『今回の、当選番号を、発表します』
ユウがその放送を聞いたのは、フロードから逃れてすぐのことだった。なんともいえない絶妙なタイミングに、ユウは自分がもたらしたと思われる因果を疑う。
(こんなときに放送? なんで――私が幸運体質に戻ったから? それとも偶然?)
まだ地震による揺れが収まらない中、この放送が幸運体質と関係があるのかわからぬままユウは走る。その間にも放送は続くと、今回当選した番号を読み上げた。
『95番。81番。74番。62番。58番。33番。28番――』
(28番――ロトたちの番号だ!)
途端に運命を感じた。そしてこのタイミングで放送が流れたのが単なる偶然ではないことを悟る。この放送はユウの幸運体質によってもたらされたものだ。
となれば、必然的に自分が行き着く先も読めた。
今ユウは迷路のような道を適当に走っているだけだが、自分の幸福体質を利用すれば巡り巡ってロトたちの場所へたどり着けるはずである。
言わずもがな、ユウにとってロトたちは裏切り者だった。でも短い間に芽生えた友情を裏切ることはできなかった。それにロトはフロードに洗脳されているだけで、根は良い者なのだとユウは知っていた。なにより、この地震の中彼女たちを見殺しにはできない。
そうと決まればあとは全速力で走るだけだった。大丈夫。適当に走っていても、幸運体質があれば自ずとロトたちのところへ辿り着けるはず。
その思いは、数分後に途端に打ち砕かれた。
「ハァ、ハァ、ハァ、――あれ?」
ロトたちのもと――ではなく、城砦の外に出ると、ユウは素っ頓狂な声を出した。
この展開は望んでいたものと違かった。本来ならロトたちのいるところに出て、顔を合わせる予定のはずだったのだが――
そこでユウは自分の失態に気づく。この幸福体質はあくまで自分限定に効力を示すものであり、他者に対してはまったく効果をもたらさない代物であることを。
脳裏に串刺しになった女性が浮かんだのはそのときだった。その女性は以前、災害が起きたときにユウが庇おうとして助けられなかった女性。そして死なせてしまった人物だ。
途端に嫌な予感を覚えた。それからユウは厳しい顔つきで背後の城砦を振り返る。
「ロト――!」
名前を叫ぶ前に走り出すと、ユウは再び今なお揺れ動く城砦の中へと戻った。
◇
住処に戻っていたロトたちは、突然地震が起こると身を寄せて震えていた。周囲では茶わんやガラスが割れ、天井からは砂埃が降り、室内はたちまち埃で充満する。
そこには先程まではいなかったランジやガリブもおり、全員が勢揃いしていた。
通路では逃げ惑う他の住民たちの悲鳴や叫びが響き、混沌と化している。
ロトたちは初めての体験に恐怖した。普段この土地では地震は発生しない。地面が揺れ動き、城砦を崩そうとしている。崩れる天井、落ちてくる瓦礫。いったいなにが起こっているのかわからない未知の体験に、ロトたちは祈り、互いの体を抱き締め合うことしかできなかった。
「ロトお姉ちゃん!」
「大丈夫、落ち着いてみんな! 私が絶対に守ってあげるから!」
ルンの怯えた声にロトは大丈夫と声をかける。しかし事態が深刻なのは変わりなかった。
「ここは危ない。外に逃げよう!」
そう提案すると、ロトたちはすぐさま通路へ出ようと試みる。
通路の一部が崩れたのはそのときだった。天井が崩れると岩の塊が下にいた住民を押し潰し、盛大に砂埃を上げる。一時的に煙幕状態になるとロトたちは噎せ返った。
急なことになにが起こったのかわからなかったロトたちは、自分の安全を確かめてから前方を見る。そして瓦礫の下から除く複数の手と血溜まりを見て青褪めた。
「だ、ダメだロト。通路は危険だ。どこもかしこも崩れやすくなってる」
下敷きになった住民を見てガリブが言う。確かに今下手に動くのは危ない。だからと言ってここに留まるのも危うかった。絶体絶命の状況にロトは唇を噛み締める。
『今回の、当選番号を、発表します』
その放送を聞いたのはそのときだった。ロトはハッとして顔を上げる。
『95番。81番。74番。62番。58番。33番。28番――』
(28番――28――私たちの番号だ!)
ロトは自分たちの番号が呼ばれたことに気づくと希望を見出した。一方で他の者たちはこの地震に怯えきっていて何も聞こえていない状態だった。だから代わりに告げる。
「呼ばれたよ! みんな、私たちの番号が呼ばれた!」
「え? 番、号……?」
ランジが放心状態のまま言う。それにロトは力強く頷いた。
「そうだよ、私たちの番号! いい、みんな聞いて!」
今にも天井が崩れそうな中、ロトは声を張り上げると全体に聞えるように叫ぶ。
「私たちは選ばれた。だからこれから扉の方へ行く。だから必要なものをまとめて」
「扉って……」
「この状況の中で……?」
戸惑いながら聞いたのはアイとリラだった。それにロトは「そう」と宣言する。
「扉に行けば幸せになれる。そうすれば地震も収まって私たちは助かるはず」
「で、でも大丈夫か……そこまで行く間に天井に押し潰されたら……」
「なに弱気なこと言ってるのガリブ! 今までこのために頑張ってきたんじゃない! 毎日慎ましやかに生きて、人のためになることを一生懸命にやれば報われるって! そうフロードさんも教えてくれた! だから絶対に間違いはないよ!」
フロードという名前が出るや、一同は顔を見合わせた。それからうんと頷く。
「そう、だよな……フロードさんがそう言ってたんだ」
「フロードさんが言ってたなら間違いない。今までその通りに生きてきたんだから」
「努力は絶対に報われる……そうです、それが今このときなんです!」
一致団結の瞬間だった。それから一同は必要なものを荷物にまとめ荷造りをした。ロトも長年使っていたボロボロのリュックを引っ張り出して必需品を詰め込む。
非常食、ナイフ、ライター、衣服類、葉巻、飲み水、ラジオ――
数分で支度を済ませて周りを見ると、他の者たちも準備が整っていた。
地震は今なお収まることなく、長い間続いていた。どこかで火災が発生したのか、気づけば室内には黒い煙が充満し始めている。外からは叫び声が響く。
それでも子どもたちは前向きだった。すでに希望を見出した顔を見てロトは告げる。
「それじゃあ行こう、幸せになれる扉の先へ――!」
ロトは先陣を切ると未だ足元が揺れる中、黒煙が向かってくる方へと足を延ばした。そのあとをランジ、ガリブ、ルン、アイとリラ、ブラウが続く。
道のりは険しかった。先の地震で組天井や壁が崩れており、どこもかしこも道が塞がれて通行止めを食らう。途中火の手が回ってくることもあり、何度も道を引き返した。
それからどのくらい経っただろうか。火災の煙で黒く煤けた顔に流れる汗を拭いながら、ロトたちはついに扉の前に辿り着く。
そこは地下へと続く薄暗い階段だった。普段は鉄柵で封じられているそこは、今は開放されて先に進めるようになっている。
周囲に他の者がいる気配はなかった。自分たち以外にも番号を呼ばれた者はいたはずだが――先に奥へと入ったか、これから来るか、はたまたこの城砦から逃げ出したのだろう。
なんにしても自分達には関係のないことだった。ロトは勇気を振り絞ると、壁の横につけられた小さな光源を頼りに前に進みながら、階段を下りて行った。
階段は思った以上に長く、そして深かった。
今なお続いている断続的な揺れは、もはや自分たちがいる場所が震源地なのではないかと思うくらいに強く響いてくる。ただでさえ暗い足元も後方の光が差し込まないところまできて見えにくくなり、わずかな光源だけで進むには危なっかしかった。
いつまで下ればいいのだろう――そう思ったころに、ロトたちは最下に辿り着いた。
目の前にあったのは岩の扉だった。いったいどのくらいの厚さがあるのだろう。どう見ても子どもの力では開きそうにない佇まいをしており、これにはロトたちも当惑した。
「ねえロト。ここで合ってる……のかな?」
「そのはずだけど……」
これ以上先に進めなくなりランジが困ったように呟く。ロトはそれに返事をしたが、蝶番もつけられていないただの壁をじっと見ていると、いよいよ自信がなくなってきた。
岩の扉が外側に開いたのはそのときだった。ゴンゴンと重い音を立てて扉は開いて行くと、冷たい空気が流れ込み、その奥に広がる暗闇をロトたちに晒した。
その様を見るや、ロトたちは互いに顔を見合わせながら少しずつ進んでいく。
中に入ると、そこには他の子どもたちの姿があった。もう人数は揃っているのか、待ちくたびれたようにロトたちを振り返ると、誰もが希望に満ちた顔で佇んでいる。
そこは周りを岩で囲まれた四角い個室だった。広い室内はひんやりとしていて薄暗く、どことなく酸素が薄い気もする。そんなロトたちを照らす光源は一つ。
前方で薄く光るパッチワークのような膜――『
だがその存在を知らなかったロトたちには、前方の膜がなにを示すものかわからなかった。ただ光源に集まる虫のように、ロトたちは悠然とそれに近づく。
途端、後方の扉が閉まった。巨大な岩と岩が互いにぶつかり合ったような大きな音にロトたちは後方を振り返る。そして自分たちが閉じ込められたことを悟った。
「ろ、ロトお姉ちゃん! 扉が……っ」
「大丈夫! きっと大丈夫だから……!」
ロトは自分でも動揺を隠しきれぬまま、確信のないことを言ってみんなを落ち着かせようとした。前方の膜が光ったのはそのときである。
突然光量を増した膜にロトたちは目を瞑る。すると膜の向こうからぼんやりとした人影が2つ、3つと現れた。その様子にロトたちを含めた子どもたちは目を輝かせる。
刹那、その瞳が徐々に曇った。そして誰もの頭の中で警告が鳴る。だがそのときには遅かった。光源が薄まり、現れた人影の正体が公のもとに晒される。
3人のダースロウは相変わらず怪しい仮面をつけながら子どもたちに近づくと、一番近くにいた子どもの顔の前に手を翳し、怪しい呪文を唱えた。
瞬間、目の前の子どもは悲鳴を上げながら萎んでいき、布切れになって床に落ちた。
「きゃあああああああああああああ⁉」
薄暗い室内はたちまち悲鳴にまみれた。しかし周囲を厚い岩盤で覆われた内部では叫びは響かない。代わりにそれら絶叫は子どもたちの鼓膜に直接響き脳を震わせる。
一方でダースロウは一人を仕留めると、一人、また一人と子どもを襲っては布切れに変えていく。目の前で繰り広げられる壮絶な光景にロトたちも絶叫を上げた。
「みんな、下がって! 急いで壁際によって」
ロトの的確な指示によりランジたちはすぐには獲物にならずに済んだ。しかしそれも時間の問題であることには変わりはなかった。今はまだいい。しかし徐々に子どもたちの数は減っていき、ダースロウの魔の手は確実にこちらに近づいて来ている。
「なんで……っ、なんでなんだよ⁉ 正しい行いをしてれば幸せになれるんじゃなかったのかよ⁉ どうしてこんなことになるんだよ!」
どういうことなのかとガリブが叫ぶ。その悲鳴にロトはハッとすると、咄嗟に後方の岩扉に向かって行き、叩いても響かない岩を殴りつけて大声を上げた。
「フロードさん、助けてください! フロードさん、フロードさん!」
声の限り助けを求める。だが無駄だった。どれだけ声を張り上げても声は外にまで響かず、木霊することもなく岩壁に冷たく吸い込まれていく。
錯乱状態に陥ったロトは、今度はリュックの中身を探した。そしてラジオを取り出すとチャンネルを合わせる。するとそこからフロードの声が響いてきた。
それはあらかじめフロードがラジオ放送のために録音していた音声だった。
当然ロトはそれを理解している。それでも、そこから聞えて来るロードの声に、自分たちをこれまで導いてくれた声明に、助けを求めずにはいられなかった。
「フロードさん、フロードさん! お願い助けて! 私たち言われた通りに今まで正しく生きてきました! 自分たちよりも不幸な子どもに手を差し伸べて、見るからに食べ物に困っていない難民たちにも自分の食糧や貯蓄を分け与えてきました! あなたの言うとおりにしてきました! その結果がこれなんですか⁉ フロードさん!」
助けではなく、もはや眩みごとのようにロトは叫び散らかす。だがそれでも叫ばずにはいられなかった。こんな結末、受け入れられるはずもなかったから。
しかしその声も時期に萎んで行った。するとロトの声は小さくなり、たちまち周囲の悲鳴や叫びに覆い隠されていく。やがてロトは蹲ると頭を抱えた。
「なんとかしなきゃ。このままじゃランジもガリブも、ルンもアイもリラもブラウもやられちゃう。なんとかしなきゃどうしよう、どうしようどうしようどうしよ――」
発狂しかけて、自分が持ってきたリュックの中身に目を奪われる。
そして閃いた。みんなが幸せなまま、この場を納める方法を――
「ランジ、ガリブ! ルンもアイもリラもブラウも! みんなこっちに集まって!」
覚醒したロトはすぐに起き上がると、ランジたちを呼んだ。するとそれまで叫び、逃げ惑っていた子どもたちはハッとして、急いでロトたちの前に集まる。
「ロトお姉ちゃんどうしよう、このままじゃみんな、みんな!」
「こんなの嫌だ! 今まで正しく生きてきたのになんだよこれ、どうして俺たち――」
「シーッ! みんな落ち着いて! 幸せになれる方法が一つだけあるの!」
ロトが自信満々に言うと、それまで喚いていた一同は一瞬だけ落ち着きを取り戻した。
その間にロトはリュックの中身を弄ると、葉巻の入った袋とライターを取り出した。次いで葉巻を一本ずつみんなに配り、火のついたライターを近づける。
「みんな、これを吸って! なるべくたくさん!」
「吸うって……ロトお姉ちゃん、こんなときになに言ってるんですか⁉ 私たちどこも痛くないですよ⁉」
「そうだよ、それは痛み止めの薬でしょ⁉ 今それやってどうするのさ⁉」
なおもロトがライターの火を近づけると、ルンとリラが今にも泣き出しそうな様子で抗議の声を上げた。それでもロトは譲らずライターを近づける。
「いいから早く! あとは私がなんとかするから! 大丈夫だから、信じて。今まで私の言う通りして上手く行かなかったことある⁉」
証明とばかりにロトはこれまでの自分の行動と、その結果に起きた出来事をこの場にいる者たちに思い出させる。その行為はロトの信用を勝ち取るには十分な言葉だった。
「そう……だよね。これまでロトお姉ちゃんの言う通りにして、間違ったことなんてなかったよね」
「そこまで言うなら……俺も、ロトの言うことを信じてみるよ」
「私も」
ロトが全身全霊で頼み込むと、一同はロトの言葉を信じて大量の葉巻を取った。それからロトが順番にライターで火をつけると、みんなは一気にそれを吸い込む。
途端にロトを除く子どもたちはトリップ状態に陥った。一度に大量の薬物を摂取したことで脳が異常をきたし、視界がぐにゃりと歪む。
そのまま立っていられなくなった子どもたちは、次々にバタンと倒れて行った。
未だ悲鳴が鳴り止まぬ中、一人残ったロトは、昏倒したみんなの顔を順に見ながら、確固たる自信で持って静かに告げる。
「大丈夫だよみんな。私が――お姉ちゃんが絶対に、みんなを救ってみせるから」
◇
未だ激しく揺れる城砦内を、ユウは必死に駆け回っていた。
落ちてくる瓦礫や崩れる壁は、本人の幸運体質からかまったくユウに直撃することはなく、それどころか災害自体がユウを避けるようにして崩壊していく。
そんな不思議に見舞われる中、ユウはロトの行方を探して城砦内を彷徨っていた。
(ロト、どこにいるの⁉ ランジとガリブは⁉ ルンとアイとリラとブラウだってまだ小さいのに! いったいどこへ――)
いの一番に住処へと顔を出したユウだったが、すでにそこにはロトたちの姿はなかった。その他にも仲間たちが行きそうな場所や、以前行った場所を巡っていくユウ。だがそこにロトたちの姿はもちろん、先ほどまでそこにいたような痕跡もなかった。
「どこ⁉ どこにいるのみんな……っ。お願いだから無事でいて……!」
みんなの無事を祈りながら走るユウ。すると突然前に人影が現れてユウは足を止めた。
それは見たことのない半裸の男だった。栄養状態が悪いのか、むくんで膨れたような体で三段腹が波打ち、ハゲ散らかった頭からは衛生管理が行き届いていないのがわかる。
立ちはだかったままどこうとしない男に当惑していると、男の方から叫び声を上げた。
「おお、お、おい。お前、ここの子どもだろ。俺は移民で食べ物に困ってるんだ。な、なにかくれ。食いもん。金でも薬でもいい!」
自らを移民と言った男は、確かに顔立ちが自分やロトたちとは違かった。肌の色も日焼けしたような褐色で、言葉遣いも覚束なさが目立つ。
「そ、そんなもの持ってません! それより急いでるので、その――」
「ゲヒヒ。そんな事いぅて、独り占めする気だろう。それは許さねぇぞ」
ただでさえ大地震で周囲が崩れている中、この男はなにを言っているのだろうか。避難するとか助けを呼ぶとか、できることは沢山あるはずなのに、それをしようとしない。
それどころかこんな状況化でもユウに集り、慈悲を請うている。
「あ、あの、その――探している人がいるんです、ごめんなさい!」
ユウが出した決断は、まともに相手にせず男の前を突っ切ることだった。が、しかし突っ切ろうとしたところでガシッと腕を掴まれてしまう。そしてグイッと引き寄せられた。
「ひ、ひひ。俺は知ってるんだ。お前たちは俺たち難民を見捨てられないことを」
いきなりなにを言い出すかと思えば、男は今この場にそぐわないことを言い出した。そしてユウは気づく。男からはロトたちが吸っていた葉巻の嫌な臭いがしていることに。
なにをしでかすかわからない男に、ユウは怯え切った表情で腕を振り解こうとする。
「や、やめて。離してくださ……」
「お前らは利用しがいがあっていいよなぁ」
ユウが腕を引き剥がしにかかっていると、構わず男は喋りかけてくる。その「利用しがいがある」という言い草に、ユウは思わず男を直視した。
「俺たちが難民ってだけで金も食いもんもくれるし、住処もくれる。おまけに騒動を起こしても政府は俺たちの味方をしてくれるんだ。この国では俺たちより酷い暮らしをしている奴がいるにもかかわらず、国はそんな奴らよりも移民の俺らを大切に扱ってくれる。本当にこの場所は――この国は俺たちにとって、都合のいい国だよな~ぁ?」
なにを言うかと思えば、反吐が出るほどに聞くに堪えない戯れ言だった。
そして思う。今までロトたちは、こんなろくでもない連中のために自分たちの食べ物や稼いだお金を渡していたのかと。フロードの上辺だけの言葉を信じ、自国民よりも難民を優先するような国を信じて。そして国は、そんなロトたちみたいな人たちを放ったらかしにしていたのかと思うと、あまりにも酷い現実過ぎてユウは吐き気を催した。
なんにしてもこれ以上は時間が惜しかった。ユウは未だにくだらないことを言おうとする男を押し退けると、今度こそ男から身を解いて走り出す。
「ガキどもなら多分地下にいるぞ。どうせそこしか行き場なんてないからなぁ!」
ゲラゲラと上げていた男の高笑いは、頭上から落ちてきた瓦礫によって遮られた。その男の安否はわからない。だが今はそれよりもロトたちを優先した。
男が言うには、恐らくロトたちはどこかの地下にいるらしい。なら下へ続く道を目指せばロトたちのいる場所へと辿り着けるはずだった。
それからユウは崩壊した迷路のようになった城砦内を縦横無尽に駆け巡った。瓦礫を飛び越え、落ちてくる天井を躱し、とにかく必死になって地下へ続く道を探す。
そしてついに、それらしき場所へと辿り着いた。
そこは周囲を石の壁で囲まれた薄暗い階段だった。天井の両端には光源があり、足元を心許無くぼんやりと照らしている。
どう見ても怪しい通路だった。しかし他に行けるところも、時間もなかった。
ユウは覚悟を決めると、足元に気をつけながら駆け足で階段を下っていく。
思っていた以上に長い階段だったが、やがて半開きになった石の扉が見えてきた。扉は半開きになっており、中からは見覚えのある淡い光が漏れ出ている。
ユウは一旦立ち止まると、中を覗く前に音を聞いた。だが地盤が揺れる音以外、中からはなにも聞こえて来ず、しんと静まり返っている。
「本当にここで……合ってるん、だよね?」
薬でトリップした男の言うことを信じてここまで来たが、今になって自信がなくなってきた。それでも確かめるまでは確信できないと、ユウはついに決意をもって中を覗く。
「ろ、ロト……? 中にいるの?」
中は薄暗がりで、ほとんどなにも見えなかった。ただ前方にある膜の壁だけが薄く光を放っており、その小さな光源を頼りにユウは奥まで進んでいく。
と、途中足元でピチャリと水音が鳴った。どうやら地面が濡れているらしい。そのまま歩いて行くとなにかを蹴飛ばす感覚があり、ユウは立ち止まって下を見る。
首をかっ切られたガリブの死体が転がっていた。
転がっていたのはガリブだけではない。
ランジ、ルン、アイとリラ、ブラウ――ユウの知っている仲間たちみんなが、ガリブ同様に頸動脈を引き裂かれており、亡骸となって転がっている。
そのどれもが恍惚とした表情で目から光を失っており、安らかに眠るように絶命していた。
一瞬それがなんなのかわからなかったユウは、頭が着いて行かず硬直する。
「ユウ……?」
不意に声をかけられてユウはビクリとした。そして硬直したまま声の方を見る。
そこには一人、薄明りに照らされたロトが呆然とした様子で突っ立っていた。
「ロト? ……よかった。ロトは無事――」
と、そこまで言いかけて、ユウはロトの身形を見て歩を止める。
ロトは血に塗れた一本のナイフを手に、全身に返り血を浴びていた。顔には拭ったと思われる血がべっとりとついており、ナイフを持つ手には今なお血が滴っている。
瞬間、ユウはすべてを察した。ここでなにが起こったのかを。
「う、あ、ああ……あああああっぁぁぁぁあああぁぁ!」
恐怖のあまりユウは絶叫すると、そのまま後ろに倒れて尻もちをついた。と、その指先になにかが触れて転がっていく。
見るとそれは、ロトたちが薬と言って吸っていた葉巻の吸い殻だった。それも尋常な数ではなく、袋に入っていた分ほぼすべてが吸い殻となって足元に散らばっている。
「ダースロウがね……」
ユウが叫びを上げると、こちらがなにか言う前にロトが言葉を口にした。その足元には布切れになった他の子どもたちの残骸が転がっている。
「この膜から突然現れてみんなを襲い始めたから」
「ダースロウって……じゃあ、なんでロトは無事なの?」
「わからない……この子たちを殺したあと、純粋でなくなった子どもには価値がないって言われて、そのまま去って行った。でもいいの、私はみんなを救えたから」
なにを言ってるのかわからなかった。だって今この場に救われた者など一人もおらず、あるのは姿を変えた仲間の姿と、どす黒い目で呆然と虚空を見るロトだけだったから。
「救ったって……これのどこが救いなの⁉ みんな死んじゃってるじゃん!」
「そうだよユウ。今回の場合、死ねることは救済の一つだったんだ」
なおもロトは持論を語りながらユウに向き直る。だがユウは譲らなかった。
「わからないよ! だって死んじゃってるんだよ? こんなのロトが目指してた幸せとは全然違うものじゃん! これじゃあ不幸だよ、不幸のどん底だよ!」
「私たちにとっての幸せを勝手に定義づけないで!」
ユウが反論した直後だった。それまで放心状態にあったロトは顔を険しくさせると、威嚇するように歯を剥き出しにして、怒りに燃えた目でユウを睨みつける。
「他の子たちが苦しんで死んでいく中で、この子たちは薬でトリップしたまま、苦しみを知ることなく死ねたんだよ。こんなに恵まれたことって他にあると思う? 私たちはツイてるんだよ。これはれっきとした幸せなの!」
今にもナイフで襲いかかって来そうなほどの気迫に、ユウは二の句が継げなかった。その間にもロトは一人俯くと、ぶつぶつと独り言を言い続ける。
「そうだよ、これは幸せなことなんだよ。それこそどんな人だって……。依存症や中毒者だって、薬や酒があることで幸せを感じている。虐待されている子どもも、親と一緒にいられて安心感を覚えているなら幸せ。幸福の形は人それぞれなんだ」
一通り喋ったあと、今度はゆらりとユウの方に近づいた。
「私たちは飢餓状態にあったから食べ物の大切さを知れた。その中で肉親が死んでいったから家族の大切さを知れた。争いがあったから平和の尊さを知れた。飢餓も戦争も死も、すべて素晴らしいものなの。やっぱりフロードさんの言った通りだ、幸せも不幸も自分の見方一つで変わる」
そして、ようやく素晴らしいものに気づいたようにその場で手を広げた。まるで天から神のご加護を授かったように。濁りのない眼差しでロトは感激した。
「見て見ぬふりをすれば、素晴らしい世界なんていくらでも広がっている。……なのにユウは、なんでわざわざ悪いところばかりに注目して不幸になりたがるの?」
「なんでって……だって、だってこんなの!」
「奴隷も、虐待されている子どもも、戦争してる国の人たちも。被害者が自分の考え方を代えればみんな幸せになれるんだよ。不幸なのは被害者の努力不足なの。だって、結果的によかったことにするのが人生でしょ?」
ユウにはロトの言っている意味がわからなかった。だが言わんとしていることは知れた。
これまで辛かったのだから、これ以上不幸になることはないと、ロトは心の底から信じているのだ。自分の考え方一つで、本当に世界が変わると疑っていないのだ。
だがそれはとても残酷なことだ。絶え間なく努力すれば報われるというのは、終わりのない永遠の試練。それこそ地獄の処刑の一つだろう。そしてロトはついに見出したのだ。
幸福とは暮らしが豊かになることではなく、苦しみから解放されることである――と。
それがロトの持論であり、辿り着いた答えだった。そもそもこの世界に一番の不幸者などいない。なぜなら人は各々違った価値観を持ち、幸不幸は人によって違うから。隣の芝は青い。だから自分より不幸な人は探せばいくらでもいるというバグが発生すると。
そして可哀想なロトはフロードに洗脳されてしまった。お前は不幸ではないと。そう信じ込まされてしまったのだ。本当は誰よりも不幸のどん底にいるのに、本当の幸福を知らぬがゆえに利用されて、こんな結末を迎えてしまったのだ。
「待っててね、みんな……今から私もそっちに行くから」
虚ろな目でそう言うと、ロトは自らの喉元にナイフの刃先を突きつけた。
咄嗟にユウは飛びかかり、片手でロトのナイフを持つ手を掴む。そんな自死の邪魔をするユウに、ロトは目を剥きながら叫び声を上げた。
「離してユウ! どうして私の邪魔をするの⁉」
「ロト、お願いだからこんなことやめてよ! こんなの間違ってる……っ」
室内に充満した薬の影響があったのだろう、片腕しかないユウでも、ロトからナイフを奪い取るのは造作もなかった。すぐに足元にナイフが落ちると、次いでロトもよろける。
その隙を突いてユウはロトの手を取った。ロトがこちらに倒れそうになるのを利用して、そのまま後ろの階段を一気に駆け上る。その間もロトは叫び続けた。
「私はあの子たちを一切苦しませずに死なすことができた、これで私の役目は終わったの! だからもう解放してよ、もう嫌なのよこんな世界! 私は幸せになるの!」
腕を振り解こうとしながら、しかし脱力して思うようにロトは動けなかった。その間もユウはロトを説得し続ける。
「こんなの本当の幸せじゃないよ! だからここから一緒に脱出するの! そんなに幸せになりたいなら、私が本当の幸せを見せてあげるから!」
ユウには自信があった。なぜなら自身の幸福体質があったからだ。それを駆使すれば、ロトに本当の幸せがなんたるかを証明できると。
そんな言い合いをしているうちに二人は上階へと着く。そこで再び大きく揺れた。
その瞬間、ロトの手がユウから離れる。階段を登りきったところにいたロトはそのまま後ろ向きに倒れると、真っ逆さまに頭を下にして階段を転げ落ちようとした。
その上から岩の塊が崩れ、ロトの頭に直撃する。ロトが階段に額をぶつけると、そのまま上から何屯もの岩石が頭を押し潰し、頭蓋骨ごと脳天を砕く。
次いで岩と階段の間から血液が噴出すると、脳の一部が押し出されて床に飛び散った。
「ロトォォォ!」
突然身に降りかかった不幸にユウは泣き叫ぶ。その間もロトは頭を潰された反射で手足をじたばたと暴れさせると、やがてビクンビクンと痙攣して動かなくなった。
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