山賊大将シュヴェーリン   作:芝三十郎

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オルクセン二次創作。書籍版5巻まで読了後推奨。最新話はpixivで連載中 シュヴェーリンは要地の丘を奪取。王と無言のうちに連携し、戦機を突いて逆襲を開始。彼は王の真の剣となる


大王と剣

 シュヴェーリン連隊は斜行してヤヌスの丘の西斜面に登ると、丘上に陣取る帝国軍部隊の側面を襲った。奇襲を受けた敵は斉射一回で混乱し、突撃の喊声を耳にした途端、我先にと逃げ出した。

 

 丘の占領が完了して間も無く、輓馬に牽引された歩兵砲が到着し、そのあとに一門目の重砲が続いた。ツィーテンもやり遂げたのだ。下馬して輓馬を操ってきた騎兵たちは砲兵隊と協力して重砲の固定作業にかかった。歩兵はその間に横隊を再形成し、敵の逆襲に備えている。

 

 シュヴェーリンが見下ろせば、敵兵力は圧倒的であった。グロワール兵の青、オストリッチ兵の白が平原を埋めている。

 

「分厚い…。多くみて六万と聞いたが」

 

 実地にその全容を見ると更に多勢に思えた。三重に形成された分厚い戦列は、オルクセン軍のそれほど整ってはいない。不揃いなうごめきが大軍の印象を強めている。

 

 その戦列の前にオーク兵の死骸が密集している。その数は数百、いや千を超えているかもしれない。突撃を敢行し、敵戦列を破れずに倒れた兵たちだ。かつて大敵を打ち破ってきた横隊突撃は未だ成功していない。

 

 オルクセン軍の戦列は二重。通常はその左右を擲弾兵大隊で塞いて側防に充て、全体としては長四角の陣形をとる。しかし今、その両側面が空いている。そこにあるべき擲弾兵が第一戦列の穴埋めに投入されたからだ。

 

 精鋭である擲弾兵は決定的な局面で攻撃に用いる予備兵力の役目もあるが、それを温存する余裕がないのだ。そうまでせねば戦列を維持できない。長く戦っている左翼と中軍は特に傷ついている。

 

 その状況は、丘の上からありありと見える。横隊の形成を終えたラングが急かすように報告してくる。

 

「歩兵はいつでも動けます」

 

 丘を下って攻撃前進するか、と聞いている。いま動かねば手遅れになりかねないと彼も懸念しているのだ。しかしシュヴェーリンは言外の進言を退けた。

 

「まだだ。重砲は」

 

「固定まで今しばらく」

 

 シュヴェーリンにも焦りはある。しかし彼の手元にあるのは僅か一個連隊、千六百。混乱しきった戦場では無視できない戦力になるが、単独で突入して戦局を覆せるほどではない。まずは砲撃で敵を切り崩し、隙を作る必要があった。

 

 だがその準備が整わぬうちに、本軍ではまた一つの旅団が突撃に失敗した。必死に味方を鼓舞していた旗手が撃ち倒される。華やかな連隊旗が地に落ち、泥にまみれる。

 

 シュヴェーリンは気づいた。重砲がなくともやれることはある。

 

「連隊旗手! 軍旗を思いっきり振れ。下から見えるように。それに歩兵砲を撃て」

 

「三ポンドでは敵に届きません」

 

「構わん。まずは音じゃ。空砲でいい。急げ!」

 

 

 

 右翼軍の第一戦列では、下級将校たちが声を張り上げて兵を励ましていた。心が挫け、逃げようとする兵を力づくで引き戻す。あるいは鞭を振るう。

 

「立て、立たんかぁ! 戦列に戻れっ」

 

 若き歩兵将校ツヴェティケンは、そう叫びながら右に左に立ち働き、戦列を支える。階級は前列中尉。役職との区別がごく曖昧なこの時代の階級で、後代の中尉にあたる。彼は将校の最下級である後列中尉から昇進、あるいは配置転換したばかりだ。

 

「射撃を止めるな。撃ち続けるんだ!」

 

 彼は声も涸れんばかりに兵を鼓舞し続ける。しかし戦闘開始から数時間が経過し、兵の疲労は限界に達しつつある。精魂尽き果て、座り込んで動かない者が出てきた。

 

 その時、思わぬ方向から砲声が聞こえた。西方の丘の上。そちらに目を向ければ、盛んに揺れる軍旗が目に入る。意匠は斧と牙。人族の紋章ではない。あれは――

 

「味方だ! 味方が丘を獲ったぞ!」

 

 兵に聞かせるべく、ことさらに大げさに叫んでまわる。味方だ。丘の上から砲撃してくれる。立ち上がれ。戦いはこれからだ――。

 

 また砲声。その音に勇気づけられて、座り込んでいた兵たちが立ち上がり始めた。戦列は辛うじて持ち直した。

 

 やがて、より大きな砲声が届く。重砲の円弾射撃。平地でも三千歩を飛ぶ重砲弾が丘の上から飛来する。円弾は敵横列に側面から襲いかかり、兵たちを順に薙ぎ倒していく。人族兵の身体を砕き、潰しながら跳ねて転がる鉄球。その後に血と肉の赤い轍が引かれる。

 

 敵を襲った惨劇にオークたちは歓声をあげた。動作が機敏になり、衰えてきた射撃速度が回復する。

 

――やれる。まだ戦える。

 

 ツヴェティケンは目を輝かせた。数度に渡る突撃の失敗を目にし、砲撃に救われた。この体験は若き将校に強烈な印象を残した。彼は後に、同時代のオルクセン軍では珍しく火力戦に傾倒することになる。

 

 

 

 その頃、中軍を指揮するゴルツ大将は王と激しく問答している最中であった。

 

「陛下、お退()きあれ。勝算は去り申した。もはや総返しの他ありませぬ」

 

 総返し。全軍退却が老将の進言であった。騎兵が失敗したという報告が先ほど届いたからだ。この上は一兵でも多く残し、再起を期すべきだとの判断である。

 

「わしが殿軍を相務めましょうず」とまで老将軍は言った。当然、死ぬつもりである。

 

 しかし王は激しく拒絶した。周囲に誰もいない時にだけ使う愛称でゴルツにそれを伝える。

 

「じい、かまうな」

 

 老将は何とも言えない渋面を作った。やはり、と思っている。彼が見るところ、この王は軍略にかけては冷徹な打算家であるのに、自身の生死についてはだけは別のようだった。

 

 並みの王ならとっくに逃げ、家臣どもに後を任せているところだ。しかしアルブレヒト二世はそうしない。王は言った。

 

「予は名誉を失って生きるより、名誉と共に死ぬことを選ぶ」

 

 その壮烈な言葉はゴルツに感銘を与えなかった。それで感奮するには年老い過ぎている。老将軍が感じたのは愛情、あるいは愛惜だった。

 

 彼の王は昔から忙しなく働き、生き急いで見える。その性質が、戦場では時に死に急ぐかのような振舞いになる。

 

 アルブレヒト二世は王国や勝利を懸命に求めるように見えて、その実は一種の美学、すなわち自己の一生を美々しく完結させたいという衝動に突き動かされているようだった。それは騎士道や武人の名誉心とも毛色の違う、この王自身にしか理解し得ない何かだと思えた。

 

 だが宿将はそれを許すことはできない。彼の主人は今や、オークの歴史の上で二なき大王なのだ。

 

「なりませぬ! 御身を何と心得ておられるか。大王が生き延びさえすれば、また…」

 

 砲声が届いたのは、そのような時であった。王と老将軍は直ちに西方の丘を見て、状況を理解した。王は誇らかに言った。

 

「あれを見たか、じい。我が兵が西の丘を獲った」

 

「し、しかし戦列はじきに崩れますぞ。あんな小勢で勝ち目はありませぬ。取り返されましょう」

 

「あれはシュヴェーリンの軍旗ぞ。勝ち目があるからやっておるのだ。砲まで据えておる。うむ」

 

 王の顔から疲労の色が消え失せた。その脳裏で新しい計算が直ちに組みあがったのだと、かつての傅役(もりやく)には分かった。

 

「やれる。予の軍隊なら。誰ぞ、誰ぞある。シュヴェーリンに使いを。急げ!」

 

 いち早く馳せ来たコボルトの侍従武官は、王命を奉じて馬に飛び乗った。

 

 

 

 シュヴェーリンの作戦は今のところ図に当たっている。

 

 最初は歩兵砲の音だけ、その後は重砲一門きりの射撃だったが、それでも敵隊列は遠目にも分かるほど動揺していた。一部が丘の方に向き直ろうとする。しかしその隊形変換はオルクセン軍とは比較にならないほど遅い。

 

 その間に二門目、三門目と準備完了した重砲が砲撃に加わった。それらの砲声が響く度、敵の分厚い戦列に何本もの赤い線が穿たれる。敵の前進の勢いが弱まる。

 

 しかし敵も撃たれるばかりではいない。側防の歩兵大隊が複数、丘に向けて進みはじめた。ただちに射撃開始した歩兵砲がその隊列に穴を穿つが、敵は歩みを止めない。

 

 こちらが小勢なのが見えているのだ。接近すれば一息に潰せると踏んでいるに違いない。

 

 敵の前進を見て取ったラングが進言した。

 

「連隊長、防御射撃をさせます。百歩の距離で」

 

 シュヴェーリンは首を横に振った。

 

「ならん。敵は次々に来る。一気に崩さねばやられる」

 

「わかりました。では二十歩まで引き付けて」

 

「いや…」

 

 彼は昨夜の思考を思い返した。王への書簡に書き上げた内容だ。攻撃時の射撃距離についてである。

 

 教令は二十歩と規定しているが、恐らくそれは人間の二十歩だ。アルビニー共和国軍の古い教令を写したに違いない。あの小国はかつて大国イザベリアを撃退した実績がある。しかし現代の敵は三十歩前後で突撃前の斉射をしてくる。それまでに敵の統制を崩せていない限り、二十歩まで近寄ろうとすると、その斉射を先に浴びてしまう。

 

 ならば、もっと遠くで放つべきだ。それでもオークの駆け足は人より速いから、敵が態勢を立て直すまでに突撃できる――とシュヴェーリンは考えた。以前よりも筋道立てて思考をまとめられるようになった彼は、自己の経験を理屈でつなげた。

 

 一方の王は、いかに賢明な軍略家だといっても、自ら銃隊を率いて突撃を指揮した経験はない。ゴルツ老の歴戦も将軍としてのものであり、兵とともに戦い倒れる前線指揮官のそれではない。だから理論や観念のみで考えて教令を記しているはずだった。

 

 例えば教令は射撃姿勢を「まっすぐ前に構える」としか示していない。戦場の兵が冷静に敵を狙うことは難しく、仮にできてもマスケットの弾はまっすぐ飛ばないという割り切りだ。当てるには狙いの巧拙よりも敵に近づくこと。合理的ではある。

 

 しかし「まっすぐ構えて撃つ」という単純な命令すら実戦では難しい。射撃の反動で銃口が跳ね上がりやすいからだ。そして銃口が跳ね上がれば弾は上に逸れる――という理屈を、ほとんどの兵が理解せずに撃っているせいでもある。この時代の兵とはそのようなものだ。

 

 そんな兵を率いる以上、彼らの呼吸や感情を知らねば実戦指揮はできない。シュヴェーリンに言わせれば、敵に近づいて撃つほどよく当たる、というのは間違いだ。機械のように鍛えられても兵には心がある。敵に近ければ猛る。そして恐れる。先ほど丘を奪取した時の斉射で、彼は自説を確かめていた。

 

「やはり二十歩は近すぎる。兵は敵の顔から眼を離したがらん。じゃから、まっすぐ構えろと言っても、銃口が上がり気味になる。弾はますます上に逸れていきやすい」

 

 狙いを下げさせねばならない。腰狙いがいい。それで胸に当たる距離。しかもオークの歩速で突撃が間に合う距離。

 

――四十歩じゃ。それで腰を狙う。間違いない。

 

 昨夜の手紙に書いたその射撃法なら、少ない損害で敵を崩せるはずだった。今こそ必要なことだ。

 

――じゃが、猛りたった兵はうんと馬鹿になっとる。訓練と違うことを、それでもやらせるには……

 

 答えは簡単にでた。長らく兵と苦楽をともにしてきた彼には造作もない。そこで彼は副連隊長に告げた。その下の大隊長たちにも聞こえる大声だ。

 

「最初の射撃指揮は俺がやる。突撃成功して敵が逃げ出したらこちらも退いて、また横隊じゃ。二回目からはラング、お前に任せる」

 

 ラングの了解を聞くと、シュヴェーリンは戦列の前にでた。振り返り、大げさな身振りと大声で兵たちに指示を伝える。

 

「いいか! 敵から四十歩で斉射して、突撃じゃ。そのあとはラッパを聞いたら、すぐここに戻ってきて横隊を作れ。いいか、四十歩じゃ。射撃号令は俺がかける。

 

 構えたら筒先は、敵のきんたまに向けろ。人間どもは、あっちの方も弱っちいでな。鉛玉をぶち込んで、きんたまを三つに増やしてやるんじゃ!」

 

 兵たちの笑い声に、彼は了解と気分のほぐれを確認した。

 

「よおし、やるぞ。打ち方用意!」

 

 敵戦列は鼓笛の音にあわせて坂を登ってくる。調整行進。まるきりオルクセン軍と同じだ。敵はこちらに学んでいる。ならばオルクセン軍の動きはいつも正確に同じだと、そう思っているに違いない。

 

 彼我の距離はおよそ六十歩。頃やよし、と彼はみた。

 

「構えっ。きんたま、狙えっ」

 

 兵は射撃姿勢をとる。掴みで四十歩に到達。

 

「撃てェ!」

 

 轟音と白煙があがる。射撃はかつてないほどよく当たった。敵隊列が穴だらけになる。生き残った敵兵も恐れ、歩みを止める。一斉射としては凄まじい威力だった。シュヴェーリンは直ちに命じた。

 

「連隊、突撃にぃぃ、進めぇ!」

 

 蛮声とともに地を揺るがす横隊突撃。それも坂を下りながらだ。その迫力に敵はさらに怖じ、混乱する。そこへ兵たちが突っ込んだ。

 

 しかしシュヴェーリンは部下たちに付き合わない。彼はもう小勢を率いる傭兵隊長ではない。次の指示を出す役目がある。

 

 隊列は瞬時に壊乱し、悲鳴をあげて逃げ始めた。それを確認すると彼はすぐ突撃止めのラッパを吹かせ、味方を引き戻した。

 

 指揮を副連隊長に預けると、シュヴェーリンはやや下がって戦場全体を見渡した。丘を下る戦機を図らねばならない。重砲の目標も適宜に調整する必要がある。戦場全体に目を配っておかなければ。

 

 指揮を引き継いだラングは、敵の二波目をマスケットの攻撃射撃で撃破した。三波目も同様に撃退する。既に倍する敵を退けながら、味方の損害は少ない。近距離での斉射を一度も浴びていないからだ。

 

 その間も重砲は火を吐き続けている。次々に打ち込まれる円弾が敵左翼軍を引き裂く。崩れかけていたクライストの右翼軍がそこへ前進を再開した。

 

――右翼は立ち直った。しかし中軍は駄目だ。

 

 味方の中軍、その第一戦列がついに崩れ始めた。そこまでは重砲も届かず、支援の手段がない。将校が、連隊旗手が必死に兵たちを押しとどめているが、後退はとまらない。ほとんど潰走しかけている。

 

 いま動かねばならんか。一か八か。しかし―――決断を焦るシュヴェーリンの背を聞きなれた声が打った。

 

「シュヴェーリンどの! 大佐どの!」

 

 アンハルト中佐であった。なんと騎乗のまま丘を登ってきたらしい。彼が下馬すると馬は泡を吹いて倒れた。王使は息を切らせながら告げた。

 

「大王よりの命令でございます。直ちに攻撃して敵翼側を撃破せよ、と」

 

 王命。その一言がシュヴェーリンを動かしかけた。ラングが命令を待ち受けている。しかし彼の脳裏で教令を読み上げる王の声は別のことを告げた。

 

<将軍は常に用心深く、また決断力がなければならない。上官から何らかの命令を受けていたとしても、状況が変化したときには、自身の判断に基づいて適切に部隊を進退させねばならない>

 

 彼の目は無意識に王の姿を求め、味方中軍を見た。そして問う。

 

 大王なら、どうなさる――答えはすぐにでた。彼は決断した。

 

「まだじゃ! 横隊のまま待機。砲撃だけ続ける」

 

 言葉に出すほど確信は深まった。王が自分の立場なら。自分が王の立場なら。同じ決断をするに違いない。

 

「我らは一個連隊に過ぎん。まともに当たったら勝てん。一度でも斉射を浴びたら終いじゃ」

 

「しかし、このままでは中軍が崩れます。王の御身が!」

 

 シュヴェーリンは再び彼方を見下ろした。味方中軍の前衛は無残に潰走している。それを追い、敵は猛進している。まもなく味方の第二列、王と近衛連隊の目前まで辿り着くだろう。

 

 しかし、俺にはそれが見えている。ということは、王にも俺の部隊が見えている。ならば勝算があると、そう分かるはずだ。我が王は間違えない。ならば俺はそれに従う。命令の文言にではない。王の意図するところに。

 

「陛下は敵を撃破せよと仰せじゃ。どうやって倒すかは俺に委ねられておる。このまま待機する」

 

 思わぬ返答にアンハルトは礼儀を忘れ、責めるがごとく叫んだ。

 

「王命に背くのですか!」

 

 シュヴェーリンは自分に言い聞かせるように言った。

 

「戦が終わったら、いかなる罰も受ける! それまでは俺の裁量でやる」

 

「しかし、中軍が崩れます。あそこには陛下が」

 

「中軍は決して崩れぬ」

 

 その方向を示す。

 

「貴公の言った通りじゃ。あそこには陛下がおわす!」

 

 中軍第二戦列の前に、遠目にも目立つ新たな横隊ができつつある。揃った巨体は紛れもない近衛巨兵連隊。そのすぐ後ろで赤いマントが翻っている。

 

 

 

 第一戦列の崩壊を見て、ゴルツ大将は王の身体にすがりつくようして訴えた。

 

「本陣も危うくなり申す。もはや、これまで。直ちにお逃げを!」

 

「ならぬ! まだシュヴェーリンがおる」

 

「丘の部隊は動いておりませぬ。あの小勢では駄目なのです」

 

「彼奴には分かっておる。きっと戦機を測り…そうか」

 

 王は表情を変えた。場違いな歓喜の表情に見えた。

 

「丘からもここは見えておる。もし予が彼奴なら…!」

 

 肥満の王は老将軍を振り払い、ばたばたと前方へ駆け出した。華麗でも勇壮でもない。むしろ見苦しく足掻くように。しかしその足取りに迷いはない。

 

 駆けながら近衛連隊長に命じる。

 

「予の後に続けぇ!」

 

 その返答も待たず、王はさらに駆けた。第二戦列の兵の前に出る。前から第一戦列が悲鳴とともに敗走してくる。必死に逃げる兵たちに向けて王は叫んだ。

 

「ええい、退くな! 一歩も退くな。貴様ら、永遠にでも生きるつもりかっ!」

 

 しかし敗走は止まらない。兵を押しとどめるべき連隊長ら、主だった将校が既に戦死しているのだ。しかし王は、なお諦めない。

 

「寄越せっ」

 

 敗走してきた連隊旗手に迫り、連隊旗を奪い取った。

 

「聞けや兵ども! ここに汝らの王がいる。予に従い、来たれ!」

 

 そう言って、王は前に向けて歩みはじめた。迫りくる敵に向けて。そのあまりの勇気に幾らかの兵が逃げるのをやめた。

 

「近衛巨兵連隊! 大王のために盾となれ!」

 

 血相を変えた近衛連隊長に指揮され、巨兵たちが王を追い越して前方に出た。みるみるうちに横隊を形成し、敵と王の間に壁をつくる。その勢力はわずか二百名。しかし彼らの威容は戦場を圧した。潰走を止め、留まる兵が増えた。兵たちは近衛連隊の周囲に集まり、叩き込まれた習性に従って隊列らしきものを自主的に作り始める。

 

「いいぞ、いいぞ。連隊長、ここで敵を押し止めよ。そうすれば我らは勝つ!」

 

 王は連隊旗を大きく左右に振った。視線の先にはヤヌスの丘がある。

 

 

 

 シュヴェーリンはその様をありありと見た。

 

「潰走が止まった。大王が動かれたんじゃ。まだ持つ」

 

 アンハルトは呆然と尋ねた。

 

「大佐どのも…魔術通信をお使いになるのですか」

 

「ああ? 何のことじゃ、それは」

 

 古代ならいざ知らず、現代で魔術通信を使えるのは奥義を極めた魔術師の生き残りか、さもなくばエルフ族だけだ。オーク族では殆ど失われた秘儀である。コボルト族も同じだと、シュヴェーリンはそう理解している。アンハルトにも戦場の動揺はあるのだろう。

 

「いえ…。私は王のもとに戻ります。何かご報告は」

 

「お叱りは敵本営で賜る。それだけお伝えしてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 コボルトは風のように去り、シュヴェーリンは新たな敵に備えた。

 

 迫る第四波は騎兵。豪胆にも坂を速足で登ってくる。とにかく接敵すれば勝てると踏んでいるのだろう。シュヴェーリンはラングと砲兵に命じ、防御射撃と重砲の散弾でそれを撃退した。

 

 敵騎兵は壊乱し、近寄ることもできずに敗走を始めた。思わぬ雪辱の機会を得て、砲兵を手伝っている味方の騎兵たちが歓声をあげる。

 

 その時、異常なことが起こった。

 

 後退したオストリッチ騎兵が、敵隊列のそばまで下がってから次々に倒れたのである。味方のはずのグロワール歩兵から銃撃されたのだ。戦場にありがちな味方撃ち。まして連合軍とあれば識別は甘くなる道理だった。オストリッチの白い軍服が銃砲の白煙に紛れたのかもしれない。

 

 敵陣で怒号が湧き、混乱が広まり始めた。裏切りの誤解を解こうにも、交わす言葉が通じない。シュヴェーリンは待ち望んだ戦機の到来を知った。

 

「今ぞ! シュヴェーリン連隊、攻撃前進する。前へ、進め!」

 

 小太鼓が打ち鳴らされる。時刻は既に午後になっている。連隊は太陽を背にして整然と坂を下った。

 

 まだ混乱している敵に接近する。連隊は四十歩の距離で斉射し、ただちに突撃して突き崩す。地を震わせて迫るオークの津波はまたたくまに敵戦列を撃砕した。人間たちは悲鳴をあげて逃げ散る。

 

 

 シュヴェーリンはそれを見届け、直ちにラッパを吹かせて部隊を整頓した。連隊は一つの生き物のように機敏に動き、列を組みなおすと直ちに半旋回。味方の右翼軍主力と呼応して敵を挟撃にかかった。

 

「進め、進め。敵はいくらでもいるぞ。筒が焼けるまで放て!」

 

 三ポンド砲が敵の隊列に穴をあけ、繰り返す斉射がその士気を打ち砕いた。味方の相次ぐ敗走を目にした上に側面を襲われた敵の左翼軍は、間もなくして潰走を始めた。

 

 それを目にするや否や、シュヴェーリンは再び進路を転換。部隊を手足のように動かし、敵中軍に向けた。彼らの後にクライスト率いる右翼軍主力が続く。片翼包囲がここに完成した。

 

 しかし、そこでラングがシュヴェーリンを止めた。

 

「連隊長! 携行弾薬がもうありません。いったん退いて味方と合流しましょう」

 

 信頼する副連隊長の、全く合理的な進言。しかしシュヴェーリンは迷わず却下した。

 

「そいつは結構! 弾が無けりゃ、銃剣で敵を突き刺して進むだけじゃ。我らは敵陣のど真ん中へ撤退して、そこで味方と合流するぞ!」

 

 ラングは面食らったが、すぐに高揚した表情で答えた。

 

「やりましょう! やってやりましょう、連隊長!」

 

 シュヴェーリンは頷く。そして丘を下ってから初めて戦列の前に出た。ずっと背負ったままでいた両手斧を手に取り、握り具合を確かめる。

 

「野郎ども、貴様らの連隊長はここぞ。俺の後に続け!」

 

 硝煙で顔を真っ黒にした兵たちが雄叫びをあげて答えた。シュヴェーリンは部隊を鼓舞しつつ敵に接近し、先頭に立って切り込んだ。敵を薙ぎ払い、その骸を踏み越えて前へ。さらに前へ。彼らの突撃にオルクセン全軍が呼応し、至る所で敵を打ち崩していく。

 

 再編を終えたツィーテンの騎兵隊が戦場を突っ切り、敵後方の街道を扼そうとすると、連合軍はついに総退却に移った。

 

 その時、満身創痍のオルクセン軍に追撃の余力はもうなかった。オークたちの戦死者は五千を超え、四名の将官と三名の大佐が死んだ。しかし敵に与えた損害はその倍以上だと思われた。アルブレヒト大王はその伝説にあらたな大勝を加えた。

 

 

 

 シュヴェーリンが王と再会したのは、敵の本営が置かれていた小村でのことだ。王の姿を認めるや、シュヴェーリンはただちに跪いた。

 

「陛下の命令を違えました。処罰はいかようにも」

 

 王は地面に膝をつくシュヴェーリンの手をとり、引き上げるように立たせた。

 

「シュヴェーリン、シュヴェーリン! よくぞ予の命令に正しく従った」

 

 シュヴェーリンは息を呑んだ。彼は正しかった。

 

 王はさらに続けた。これほど多弁になるのは珍しいことだった。

 

「予も試したぞ。お前の四十歩射撃法を。あれは良い。すぐにも歩兵教令を改訂しよう」

 

 あっ、とシュヴェーリンは叫んだ。

 

「お読み下さいましたか。しかし、一体いつ」

 

「昨夜じゃ。アンハルトめが『大至急』と言いおるでの。何事かと思うた」

 

 見苦しいほど狼狽したシュヴェーリンに、王はからかうような笑みを見せた。王のそのような顔を彼は初めて見た。

 

「その値打ちはあった。お前、字を覚えたのだな」

 

「は、はい。連隊におる仔どもに教わっております」

 

「仔どもにか」

 

「お笑いくださいませ。皆、笑います。噂します。しかし、しかし…」

 

 そこで言葉につまり、彼は自分でも思わぬようなことを王に言った。

 

「陛下を…父と思うておりまする。字も読めぬ山賊では、お役に立てぬものと。俺は、いや、私は」

 

  そこまで言って絶句した。世界が滲んでいる。

 

 王は穏やかに言った。

 

「シュヴェーリン、あれも読んだのであろう。将軍に与える教令を」

 

 彼は何度も頷いた。あの教令はゼーベックが筆写し、勝手にシュヴェーリンに送ったものだ。なぜ王がそれを知っているのか、疑問に思う余裕はなかった。王は穏やかな声で続けた。

 

「あれは将軍のためのもの。が、お前には分かったようだ。ならばその資格がある。お前を少将に任じる」

 

「ま、まことに..」

 

「ますます励め。シュヴェーリン将軍。我が剣よ」

 

「ははっ」

 

 再び瞼に押し寄せた熱さに耐える。王は破顔した。

 

「が、書く方はまだまだじゃ。お前のオルク文字は読み難くてかなわん。まともな字になるまではお前の師匠にでも代筆させよ。毎回あれでは予が迷惑するわ」

 

 そういうと王は大笑し、シュヴェーリンは顔を赤らめて恥じ入った。

 

 

 

 戦争はそれから二年ほど続いた。

 

 オルクセン軍は兵站に苦労しつつも長駆進撃し、女帝の直轄地であるオストリッチ公国に侵入。プラヴェン市に籠った帝国軍主力を包囲し、激しい砲撃の末に降伏に追い込んだ。陥落した都市から奪った糧食でさらに進撃し、女帝の首府にまで迫って講和を強要した。

 

 主導者が脱落した人族連合は連携を欠き、再び各個撃破戦略の餌食となった。

 

 その戦いの中で、シュヴェーリンは王からしばしば分遣隊を委ねられ、勝利に貢献した。彼は地形と機動を生かして常に有利な地歩を占め、最後には狂気の如くに兵を駆り立てて敵を撃砕した。相手の意表を突く戦いぶりと前歴から「山賊将軍」の異名を受けた。

 

 漁夫の利を得んとするキャメロット王国がグロワールの海外植民地をほとんど奪ったところで、残る国々も講和に合意。大戦争はついに終結した。

 

 かくてオルクセン王国は三大国を相手どって戦い、勝利を収めた。戦後の論功行賞でシュヴェーリンは陸軍中将に進んだ。

 

 大王の野望、オークたちが夢見た国はついに実現した。帝国との講和条約によって一領邦の立場から解放され、オルクセンは名実ともに独立王国となったのだ。

 

 偉大な王に導かれし大国。それを守護するは星欧最強の軍隊。もはや彼らに敵はない。

 

 オークの国の栄光は永く続くであろう。

 

 この時はそう思われた。

 

 

 

 

(第二部 軍人編 了

 第三部 落星編 「恐るべき二重奏」へ続く)




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