山賊大将シュヴェーリン   作:芝三十郎

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オルクセン二次創作。書籍版5巻まで読了後推奨。 穀倉地帯を奪取すべく、オルクセン軍はドワルシュタインへ侵攻する。迎え撃つエルフ達はそれを翻弄するが、彼女らにも計画違いがあった。そして両軍は決戦場へ向かう。


破滅への道

 オルクセン王国からドワルシュタイン王国に至る道は二つ。内陸から行くか、北の海岸沿いを行くかである。

 

 シュトレッケンからリヒトゥームを経る内陸の経路は、近くに河川輸送に適した大河がなく、大軍の補給が続かない。

 

 そのためアルブレヒト大王は海沿いの道を選んだ。約六万五千の軍を率い、オルクセン地方西北へ進み、ドワルシュタイン領に入る。その中にある自由都市アーンバンドを経て、山脈に突き当たって南下。ロザリンド渓谷を抜け、ドワーフの王都モーリアを突く経路である。

 

 その進路沿いの港町で、とある商人が穀物商と馬草問屋を訪ねてまわっている。

 

「これだけですか? あれば、あるだけ買いますよ」

 

 コボルトは穀物袋の山を見ながら言った。店の表に停めた荷馬車にはまだ随分余裕がある。なにせ今の彼は四頭立ての馬車を五台も連れているのだ。

 

「そう言われても、うちにも蓄えってもんが、なあ」

 

 ドワーフの穀物商が渋って見せたのは、下手な擬態に過ぎないと、そう一目瞭然だった。コボルトは笑顔で攻めたてた。

 

「何日かしたらオークの軍隊が来ますよ。それが嫌だから、私は明日には船を出すつもりですからね。いまお金に換えれば土間にでも埋めておけるけど、嵩張る干し草や、もう挽いてしまった小麦粉ではねえ…」

 

 図星をさされて、穀物商は両手をあげた。

 

「わかった、わかったよ。全部さっきと同じ値段ならね」

 

「お引き受けしましょう」

 

 コボルトは本当の笑顔をみせた。これで一段落というわけだ。残る在庫を吐き出すようにと、ドワーフは丁稚たちに言いつけた。損はしていないとはいえ、すっかり倉を空にするのは良い気持ちではないらしく、少し肩を落としてみえる。

 

「やれやれ。こんなにいい値段で買って、フンデの商人さんはどこに持っていくんだい?」

 

「ふふ、ちょっと言えませんね。そういうツテが飯の種ですから」

 

「まあ、いっそ助かる気もするけどね。先頭でやってくるのは、とびきりおっかない将軍だって話だから。山賊将軍とかいう…」

 

 コボルトは、顔に貼り付けてあった笑みを崩した。そして尋ねる。

 

「山賊。シュヴェーリン将軍ですか」

 

「物知りだね」

 

「……昔、ヴィルトシュヴァインの辺りで荷馬車を転がしておりまして」

 

「へえ、旅から旅だね。あたしら、街商人とは違うわ」

 

「ずいぶん、お羨ましい。さあて、積み込みは日暮れまでにお願いしますよ」

 

 翌朝の朝日とともに彼は船を出した。船足は遅い。沿岸の街をめぐって買い占めた小麦に大麦、干し草が船倉に満ちている。

 

 ゆるゆると遠ざかる桟橋にむけ、コボルト商人はつぶやいた。

 

「……私もね、ようやく店が持てるんですよ。これが終われば」

 

 船はゆっくりと旋回し、舳先を北へ向けた。するすると張られた帆は、たちまち風を豊かに受ける。「順風だよ」と船頭が彼に言った。

 

 彼はまた、顔に笑顔を貼り付け直す。朗らかに、朗らかに。何もかも自分には関係がない。これから何が起ころうと。

 

「それじゃ、明日には着きますかね。ファルマリアの港に」

 

 この朝、多くの傭船がドワルシュタイン北岸を離れた。それらは皆、積めるだけの糧秣を積み込んでエルフィンド王国へ向かった。

 

 

 

 クライスト大将は机を叩いた。

 

「マルリアン、マルリアン、マルリアン! その名前ばかりか」

 

 猛将の武名を高めてから、彼はいっそう猛々しく振舞うようになっていた。付き従う将兵を鼓舞するためばかりではない。恐らくは、王から見てわかりやすい将であるためだろう――と、シュヴェーリンは思っている。

 

 戦働きに誇りと満足を見出している単純な武人。ゆめゆめ不満など抱かないと、そういう形を作っているのだ。とはいえ今のクライストの怒りに、演技の割合は少なそうだった。

 

「遊ばれておる。エルフィンドが突然、参戦したと思ったら、ふざけた口上を突き付けて、のらりくらりと…いったい、彼奴には戦をやる気があるのか」

 

 座に沈黙が落ちた。より高位の貴族が誅殺されたこともあって、クライスト大将は今や全軍中で第三位の序列をもつ。それが怒りをあらわにしては、口を挟める者は少ない。やむなく嗜めたのはゴルツ老である。

 

「所詮、小勢じゃ。捨ておいても問題はなかろう」

 

 しかしクライストは納得しない。

 

「元帥、我らは長耳どもに侮られておるのですぞ。一戦して蹴散らしてやらねば」

 

「と言うて、小当たりするたびに、うまくあしらわれるばかりよ。増援を送る頃には雲を霞みと逃げ去っておる。マルリアンとやら、小戦の上手なのだ。それだけのことよ」

 

「ともかく、斥候を増やして…」

 

 オークたちが議論を続ける大天幕を、赤い双眼がじっと見つめている。瞳の持ち主は、宿営地を見下ろす小山の木々に隠れて、ただ一人。褐色の肌と尖耳をもつ、その姿は少女である。

 

 尋常の勇気ではない。すぐ麓には、数万のオーク兵が屯して牙を研いでいるのだ。しかし少女には毛ほどの動揺もなく、心音はいつも通りの緩やかさだ。

 

 なにせ彼女は慣れている。幼い頃から野山が遊び場だった。やがて弓を覚えると、そこは狩場になった。すぐに銃も覚えた。得意とするのは単独の忍び猟だ。

 

 皮と肉になる鹿や、マントの材料に高く売れる貂などは、彼女の好みではない。どうせ狩るなら大物狙いが性分である。張り合いがあるのはヒグマだ。痕跡を見つけ、後をつける。動きを読み、先回りして待ち伏せるのだ。

 

 代謝が緩やかなエルフの生理は待ち猟に向いているが、それにしても彼女の執念は常軌を逸している。一度決めたら動かない。岩になった気で幾日でも粘る。獣の糞便を己に塗ってでも偽装する。そして至近に獲物を捉えて、精確無比に心臓を一弾で撃ち抜くのだ。

 

 しかし今の彼女の仕事は狙撃ではない。その代わりに報告する。

 

「こちら――。こちら――。敵本営を見つけた。現在の場所は…」

 

 声なき思念でそう送る。魔術通信である。その射程は約3哩。軍隊の行動距離を思えば、短い。それで問題はない。たちまち応答がある。

 

「了解。本部に中継する」

 

「よろしく」

 

 王都モーリアからオルクセン領までの山という山に彼女らは散在している。最低二人の仲間と通信がとれる配置を保っており、連絡や報告を中継できるのだ。ただし、この方式は長文を伝えるには向かない。所詮は口伝と同じだから、いわゆる伝言遊びと同じ問題が起こってしまうのだ。

 

 ゆえに少女が送ったのは、探していた目標の所在と識別結果のみである。その報告は次々に伝えられ、一時間とかからずに彼女らの指揮官に届く。

 

「…了解。ご苦労」

 

 指揮官は受信を終え、集中するために閉じていた瞳を開けた。部下たちと同じ褐色の肌と尖り耳をもつ。異様なのは、その瞳の冷たさだ。剣のように鋭い視線は、強靭な意志を持つ女だと誰にでも分かる。ダークエルフの中でも有数の大氏族を束ねる副氏族長の威風である。

 

 彼女は自ら手を動かし、机上の駒を動かした。それで報告内容を地図に示す。そして報告した。

 

「ほぼ測位通りの位置と速度です」

 

 マルリアンは首肯した。その目には讃嘆がある。目の前の女は、険しい山地に素早く警戒網を張り巡らせた。それを大まかな地図と手短な魔術通信だけでこなせるとは、(ダーク)エルフ族の力量は噂以上のものだった。別して、その全てを意のままに動かしている、この女の統率力が凄いのだ。当代の氏族長に全てを一任されただけのことはある。

 

「もう見つけたか。魔術探知の三点測位も正確だったな」

 

 そう褒められても、褐色肌の女は小さく頷くだけで、笑顔などみせはしない。これしきの事は出来て当たり前で、褒められるには値しないと、自信と気位をそう教えているようだった。

 

「部下たちの手柄です。オークどもの鼾が聞こえるほど近づいています」

 

「本営とみて間違いないのだな?」

 

「測位通りの位置に、他にない大天幕を目視しました。確定といっていいでしょう」

 

「なるほどな。見つけたのは……ああ、あの女か」

 

 配置表で名前を確認し、マルリアンは褐色の少女姿を思い出した。一人だけ混じった子どもの背丈が、印象に残らぬはずがない。どころか、肌の色の違いを越えて、親近感すら覚えている。成長途中で見た目の変化が止まってしまった特異体質は、彼女だけではなかったということだ。

 

「ラエルノアといったか。よほど熟練の狩人か。実の年は?」

 

「今年で十四になります」

 

 マルリアンは絶句した。成長が止まったのではなく、見た目通りの年齢だという。たちまち柳眉が逆立ち、雪のような頬に朱がさす。

 

(デック)め! そんな娘を戦に駆り出すのか!」

 

 それは白エルフがダークエルフを罵倒する呼び名である。上官から面と向かって蔑まれても、ダークエルフは表情を変えずに答えた。

 

「少将どの、我らも常ならば、こうは致しません。この危機なればこそ、あの娘なればこそです」

 

「小娘だから、死んで惜しくないというのか! オークどもの餌にされても…」

 

 掴みかからんばかりに迫るマルリアンに、相手は初めて褐色の相貌を和らげた。

 

「ご安心を。決して捕まりません。最も危険な場所ゆえ、一番の腕利きを送ったのです」

 

「十四の小娘が…?」

 

「あれは天性の狩人です。単独での忍び猟なら、既に誰より巧い。この私より上です。だから志願を容れたのです」

 

 常識では信じ難いが、だからこそ信じぬわけにはいかなかった。憮然として再び椅子に腰掛ける。その彼女に、ダークエルフの副氏族長は初めて微笑を見せた。

 

「ありがとうございます」

 

「何がだ」

 

「怒ってくださって。我らの同胞のために」

 

「別に…。今は私の指揮下にある者だからな」

 

 言ってから内心で、しまった、と思った。部下でなければダークエルフの小娘の命など気にしないと、そう取られ得る言葉だった。あるいはマルリアン自身も気づかぬ内心が、その言い方に表れたのかもしれなかった。

 

 しかし幸いなことに、副氏族長は微笑を保っている。敢えて無視したのかもしれない。

 

「それでも結構です。では、貴女の部下をご信頼ください」

 

「ふん」

 

 我ながら下品なと思いながら鼻を鳴らして、マルリアンは居心地悪そうに立ち上がった。天幕を出ようとする。

 

「どちらに?」

 

「騎兵の様子をみてくる。ここいらで、もう一日くらいは稼ぎたい」

 

「我らにお任せ下さい」

 

「どちらを使うかは私が決める」

 

 背中で答えて、マルリアンは自分の未熟さに顔をしかめた。自分で提案したことだが、ダークエルフをここまで重用するのは初めてのことだ。近しく会話するのは慣れていない。大将閣下のように、誰でも懐に()れる心術があればいいのだが。どうも私はうまくない…。

 

 いま彼女は生まれて初めて、ダークエルフに自分がどう思われるかを案じていたのだが、その自覚はなかった。それでも振り返って一声かけるのは忘れなかった。

 

「しかし、よくやってくれた。ディネルース・アンダリエル中佐」

 

 ダークエルフ諸氏族で、随一の手練れと名高い女は、姿勢のよい一礼を返した。

 

 

 

 エルフィンド軍を率いる司令官クーランディアと、その軍師役(この時代のエルフィンドには他に適切な語彙がない)であるマルリアンは、オルクセン軍と正面から戦えば負けると判断していた。オーク達は量でも質でも懸絶している。ゆえに、彼女らは極力、大規模な戦闘を避けた。特に、オーク王が得意とする会戦の回避は至上命題である。

 

 また彼女らにしてみれば、ドワーフ達を守ってエルフ兵が死ぬほど馬鹿らしいことはない。彼女らはドワーフの王国を盾にするために同盟したのだ。ゆえに二将は、野蛮な短躯(ちび)どもの領土を最大に活用することにした。

 

 オークたちが飢えにせき立てられて侵略してくるなら、なお飢えさせてやれ、と考えたのだ。大量の軍資金を用い、フンデ同盟に行わせた進軍経路上の糧秣買い占めが、彼女らの一の矢である。

 

 二の矢は足止めであった。ドワーフ軍を首都防衛に専念させ、マルリアンは二千足らずの精鋭歩兵を率いてオルクセン軍の前面に出た。しかしまともに交戦はしない。挑発し、牽制し、あるいは隙をみせてオルクセン軍の足を遅らせるだけだ。交戦するのは偵察部隊とだけ。その時も適当にあしらって撤退する。その種の戦芸は彼女の得意とするところだった。

 

 段階的に退きつつ、マルリアンは近在の村や町に兵を送り、呼びかけてまわった。

 

「オークが来るぞ。何もかも食い尽くすぞ」

「穀物庫は空にしろ。麦袋を土に埋めて隠せ」

「家畜は屠っておけ。どうせ盗られるだけだ」

 

 後の時代に行われる焦土戦術ほど徹底したものではない。そこまで思い切った発想はマルリアン達になかったし、ドワーフ領で無茶はできない。彼女らがやったのは、(侵略であれ防衛であれ)この時代の軍隊が寄せ来れば村々で自主的に行われる物資の隠匿を、恐怖を煽って広域で促進したに留まる。

 

 そして、彼女らが重視したのは住民の食べ物ではない。

 

「干し草には火をかけさせろ」

「家畜を屠れば牧草地に当分、用はない。延焼せぬように焼かせろ」

 

 それだけは兵どもに徹底させて、馬糧の徴発を防ぐことである。

 

 オルクセン軍が引きつれる馬の数は膨大である。一個歩兵連隊(千六百名)だけでも、天幕を運ぶ荷馬が六十余頭、将校が騎乗する替え馬が十余頭。さらに四輪馬車でもって幾台もの弾薬車、パン焼き車、酒保商人車を仕立て、渡河用の箱船まで引いている。

 

 騎兵連隊なら千二百名用の乗馬と替え馬が加わる。さらには六ポンド騎兵砲がある。先の戦争でツィーテンが重砲を機動させた戦果を踏まえ、大王が導入させた新装備だ。常に架車に乗せて運用されるこの新造砲に一門あたり六頭がつく。なお、砲兵隊の重砲は昔より軽量化された八頭引きである。

 

 こうして全軍六万五千の行軍は、五万頭余の馬たちに支えられている。路傍の野草などはすぐに食べ尽くしてしまうから、大麦、干し草、麦わらの馬糧を調達せねばならない。主には現地徴発だ。

 

 エルフ軍がそれを未然に防げば、食い物のない馬は足を止める。さりとて馬糧まで本国から運ぶとなれば、必要な荷馬車も馬もさらに増える。すると必要な馬糧が更に嵩むという、悪循環がすぐに始まった。

 

 進路上の村や町がその有様と分かり、兵站総監のゲルリッツ大将は、糧食と馬糧の注文を大幅に増やした――といっても、即効性はない。彼らは補給のほとんどをフンデ同盟の流通網に依存しており、遊んでいる自前の馬車はそう多くないからだ。

 

 もとより、悠長に待つ時間はない戦争である。現地での徴発態勢を大幅に強化するほかなかった。ゲルリッツ大将は諸将と計らって徴発隊の編成を増やし、行軍路から大きく離れた村落まで派遣させた。

 

 そこで待ち構えていたのがエルフィンド軍の三の矢、四の矢である。平地の村ならば白エルフ軽騎兵。山地や丘陵ならダークエルフ猟兵だ。

 

 彼女らは分散し、戦域全体に薄く広い哨戒幕を形成していた。魔術探知を使って徴発隊の動向を補足。その報告を受けたマルリアンは、迎撃部隊を向かわせるか、間に合わなければ付近の哨兵を速やかに集合させて襲撃隊を仕立てた。そして常に数の優位を作り、オークたちが思わぬ方向から奇襲をかけていく。

 

 彼女らは徴発隊を追い散らすと、その荷馬車に火を放った。一部の騎兵はオルクセン軍の後方に回り込んで無防備な輸送隊と補給倉庫を襲い、一度に千台近い荷馬車を焼きさえした。

 

 これらの指揮は、司令官からマルリアンに一任されている。彼女は軽騎兵と猟兵をナイフとフォークのように使い、小さく分かれたオークの徴発隊を切り刻み、あるいは突き刺して仕留めた。そうして殆ど兵も損なわないままにオーク達を疲弊させていった。

 

 彼女が司令官とともに立てた戦争計画の通りだった。オークたちの体躯と体力は会戦、特に突撃からの白兵戦では無類の威力を発揮する。しかしそれゆえに、騎兵の鈍重と補給の負荷を弱点に持つ。

 

 対してエルフたちは、ほとんどの面で不利にあるが、オークにはない軽騎兵と猟兵がいる。遠方で敵を見つける魔術探知と、ほとんど即時に味方と連絡できる魔術通信がある。それらを活用して会戦を避け、徹底した攪乱と徴発・輸送の妨害を行えば、敵の強みを封じ、弱みを突くことができる。

 

 こうしてオーク軍は進めば進むほど速度を落とし、その備蓄を減らした。彼らは手持ちの食料を節食して食い延ばすしかない。当然、体力の低下をきたして、病気になる者が増えた。それでも彼らは進み続ける。食を得るためにこそ、やってきたのだから。

 

 それもまた、エルフの二将の構想通りであった。彼女らの最後の一手が行われたならば、オルクセン軍は得意の会戦に臨むこともできず、ほとんど戦わずして敗北する筈である。

 

 しかし、彼女らは単独で戦っているのではない。

 

 

 

「ふざけるでないわ!」

 

 口角泡を飛ばし、ドワーフの老王は怒鳴った。

 

 彼の国を助けるために派遣されてきたエルフ軍の司令官クーランディア大将は、頬にかかった唾を無言で拭う。形式的には、彼女は連合軍の副将。主将は目の前のドワーフ老王である。

 

 老王は、髭まみれの口をせわしなく動した。

 

「我が領国で勝手放題にやりおって。この上、この上…そんなことができるか!」

 

 クーランディアは柔和な笑みで宥めにかかる。

 

「しかし、ドワーフ王。我らは何度も話し合ったはず。これが最も確実なのです。現にオークどもの動きは鈍っています。あと一手です。貴方の民を守るためでもある」

 

 エルフの司令官は嫌悪感をあらわにしつつ、脅すように言った。

 

「オークどもは飢えれば同族すら食らうのです。ドワーフも…」

 

 しかしドワーフの王は食い下がる。数日前までは、そうかそうかと納得し、彼女に賛同していたのが嘘のようであった。

 

「この上、誇りまで捨てろというか」

 

「地形をご勘案下さい。ロザリンド渓谷こそ最適の地なのです」

 

 クーランディアは卓上の地図を示した。

 

「渓谷は狭く、東西は天険の斜面。我らの猟兵ならそれを活かせます。ここでオークどもの補給隊を襲撃し、奴らの尾を完全に断ち切るのです」

 

「それで、わしらに逃げろと」

 

「敵を引き摺り込むのだとお考えください。我ら連合軍は…」

 

 彼女はロザリンド渓谷から手を動かしていく。秀麗な指先は王都モーリアを過ぎ、その北にある大河に至って止まった。

 

「シルヴァン川を防衛線とすべきなのです」

 

 そこが彼女とマルリアンが見出した理想の戦場であった。

 

「名高きドワーフ砲兵を北岸に並べれば、オークの津波とて容易く防げましょう。後は干殺(ひごろ)すのみ。奴らは共食いして自滅するか、無謀な渡河を試みて壊滅するかです」

 

 シルヴァン川は大河である。また、砲兵はドワーフ軍が唯一、オルクセン軍に対して持つ優位性である。

 

「ために陛下。何とぞ予定通り、王都モーリアから一時は退き、軍民とともに北岸にお渡り下さい。南岸の畑はことごとく刈り取らせ、間に合わぬものは焼き捨てるのです。さすれば大勝利は疑いありません。民も兵も損ぜずにです」

 

 味方の強みを活かし、敵の弱みを突く。恐るべきオークの津波は父なる大河で受け止める。彼女が構想し、マルリアンが具体化した必勝不敗の策であった。

 

「大概にせよ!」

 

 それを提示したクーランディアの頬を、なんとドワーフ王の平手が打った。老齢に似合わぬ大力に、彼女は椅子から転げ落ちる。

 

 居並ぶエルフたちが一斉に気色ばむが、彼女は起き上がりつつ手で制した。ドワーフ老王の怒声は続いている。

 

「王都は捨てぬ。先祖伝来の炉火を消されるくらいなら、一族揃って討ち死した方がましじゃ」

 

 居並ぶドワーフたちが賛同の叫びをあげた。

 

「そうよ、そうよ」

「我らを愚弄するな」

「長耳どもは失せよ」

 

 特に、王子たちが声の中心になっているようだ――と、クーランディアは見て取った。さてはドワーフ王は、見た目上は撤退を繰り返している状況に、息子たちの反対を抑えきれなくなったに違いない。武威並ぶところなき老王と聞いたが、身内すらまとめきれないとは。どうやら根回しの相手を誤ったかと察しながらも、彼女は説得を試みた。

 

「陛下、私は必勝の策を提示したまで。次善の策は王都モーリアでの籠城戦です。ドワーフの巨砲を生かすのです。どうしても川北へは退けぬとあれば、それで…」

 

「ならん、ならんわ。ここに全ての民を収めることはできぬ。外に残る民が飢えたオークどもに取って食われるではないか。このわしの民草が!」

 

「しかし、正面切って戦えば、敗北は明らかです。先だっては陛下もご一同も、お認めになったはず」

 

「先鋒を買ってでた気骨に免じたまで。それが、この戦ぶりは何か。卑怯な長耳に頼ったのが間違いよ。やはり、我らは打って出る」

 

力戦(ちからいくさ)こそ、奴らの得手です。無為に屍を積むことに。敗北は明らかですぞ」

 

「目に見えた討ち死、勝ち目の乏しき戦。それこそ望むところよ。このフレイヴェル・ソーリン、年はとっても(ほまれ)は忘れぬ」

 

 そう言って、ドワーフ王はモリム鋼で鍛造された元帥杖で卓を叩いた。

 

 彼女はしばし沈黙した。その間も周囲からはドワーフの王族や将軍たちの怒号が止まない。

 

「出戦じゃ、出戦じゃ!」

「オーク王の首を!」

「炉の火を絶やすな!」

 

 やむをえない、とクーランディアは判断した。

 

 彼女とマルリアンは上・中・下の三策を用意していた。上策はシルヴァン川を挟んでの防御だが、ドワーフの反発は予期できた。そこで互いに妥協して、中策のモーリア籠城に持ち込むのが本音だった。

 

 しかし、鉄の民の頑固さを過小に、ドワーフ王の指導力を過大に評価していたようだった。

 

 オーク王が得意とする会戦を避けて勝つという、彼女の戦略は貫徹できない。ならば下策と知りながら、最後の決は野戦に求めるしかない。

 

「……わかりました。出戦に合意しましょう。しかしながら」

 

 礼儀で包み隠してきた憤怒と侮蔑が表情にあらわれる。苦渋の決断は、彼女とて怒りに後押しされた部分がないではなかった。

 

「私はエルフィンド女王の名代として遣わされた身。この上の侮辱は、我が女王への侮辱と心得る。そのように思し召されませ」

 

 ドワーフ老王は豪快に笑った。

 

「無論よ、将軍どの。年寄りの短気と、どうか許されよ。長耳の女王に意趣はない。我らは同盟者じゃ」

 

「......ならば、共に戦いましょう。敵を防ぐのです。この地において」

 

 クーランディアは第三案の予定戦場を指し示した。視線が集中する。そこは、オルクセン王が当然、予期しているであろう場所だ。王都周囲の平地へ侵入するためには通らざるをえない、細く長い隘路。

 

 ロザリンド渓谷である。

 

 こうして連合軍の方針は決した。その後は出陣に先立つ酒宴になった。豪放なドワーフ達は、素朴な陽気さでエルフ達と酒を酌み交わした。議論が高じて頰を張るなど、ドワーフの間では珍しくない。一時の遺恨はこの酒席ですっかり晴れたと思われた。

 

 ドワーフたちは気づかなかった。軍議では一言も発したことのない一人のエルフが、その日の内に姿を消していた。その者の役職は軍監。つまりは司令官の部下ではなく、女王に直属する査閲ないし監視役であった。

 

 クーランディアはマルリアンに魔術通信の中継で連絡をとり、第三案への移行を指令した。マルリアンは舌打ちしつつ、直ちに部隊を動かした。ダークエルフ猟兵のみを足止めに残し、残る全部隊を渓谷へと撤退させたのだ。

 

 

 

 騎兵襲撃が減ったことで、オルクセン軍の速度はやや回復した。しかし、猟兵による奇襲はむしろ頻度と烈度を増し、他に代え難い甚大な損害を与えた。王の本営でそれを報告したのはゼーベック中将である。

 

「ゲルリッツ閣下が……戦死されました」

 

 外は既に暗い。報告を受け、天幕内も暗さを増したように思えた。亡き総監の副官として、ゼーベックは上官の最期を告げた。

 

「総監は責任をお感じでした。お止めしても聞かれず、自ら徴発隊を監督に出向かれ…その途上に流れ弾を。兜を貫かれたそうです」

 

 天幕内の誰もが亡き将の不運を思った。マスケットの弾は遠くから狙い打てるほどは直進しない。それに丸い弾だから、多少の角度がついていれば、兜で逸らせたかもしれない。それが偶然、頭に直撃するとは。

 

 彼ら高級将校は、兵たちの軍帽と異なり、最近導入された突起(スパイク)つき兜を被っている。騎士兜を模して造られたもので、将軍の威厳を示すための新軍装だ、とされた。

 

 実際のところは、廃止された貴族制と騎士号に替えて王が与えた、新たな名誉の象徴だともいえた。いまや将軍たちこそ王国の藩屏にして騎士なのだと、形で示す意味である。特にシュヴェーリンとツィーテンは歓喜し、「ありがたい、ありがたい!」と涙まで流して拝領したものだ。

 

 しかし、兜といっても材料は固い革である。一応、突起で敵の斬撃を逸らせるとされているが、現代の主な獲物は銃剣の刺突だ。まして今時の将軍が敵と剣を交えるはずもなく、あくまで象徴的な装備だった。

 

 王は、さすがに落胆を隠せぬ声で言った。

 

「不運であった。当座はゼーベック、お前が引き継げ」

 

「はっ。及ばずながら、尽力いたします」

 

 重鎮の死を悼む暇もなく、天幕内の話題は兵站の懸念に戻った。当然、ゼーベックが矢面に立たねばならない。

 

 問いを発したのはクライストである。

 

「ゼーベック、それで、徴発の方はどうであった。首尾は」

 

 大将が中将に尋ねるには尊大な口調だが、ゼーベックは丁寧に応答した。

 

「はっ…。今回もダークエルフと思しき襲撃をあび、期待したほどの量は得られておりません。手持ち、あと3日ほどは」

 

「一昨日は7日分と言うておったではないか」

 

「申し訳ありません。昨日今日と、徴発がほとんど失敗したためです。徴発中隊はことごとくエルフどもの伏撃を受けました」

 

「飲み水まで節約しておるのだぞ。中隊を送っても駄目ならば、大隊、連隊を送れや」

 

「大勢を分派しては、本軍に追いついてこられません。かといって本軍の足を止めて無駄飯を食らっては、本末転倒です。コボルト商人たちをせっついておりますが、どうにも――」

 

 大王が遮った。

 

「もうよい。モーリアまではもつ。それでよい」

 

 王は卓上の地図の一点を指示した。敵が待ち構えているとすれば、当然にそこであろうと、誰もが予期している。彼らは既に、その入り口にいる。

 

「この渓谷を抜ければ、畑には麦がうなっておる。水はシルヴァン川にある。留まっても物資は減るばかりじゃ。明日の朝より、進軍を再開する」

 

 王の決断は明確であった。その迷いのなさが、諸将の心を落ち着けた。いつもの大王だ。今度も勝つ。大王は会戦に敗れたことがただの一度もないのだ。

 

「この上、是非もなし。敵も、これ以上は下がれぬ。明日が決戦となろう。敵は待ち構えておろう。狭く険しい渓谷いっぱいに横隊を作れば、翼側にまわることはできぬと、そう考えて。こちらの手を封じたつもりであろう。

 

 それと知っても、我らは進まねばならぬ。さもなければ、王国が今日まで勝ち得てきた一切は失われるであろう。我々は敵を撃滅するか、祖国と共に飢えて滅ぶか、いずれかである。我らの牙で敵勢を突き破るのだ。この渓谷を抜け、祖国の道を開くは明日ぞ」

 

 応、と口々に答え、諸将は意気をあげた。ついに訪れた尋常の戦いに、みな高ぶっている。正面決戦、大いに結構。むしろオークの本領だ。そう口々に言って、戦意を新たにするのだった。

 

 シュヴェーリンには、不安はあっても、特段の異見はない。恐らく敵は失敗したのだ。こちらを恐れ、戦いを避けて、飢えさせようとした。しかし兵站総監部の努力の甲斐あって、予定よりかなり遅れはしても、ここまで辿り着けた。あとは尋常の戦闘になるはずである。ならば、勝つ。何が待ち受けていようとも。

 

 やがて夜は更け、渓谷には深い霧が立ち込めた。

 

 

 

 そして――この濃霧を衝いて始まるのは、歴史に残らない戦い。

 

 その様は、デュートネ戦争期の参謀本部が出した古い戦史とは、まるで異なっている。改めて編纂される予定の王国正史とも、やはり違っていよう。

 

 何となれば、歴史とは過去と現在の対話。ゆえに究極、過去を思い訊ねる当事者の数だけ、歴史は存在し得るのだ。

 

 この渓谷、そして王国の歴史の一隅を、霧は包んでいる。

 

 これはその時、その場を駆けたシュヴェーリンだけが知る、死闘の一実相。

 

 異説ロザリンド会戦である。

 

――()くしてオルクセン軍とドワルシュタイン・エルフィンド連合の両軍、各々の戦闘準備は六月十四日夜以て完了し、朝日の昇るを待つ。

 

 勝利は未定なり。戦勝の凱歌、知らず何方(いずかた)の陣に揚がるや。月桂の冠、知らず何人(なんぴと)(こうべ)に落つるや。

 

 やがて、天は遂に明けたり――

 

 オルクセン軍は宿営地を撤収し、行進隊形をとった。警戒部隊として騎兵を前哨に配置する。速やかに横隊に開進できるよう、歩兵は大隊縦列とされた。

 

 そして彼らは霧の中へ分け入った。

 

 

 

 

(次話「異説・ロザリンド会戦 ~前哨~」に続く)




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