山賊大将シュヴェーリン   作:芝三十郎

1 / 26
オルクセン王国史二次創作。原作書籍版5巻まで読了後推奨。 シュヴェーリン将軍は夜半に目覚め、兵の様子を見まわる。彼が臨むのは運命の地、ロザリンドである。


プロローグ
開戦前夜


 シュヴェーリンが目を覚ました時は、まだ暗かった。年のせいではない。彼ほどの牡でも、このような時には眠りが浅くなって当然だ。すぐには寝付けそうもない。毛布を脇にやったなら、老躯を包むのは既に軍服である。寝台の前に置いた靴さえ履けば、すぐに天幕を出られる。

 

 外に出てみれば、月たちはまだ高かった。目が覚めたのを幸い、彼は夜間巡察を開始した。と、言えば大仰に聞こえるが、この歴戦の上級大将にとって、兵たちの様子を見回るのは散歩同然の習慣である。隣の天幕で寝ている副官も連れない、放胆な一人歩き。それができるのは今夜が最後になる。

 

 時刻は午前零時過ぎ。日付は十月の二十六日。ここはオルクセン領の北部、シュトレッケンの郊外である。あたりには無数の天幕がある。だがそれは彼が率いる軍のごく一部に過ぎない。彼、第三軍司令官の下にいる将兵を合計すれば、実に十六万人を超えるのだ。その全員が銃を抱いて眠っている。日が昇り、また没した今日の午後六時ちょうどが、対エルフィンド侵攻発起の時である。

 

 兵を起こさぬよう足音を抑え、小さな灯り一つをもって天幕の間を巡る。かすかに聞こえるのは兵たちの寝息に(いびき)、あとは風の音だけだ。誰もがよく休んでいる。まことに結構なことだった。

 

 やがて、灯りのついた天幕に着いた。「邪魔するぞ」と小声をかけ、二呼吸ほど待ってから中に入ると、連隊の当直将校は慌てて立ち上がるところだった。

 

「こ、これは司令官」

 

「そのまま、そのまま」

 

 そう声をかけて、天幕内にあった椅子を引き寄せて腰を下ろし、当直将校も再び座らせる。

 

「みんな、よく寝とるようじゃな」

 

「はい、命令通り、確実に休ませております」

 

「結構なことじゃ。菓子を焼いている者もおらなんだわ」

 

「…は? あの、菓子とは何でしょうか」

 

「いやさ、昔のことよ――ほう」

 

 将校の机の上に一冊の本が載っていた。戦地に持っていくには似合わない分厚さだ。表紙を見ずとも、何の本か分かった。シュヴェーリンも同じものを持っている。職場に一冊、自宅にも一冊だ。オルクセン参謀本部が編纂した公刊戦史である。装丁の具合から、かなり前に出た旧版だと知れた。いま流通している新版と違い、古風なオルク語で記述されている。

 

「それは古い版じゃな。今時の若いもんには読みにくいじゃろうが」

 

「お恥ずかしながら、新版を揃えるには手元不如意でして。古本屋をまわりました」

 

「なるほどのう。ますます感心じゃ」

 

 若い将校は意を決した顔で彼に尋ねてきた。

 

「閣下、不躾ながら、お伺いしたいことが」

 

「おう、何じゃ」

 

 老将は気さくに応じた。こうして立場の遠い将兵と会話の機会をもつのは、巡察の狙いと楽しみの一つなのだ。

 

「これは…ロザリンド会戦の巻であります」

 

 若者は本を開いてみせた。本の中盤、まさに会戦が始まるというあたりだった。

 

「こ、ここなのですが…。まこと、このような凄まじい有り様であったのでしょうか」

 

 老将は若者の勉強熱心さと、その蛮勇に感じ入った。なるほど、その頁は、若者にとっては歴史だが、老将にとっては経験そのものだ。彼はその場にいた。そして見た。あの景色を。そして…。

 

 シュヴェーリンはしばし瞑目した。

 

「そうじゃのう…。ちと、貸してくれ」

 

 戦史の記述を見た。文章が切り取れるのは現実のほんの一端に過ぎない。しかしその文字を目で追うと、生々しい光景が彼の脳裏に去来した。

 

「君は、この戦争が初陣になるな」

 

「はい」

 

「そうか…。ならば、まだ分かるまい。おおむね、この通りじゃったよ。しかし、これが全部ではないわ。所詮、書いて表せることには限界があるもんじゃ」

 

「それが戦場、ということでしょうか」

 

「そうじゃ。いや、違うな」

 

 老将は薄く笑った。日頃、いつでも豪快な彼には珍しい顔だった。

 

「それが歴史というものよ」

 

 そしてシュヴェーリンは文章に目を落とした。その内容は、おおむね彼の記憶と合致するが、肝心なところでは酷く違ってもいた。しかし、目の前に座る初陣の若者には、到底伝え得ない。

 

 公刊戦史は、ロザリンド会戦、その当日以降の展開を、こう語っている。

 

 

 

 

――オルクセン軍とドワルシュタイン・エルフィンド連合の両軍、各々の戦闘準備は六月十四日夜以て完了し、以て朝日の昇るを待つ。勝利は未定なり。戦勝の凱歌、知らず何方(いずかた)の陣に揚がるや。月桂の冠、知らず何人(なんぴと)(こうべ)に落つるや。

 

 やがて、天は遂に明けたり。

 

 然れども漠々たる暁霧は渓谷を(おお)ふて未だ散せず、(ため)に開戦は延引せられた。

 

 之に依て午前の内、戦いは斥候同士の遭遇戦のみに終始した。地形斥候として派出されたるオーク騎兵は優勢なるエルフ騎兵と霧中において遭遇。騎兵の本分襲撃にあるの意気を示し、敵の心胆を寒からしめたり。然れども之はあくまで前哨戦にして、主会戦にはさしたる影響も与えず。

 

 オルクセン大王アルブレヒト二世は、その間に各隊の将を集めて訓令を授け、若干の陣替えを指令した。事後、馬に跨り三軍を閲すると、其の見るところの王軍は、貔㹯(ひきゅう)の雄気勃々として旌旗(せいき)鮮明であった。

 

 正午過ぎ、満野の宿霧の(ようや)くに四散し、両軍始めて戦場に相見る。時に倐忽(しゅっこつ)として、ロザリンド南方の天に黒煙、数知れず(あが)る。(これ)ぞエルフィンドの将軍マルリアンが策して()かしめたものであった。

 

 とまれ、戦は機先を制するにあり。アルブレヒト二世王の号令一下、進軍喇叭(ラッパ)と共にオルクセン軍は動き出した。砲兵の掩護射撃、銃兵の前進。迎え撃つは敵前衛のドワーフ銃砲兵。其の猛射に逢ひて多大の損害を受くるも、オーク兵は益々(ますます)勇を鼓し気を奮ふて突貫し、敵銃列を駆逐し、砲数十門を分捕る。之に於いてモーリア軍は土崩瓦解して潰走した。嗚呼会戦は未だ劈頭(へきとう)にして、何等の激戦ぞや。

 

 オルクセン軍は機を失せず南進し、遂に渓谷の半ばを越えんとす。千々乱れたるドワーフの背、その時、忽然として消ゆ。即ち視界開け、渓谷を東西に(おお)ひたる胸壁を見る。直ちに突撃を開始すると、胸壁の影に伏せたる白エルフが銃隊、轟然と斉射する。銃声萬雷の如く、焔炎(えんえん)壁の如し。オークの津波は砕け、幾百の屍を重ねる。宿将()ほも挫けず、叱咤激励、鞭を(ふる)ふて戦列を整へ、七度まで突撃するも、その(ことごと)くが胸壁に達せずして(たお)る。国運を賭して長駆遠征せしオークの伏屍(ふくし)千萬原頭(げんとう)(おお)ひ、流血淋漓(りんり)として(しょ)(ただよ)はさんとす。

 

 アルブレヒト大王の之を見るや、敢然と起ち、本営の諸将に告げて曰く。「この敗軍の結果は、敗軍それ自身よりも恐るべし。予、生きて我が国の滅亡を見るに忍びず。(もと)より卿等が此の危急に臨みて予を棄てざるを信じ、その鉄石の心に頼りて勝利を博せんことを期す。予が将軍兵卒よ、吾等は今日敵に勝つか、然らざれば(たお)れ死するか、二者其の一に居らざるを得ざるべし。今、敢えて別れを告ぐ。全将兵、我が後に続きて怨敵を撃滅すべし」と。

 

 大王は近衛巨兵連隊を親率し、その先頭に立つて頽勢(たいせい)を挽回せんとす。大王の赤きマント翻るを見るや、全軍は憤激昂起して、今は唯、此の王より先に死せんことのみを願ふ。

 

 折しも白エルフ軍、勝機に乗じて胸壁より出で、突撃して来たる。大王が直率せし近衛、之に突貫す。直ちに両軍相乱れ、短兵急に相接して、銃砲を用いるの余地もなく、弾丸を()るの余裕も存せず、互いに銃剣を以て相格闘す。剛強、音に聞こえし近衛巨兵連隊、其の決死の突撃は、勝ちに驕れる白エルフ勢を殆ど瞬時にして撃砕す。

 

 大王は()ほも突進して胸壁を破らんとす。之において白エルフの豪傑一人あらわる。味方が退却を掩護し、敢然として殿軍を占め、大王に差向ふ。大王、之を(よみ)して曰く「(あに)、忠勇ならずや。白エルフにも勇者は居たり」と。

 

 此の時、近衛の一兵士、主が危急を案じて「大王」と呼びたる。闇エルフが一将、渓谷の高所にありて是を聞き、遠望凝視して赤きマントを見る。是必ずアルブレヒト大王ならんと判断し、猟兵をして狙撃せしめたり。弾丸戛然(かつぜん)として飛び、その一弾が王の兜に当る。堪らず地に(たお)れたる王を見て、近衛将兵は「大王は射られたり」と叫べり。

 

 されども諸兵、即ち見る。大王の起ちて之を制し「王は射られずして在り。いかでか我を討てる者のあらん。負傷せる者を後送せよ。残る兵ども、予に従ひ来たれ」と叫ぶを。将兵、勇躍して進み、今や胸壁は指呼(しこ)(かん)に在り。されど其の堅固たる、銃火の轟然たる。立ち所にして猛射を受け、将兵数多(あまた)(たお)る。この時、大王に向けて飛びたる第二弾が其の腕に当たり、第三弾は其の背を貫く。

 

 之に到り、大王は瀕死の()(ごえ)を放ちて曰く「兄弟よ、今万事は休せり。唯卿等の安全を計れ」と。其の地に伏せるを見て、大王の戦没を知りたる両軍は、狂気の如くに突進して王屍を守り、あるいは奪わんとする。此所に両軍混淆の格闘鏖殺(おうさつ)が始まり、大王の屍は忽ち両軍の伏屍(ふくし)を以て埋没されて(しま)つた。

 

 一世の英雄アルブレヒト大王の戦没、其の様は斯くの如しと聞こゆ。天は茫々(ぼうぼう)、地は漠々(ばくばく)千古萬載(せんこばんさい)ロザリンド渓谷に茂る草は、英雄の碧血(へきけつ)に染まりて(まだら)ならん。千祀萬祭(せんしばんさい)シルヴァン河畔に吹く風は、英雄の毅魄(きはく)()めて(なまぐさ)からん。

 

 敵将マルリアンは、今しも胸壁の内奥に於いて銃兵を指揮してゐたが、一将校の馳せ来たりて、息忙(いきぜわ)しくオーク王戦死の(よし)を報ぜらる。女傑の眼は大鷲の如く閃き、直ちに起つて叫んで曰く「速やかに残敵を討滅するの準備を為せ」と。而して全軍挙げての総攻撃を総大将に上申す。

 

 オーク軍は士気阻喪したるも、尚ほコンラート・ラング大佐の殿軍、死兵と化して奮戦せるを以て、危うく巨狼の(あぎと)を脱す。退却の喇叭の(こえ)は渓谷に反響す。

 

 其の間、マルリアンの上申を受けしエルフィンド軍総大将は、仮初(かりそめ)の将帥たるドワーフ王と相口論して譲らず。(ため)に全力追撃の機を逸するは、史上の僥倖たり。その時に乗じ、オルクセン軍は敗兵を夜陰に隠し、本国に退却せんとする。

 

 然れども闇エルフ猟兵のみは機に臨み、息を継がずに追撃を行つた。夜の追撃は星欧戦史上に甚だ稀であるが、闇エルフは紅眼以て闇夜(あんや)を貫徹し、健脚以て天険を征服し、数日数夜に渡る襲撃を可ならしめたり。

 

 (ため)にオークが敗兵、退却途上において更に屍を積むこと幾千。携行するところの水は既に底を尽き、頼るところの水場には伏兵湧くが如く出没して、今や全軍の進退は(きわ)まる。

 

 残兵を率いたるシュヴェーリン中将等の将校は、此の渓谷において全オーク兵のまさに壊滅し、オルクセン王国の此処に滅び去るを予感す。

 

 全軍悄然、破滅の運命に甘んぜんとした時、一少年療術兵が中将に告げて曰く――

 

 

 

 その字句を追いながら、いま、シュヴェーリンは長い時間を飛び超えた。ロザリンド会戦までの百二十年を。否、さらに数十年の昔へ。

 

 それは遠い記憶だった。

 

 

 

(次話「落日の傭兵」に続く)




本作の制作にあたり、「牙の痕」及び「ロザリンドの牙折り」の両作品に大きなインスピレーション頂きました(ただし今後の展開は異なります)。

お気に入り登録、評価やご感想、読了ポストを頂けますと、とても励みになります。よろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。