──俺の部屋に、見知らぬ女の子がいる。
それは、大いなる異常事態だった。
床に座り込み、所在なくあちこちに視線を彷徨わせる少女。彼女は、俺の親友を名乗る不審人物だ。
確かに、よく見てみれば顔立ちは似ている。あいつに妹がいたらこんな感じなのだろうなと思うくらいには。
そのせいで、余計にあいつ──修吾の親戚が悪戯をしにきたという説が濃厚になってくるのだが。
「正直に言うと、まだ全然信用できてない」
無言の時間に気まずさが勝った俺は、思わずそんな本音をこぼす。それを聞いて、彼女は悲しげに目を伏せた。
「……そっか。まぁ、そうだよね。逆の立場だったら、ボクも信じられないと思う」
彼女の口から出たのは、言い訳でもなく、そんな言葉だった。
「信じなくてもいいから、少しだけ、ここに居させてほしい。お金も、少しなら払えるからさ」
平静を保っているように、彼女はそう言う。しかし、俺の目にはその手が震えているのがしっかりと見えてしまった。
なんともやりづらい相手だ。
罪悪感が胸にやってくる。しかし、そういった罪悪感すら、本当に抱いていいものなのかわからない。理性に従うなら、罪悪感を抱くことが相手の狙いかもしれないと考えるべきなのだろう。
こういった状況は初めての経験で、どことなく息苦しさを覚えた。
「お金はいいよ。これから雨風凌げるかもわからないんだろ?」
そう言えば、彼女の目が再び不安に揺れた。
その不安は、何に対するものか。まぁ、俺が深く考えるべきことでもない。
彼女から視線を逸らし、これからのことを思案する。
両親は今、所用で帰省している。俺は修吾と遊ぶ予定だったこともあり、家で留守番をすることになっていた。
両親はおそらく明日の夕方には帰って来るだろう。それまでにこの子をどうするか考える必要がある。
……その前にまずは今日のことだな。
今夜は一旦泊めるとして、どこで寝てもらうべきか。
一応防犯のためにも、貴重品がある両親の部屋で俺は寝た方が良いだろう。
姉の部屋で寝させるのは論外だとして、リビングにも寝られるスペースがない。
となると、やはり俺の部屋が第一候補になるのだが……
なんというか、出会ったばかりの女性を自室で寝させるのは流石に男として抵抗感がある。
だがしかし、家に招いてしまった責任もある。ここは割り切るしかないのだろうか。
そうだ……せっかくだしこの機会に探りを入れてみるか。
「あー、今日泊まるとして、寝る場所はいつものとこでいいか?」
「? 大丈夫だよ」
俺の問いを聞いて、彼女は不思議そうに首を傾げる。それを見て、少しだけ意地悪をしてみることにした。
「後でやるの面倒だから、先に寝る準備してもらっていいか?」
「わかった」
彼女はそう返事をすると、慣れた様子でクローゼットを開ける。……先ほどまでのおどおどした様子とは打って変わって、まるでルーティーンをこなすような動きだった。
昔から修吾がよく泊まりに来るため、俺の部屋に客用布団を常備しているのだ。もはや慣れすぎて、何も言わずとも勝手に自分で布団を準備するのが俺たちの日常だった。
彼女も、いつもしているかの如く、クローゼットの布団収納袋に手を掛ける。しかし、持ち上げようとした瞬間ピタッと動きが止まった。
「どうした?」
そう声をかけると、なんでもない、と小さな声で返ってくる。様子を見守っていると、覚束ない手つきで袋を取り出し始めた。
──そして、バランスを崩して盛大に尻餅をついた。
収納袋の下敷きになり、へぶっと情けない声を漏らす。
「大丈夫か?」
そう声を掛けると、体を起こした彼女が泣きそうな顔で振り返る。……いや、よく見れば目尻に涙が浮かんでいる。あれだけ強く打ち付けたのだ。相当痛かったのだろう。
「大丈夫……じゃ、ないかも」
彼女は嗚咽混じりに、ぼそぼそとこたえる。痛みが抜けないのか、涙を流したまま微動だにしない。
流石に哀れになったので、彼女に被さる袋をどかし、残りは俺がやることにした。ちらりと振り返れば、彼女が足を押さえてるのが見える。
そういえば足首を痛めていたのだった。完全に失念していた。
部屋の隅で俯く彼女を見て、申し訳なさと自己嫌悪が胸に押し寄せる。
布団を敷き、シーツを取り付けていると、彼女が後ろからポツポツと愚痴をこぼし始めた。
「……まだ、この体に慣れなくてさ。バランス取るのも難しくて。力も前より無くて、変な感じだし」
とても静かな声だった。俺は特に言葉を返さず、黙ってそれを聞いた。
「それに、なんかいつもより痛みも強く感じる気がする」
シーツをつけ終わり、立ち上がれば、膝に顔を埋める少女の姿が見える。自分の体を掻き抱くその手には、見てわかるほどに力が入っている。
それが演技にはとても見えなかった。
……そもそも、あまりに現実味がないから受け入れられていないだけで、彼女には悪戯でこんなことをする動機が全くない。
そもそもお金目当てだろうと、それ以外の何かがあろうと、こんな意味不明な手段を取るだろうか。
だがそれでも、今起きていることを素直に信じるには自分は
とにかく、彼女が本当に修吾なのだとしても、そうでないのだとしても。精神的に相当参っているのは確かだ。
いつまでもこんな態度を取っていて良いのだろうか。
体を丸めて小さく震える少女を見る。
いい加減……俺も心を決めよう。
俺もまだ高校生なんだ。もっと、ノリで生きたっていいだろう。
「……ごめんな。色々疑う真似をして、悪かった。
そう投げ掛ければ、彼女がゆっくりと顔を上げる。その目は大きく見開かれている。鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。
俺も人の子だ。こう何度も辛そうな姿を見せられると心にくるものがある。
こいつのことを完全に信じたわけではないが、一度寄り添ってみよう。人として、きっとそうするべきだ。
「その、ぶっちゃけもうやることないし……ゲームでもするか? お前も気が紛れるだろ」
まずはこの空気を変えるべくそう提案すれば、
彼女は呆けた顔でこくりと頷いた。
そして、ハッとしたように口を開く。
「ね、ねぇ。もう一回修吾って呼んでみて」
「お、おう」
そわそわした様子で何を言うかと思えば、そんなことだった。
「……修吾」
俺はやや気圧されながら名前を呼ぶ。それを聞いて、心なしか彼女の顔が明るくなった。そんなに呼ばれたかったのだろうか。
「そっか、そっか……そうだよね」
何かに納得したように、彼女はそう言う。それが何であったかは、俺にはわからなかった。
***
それから1時間強。
「はぁ!? 今の絶対押したって!」
「お前、マジで下手だな」
「いや、シンプルにこのゲームが難しすぎるだけだから。画面隠すとか暗記力勝負じゃん」
二人でできるゲームをしようということで、俺たちはリズ◯天国をプレイしていた。
先ほどのしおらしい様子はどこへ行ったのか。豪華に足を崩し、むすっとした顔でコントローラーを握る少女の姿がそこにある。もう完全に元気を取り戻した様子だ。
修吾と同じで、彼女はとにかくゲームが下手だった。
今は毛抜きゲームの最終ステージに何度も挑戦しているところだ。
あまり沼るゲームではないリ◯ム天国でこんなにミスをするとは。
フォローしきれていない俺も下手なのだろう。下手な二人でずっと同じステージに挑んでいる。
あいつも負けず嫌いというか、下手でも勝てるまで、クリアできるまでやり続ける妙な忍耐力のある奴だった。この子と本当に似ている。ゲーム中は別人のように口調が荒くなるところまでそっくりだ。
やはり一緒にいればいるほど、この子の中に修吾の影がちらつく。
そんな俺の心中など知らぬのだろう。彼女は真剣な様子で画面を見つめている。
「お、見た今の? 上手くない? やはりボクは天才だったか……」
そうして考え事をしているうちに、ついにステージをクリアする。よそ見ができるくらいには俺もゲームに慣れ、最後は一切ミスすることなくステージをやり遂げることができた。
ほっと一息ついていると、俺の足がペシペシと叩かれる。視線を横に流せば、全身で喜びを表現する少女の姿。
隣に座る彼女は、清々しいまでのドヤ顔で俺を見ていた。目があった彼女が、無邪気な笑みを浮かべる。
──その顔に、不意に心臓が跳ねた。
今日、初めて見る笑顔だった。
今まで猜疑心で感覚が麻痺していたが、こいつは顔が良すぎる。改めて見れば、どこぞの芸能人かと思うほどの美貌だ。
ドクドクと、血流が速くなる。
あまりにも今更だが、距離も近すぎる。完全に男友達の距離感だ。いや、彼女が修吾なら、それが当然だと思っているのだろう。
しかし健全な男児として、この状況に何も感じずにいることは不可能だった。
こんな美少女が男物の服を着て俺の隣にいることが、なんとも背徳的で、異常で……
いや、俺は何を考えているんだ。
つい彼女を直視できず、顔を逸らす。頬が熱くなっている自覚があった。
「どした?」
彼女は不思議そうに呟く。俺は何とも言えず、目を逸らし続けることしかできない。
「あ、そうだ。ゲームやめてアニメ見ない?」
「ッ!」
──突如声が近くなったかと思えば、不意打ち気味に、右腕に柔らかな感触。
それは、今朝も抱きつかれて一度感じたもの。感じたが、あまりの混乱で忘れていたものだ。
顔を逸らしていたが故に、接近に気づけなかった──突然、彼女が肩を組んできたのだ。
ごく自然に、当たり前の距離感であるように。
この子に恥じらいはないのか? いや、自認が修吾なせいで、自分でも何をしているのかわかってないのか?
腕から伝わる柔らかな感触は、明らかに下着を身につけていないものだ。
突然の刺激に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。このままではどうにかなりそうだった。一般男子高校生が突然体験して良いものではない。
防衛本能に従って彼女を引き剥がす。わっと間抜けな声を上げるのを無視してその場を素早く離れた。
「と、取り敢えずアニメ見る前にご飯食べよう。うん、腹減ったからな!」
誤魔化すように咄嗟にそう口走れば、彼女は胡乱な目をしつつも頷く。
「でも、何を食べるの? コンビニ弁当?」
「う、うーん。そうだ。マックでもデリバリーするか!」
特に深く考えずにそう提案すると、修吾は一瞬目を輝かせたのち、暗い顔で俯く。不思議に思っていると、口をもごもごとさせながら、彼女は呟いた。
「……でも、お金節約しないとだから」
俯く彼女は、突然夢から現実に戻されたような暗い顔をしていた。
ズキリと、胸に鈍い痛みが走る。
「今日は俺が奢るよ」
気がつけば、そんなことを言っていた。
申し訳ないだとかなんだとか言う彼女を無視して、さっさと注文を済ませる。どうせ彼女が修吾ならダブルチーズバーガーセットしか頼まない。
「どうせ今日遊ぶ予定だったから親にお金もらってるし。まじで気にすんな。気にされたほうが困る」
彼女をチラりと見れば、アワアワとしつつも先ほどの暗い顔は消えている。
なんとなく、今は彼女のあんな顔を見たくなくて、勢いのままに行動してしまった。
我ながら、自分の卑しさに少しだけ呆れた。
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奢ってもらってしまった……お金を渡そうとしても突き返されてしまった。
こういうのは、素直に奢られておくべきなのだろうか。
一旦、彼の言う通り気にしないようにしよう。色々落ち着いたら、全部返さないとな……。
切り替えて、目の前にあるダブルチーズバーガーに齧り付く。
チーズバーガーしか食べないと普段から豪語しているゆえか、圭介は何も言わずに注文していた。流石僕への理解が深い。
圭介が僕のことをちゃんと修吾として扱ってくれていることを実感して、なんだか嬉しくなる。
彼に認めてもらえて、ようやく自然体でいられるようになった気がする。
一人でも理解者がいるとは、こんなにも安心するものなのか。
先ほどはテンションが上がってゲームではしゃぎすぎてしまった。頼っている身であんな風に過ごしてしまって、今更ながら罪悪感が湧いてくる。
ハンバーガーを齧りながら彼の様子を窺えば、とっくに食べ終わってこちらを見つめていた。
なんだか、すごく優しい目をしている。
「そんなに見られると恥ずかしいんだけど」
ついそう言えば、フンっと鼻で笑った圭介が視線をスマホに移す。一体なんなんだ。
それにしても、やはりこの体になってから随分と感覚が違う。
以前ならまだ腹七分目といった感じだっただろうが、もう既にかなり満腹になっている。物理的に体が縮んだせいだろう。
こんなところでも自分が女になったことを実感させられる。
でも、不思議と朝ほどの絶望感はなかった。
もう一度前を向けば、圭介と再び目が合う。
見られるのがやはり恥ずかしくて、僕は残ったハンバーガーを一気に口に入れた。ちょっとだけ苦しみながら、なんとかそれを飲み込む。
「ごちそうさまでした」
今後の不安は、また明日考えよう。そう、今は楽観してみることにした。