翌日。
友人の結婚式会場まで母親を送り届けた拓海は、ハチロクでホテルへの道を戻っていた。
赤レンガ倉庫までを結ぶ開港通りをのんびりと流しながら、港を一望できるその倉庫付近が物々しくテープで規制されているのを見つける。
(もしかして、昨日全員が飛び出していった事件って、ここのことか?)
昨日は、色々と出会いの多い一日だったことを改めて思い返した。
コナンたちと合流して剣道大会と福城の居合を見学したのだが、その後の福城聖と遠山和葉とのちょっとした出来事だったり(隣で毛利蘭が「もしかして服部君の恋のライバル……!?」と呟いていた)、あとから出会った毛利小五郎に冬名山でのことを色々詰められたりと、妙に濃い時間を過ごした。
そうして一息つく暇もなく、コナンたちは付近で聞こえてきたパトカーのサイレンや事件の話を追いかけるように立ち去って行ったのだ。その姿をぽかんとしながら見送ったことは記憶に新しい。
不穏に張り巡らされた黄色いテープを流し目に見送り、ベイエリアの湾岸に沿って走る高架道路を渡る。そこから見えてきた、拓海らが泊まっているホテル──それを、なんとなしに見上げた時だった。
「は……?」
ハチロクのフロントガラス越しから見えた、ホテルの最上階。そこから、何か白いものが窓ガラスを割って飛び出していくのが見えた。
三角形のハンググライダーが翼のようにぱっと開かれ、まるで鳥のように青い空を滑空していく。とはいえ、本物の鳥などではない。遠目からではあるが、それは明らかに
(あそこ、俺が泊まってるホテルだよな……?)
最上階には宿泊していないものの、割れた窓ガラスの間からはもうもうと煙が立ち込めている。その煙が火事なのかそれ以外のものなのかは分からないものの、只事ではない。
人外じみた動き、白づくめの恰好。
もしかしなくても、今北海道に潜伏しているという
「何やってくれてんだ……!」
ホテルに戻ってのんびりしようと思っていたところにこの仕打ち。
しかもあれだけ大掛かりなことをしでかしたのだから、戻ったとしても、警察や野次馬が入っていて宿泊者もしばらく立ち入り禁止、なんてのもあり得る。
(あいつが飛んで行ったのは……
アレが例の怪盗なのかどうかは知らないが、さっさと警察なりに捕まってもらえば良い話だ。
付近に停めて通報するついでに、あの白い姿が消えていった方角にまずは車を走らせることにした。もし張本人が見つかれば御の字だろう。
多少危険は伴うかもしれないが、まともな北海道旅行ではなくなった瞬間を目の前にしてしまった以上、それくらいの意趣返しをしないと拓海の気が済まない。
一瞬の減速。半クラッチにしてシフトレバーを切り替え、4速から5速へ。そうしてエンジンとギアの回転を合わせてクラッチを入れ、ハチロクを万全の状態に繋げた。
アクセルペダルをベタ踏みに。目指すは、函館港・中央埠頭。
一方、秋名の最速に捕捉された白い存在──怪盗キッドは、武器商人であるブライアン・D・カドクラから奪取した刀の入ったケースを手に、中央埠頭で出くわした謎の刺客から更に逃走を重ねている最中であった。
「くっ、なんなんだよオメーは!」
氷のような凍てついた煌めきと共に振り回される刀。
白刃が閃き、シルクハットのつばが容易く裂かれたことに総毛立ちながら、キッドはほとんど素で叫ぶ。
狐の面をかぶり、体格が分からないような装束を身に纏ったその人物は何も応えない。あのキッドすら翻弄する素早い動きで、ただ真剣を振るってくる。
威嚇などではなく、本気で殺すつもりだ。とはいえ、カドクラの手先にしては追いつくのが早すぎるし、何より纏う空気はチンピラ以上に洗練されたものだ。
なんとかトランプ銃で応戦しようとするも、放ったカードの弾丸は軽い身のこなしで躱され、あっというまに距離を詰められた。
(ッ! まずい──)
そこに響く、甲高いスキール音と眩い二つの光点。ハッとしたように狐の面の人物がその場から大きく跳躍し、後ろに下がった。
直後、二人の間を黒と白の一台の車が駆け抜けた。
タイヤが焦げるような匂いとエキゾーストノート。
(つか──やべえ、落ちるぞあいつ!)
急ブレーキをかけてリアの荷重が抜かれる動き。
しかし、あの加速を考えても急ブレーキで間に合うわけがない。このままではガードレールなどない海に向かって真っ逆さまだ。
だが、その急ブレーキは一瞬だった。急ブレーキをかけてリアの荷重を抜くことが目的だったのだ。
リアを滑らせ易くなった一方でフロントに荷重がかかり、フロントタイヤのグリップが上がる。そのままブレーキは緩めず、曲がる方向と逆にステアを切ってフェイントをかませ、サイドブレーキ全開。
引かれたサイドブレーキはリアにかかり、ハチロクをいとも簡単にスピン状態に持ち込ませた。
そこから40度ほど回ったところでブレーキが緩められ、そこからさらにアクセルを踏んでエンジンの回転が高まる気配。さらに70度に差し掛かったところでサイドブレーキを解除、一気にクラッチを繋いでアクセルを全開に!
フロントの内輪が軸となり、荷重を奪われているリアはドリフト状態で滑るものの、ハチロクは体勢を立て直して180度に旋回して、二人に向き直って見せた。
(おいおいなんだよあの動き。古い車ぽいのに、
数秒にも満たないあっという間の出来事。
猛烈な横Gなど苦にもせず、タイヤロックぎりぎりで車体を制御してスピンターンしてみせたハチロク──そしてその運転手に、逃走手段の一つとしてたまに
リトラクタブルヘッドライトから浴びせられる光を手で遮り、狐の仮面の人物はたじろぐ。
第三者の乱入かつ、相手は車だ。分が悪いと見込んだのか、さっと身を翻してその場から走り去っていってしまった。
その姿を見送り、キッドはようやく緩くため息を一つ。
「やべ……なんとなく突っ込んじまったけど、良いんだよな……?」
そうぼそりと呟く声と共にハチロクから降りてきた人物に、キッドは視線を向ける。
目が合うと、その男は「あっ」と声を上げた。それまでとぼけたような表情だった男は、キッドを仇とばかりに指を差してくる。
「やっぱり……その格好、お前、あそこのホテル爆破した奴だろ」
「ん? どういうことだ?」
「俺が泊まってたんだよ」
「あ、ああー……」
カドクラの手先でもなさそうな男。ちょっとだけ怒った様子で追いかけてきた理由諸々含め、すべてを察したキッドが罰が悪そうに頬をかいた。
あれは爆破ではなくただの煙幕だが、まあ少なくとも火災報知器は鳴り響き、最上階での騒ぎともあって今頃内部は色んな意味でてんやわんやしているだろう。だが、あそこまで大事にするつもりはなかったのだ。
「まあまあ、宿泊してたのに騒ぎを起こしたのは悪かったけどよ、こっちにも深ぁ~い事情があってだな……」
「なに意味わかんねーこと言ってんだ。さっさと警察に締め出し……」
そこに新たに響く、バルブエンジンの駆動音が二人の会話を遮った。
さっと二人の間に割り込んでくる鮮やかなグリーンの
「よーやく追いついたでえ、キッド!」
「て、あれ……? もしかして、拓海のお兄ちゃん!? どうしてここにいるの?」
前に乗っていた一人が開けたバイザー越しにキッドを睨みつけ、後方に乗っていた小さな子どもは、ハチロクの運転手を見て驚いたように目を見開いた。
「え、その声もしかして……」
「なんや工藤、こいつ知り合いか? まさか、キッドの仲間とちゃうやろなあ」
「誰だよお前、そんなわけないだろ。……ていうか本当にコイツ、例の泥棒なのか」
殺伐とした空気は、一気に霧散してしまった。キッドとしても、命の危機だったとは思えないほど弛緩したこの場に、やれやれと溜め息を吐く。
「ま、ちょうどいいか。
「──今手元には4振りある。残りの2振りは、その元高校教師が持っているってことか……」
「変な構造しとるこの刀が6振り揃えば、隠し場所が分かるっちゅーわけやな」
「ああ、斧江圭三郎の宝のありかがな」
そんなことよりもだ。
「いや……なんで、
ステアにもたれかかり、運転席のバックミラーから、胡乱な目つきでその二人を眺める拓海。
ここが推理ショーでもできそうな煌びやかな舞台の上ならまだしも、配達用かつ自家用のハチロクの中──いつも豆腐の箱を載せている後部座席で、模造刀のような木刀のような不思議な形をした刀を弄りながら真剣な表情で話し合う探偵たちは、拓海からすれば見慣れなさすぎてかなり異様に見えた。
ちなみに、探偵でもなんでもないのに怪盗キッドとともにいた拓海は、ほとんど初対面の平次からはかなり怪しまれた。
が、「自分の泊まっていたホテルが
「まあまあ、いーじゃねえか」
そんな調子のいい声が助手席から聞こえてきて、拓海はそちらを軽く睨みつける。
そう、
「俺からしてみれば、怪しい奴に襲われた外でのんびり話すわけにもいかないからな。それに、このまま放置してたら、あんた普通に警察に通報しそうだし」
お前が一番怪しいんだよ、と拓海は目を眇めた。
とにかく、情報共有にちょうどいい密室であり、拓海が通報しないための監視でもあるのだという。
持っていた情報を投げっぱなしにしてから、推理は後部座席の二人に任せたのか、怪盗キッドはかなりフランクに拓海に話しかけてくる。
コナンたちもこの怪盗キッドとはほとんど知り合いなのか、親しげではないにしても、今回北海道で起こっているという事件と謎に関連する情報共有と分かると協力的だった。
結果として拓海は思わぬ四面楚歌にあるわけで。余計にむっと唇を尖らせる。
「当たり前だろ。どうしてくれんだよ今日のホテル」
「もう少しすりゃあほとぼりは冷めるとは思うけど……武器商人が宿泊してたような場所だぜ? あいつらも流石に出て行っちゃいると思うが、危険だし、あそこに泊まるのはやめとけ。まあでも、さすがに悪いと思っちゃいるからな。
「犯罪者が用意したホテルなんて信用できるわけないだろ」
「少なくとも、武器商人が泊まってて、世紀の大怪盗が騒ぎを起こしたホテルに戻るよりはマシだと思うぜ」
「……」
「大丈夫だよ、拓海兄ちゃん。今はキッドのことを信用しても良いと思う。コイツは犯罪者だけど、そういうところは意外とキチンとしてるからさ」
「言い方ってモンがあるだろ~名探偵?」
若干猫を被ったような口調に戻し、コナンが運転席と助手席の間からフォローを入れてくる。さらに平次も相槌を打った。
「工藤の言う通りや。謎の襲撃者だけやのーて、海外の武器商人も関わってくる事件……しかもそいつらから刀を奪ったキッドと関わりを持ってしもた以上、あんたも無関係ではなくなってしもとるからなあ」
「……なあ、なんでさっきからそいつのこと、
「あっ」
「え? あっ。あ、あぁ~~いやあ、この車のエンジンの
「さっきからずっとエンジン切ってんだけど……」
「こ、細かいこと気にすんなや! くど……じゃなくて、え、
「そ、そうだね~!」
平次とコナンは分かりやすく声をうわずらせ、慌てたようにハチロクから降りていく。そのまま逃げ去るようにしてバイクに乗って行ってしまった。
あまりにも動転したのか、普通に
「変なトコで抜けてんなあ、あの西の探偵様は……」
「? ……よくわかんねーけど、話終わったのなら、お前もさっさと降りろよ」
「まあまあ、そんな冷たいこと言うなよ」
降りる様子がないどころか、シルクハットとマントを外してのんびりとシートにもたれかかっている怪盗キッドに、さすがの拓海も困惑した。
「旅は道連れ世は情けって言うだろ? せっかくなんだ、このまま探偵たちと同じ方向にドライブ頼むぜ」
「はあ? なに人の車をタクシー代わりに……」
拓海の言葉を遮るように、キッドが目の前で人差し指と中指、薬指を持ち上げる。
「ホテルとあんたが北海道から群馬まで行き来するガソリン代、それから……今回無茶やらかしてすり減ってるだろうタイヤとか車のもろもろ負担するっつー条件でどうだ?」
「……」
拓海は黙り込む。
ホテルはもちろんだが、こと車に関する条件は魅力的だった。一般的な旅行だというのにタイヤをすり減らしてきたとバレれば、拓海の少ない小遣いから引かれるのは明らかだったからだ。
それに、コナンや平次の言葉を信じるならば、武器商人だの物騒な事態から身を守るためにも、ある程度この怪盗キッドの言葉をいろいろ聞いておいた方がいいのだろう。拓海一人ならまだしも、この場にいない母親も同伴している状況なのだから。
とはいえ……。
(追いかけてきたの、間違いだったかもしれね……)
思わぬ事態に首を突っ込んでしまったかもしれない。
隣で意地の悪いニヒルな笑みを浮かべる不審者を横目に、拓海にしては珍しく、わずかに後悔の念さえ抱きながら溜め息を吐いた。