常人には見えぬ〝集塊(しゅうかい)〟と呼ばれるそれら姿無き帯(・・・・)をこの眼で捉え、断ち斬ることで己の力とする……」

 『膏血(こうけつ)を啜る亡者の怨念よ』剥生が言い終わる数秒前に放った三つの斬撃が剥生に襲い掛かる。斬撃が纏う熱は相も変わらず太陽を思わせるほどのものだったが、先ほどとは違い、その幅は刃渡り程度に留められていた。その内の二つは剥生自身が持つ刀によって打ち落とされたものの、残る一つの刃は〈戒名塑像〉の左腕を粉砕すると、勢いままに元字塾の正門に直撃した。腹と背中を裂くような痛みが山本を襲い、それと同時に剥生の左腕に突如として現れた傷口から血が滲みだした。笑みにも似た複雑な表情を浮かべる剥生の背後では、〈戒名塑像〉を覆っていた内の幾つかの集塊が剥がれ、それらは溶けるかのように空気の中へ消えていった。

 対峙する相手が強大であるほどに力を増す卍解。

 仕留めようと放ったはずの渾身の一手は自身を傷付ける悪手となり、それに加えて〈戒名塑像〉の()へと成り果てる。

 目で捉えることは叶わないが、自身から端を発した〈集塊〉と呼ばれる物体が斬り付けられ、それが〈戒名塑像〉に貼り付けられる度に剥生の霊圧が増加していることから察するに、〈戒名塑像〉は本体である剥生と()感覚(・・)の二つを共有しており、どちらかが攻撃を受けることで〈戒名塑像〉の身体を形成している集塊の帯が剥がれ、それまでに得た力も失っていく仕組みであると山本は推察した。

 卍解の仕組みは粗方理解したものの、先の攻撃のようにいくつかの斬撃を放つことで攻防一体の刃を掻い潜らせ、その斬撃で地道に傷を与えていく方法では、相手の骨を断つよりも先に自身の肉体が終わりを迎える可能性が遥かに高く、自身に残された片手にも満たない選択肢が燃え尽きるのは時間の問題だった。

「山本重國よ。御主(おぬし)がここまで弱いとは思わなんだ。更なる高みを目指して数多の剣客と(しのぎ)を削り、〝尸魂界に山本重國在り〟という言葉を真に受け、尸魂界の果てから遥々来てみれば、卍解にも到れぬ青侍とは」

 『霊王も手を叩くとんだ茶番よ』煽る剥生を他所に、山本は霊圧を抑えて口を噤み、今の自分に出来得る最大限の対策(・・)を施す。沸き立つ静かな怒りを言葉に変えて山本へ糾弾を続ける剥生であったが、視線と声こそ山本を向いてはいたものの、その矛先は〈人の在り方〉という概念そのものへと向けられていた。

 憐れむような表情に合わせて静かに下ろされた〈傴僂在実〉は、活力を失った剥生の手の中で指示を待っている。

「……鎬を削る(・・・・)だと?巫山戯(ふざけ)たことを抜かしよる。だが、貴様の流派が刀を解かぬ者を後ろから斬り捨てることを強さだと教えているのだとすれば理解が及ぶ。()人の背(・・・)にあると思うのも致し方無し」

 一番弟子である聡示郎を除き、抱えていた凡ての弟子を失ったことを嘆き、敢えて乾いた笑いを見せる山本。剥生は始解を解いて血と油に(まみ)れた刀を鞘へと収めながら、すっかり炎が引けた元字塾の焼け跡に響くように嗤うと、数秒置いてから疑問を投げ掛けた。

()を目指さぬ刃に何の意味がある?邪道、卑劣、狡獪(こうかい)……某のことは御主が好きなように呼ぶといい。ただひとつ、その罵倒は御主の門弟にそのまま還ることを努努(ゆめゆめ)忘れるなよ?」

 語気を強める剥生。山本の霊圧が弱まったことで漸く動けるようになった警邏の官吏たちが、崩れ落ちた正門の横を抜けて背後から剥生に斬りかかるも、剥生は後ろを見ることすらなく難なく躱すと、振り返りざまに一太刀で斬り伏せていく。

「強く在りたいと望むから刀を握る。かつて抱いたはずの矜持を過ぎ去りし日々の中に置き忘れ、形骸化した〝誇り〟を刃に乗せて刀を振るうようになったから負けた(死んだ)

 『憧れに想いを馳せた哀れな青侍の末路と言う他に何がある?』剥生は落胆の顔色を保ったまま、始解さえしていない〈傴僂在実〉で官吏を斬り続けている。

 僅かに遅れて最後(一人)の衛兵がやってくる。衛兵(若い男)は元字塾の庭に折り重なった無数の骸と、立っているのが不思議なほどの傷を負って焼け落ちた稽古場の奥に佇む山本を見て思わず立ち止まると、音が聞こえるほどに大きく息を飲んだ。自身と山本の間に立つ奸賊(剥生)の実力を瞬時に察し、僅かな躊躇いを見せつつ来た道を引き返そうとしたが、剥生がそれを見逃す訳も無く、倒れた官吏が握る浅打を拾い上げてその背中に投げ放つと、胸に抱いたその目論みは敢え無く貫かれ、他の者同様に荼毘に伏した。

 全てが片付いたと言わんばかりに首を曲げる癖を見せながら剥生が振り返る。部外者が殲滅したことで一方的な蹂躙は膠着状態へと移行したように思えたが、それは紛れもない終わりの始まりであった。

「御主が万象を灰塵とするならば、某は灰塵すら啜って己の力としよう」

 刀に手を掛けながら迫る剥生に合わせて山本が構える。〈傴僂在実〉が始解状態に無い今、再び時を飛ばす能力を使うためには、刀の名前を呼んで力を解く必要があった。並の者であれば名前に加えて解号を唱える必要もあったが、先の戦いから聡示郎同様にその段階にはいないと断定した。

 始解に要する僅か一秒程度の間が、山本には余りにも永いものに思えた。勝敗はその一瞬で決する。振り抜いた炎の斬撃が剥生の首を刈り取る未来が、確定した現実かのように山本の脳に焼き付き、事の終わりを告げていた。

 

「 剥生 軼色風(いしきのかぜ) 崇氏(たかうじ) 」

 

       「──────御主を殺す男の名だ」

 

 鍔を押し上げ、刀を抜き、振り下ろす。

 何万回と繰り返された人を殺す(斬る)ための洗練された動作が刹那に押し込まれ、凶刃となって山本に襲い掛かる。頭骨を両断する気概で放った剥生の一太刀は山本の〈第六感〉によって振り上げられた〈流刃若火〉によってまたしても阻まれ、思い描いた未来に到達しなかったものの、〈流刃若火〉を二つに折ると、額の肉と前頭骨を抉りとり、その額に生涯消えることのない傷痕を残した。

 

〝名前を呼ばずに始解することは不可能 〟

 

 卍解に到らぬ者特有の思い込みが招いた取り返しのつかない致命的な誤算は、両者が立っている大地を二つに割り、片割れには高みを、片割れには越えられぬ絶望を与えた。

 この一件を受けて兵主部によって創り出され、ここから数千年後、懺罪宮に囚われた朽木ルキアを奪還するために尸魂界へ赴いた黒崎一護ら一行に充てられた〈旅禍〉という言葉。

 剥生軼色風崇氏。尸魂界の(はて)から現れたその男は〈旅をする(わざわい)〉に他ならなかった。

 

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