ユーディス  ~回転国家の吉凶サイクル~   作:智二香苓

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第4話 オーナー

『帝冠クラウン』の街は、夕食時になっても大祭の準備で騒がしかった。

 昼夜のないこの世界で時間の感覚を知る方法の一つに、腹時計というものがある。店側ではぼちぼち夕食の支度を始めようと解散するグループもいくつか見られたが、それでも飾りつけや警備などの作業をしている人の方が目立った。

 この様子だと、ぶっ続けで作業を行うところも多いだろう。どこかで休憩を挟まなければ倒れる人が続出しそうな勢いだ。それでも人が捌ける気配はまるでない。

 

「日に日に人が増えてるな。こりゃ一度迷子になったら見つけ出すのが大変だぞ」

 

 目的地へ向かう途中、アラインは周囲の様子を見てぼやく。二人だけの移動とはいえ、一度人波に呑まれたら、そのまま離れ離れになりそうな人口密度だ。

 

「なあ、この辺の地理はわかるか? 逸れると面倒だからなるべく近くに――」

 

 注意喚起しながら振り返ると、すでにユウの姿はなかった。

 

「って早速迷子かよ! いつからだ? この道に出るまではいたはず……ん?」

 

 神隠しにでも遭ったかのように忽然と消えた後輩に、アラインは急いで周囲に目を向ける。すると少し戻ったところの売店の前で、ユウの後ろ姿を発見した。

 

「なんてベタな……」

 

 見つけられた安堵と、依然として自由奔放なユウにため息を吐きつつ、アラインは問題児を迎えに行くために来た道を戻った。

 

「なにしてるんだ。仮にも今は仕事中だぞ。逸れたら面倒だからあまり動き回るな」

「あ、ごめん。つい」

 

 物珍しげに商品を眺めていたユウは、アラインに気づくとすぐに店先を離れてあとを着いて来る。しかし本当の厄介事が起こるのはここからだった。

 

「またいないのかよ!」

 

 立て続けに姿を眩ますユウに何度振り回されただろう。

 その後もユウは好き勝手に行動し、いくらアラインが注意しても数分後にはなにかしらに目を奪われてはその場で釘づけになって、興味津々な様子で目を輝かせた。何度も迎えに行くアラインは、さながらユウの保護者である。

 そしていくど目かのお迎えのとき、ついにアラインは根を上げた。

 

「頼むからきちんと俺に着いて来てくれ! もうそんな歳でもないだろ⁉ 方向音痴とかのレベルじゃないぞ、さっきからお前にはいったいなにが見えてるんだ!」

 

 この短い期間でなに一つとして改善が見られないユウに、アラインはほとんど涙声で懇願した。これにはさすがにユウも良心が痛み、面目ないと頭を掻く。

 

「いやーごめん、珍しいものばかりでつい目を奪われちゃって……」

「珍しいって。まあ確かに、特に今の時期だと数日間の祭りで張り切った店が、この辺じゃ手に入らない変なものばかり仕入れてたり、変わった物産展も多いけどさ」

「そんな何日もお祭りをやるの? なんか長くない?」

「そりゃ今年は聖儀祭の年だからな」

「セイギサイ……って、なに?」

「おいおい、それすらも知らないのか? 国全体で行われる祭りだぞ⁉」

 

 伝統のある式典を、さも当然の疑問のようにユウが聞いてきたものだから、アラインは寝首を掻かれたようにギョッとした。

 

「方向音痴の件といい、浮世離れしているとは思ってたけど、ここまでとは……。お前、俺たちと会う前はどう過ごしてたんだよ? よくそんなんで生きて来られたな」

「個人のプライベートは聞いちゃいけないんじゃなかったの?」

「わかってるわそんくらい! 皮肉で言ったんだよ!」

(まあ12年に一度の祭りだし、ユウが孤児だった場合は世間と関わることもないから、知識がなかったとしても当然と言えば当然か)

 

 憤慨しながら自らに言い聞かせて納得させると、聖儀祭当日に店で働く際に予備知識が必要だろうと考え、アラインは祭りに関する情報を思い出す。

 

「聖儀祭っていうのは、12年に一度、12日間に渡って行われる国全体を巻き込んだ祭典だ。国民はいろんな仮装で着飾って、魔除けや厄払い、豊穣や健康を神様とかに願って、いい流れを呼び込んだりする聖祭と祭儀――っていうのが起源らしいが。今となっちゃ無駄に手間と時間のかかる、なんでもありのお祭り騒ぎだ」

「えっ。12年に……12日間?」

 

 説明を聞くとユウは、とあるポイントで目を剥いた。

 なんとも初心者らしい反応に、アラインは共感するように頷きを返す。

 

「驚く気持ちはわかる。俺も最初に聞いたときは聞き返したなぁ。12年に一度とか長過ぎるし、開催する日にちも12周期リズムってのも変な感じだよな」

「あ……うん。なんかそう聞くと、伝統もへったくれもない……感じ、だね」

「? ははっ。否定はしないが言ってやるなって。これでも式典らしく、きちんと大目玉が用意されてんだぞ。あの天秤見えるか? 上の部分だ」

 

 どこか歯切れの悪いユウに違和感を覚えつつも、アラインは不意に立ち止まって、ある方向を指差した。ユウは言われた方を振り返る。

 国の中心に、機械仕掛けの巨大な天秤が鎮座していた。

 外観の至る箇所からは大小様々な歯車が露出しており、遠目からでもそれらが規則正しく、一切の休みなしに延々と回転しているのが見て取れる。

 しかしアラインが指し示しているのはもっと上の方、左右の皿の主柱の天辺。

 

「あ……れは……」

 

 遠方の天秤を見るやユウは言葉を詰まらせる。その反応からユウの視線が指先の光景を捉えたことを確認すると、アラインはさらに詳しく解説した。

 

「あの天秤は月桂秤(げっけいびん)と呼ばれてて、祭りの最終日にはあの頂点から人工衛星、通称『宙(そら)の天球』が、花火みたいに宇宙空間に打ち上げられるんだ。そして前の聖儀祭で打ち上げられた12個の人工衛星の中で、一番古いものが大爆発して花を咲かせる。丁度あれの後ろで光ってるのが人工衛星だ」

 

 説明しながら上空を促されてユウは再び目を移す。

 月桂秤の背後に広がる、彼は誰時とも逢魔が時ともつかない灰紫の天空には、一定の間隔で配列された転々とした光りが輝いており、そこから放出される瞬いた帯が、天球儀のように奇抜な網目を施しながら人工衛星同士を繋いでいた。

 

「瞬く数奇と呼ばれる――人工衛星から放出された、地上を照らしてくれる光りだ。あれのお陰で俺たちの生活は成り立ってる。よく観察してみるとわかるんだけど、『宙の天球』が互いに反射しあって、幾何学的な文字盤を上空に作り出してるらしいんだ。博物館に行けば展示品があるから、そっちを見た方がわかりやすいと思う。宙に壮大な絵画を映し出すなんてなかなか粋なことをするよなぁ――っておい!」

 

 少し目を離した隙に、またもやユウはあらぬ方向へと放浪していた。

急いでユウを連れ戻すと、アラインは盛大にため息をつく。

 

「自分から聞いといて自由過ぎるだろ! 解説中に無視するか普通⁉」

「あー、ごめんごめん。ちょっと向こうにあったのが気になっちゃって」

 

 わざとらしい振る舞いでユウは後頭部を掻くと、上辺だけの平謝りをした。

 移動中なら未だしも、立ち止まっているときに逸れたユウに首を傾げる。だがそれよりもまったく気持ちの籠っていない謝罪の方が気になり、すでに疲労感を覚えていたアラインはもはや怒る気にもなれず、やれやれと額に手を当てた。

 

「はぁ、なんか説教する気も失せたわ……。まあいい、そんなことより早く行かないと。おい、もう俺の服でもいいからどこか掴んでろ。そうすれば逸れないだろ」

 

 本来の目的を思い出すと、アラインは自分の服を指す。

ユウは短く「ん」とだけ返事をすると、人差し指と親指で控えめに服を摘んだ。服の後ろを引っ張られるのを確認するとアラインは再び歩き出す。

 が、1秒後に指が離れた瞬間、ついにアラインの堪忍袋の緒が切れた。

 

「だぁもお! 掴んでろっつただろうが!」

 

 怒声とともにアラインは振り返ると、早速別の場所に目を奪われたまま虚空を彷徨っているユウの手首を握り、強引に引き寄せた。

 

「!」

 

 余所見をしているところに急に手首を引っ張られてユウは一瞬目を見開くも、すぐにその相手がアラインだと気づくと、にやけながらアラインをからかった。

 

「へぇー? 結構大胆なんだ」

「仕方ないだろ。ただでさえ人通りが多いのに、また迷子になったらどうするんだ。さっきまではそんな離れてなかったからすぐに見つけられたけど、本格的に見失ったら、この中から見つける自信はないからな俺」

「大丈夫だよ。何度逸れても全部見つけてくれたし、今だってこうして掴まえてくれたじゃん。だからなにも心配ないよ」

「あのなぁ」

 

 能天気にも、たまたま重なっただけの偶然を過信するユウ。そんな彼女に呆れながら、アラインは各地に設置してある風見鶏を目印に人通りを必要以上に右や左に縫って歩き、さらにアラインは目的地に到着するのにも、かなりの時間を費やした。その原因はアラインの人生において、切っても切り離せない習慣が関係している。

 

 言わずもがな。糾える縄の如き禍福を選り分け、なるべく厄災を避けて利運に恵まれるルート、せめて吉凶の影響がない道――セーフポイントに沿って進むためである。

 従って『因果歪曲計(ウェザー)』を確認し、気分屋な運命の流れに倣いながら都度移動する方向を変えていたため、なかなか目的地に到達できないのは必然だった。

 

(『因果歪曲計(ウェザー)』だけだと、どうしても遠回りになるな。できれば『(ホルス)』を使って割愛したいけど、この前のこともあるし、こればかりはなぁ……)

 

 この前というのは無論、『(ホルス)』を発動して体調を崩した日のことである。

 因果を視認する異能『(ホルス)』。

 それまでは好きなだけ能力を駆使し、偶然の線引きにより刹那の間だけ繋がった道程を渡り、どんな場所からでも自由自在に近道ができた。

 それが今はどうだろう。まるで透明の迷宮にでも迷い込んだかのように、道化さながらに風見鶏型の機械の指す方向へと右往左往し、これではまるっきり操り人形だ。

 

 だから『(ホルス)』が使えなくなった今、アラインは内心焦っていた。

(ホルス)』があれば過去のあらゆる善悪の果報も関係ない。すべての応報を意のままに選択でき、幸運を引き寄せることは元より、不運も事前に避けられる。

 極端に言えば、都合のいい流れを引き寄せれば法律にだって影響するのだ。もしかしたら禁止されていたかもしれない決まりも、運の力によって変えることができる。

 

 もちろん限度はあるが、基本的に因果に沿って動けば、損をすることはない。

 なによりも称賛されるべきは、アラインがそれを悪用していないことだった。能力を使うのはあくまで不運を避けるためであり、それ以外のことでは使用していない。

 

(やっぱり能力を使わないと時間かかるな。早いとこ到着したいけど……)

 

 一抹の不安を覚えながら、何度も『因果歪曲計(ウェザー)』に従い方向転換する。その都度周囲を見回し、次のポイントを確認。あとはそれの繰り返し。

 アラインはこのときほど毎日コツコツと『因果歪曲計(ウェザー)』の設置と定期メンテナンスをしていてよかったと実感することはなかった。思わず過去の自分に感謝する。

 どんな状況下でもルートの確認を怠らない。その心がけは素晴らしい。だが今度はアラインに手を引かれているユウが、相方に不信感を覚える番だった。

 

「ねえ。この道通るなら、さっきあそこを真っ直ぐに行った方が早かったんじゃない? ここだけじゃなくて前のところも。なんでさっきから遠回りしてるの?」

「そうか? 気のせいだろ」

 

 口では流しつつも、アラインはついにユウがからくりに気づいたことを悟る。当然因果や能力のことを伝えるわけにもいかない。だがこの展開は想定済みだった。

 

(俺だって、できれば真っ直ぐ進みたいよ。でも今は『(ホルス)』が使えないから……)

 

 胸中で愚痴りながらも、アラインはこのときのためにあらかじめ用意しておいた、適当に誤魔化すための話題をユウに持ちかけた。

 

「もう仕事には慣れたのか? うちの店、個性的な奴ばかりで大変だろ」

 

 これぞ新人との会話に困ったときに用いられる伝家の宝刀、進捗確認である。

 仮にもユウは我らが店舗のニューカマー。上司としてその後の経過を聞くのは、なんら不自然ではない。これに乗じて話題転換を試みる。

 

「ううん、そんなことないよ。みんなよくしてくれるし、仕事中もいつもなにかしらで遊んだり騒いだりしてるから、私は毎日楽しいかな」

「それはなによりだ。他の奴らとも上手くやっていけてるようでよかった」

(仕事中は本来遊んでいるはずないんだけどな。あいつら、しばらく俺がいなかったのをいいことにサボってたな? あとで罰を与えておかないと)

 

 目論見通りユウは話に乗った。ついでに従業員たちの仕事態度も知れてアラインが引きつった笑みを浮かべていると、今度はユウの方から訊ねてくる。

 

「そういえば、うちのとこのお店って、いんてりあ? ってやつなんだよね。部屋の中に置くものを売ってるお店なのに、どうして石みたいなやつの方が人気なの?」

 

 ユウが言っているのはアクセサリー類のことだろう。

 恐らくアラインが眠っていた三日間の間に店で清算していたときに、本来専門であるはずのインテリア商品よりも、装身具の方が売れていることに疑問を抱いたに違いない。

 

「あれはうちのとこだけで作ってるオリジナルの商品だからな。他じゃ手に入らないんだ。あの店は俺たちだけで運営してるんだけど、その中にデザインや加工が得意な奴が何人かいてな。アクセサリーに埋め込むパワーストーンの中身は俺が作って、デザインは他の従業員が宝石類に合わせて提案・作成しているんだ」

「中身?」

「んんっ……初めは趣味程度に始めたことだったんだけど、思った以上に火がついて、そこにこのお祭り騒ぎでさらに客足が伸びて今まで以上に人気が出たんだ。それまではインテリア類を中心に売ってたんだけどな」

 

 思わず口を滑らせるも、咳払いを挟んだあと、なんとか軌道修正に成功した。その証拠にユウは、アラインがわざと仕掛けた罠にまんまと嵌ってくれる。

 

「アクセサリーだけでやっていけてるなら、なんでまだ家具を置いてるの? アクセサリーだけでも十分お金稼げてるんでしょう」

 

 鋭い指摘だった。だがその質問に対する回答はきちんと用意してある。

 

「いろいろ試してみたかったんだよ。今はありがたいことに評判だけど、それがずっと続くとも限らない。もし今の商売一本でやっていけなくなったとき、すぐに方向転換できるように手広くやってた方がリスクも少ないだろ? 言わば保険だ」

 

 本当は別の目的のためにインテリアに手を出したのだが、もちろんそれを告げる必要はない。違和感のない理由のでっち上げに成功する。

 そしてユウが話に聞き入ってくれたお蔭で、何度も同じ場所を通ったり、迷走していたのも誤魔化せた。そうこうしている間に目的地も見えてくる。

 近くまで来てまず目に入ったのは、建物の入り口の外にまで伸びる長打の列だった。

 まだ開店したばかりなのか、待機していた人々が建物内に吸い込まれていく。その様子を横目にアラインは路地に移動すると裏口に回った。

 

「入る前にこれを首にかけて」

 

 持ってきていた入場許可証をユウに渡すと、アラインももう一つを首から下げて重いドアを開けた。薄暗い空間が現れると中の冷気が吹き抜ける。途端に奥の方から重低音のリズムが流れてくると、空気を伝って全身を震わせた。

 廊下を渡ってさらにもう一つドアを通ると、音のくぐもっていた質素な廊下とは一転、下品で耳障りな音楽の爆音と、天井や機材から降り注ぐ何色ものレーザービームの中で、人々が異様な熱気を振り撒きながら盛り上がっている。

 参加者たちはグラスを持っているかリズムに乗って腰を振っており、特に派手な衣装を着た野蛮人が率先して叫び声を上げていた。一部には地味で控えめな者たちもおり、場の空気に当てられた結果、柄にもなく慣れないテンションで悪目立ちしている。

 

「広場に出るか。向こうに行くぞ」

「えっ? 今なんか言った⁉」

「一旦広場に出るぞ! 用があるのはここじゃない!」

 

 爆音と絶叫に満ちた空間では会話をするのも一苦労だった。二人ともお互いに怒鳴り合いながらどうにか意思疎通をすると、アラインは先刻の二の足を踏むまいと、ユウが迷子になることを懸念し、当然のようにユウの手を取って移動を開始する。

 ナチュラルに手を繋ぐアラインに、ユウは真顔で手元を凝視した。

 その無意識な意識誘導がアラインには有利に働いた。なぜなら例え会場内でも、装飾品の風見鶏に仕掛けておいた『因果歪曲計(ウェザー)』で道順を判断し、不規則に人波を縫う必要があったからだ。

 

 シンボルを重んじる国故に、建築物の中にも風見鶏のレプリカや小さな飾りが設置してあるのは、アラインにとって都合のいいことだった。

ユウの気が逸れているうちに二人は会場の外に出る。当然広場は会場より落ち着いていたが、それでも人の出入りが激しく混雑していた。

 主に人が集まっているのは受付と飲食コーナー、そしてグッズ売り場である。歩く方向にグッズ売り場があったこともあり、自然ユウの関心もそちらへ向いた。

 

 商品棚には、その日のイベントに合わせた洋服やタオルやアクセサリーなどが並べられている。とりわけ今回のラインナップは異質だった。

 陳列されているグッズのほとんどが書物類であった。しかもただの書物ではない。そのすべてが自己啓発本やビジネス書と呼ばれる類の本である。

 本は、そのどれもが質のいい上等な厚紙を使ったものや、皮張りのものばかりだった。無駄に手間のかかったハードカバーの表紙や帯には作者や有識者の顔がでかでかと印刷されており、なぜかそのほとんどが、呪われているかのように一様に腕を組んでいたり、キメ顔で指に顎を乗せたポーズを取っている。あの姿勢がその界隈でのデフォルトなのだろう。

 

 大きな字で印刷されたタイトルは決まって「○○しろ」「○○するな」などの命令形の決まり文句が羅列されている。ざっと見渡しただけでも、以下のような文面が目についた。

「メモを取れ」「付箋を貼れ」「記憶力」「速読力」「モテ術」「成功術」「勉強法」「習慣」「人生が変わる」「やる気の出し方」「自己暗示」「天才を育てる」「できるリーダー」「バカは無視しろ」「~個以上当てはまったら○○」「PDCA」「ドラッカー」「マネジメント」「スピーチ」「実はこれ無駄」「これ本当は間違い」etc……。

 

 よくよく観察してみれば、同じ作者で真逆のことを主張しているものもあった。ネズミ講や株のジャンルもあれば、表紙の端にダメ押しとばかりに「○○式」「○○推薦」と有名な学者や研究グループの名前を引き合いに出している書物まである。それだけで中身を見ずとも内容の薄さが容易に想像できた。

 

 きっとそれでも意味のあることは書かれているのだろう。だがそれは今この瞬間にしか通用しない、時代錯誤で、付け焼刃と小手先ばかりのテクニックしか載っていない消耗品だ。来年になれば、そのほとんどが読まれなくなって古本屋に陳列か、または廃棄処分されることだろう。現代でしか通用しないからこそ、次の年に発行された本では真逆のことが主張されている。

 しかし、この類の本を敬愛している人がいるのも事実。現に今横で、ブランドの衣服をまとった前髪重めの意識高い系の信者が、ペラペラと熱心にページを捲っていた。

 

 その後ろからユウが背伸びをして中を盗み見た。体を乗り出したため繋いでいた手も一緒に引かれ、つられてアラインも開いているページに目を落とす。

 執拗に厚くしっかりとした質感の上質紙に、これでもかというくらい大きな文字で、行間スカスカの文章が列記されていた。文字サイズと行間を調整すれば、本そのものをもっと薄く小さくできるだろうに。はっきり言って紙の無駄遣いだ。打ち見しただけでも内容が浅く低いことがわかり、わざわざ書くまでもない当然なことばかり連ねられている。

 誰がこんな本買うんだ……という愚痴を、アラインは間違っても口に出せなかった。

 

 なぜならアラインたちの周囲では、男女ともに自己啓発関係の本を読む信者たちで溢れ返っていたからである。それもただ読書に勤しんでいるわけではない。

この場にいる全員が同じタイトルの本を一斉に読んでいた。

 たったそれだけで、この集まりの異常性が窺えた。そんな中で異端者が愚言を漏らそうものなら、即座に異端審問にかけられて社会的に抹殺されかねない。

 

 なにが気持ち悪いって、みんなが同じ本の表紙をこちらに向けているので、カバーに印刷された作者の顔がクローンさながらにズラリと並んでいるのだ。こんな異常な光景、アラインでなくても恐怖を覚えて当然だろう。

 喚声が上がったのは、今にも洗脳されそうな光景にアラインが顔を背けたときだった。出入口の方、外から室内に向かって徐々に喧噪が近づいて来る。

 

 尋常でない熱量に銘々が振り返る。そこには店の外から続く取り巻きを引き連れた、ビジネスファッションで着飾った女性――今まさに信者たちの熟読する本の表紙に載っていた顔が、複数のボディーガードを従え、ヒールでコツコツと床を鳴らしながら直進して来ていた。

 その過剰なお出迎えたるや、まるでスターでも現れたかのような騒々しさだった。登場した人物に気づいた信者たちも一斉に読みかけの本から顔を上げると、感動とショックで呆然としたまま静かに近づくか、尊敬と羨望の眼差しを注いだまま硬直する。

 

 片や似非スターの女性は、そんな周りの反応などお構いなしに、真ん中で分けた髪を手ぐしでサッと掻き分ける。鎖骨の辺りまで伸びたカールした毛先は、明るめに染められたブラウンによりキラキラと光りを反射させた。

 エレガントな所作も早々に女性はファンサービスに移行した。ときおり伸びてきた手と握手を交わし、手を振りながら笑顔も振り撒く。その度に辺りでは黄色い声援が上がり、信者たちは嬉しさと感動で胸をときめかせた。そして止めの一言を食らう。

 

「みなさん、今日は来てくれてありがとう。またこのあと会場で会いましょう」

 

 別れの挨拶を最後に、インフルエンサーは屈強なボディーガードたちとともに帳の奥へと消えて行った。我らが主君の姿が見えなくなると、それまで騒いでいた取り巻きはまだ冷めぬ熱を燻らせたまま、ぽつぽつとその場を離れて行く。

 一先ず盛大な歓迎会はこれにて一段落した。同時にそれは動く合図になる。

 

「ようやく人が捌けたな。俺たちも着いて行くぞ」

「行くって、今の人が入ったところに? 勝手にいいの?」

「そのための許可証だ」

 

 ユウが首を捻るとアラインは首にかけた吊り下げ名刺を持ち上げた。それからまた逸れぬようユウの手を握ると、たった今女性が消えて行った帳を潜る。

 途端に会場や広場よりも落ち着いた廊下に様変わりし、オシャレな絨毯の上を関係者やスタッフたちが行き交っていた。壁際にはいくつもの楽屋が設けられている。

 行先は決まっていた。アラインは迷いなく一直線に廊下を進む。

やがて一つの楽屋の前で立ち止まった。部屋のネームプーレトに書かれた名前を確認すると、そこには目当ての人物の名前が記されている。

〝フロード・スィンドゥラー様〟

 

「今日は俺の付き添いってことにするから、横にいるだけでいいぞ。ただそのうち一人で来てもらうことになるから、ざっくりと一連の流れを見ててほしい」

「わかった」

 

 返事を聞くとアラインはユウの手を離し、ドアをノックした。すぐに中から返答があると、一言「失礼します」と断ってから中に入る。

 入室してまず目についたのは、礼服姿のボディーガード集団だった。言わずもがな、先ほど信者という野次馬たちから依頼人を護衛していた者たちである。

 であれば必然、この楽屋の主の正体を暴いたのも同然であった。

 

「お疲れ様です。お久しぶりですフロードさん」

「あら、アラインじゃない。こんにちは。どうしたの?」

 

 先刻同様、フロードは懐の深そうな笑みを湛えるとアラインを歓迎した。快活な口調は相手に安心感を与え、初対面なら誰でもすぐに心を許すだろう。

 しかしアラインは緊張を解かなかった。柔和に砕けた調子で話しかけてくるフロードに対し、アラインはあくまでも同業者として、精神的にも一定の距離感を保つ。

 

「店のことやお支払いのことで挨拶がまだだったので、今日伺ったのですが……今、お時間はよろしかったでしょうか? 忙しそうなら日を改めますが」

 

 近々開催される大祭のことや、今いるこの現場の客入り状況、鏡に向かってお色直しをしているところなど、諸々を示しながら尋ねる。フロードは二つ返事で了承した。

 

「オンラインサロンのことかしら? それなら大丈夫よ。今回私はなにもしないから丁度手が空いてたの。タイミングがよかったわね」

 

 オンラインサロンとは、フロードが電波放送でやっている取り組みのことだ。毎週フロードからのありがたい前向きなお言葉や考え方を電波に流し、放送しているらしい。

 

「近々オフ会があるんだけどね。二日後に開催されるお祭りに合わせて、メンバーたちに会場を設営してもらっているのよ。今日は進行状況の最終チェックで来たの」

「メンバーたちにですか」

 

 相手と関わり過ぎないようアラインが当たり障りのない相槌を打つと、こちらがなにも聞いていないにもかかわらず、フロードは勝手に喋りだした。アラインは相手の機嫌を損ねぬよう営業モードでオウム返しする。なおもフロードは続けた。

 

「ええ、みんな自分からやりたいって張り切ってくれているのよ。というのもね、実は今回のオフ会、事前に販売した数量限定のチケットに当選した人たち限定で開催する予定なのよ。それでみんな一丸となって作って行こうと決めてね。もちろん当選しなかった人のために配信もするわ」

 

 フロードは宣伝するように嬉々としてそう語った。

だがアラインは、その裏に隠された真の狙いに即座に気づいた。

 

(要は一銭もかけずに、洗脳した奴らを使って無償で働かせて、宣伝ついでに売り上げを自分の懐に納めようって魂胆か。しかも労働者にチケットまで買わせて、金まで払わせてやがる。その配信だって月額料金払ってる人たち限定だろうに)

 

 一般人がこれらの取り組みを聞いても、今をときめく熱心な美人実業家程度にしか認知しないだろう。しかしフロード・スィンドゥラーという人間を知る者なら話は別だ。

 一度その悪辣さを目撃するか、実際に被害に遭えば、たちまちフロードがどれだけグロテスクで冷酷な人間か、瞬時に腑に落ちるだろう。

 

(ジルが行きたがらないはずだ。あいつはああ見えて素直な奴だからな。ペテン紛いのフロードとは相性が悪過ぎる)

 

 表面上は敬語で話していたアラインも、心の中ではフロードを軽蔑していた。

 もちろんそんなことを本人に言えるわけもなく、アラインは目の前の実業家にポーカーフェイスで対応しながら、心中で顔馴染の同業者に同情する。

 そんな仲間を労わる余裕は、しかし次にフロードが口を開いた瞬間、消え失せた。

 

「そうそう。あなたのお店の移転の件だけど、予定よりも早まるから、いつでも動けるよう準備しといてね。書類はもう送ったから知ってるだろうけど」

「え……?」

 

 さらりと告げられた重大事項にアラインは素っ頓狂な声を上げた。徐々に状況が呑み込めるようになると、頃合いを見計らったようにフロードが話を進める。

 

「この前見積書を調べ直したら、いくつかミスがあってね。今拠点を構えてるところの土地代が想像以上に高いのよ」

「……あの。その話が出たのって、いつでしたっけ?」

 

 身に覚えのない取り決めにアラインは話に着いて行けなかった。それでも、いつどのようにして決まったのかを知るべく、ど忘れしたという体で探りを入れる。

 

「どうだったかしら。もう8ヶ月くらい前?」

 

 たいして考える素振りもせずフロードは適当に答えた。彼女にとっては些細なことなのだろう。またアラインにとってもその辺は取るに足らない問題だった。

 重要なのは、たった今フロードから話を聞くまで事態を把握していなかったことである。

 

(なんだ、それは……そんな話一度も聞いてないぞ!)

(そもそも移動はダメだ! あの立地に建ててもらえるよう、どれだけ俺が根回ししたと思ってるんだ。設置した『因果歪曲計(ウェザー)』の数だって尋常じゃない。何年もかけて、ようやくあの場所に構えたのに。今以上に好条件の場所はないんだ!)

 

(それもよりによって、どうしてこのタイミングで……っ)

 

 両目に意識が行き瞼がピクリとする。指しているのは無論『(ホルス)』のことだ。

 前言の通り、今ある店の場所は、当時すでに能力が開花していたアラインが、数年に渡って人知れず奔走したことで治めたポジションである。

 アラインが直接手に入れたわけではない。今後従業員たちが暮らすことを考慮したとき、そのポイントが因果的に好立地だったため、偶発的に〝そうなるよう〟仕向けたに過ぎず、土地の所有者はあくまでもフロードである。

 

「設備を今より充実させた分、王都から離れるから。これ新しい移転先の地図ね」

 

 アラインが思い悩んでいると、フロードは持ち込んだ荷物からとじ込み帳を出し、中に入っていた地図を手渡す。赤い羽根ペンでマークをつけられた移転先の個所に目を落とした直後、アラインはショックと同時に叫んだ。

 

「ダメだこの方角は! 立地的にもマズい!」

 

 相手が上司であることも忘れてアラインはタメ口を叩いた。能力を使わずとも、長年に渡って培ってきた土地感と感覚でわかる。

『帝冠クラウン』では、この世界、回転国家特有の磁気が働いていた。

 なぜ『帝冠クラウン』を回転国家と呼んでいるか。それは『帝冠クラウン』自体が一定のスピードで、反時計回りに自転しているからである。

 そして我が国における東西南北の方角は、その地盤が常に反時計回りに回り続けているが故に、四季の如く、その時期によって移り変わっていくのだ。

 

 方角が変われば運気の流れも変わる。そしてその影響は、回転時に位置移動の少ない中心地の月桂秤との距離が開くほど、吉凶の恩恵も強烈に出るのだった。

 不幸にも今回の移動先のある地点は鬼門。アライン独自の理論で編み出した命術や卜術や相術――そして『(ホルス)』による回避、また因果の方向性を変える制御装置『因果歪曲計(ウェザー)』での歪曲をもってしても、改善が困難な位置取りだった。

 世の中には、あらゆる分野の基礎的に絶対に避けねばならぬ配置が、言うなれば逆パワースポットなる場所が存在する。そんなスポットに居を構えれば最後、様々な宿因が急降下し、最悪命の安全も保障できないだろう。

 

 たったそれだけの情報で、フロードがどれだけ格安で店の移転先をこの土地に決めたのかがわかった。スピリチュアル関係を嫌うフロードのことだ、現実主義者のプライドにかけて、きっと不動産屋の必死の忠告を無視したに違いない。

 よくこれだけ悪条件の重なる土壌を探し当てたものだと逆に感心する。だがそれも自分本位なフロードの手にかかれば、見つけ出すのも必然だったのだろう。

 

 残念ながらフロードを納得させる説明は閃かなかった。これらの知識や理屈は公にされておらず、因果を見られるアラインだからこそ認知できるもの。それをリアリストのフロードに明示したところで、理解を得られるはずがない。

 その証拠に「方角」や「立地」など『流気(ルーク)』的なニュアンスを含んだ言葉が出た瞬間、白粉で覆った眉間がわずかに反応し、気持ち険しくなった。

 

「ふーっ……。アライン、あなたに経営の才能があるのは認めるわ。これまでの売り上げの報告や、他の人の話を聞けばすぐにわかる。移転先のことだって、きっとあなたなりの拘りがあるんでしょう。でも、だからこそチャレンジする価値があると思うの。慣れた物事だけじゃなく、苦手分野に挑戦することで成長に繋がって、見識を広げられるんじゃないかしら? あなたの仕事柄、地域や民生が大事なのはわかるわ。でも方角に至っては非科学的で無根拠だし、なんの信憑性もないのよ。そんなもので決めちゃダメ」

 

 うんざりと息を吐いてからの説得。こちらのためと理屈を並べているが、要するに口答えするなという意味だろう。極めつけは神秘学への批判と拒絶。

 

(あーあ、これは早々に相手の言い分に乗っかった方がよさそうだな)

 

 面倒な未来を予測して肩を落とすアライン。それでも一度スイッチが入ってしまった以上、自己啓発本の一著者としての見解、もといフロードによる生産性のないお小言がしばし続くだろう。『(ホルス)』を使えないと、こういう地雷も予見できず本当に不便だ。

 ということでアラインが持久戦を覚悟した、その矢先だった。フロードはアラインの読み通り自分の言い分を長々と語ろうとし――口元を歪める。

 

「でも、そうねぇ。結局のところ私が移ってちょうだいって言ったのも、税金の値上がりとかで、あなたたちの支払いが厳しそうと思ったからなのよね。まあでも、金銭面に関しては方法がないわけじゃないんだけど……」

 

 含みのある言い方とともにフロードはちらりと視線を寄越した。

 執拗に現在の場所に執着しているアラインを見て、なにか閃いたのだろう。さり気ない目配せだけでアラインは、ろくでもない提案であることを悟る。

 

「ねえアライン。私のところに戻らない?」

「!」

 

 なんとフロードはアラインに勧誘を持ちかけた。単刀直入な発言にアラインが面食らっていると、全身を舐めるような視線でフロードは獲物を値踏みする。

 

「実を言うと、あなたのビジネス面の才能には前々から目をつけてたの。自分の得意分野に合わせた顧客ターゲットの選定、各客層に対応したニーズと満足度の向上、小さな販売店でありながらより多くの利益の出る拠点を見極める推察力、その上で売上の上がるタイミングを考慮した販売戦略――アライン、あなたは私がもっとも必要とする理想の人材像そのものだわ。そんなビジネスの才を生まれ持った逸材を、こんな狭い世界でのさばらせておくのは、あまりにも惜しい。ねえアライン、あなたと私ならいいパートナーになれると思わない?」

 

 事の重要性を強調するように称賛の言葉を重ねながら席を立つと、フロードは演説をする政治家のような挙動とともに、そっとアラインに歩み寄る。

 極めつけは胸部による誘惑だった。フロードは自分の女性としての魅力を、そこらの男性陣よりも心得ていた。そして今、アラインの意識が胸元に行くよう、立ち姿だけでさり気なくバランスのいい乳房をこちらに仕向ける。

 だがフロードの計作はこれで終わらなかった。万一に備えた保険も用意する。

 

「もちろん強制はしないわ。お店のことだって、少し値は上がっちゃうけど、きちんと納めてくれさえすれば、今の場所で運営してもらって構わないし」

 

 与えられた二択は、選ぶ自由がありそうで、実質は拒否権のない選択肢だった。フロードは店に運営費用が賄えないことを承知で提案しているのである。

 相変わらず底意地の悪い遣り口に、アラインは心底不快感を覚えた。

 

(強制はしないだと? 白々しい。端から俺を引き抜くつもりで提案したくせに。この分じゃ仮に俺が応じたとしても、店が今のまま運営していけるかも怪しいぞ……)

 

 仕事関係で長年フロードと交流してきたアラインは、相手の性格を熟知していた。故に容易な返答は店を危険に晒しかねないと答申を渋る。

 

(なんにしても、これ以上仕事に時間は裂けない。『因果歪曲計(ウェザー)』設置の外に店のこともあるんだ。くそ、『(ホルス)』さえ戻ればこんな状況なんていくらでも打破できんのに――)

「土地代をどうにかすればいいの?」

「⁉」

 

 アラインが脂汗を滲ませていたときだった。出口のない迷宮に陥ったように同じ問い反芻していると、それまで黙っていたユウが不意に口を開く。

 実際アラインは、今ユウが声を上げるまで隣に人がいることを忘れていた。

 視野狭窄のところに虚を衝かれてアラインが息を詰まらせると、フロードも初めてユウの存在に気づいて意識を向ける。

 なにより、暗に〝お前の策略を脅かすことなど容易い〟と、好戦的にも取れる発言をされたことが鼻についた。フロードは己の安息をざわつかせたユウを冷視する。

 

「……あら、ごきげんよう。初めて見る顔ね。新人の子?」

 

 ユウはアラインに向かって言ったつもりだったが、フロードはそうではなかった。ユウは声をかけられるとフロードを一瞥し、そのまま振り返って会釈する。

 

「初めまして。私は――」

「この前入ったうちの新人です! まだ日が浅いので仕事を教えてる途中で、今日も挨拶がてらこうして勉強のために付き添わせていまして」

 

 遠回しにフロードから「引っ込んでろ」と言われたことにも気づかず、ユウが律儀に頭を下げると、すかさずアラインがそれを遮って間を取り持つ。

 しかし手遅れだった。フロードは必死にユウを庇おうとするアラインを尻目に、穴が開くほど一直線にユウを熟視すると、平静を取り繕いながら告げる。

 

「随分と頼もしい口回しね。なにか自信のある秘策でもあるのかしら?」

 

 問いかける口調こそ優しげだが、その分ユウを睨める視線は鋭かった。わざとユウが発言するよう仕向け、穴を見つけ次第徹底的に潰す気満々である。

 

「あるにはあるけど……その代わりに、私にも一つ教えてほしいかな」

 

 ユウは虚空を見ながらそう言うと、得意のいたずらっ子のような顔で流し目をし――なぜかアラインに視線を送った。身に覚えのないアラインは不意に促されて戸惑う。

 

「なんだよ急に。どうして俺を見る? 仕事のことでなにか伝え忘れてたか?」

「あるよ。多分、すっごく大事なことが」

 

 ニヒルに笑うとユウはアラインに向き直り、ぐっと距離を詰める。

 たちまちパーソナルスペース圏内に入られると、アラインは思わず身を固めた。なおもユウは体が触れそうなほど迫ると、そのまま唇をアラインの頬に近づけ、

 

「コケコッコー」

「……ッ⁉」

 

 耳元で一言。小声で鶏の鳴き声を真似してみせた。

 二人の遣り取りにフロードが怪訝そうに眉をひそめる。一方アラインはその隠語がなにを意味しているか感づくや、一人静かに目を見開いたまま呼吸を忘れた。

 混乱する頭と一緒に脳内で回転するのは、クルクル回る鳥の置物。

 一瞬の間を置いてようやく息を吹き返すと、戦慄の眼差しでユウを見つめる。

 

「それ、どこで――」

「答えてもいいけど、いいの? 私は構わないけど」

「へ? ……あ、待て! ここじゃあの……あとで! 帰ってからで頼む!」

 

 余裕を湛えながらユウが目だけで左右を確認すると、アラインも失言に気づき慌てて訂正した。取り乱すアラインの反応が愉快で、ユウは意地悪く笑う。

 

「ということは、やっぱり大事なことだったんだ。適当に聞いただけなのに」

「なっ適当だって⁉ おま、謀りやがったな! どういうつもりだ⁉」

「あっははは! 素直過ぎでしょ。そんな性格でよく今まで商売できたね。お客さんとかに騙されたりとかしないの?」

「そんなの話の重要性で態度も変わって当然だろ! お前さすがにやっていいことと悪いことがあるぞっ。こんな酷い騙し討ちみたいなことしやがって。そもそもお前は初めから態度に問題があったんだ。新人なら店長を敬う気持ちが――」

 

 二人はすぐ傍にフロードがいることも忘れ、問答を始めた。もっともアラインが一方的に怒り心頭なだけで、ユウは反省した様子もなくヘラヘラしていたのだが。

 緩慢な新人とそれに踊らされる店長。そんな二人の遣り取りを蚊帳の外から見ていたフロードは、完全に緩み切った雰囲気に、一人気を張っているのがアホらしくなってきた。

 犬も食わない夫婦喧嘩のような茶番に呆れると、見るに堪えず嘆息しながら腕時計に目を落とす。好都合にも次の予定が迫っていた。

 

「次の仕事があるから私はもう失礼するわ。資金の話はまた今度聞くわね」

「えっ⁉」

 

 早速フロードが退散しようと切り出して身支度を始めると、その言葉にアラインは己の耳を疑った。なんとユウとの言い合いで、あのフロードの興を削いだのだ。

 これはアラインの偏見でしかないが……。元来女性という生き物は、一度受けた仕打ちは恨みがましくいつまでも覚えている特性を持っており、さらに実業家という職種はその仕事柄、自分に不利益を被ったり使えないと判断した人間は、トカゲの尻尾切りよろしく即座に切り捨てるという印象を抱いていた。

 

 粘着質な執着心と冷酷無残な独裁タイプ。その二つの性質を合わせ持ったフロードの手により、いったいどれだけの者が社会的に抹消されたであろう。知らぬ間に、誰からも悟られることなく消えるものだから、正確な人数を数えることもできない。

 関わりのある政治家や財閥、宗教関係者や裏組織の数は計り知れなかった。

 綿密な情報操作と横のパイプの力添えにより、表立って噂こそされていないが、その道の者たちの間では有名な話である。それでも世間に情報が漏れていないのは、それだけこの話題を出すことは命取りで、リスクが高いからだ。

 

 例えフロード本人がいないところでも、少しでも下手に噂を流そうものなら、逆に向こうから噂の出所を探られ、丁重に闇に葬られるだろう。

 どんな些細なことだとしても、自分の鼻につけば、被害の大小関係なく報いを被る。それがフロードの信条であり、悪い風評さえ立たぬ由縁だった。

 そんな容赦のない相手だからこそ、アラインは見逃された事実に愕然とする。

 

「引き抜きの件も検討しといてね。いつでも連絡ちょうだい、いい返事を待ってるわ。あとこれ、今度新刊出るからよかったらどうぞ」

 

 決まり文句のような挨拶で締め括ると、フロードは通り過ぎざまに自身の新書をアラインに手渡した。案の定、表紙には本人の顔がでかでかと張り出されている。

 最後の最後でちゃっかり宣伝と布教を済ますと、フロードは屈強なボディーガードたちを引き連れて楽屋を出て行った。あとにはアラインとユウだけが取り残される。

 その間アラインは本を片手に呆然とし、ユウに声をかけられるまで放心状態だった。

 

       ◇

 

(今後新人を入れるときには研修をさせよう)

 

 ディスコバーからの帰り道。帰路に着いてすぐアラインの頭に浮かんだのは、研修プログラムの重要性と導入についてだった。

 

(そうだ、元はと言えば新人に仕事を押しつけたジルが悪いんじゃないか。さっきの様子だと、フロードが何者かも教えてないな。じゃないとあんな無遠慮に話しかけられるわけがない。店に着いたら取っちめてやる)

 

 ついさっきの騒動を思い出して、危うくユウに八つ当たりしそうになると、アラインはすぐに冷静になって自分のお門違いを正した。真に憎むべきはジルだと再認識する。

 

(とはいえ、フロードの本性を知らなかったことを抜きにしても、こいつの初対面の相手に対するあの態度は非常識なものがある。まずは教育からだな)

 

 これだけは店長として、きちんと指導しなければ。そう意気込んで横に目を向けると、ユウは先ほどフロードからもらったビジネス書を歩き読みしていた。

 先ほど迷子になっていたとき同様、貪欲に本への興味を示す姿に、怪しげな思想にのめり込んでしまわないか心配で、アラインは危機感を覚える。

 本に集中していたお陰で、他に目を奪われて事ある毎に迷子になるようなことがなかったのは助かったが、この傾向はあまりよろしく思えなかった。アラインは説教することも忘れて、やんわりとユウに釘を差しておく。

 

「読むのは自由だけど、書かれてることあまり鵜呑みにするなよ。内容なんて来年には時代錯誤になってるものだし、仕事への向き合い方なんて人それぞれなんだから」

「でも帯に、これ読んだらみんな上手く行くって書いてあるよ?」

「それは本を買ってもらうためのキャッチコピーで……そんなことはどうでもいい。それより店のことだ。どういうつもりだ、あんな後先考えず啖呵切って! これでいよいよ引き返せなくなったんだぞ⁉」

「猶予できたんだからいいじゃん。どの道なにもしなかったら同じでしょ」

「うっ。それは……」

「大丈夫だよ、安心しなって。言ったでしょ、秘策があるって」

 

 考えなしのようにも聞こえるほど呑気な物言いにもかかわらず、ユウのなぜか威風堂々とした様相は、今はとても頼もしく思えた。

 アラインがそう直感した理由は主に、楽屋で耳打ちされた隠語に原因がある。

 

「なあ……さっきの。モノマネ、のこと……」

「モノマネ? ……あー、コケッコーか。風見鶏って言うんだっけ、あの飾り」

 

 一瞬虚空を見て考えるとユウはすぐに得心し、その辺の風見鶏を指差す。

 迷いなく風向計を示す姿を見て、確かにユウが『因果歪曲計(ウェザー)』の存在、少なくともその重要性は認知していることをアラインは確信した。

 

「……いつどこで気づいたんだ? なにをどこまで知ってる?」

 

 いったいどこから情報が漏れたのか。変に相手を刺激せぬよう、かつ情報漏洩の原因を探るため、慎重に言葉を選んで質問する。

 しかしユウから戻ってきた返事は、アラインにとって信じがたいものだった。

 

「あれにどんな意味があるかは知らないけど。でも教えてくれたのはそっちだよ」

「ん? ……え?」

 

 想定外の返答にアラインは素っ頓狂に二度聞きした。

 当然アラインに話した記憶はない。自分から口を割るなどもっての外だ。

いよいよアラインが自身のドッペルゲンガーを疑い始めたとき、ユウが種明かしする。

 

「あーやっぱ覚えてないんだ。まあ死にかけだったし、仕方ないよね」

「死にかけ? って……まさか」

 

 ようやくアラインが答えに行き着くと、ユウは首肯した。

 

「前に溺れて気絶するとき、譫言で言ってたのを聞いたんだよ。流されてるときもやたら鳥を見ろ、鳥を辿れって言うし。さっき歩いてたときだって、やけにうろちょろしてると思ったら、いつも風見鶏見てるんだもん。絶対なにかあるって思うよね」

 

 淡々と『因果歪曲計(ウェザー)』を知るまでに至った経緯を語るユウ。その一方でアラインは初めの方以外、すでに話を聞いていなかった。

 それよりも、いくら意識が朦朧としていたとはいえ、なんとも迂闊過ぎる己の口の軽さに、我ながら失望した。内心で羞恥と反省をひたすら繰り返す。

 

(なにやってんだ俺は! プロならともかく、こんな素人に尻尾掴まれるなんて⁉ しかも自分から伝えただと……? それも無関係の人間に漏らして! これが変な奴だったらどうなってたことか!)

 

(挙句の果てに『因果歪曲計(ウェザー)』確認してたのバレてたとか……間抜けにも程がある。やっぱあれか、普段から『眸(ホルス)』に頼りきりだったのが災いしたのか? まあ確かにここ最近、こっちの方が楽過ぎて、いちいち『因果歪曲計(ウェザー)』見るの面倒だったからなぁ。この機に盗み見する訓練でもしとくか)

「どうするか決まった?」

 

 隣人を忘れて一人哀愁に浸っていると、不意にユウが聞いてきた。

 質問の意図がわからずアラインは首を傾げる。

 

「どうするって。なにをだ?」

「秘策があるって言ったじゃん。それを試してみるかどうかだよ」

「一時凌ぎで適当なこと言ってたんじゃなかったのか⁉ てっきり俺はハッタリだとばかり……ていうか、本当に方法があるのか?」

「だからずっとそう言ってんじゃん。もしかして人の話聞かないタイプ?」

「そうじゃなくて! だって信じろっていう方が無理あるだろ。あのフロード相手に、それにお前を庇いながらあんな状況で…………」

 

 理屈で塗り固めかけた弁解をしかけて、アラインはすぐに黙り込んだ。

 違う。今はそんなことを口論している場合じゃない、と。アラインは取り乱している自分を冷静に客観視すると、優先順位を履き違えていた自分を律した。

 正気に戻ると、救済者になってくれるかもしれない少女に、眼差しで救いを請う。

 

「……聞くだけ聞いておくけど、なにをするんだ? 俺はどうすればいい?」

「そーねー。私も風見鶏のことを詳しく知ってるわけじゃないし、実行するにはまず、秘密にしてることを全部洗いざらい話してもらわないとなぁ」

 

 手始めにユウはこちらが隠している情報を要求した。その提案は別段不思議なものではない。全体の把握は行動を起こすための前提条件だ。

 眉間にしわを刻んだのも一瞬。アラインは息を吐くと渋々頷いた。

 

「わかったよ、全部話す。でも店に戻ってからだ。人には聞かれたくない」

「おっけー。そんじゃ、さっさとお店に帰ろっか」

 

 深刻な顔で苦渋の決断をしたアラインとは対象に、やはりユウはあっけらかんとした態度で応じた。助力を得る手前、態度を改めるよう言うことも憚られる。

 それを抜きにしても、すでにアラインはユウの教育を半ば諦めていた。

 ユウと出会ってまだ日は浅かったが、関わって行くうちになにを血迷ったのか、これはこれでいい持ち味ではないのかと思い始める。

 

(一社会人としては問題児だけど……まあ今日清算してるところを見た感じだと、客にも嫌がられてはなかったし、運がよかったとはいえあのフロードも上手く躱したんだから、少しくらい大目に見てもいいか。案外いいムードメーカーになるかもしれないし)

 

 自分でも甘いと思いつつ、それでも店長としての威厳と面子は保っておこうと、アラインは悪足掻きついでに一つだけユウに確認した。

 

「話す前に言っておくけど。ここまで首を突っ込んだんだ、もしそっちが出す提案が中途半端だったら、力不足でしたじゃ済まないんだぞ。そうなったら俺たちもお前を見逃すわけにはいかなくなる。それを覚悟の上で俺たちに協力するってことでいいんだな?」

「わかってるってば。さっきお店が繁盛してたの見てたでしょ。任せて」

 

 脅しにも似たアラインの最終勧告に、それでもユウは余裕の笑みを見せると、証拠とばかりに先ほど賑わっていた店内での様子を引き合いに出す。

 だがアラインには、どういう経緯で繁盛のことが出て来るのか理解できなかった。




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