傭兵禁止令――シュヴェーリンたちが見た紙片は、後にそう呼ばれる。「我がオルクセンにあって、傭兵はただの一人でも多すぎる」と喝破して、王は事実上の山賊たちをうち滅ぼしにかかったのだ。
それと分かって、しかし、場は一挙に白けた。
「ふうん、なんだい。よくある話じゃねえか」
空いた椅子にどっかと座り、呆れて言い放ったのは、その触れ書きを持ってきたハンスだ。シュヴェーリンの傭兵隊で若手の筆頭格である。
気抜けするのも当然だ。大領主が傭兵追放を試みるのはどの国でも珍しくない。しかも、成功した試しはないのだ。
「それにしても、なんだい、その王ってのは。そんなもん、オルクセンにはいないだろ。いるのは皇帝だけじゃねえか」
若いオークがそう言ったのは、彼の無学のせいだけではない。「オルクセン王」とは、シュヴェーリンたちにもまだ耳馴染みない言葉だった。
「オーク王」ならば、ある。大昔、部族社会の頃にはじまった習わしだ。オーク諸氏族の長たちが集まって廟議し、各氏族が一票ずつの投票で、もっとも魔力に優れる者を推薦。最多の推薦を得た者を全氏族の王に戴いたのだ。しかしそれはオーク種族の王に過ぎず、オルクセンという土地の王ではない。
オルクセンは、神聖帝国の北部一帯を示す言葉だ。「オークどもの住むところ」という罵倒に近い呼び名がそのまま地方名になったが、その実は色々な種族が混住している。当然、国というまとまりではない。その大部分は神聖帝国領で、一部は隣国ポルスカ王国の領土である。
数百年前、この地を「浄化」せんと攻めてきた聖星教騎士団との壮絶な戦いを経て、オーク達は人族社会の影響を受けた。封建制を取り入れたのだ。有力なオーク氏族長たちは、生き残るため、強大な神聖帝国やポルスカ王に臣従して爵位を受け、領主となった。人族の君主はオークを侮蔑していたが、殺し尽くすのは労が勝ちすぎるから、戦奴隷を買うつもりで臣従を受けた。氏族長に仕えていた有力なオークたちは、臣従関係をそのままに騎士階級となった。
こうして封建時代を迎えると、オーク王の地位は、オーク領主の長老格に贈られる名誉称号と化した。王の権威の根拠であった魔力が、種族全体から急速に失われたという背景もある。今のオークが使える魔術は通信や療術だけで、それすらできる者は稀になった。
だからオルクセンに王などいないと、ハンスの認識はごく一般的なものだった。その事情が変わったのは、ほんの数十年前。それも名目だけのことだ。
「それがな、いるんだよ。皇帝に認められた王さまってやつが」
「王と言っても、領地はもたない王でな。ポルスカやグロワールの王とは違うがの――」
訳知り顔で、シュヴェーリンとゼーベックは若者に説明を始めた。しかしその二人にしても、王という言葉に実感はない。それぞれの事情で家督を継ぐことはなかったが、両名とも下級騎士の家の出である。幼い頃に受けた教えは染みつくものだ。皇帝というものは国にあっても、王と聞けば外国の領主という感覚が、未だ抜けがたく残っている。
オーク王が「オルクセンにおける王」と改まった契機は、神聖帝国によるイザベリア継承戦争への介入である。皇帝に仕える封建領主たちは、領土外への出兵は封建契約の範囲外だと渋りに渋り、多額の報酬を皇帝に要求したのだ。
悩んだ皇帝に交渉を持ち掛けたのが時のオーク王アルブレヒト、帝国貴族としてはヴィルトシュヴァイン辺境伯。通称、猪公である。オーク諸侯から出兵をとりつける代わりに、種族内でのみ通用した王号を公認するよう願い出たのだ。既に存在している名ばかりの王号を認めても、新たな封土はいらない。オークが宮廷に出入りすることはないし、人族と通婚するわけもない。
詐欺のような取引だった。皇帝は一枚の紙片によって一万近い軍勢を手に入れ、愚かな豚兵を安く買えたと喜んだ。一方のオーク王が差し出した軍隊は、その実、オークたちが飢饉を乗り越えるための口減らし同然だったから、それは二名の詐欺師による騙し合いだったかもしれない。ともかく、取引は成立した。
その結果が、帝国領オルクセン地方における王という、封土も封臣も持たない王号の誕生だった。その初代王となった老アルブレヒトが単に名誉を求めていたのか、何らかの深謀遠慮を備えていたのか、今となっては分からない。
確かなのは、初代王の死後、オーク諸侯の廟議に基づいて後を襲った二代目王が、その曖昧な称号を最大に利用したことだ。その呼称を根拠とし、オルクセン地方の統一事業に乗り出したのである。王は他のオーク領主たちを懐柔し、あるいは討伐していった。
「――だから、名ばかりの王様が偉ぶっているのさ。なに、俺たちみたいな傭兵隊をシラミみたいに潰してまわれるわけがねえ。粋がって格好つけている、それくらいのもんだろうぜ」
シュヴェーリンはそうまとめて、ゼーベックも頷いた。ハンスは幼な仔のような素直さで、すっかり納得してしまった。
それが一般的な認識だった。ほとんどのオークは、まだ気づいていなかった。時代が動きつつあることを。人族社会においてもその曙光を見せつつある強固な王制が、初めてオーク達の頭上に出現しつつあることを。
時代を急速に動かしつつある王の名は、初代王と同じ。すなわちアルブレヒト二世王である。しかし後代において、その王の呼び名はアルブレヒト大王。あるいは、魔王と呼ばれる。
「へん、根性なしの兵隊人形ども。俺の尻でも舐めやがれ」
城壁からハンスはそう叫び、ズボンを膝まで下げて、実際、尻を突き出してみせた。
途端、その尻にめがけるように城外から銃声が響いたから、慌てて胸壁の影に隠れた。すぐさまズボンを履く。その様をみて、他の兵達は城壁の各所に伏せながら爆笑した。
「へへ、とんだ変態の銃兵どもだぜ、大将」
まだ続く伍長の下品な減らず口に、シュヴェーリンはわざと大口を開けて笑った。伍長が伏せた胸壁の凸部、その何個か隣に身を隠している。
彼らが籠るのは、部隊の根城。不便な山中に数百年前に建てられ、久しく放置されていた古城である。崩れかけた
しかし――いま攻めてきている討伐隊は、そんなものではない。シュヴェーリンは胸壁の狭間から顔を覗かせ、城壁の下を見た。
時代遅れの古城を囲むのは、見たこともないほど立派な軍隊だった。
見下ろせば、攻め寄せたオーク兵はみんな揃いの制服を着ている。高々と角のように尖がった黒い帽子の頂点で、玉房飾りが揺れる。ぴったりとした紺の上衣は、首元の赤い折り襟と、無数についた金ボタンが華やかだ。上衣の下には黄土色のシャツ。同色のズボンを膝より高い革のゲートルで締めている。
かつてシュヴェーリンたちがエトルリア戦争で見たグロワール軍ほど派手ではないが、端正で動きやすそうな軍服だった。
その姿の兵士が、掴みで百ほどもいる。半ばはマスケット、半ばは長槍を持ち、いくつかの横隊を成している。木々に隠れて見えないが、奥には後続がいるようだ。
「何だ。あの隊列は」
「はあ? ただの横並びじゃねえか」
シュヴェーリンの独り言をまぜっかえしたのはハンスだ。戦争経験のない若者には何も見えていなかった。横隊の奥行はわずか三列でしかない。シュヴェーリンの常識より、エトルリア戦争の経験より、ずっと薄いのである。
――あれじゃ、交代射撃ができないはずだ。突撃をかまされたら終わりじゃねえか。数が足りないのか? いや、違うな。きっと何かあるんだ。
「おい、こっちもマスケットを撃ちかけろ。当たらなくてもいい。時を稼ぐんだ」
そう命じたシュヴェーリンの心は、闘争心よりも知識欲に満ちている。あの軍隊は何だ、知りたい。見せてくれ、教えてくれ。
「合点だ」
そうとは知らず、ハンスは数名の兵士を指揮し、自分でもマスケットを構える。
その動作の間にも、敵のマスケット兵たちは斉射を繰り返す。金色の縁なし帽を被った士官と思しきオークがサーベルを振り、号令を出している。それに従って兵たちは揃いの動作をする。筒先から弾を込める。火薬を注ぐ。棒で突いて固める。
かすかに違和感を覚えたが、その正体は分からない。
やがて手下たちが射撃を始めた。一応は斉射になっている。戦争にでるつもりで鍛えてきた成果だった。号令も教練も、エトルリアやグロワールの歩兵並みを目指して仕込んであるのだ。
しかし――シュヴェーリンは胸壁の内側に張り付き、射撃の回数を指で数えた。左手は手下たち。右手では敵の射撃を。
城壁の上から、下から、銃声は繰り返す。距離があるから、容易に命中はしない。弾は石壁にあたり、地面にあたり、小石と土を弾けさせる。まだお互い、牽制の段階だ。
「いち、にい…さん。三発。やっぱりだ」
彼我の射撃速度に大差があった。手下たちが二回射撃する間に、敵は三回も撃ってくる。手下たちが遅いのではない。敵が異常なのだ。
――これじゃ、勝ち目がねえ。距離が詰まったら、一気に撃ち負ける。一体、どういうことだ。
シュヴェーリンは我知らず、恐れながらも目を輝かせている。
――もし、あんな兵隊を率いて戦えたら。銃だけで敵の隊列を櫛抜けにしちまえる。そこで長槍隊を突っ込ませれば。その先頭に俺が立ったら…
戦いの渦中にあって、一瞬の妄想に浸っていた彼の前に、階段から輜重隊長が姿をみせた。当然、姿勢を低くしている。シュヴェーリンは長年の相棒に尋ねた。
「ゼーベック、牝どもは逃げられたか」
「ああ、裏門から間道をいかせた。日が暮れるまで粘って、俺たちもずらかろう」
「厳しいな。馬がいる」
シュヴェーリンは指さした。銃兵の横隊からずっと後ろに、五、六騎の騎兵が姿を現していた。オークを乗せられる大飯食らいの軍馬を揃えるとは、なかなかできることではない。小規模ではあっても、戦争向きに整えられた、敵はまともな軍隊だった。
ゼーベックは表情を硬くし、すぐさま言った。
「なんて敵だ。シュヴェーリン、ここは、いっそ…」
「ああ」
勝ち目はない。いっそ、降るか。布告には、殺しをやった者は斬刑、とあった。しかし、このところの彼らが殺したのは傭兵か山賊だけだ。村人には手をだしていない。それなら、早めに手をあげれば、命までは取られないかもしれない。昔のように帝国追放刑くらいで済むかも――と、シュヴェーリンは覚悟を固めた。
彼が射撃中止を命じようとした、その時のことである。
城壁の狭間から一際乗り出して構えていたハンスが、後ろに弾かれたようになり、どう、と倒れた。
「い、い、痛ぇ。血が、血が…」
見れば、伍長の腹に穴が空いている。そこから止めどなく赤い血が湧いて出ている。
「と、止まらねえ。畜生。痛ぇ。し、死んじまう。嫌だ、嫌だ」
シュヴェーリンとゼーベックは姿勢を低くし、若オークのそばに駆け寄った。
「しっかりしろ。大丈夫だ」
シュヴェーリンが傷を押さえる。ゼーベックはハンスのマントを引きちぎり、包帯がわりにする。それを巻いても、しかし血は一向に止まらない。敵が次の銃声を鳴らした時には、伍長のシャツとズボンはもう真っ赤だった。
「し、死にたくない。助けて、大将。助けて。ああ」
――畜生、こんなに餓鬼だったのか。
牙をがたがたと鳴らし、怯えてすがりつく部下をみて、彼は内心で憤った。死にゆく部下の姿は、あまりに幼かった。
「助けて。大将。助けてくれ。置いていかないで」
置いていかないで。若オークは、ずっと幼い頃にも、そう叫んだに違いない。亡びた村に置き去りにされた孤児。それがハンスだった。見かねて拾ったシュヴェーリンは、しかし、彼を助けたといえるのか。
「さむいよ、とうさん」
それが若いオークの最期の言葉になった。後は白目をむき、小刻みに震えるだけだ。握った手も冷えてきた。まもなく死ぬと、そう分かった。
――教えてやれたのは、荒事だけだ。剣の振り方。銃の撃ち方。盗みに、脅し。騎士どころか、兵士にもしてやれなかった。山賊一匹を作っただけだ。その挙げ句に、これか。
寄る辺を無くした幼な仔は、そんな彼を親のように頼んで生きたというのに。
彼は決意を固め、そして叫んだ。
「撃ち方、やめ! やめだ。撃つな。もう撃つな」
何度か繰り返す。散発的に続いていた射撃がやっと止まった。
「シュヴェーリン」
ゼーベックが声をかけたのは、降伏の算段を決めるためだろう。しかしその途端、銃どころではない轟音が襲った。石壁が揺れる。
「あいつら、平射砲まで持ち込んでいたか」
その姿を見もせずに、ゼーベックは毒づいた。以前のエルトリア戦争でその音を何度も聞いたことがあるからだ。彼らから十
攻城軍は喚声をあげ、槍をつらねて突っ込んできた。石垣の崩れ目から突入しようというのだ。もう猶予はない。
「ゼーベック、おめえ、手下どもをまとめて、逃げろ。無理だったら降れ」
「ああ? お前…」
長い付き合いの牡は、すぐに察したようだった。たちまち血相を変える。
「ば、ばか」
やめろ――という相棒の声を、シュヴェーリンは背中で受けた。背負っていた両手斧はもう手の中にある。
城壁の上を駆け、できたばかりの割れ目に向けて飛び降りる。落下しながら斧を振り下ろす。
おお、と吼えた怒号の矛先は敵か己か、彼自身にも分からない。
しかし斧の狙いは確かだった。崩れた石垣に足をかけた槍兵の兜に当り、めり込んで頭蓋を潰した。
同時に着地する。間髪入れず、今度は斧を横薙ぎにして、次から次と兵どもの胴を薙ぎ、首を飛ばした。兵どもは悲鳴を上げる間もない。血しぶきだけが舞う。
狙いは一つだ。銃兵たちの奥に、もう一群の槍兵たちがいる。やたら大柄なその槍兵たちの奥に、騎乗姿が一つ見える。騎兵隊からは離れて、ただの一騎だ。気障なことに赤マントを羽織り、頭には白縁取りの三角帽子。あれが敵将に違いない。
その首を。せめて仇を。哀れな息子へ、最後にやれる手向けだ。親父なら、たとえ死んでも、それくらいはやってやる。
おお、と再び吼える。切り落としたばかりの敵兵の頭を投げつけ、その後に続くように銃兵横隊に躍りかかる。装填はまだされていない。距離は二十歩もない。ならば突撃の間合いだった。
銃兵たちはマスケットの先につけた小さな銃剣で彼に立ち向かおうとするが、まったくの無駄だった。銃剣数本を斧の一払いで飛ばし、隊列を割って、文字通りに血路を開く。血よりも遅くあがった悲鳴を背中に受けて、更にシュヴェーリンは突進する。さながら、血の旋風だ。
次に彼の道を阻もうとしたのは騎兵。輓馬にオークが跨って、その上背は大柄なシュヴェーリンでも見上げねばならない。上から振り下ろされる剣や槍は、歩兵にとって大きな脅威だ。容易に頭を狙われる。
しかし、一応は騎士の生まれである彼は、並みの歩兵ではない。騎馬の突進にも怖じずに、地に伏せるように姿勢を低くする。衝突直前でわずかに体をかわしながら、斧を横薙ぎにして騎馬の足を払った。太い脚を一撃で断たれた輓馬は、つんのめって転げ、投石器のように騎手を空中に投げ出した。
一騎がたちまち倒されて、残る騎兵は動揺した。囲むか、突っ込むか。そう迷うわずかな隙で、シュヴェーリンには十分だった。退路はもとより、無い。ただ一撃をくれてやれれば、それでいいのだ。
赤マントの敵将に向けて迷わず突進する。大柄な護衛たちをほとんど一瞬で切り払う。斧を両手で脇に構え、死ねや、と叫びつつ、馬上の敵将を斬り上げる――そのはずであった。
地面を蹴って踏み切ろうとした、その右足が動かない。そのせいで突進の勢いのまま、彼は転倒した。歴戦の戦士にはあり得ぬ無様さだった。すぐに起き上がろうとするが、今度は全身が石のようだ。
――なんだ、どうなってる。
唯一、動かせた顔を敵将に向ける。存外に、上背はない。だが小兵でもない。不格好に肥えているのだ。剣を抜きもせず、ただ右手を突き出して、その手の平を彼に向けている――その手が、みるみるうちに巨大化した。
世界が急速に歪む。一瞬前まで不格好だった騎乗の将は、いまや天まで届く巨人のようだった。
突如、頭を締め上げる猛烈な痛みが襲い、彼は悲鳴をあげた。
――こいつはなんだ。熱い。苦しい。割れそうだ。
途端、体の下で地面が微塵に砕けた。彼はみるみる地の底へと落下した。
ああ、ああ。悲鳴は虚しく響き、シュヴェーリンは果てしない闇に包まれた。
山塞を離れて街に向かう街道を、一台の荷馬車が進んでいる。ポクポクと歩む馬を御して、コボルト商人はため息をついた。
「はあ、なんだって、こんなことになりますかねえ」
「いいじゃないかい。食い物だって武具だって、気前よく引き取ってくれたんだから。まったく、若い牡が、うじうじしてちゃあ、いけないよ」
むっとして、彼は荷台を振り返った。
「商人はね、物が売れればいいってもんじゃ、ないんですよ。お客といいお付き合いがしたいんだ。それを、何です。やい、あるだけ全部買ってやるから、さっさと出ていけなんて。あんまり薄情じゃありませんか。おまけに、お姉さん方だ」
その文句は十倍になって打ち返されてきた。
「おまけとは何だい」
「どうせ売り切れで、空の荷台だろ」
「こんなに花いっぱいで、いい身分じゃないか」
荷台いっぱいに座るオークの牝たちの合唱だった。
コボルトはまた溜息をついた。彼は品という品を買い上げられる代わりに、傭兵隊についてきていた娼婦たちを押し付けられてしまったのだ。彼女らがコボルトの牝ならば商人の心は浮き立ったかもしれない。でもあいにく全員オークだから、彼には用も無ければ縁も無い。騒がしいだけの旅路だった。
牝たちの中でも年かさの、まとめ役がまた言った。
「それにね、あんた。シュヴェーリン親方の気持ちが分かんないかねえ。守ろうとしてんだよ。あんたや、あたいらを」
「やっぱり…今度は勝てないんでしょうか? あんなに強い隊長さんなのに」
「さてね。親方はこのところ、ずっとしょげていたからね」
「そうでしたか?」
コボルトは驚いた。あの豪放な隊長がしょげていたとは、どういうことであろう。
「まあ、牡にはわからないさ。まったく、惜しいことしたもんさね。あんないい部隊、滅多に無いんだよ」
煙に巻かれたようだが、商人も頷いた。考えてみれば、この寒い世の中をさまよっているのに、誰もが陽気な隊だった。あの隊長について行けば大丈夫だと、どの兵士も信じていたからだろう。
「それで、どうします? 街についたら、娼館にかけあってみますか」
「あんた、仕入れが終わったら、一応、また根城に戻るんだろ? あたいたちも連れて行っておくれよ」
「もう誰もいないかもしれませんよ」
「それを確かめなきゃ、目覚めが悪いじゃないか」
「まあ、それはそうですね…」
――やれやれ、兵隊の相手なんて、本当は御免なのに。稼ぐだけ稼いだら、早くメルトメアに帰りたい。そして自分の店を出すんだ。武具の扱いに慣れたから、金物屋なんか、いいかもしれない。それなのに、なぜだろう。あの隊長の部隊になら、また付いて行きたいと思うなんて。
本当に、珍しい傭兵隊だった。部隊から金を吸い上げるのが仕事の、酒保商人の自分や雌たちまで温かな雰囲気に巻き込んで、大家族のような気分にしてしまった。彼はしぶしぶ、それを認めた。
「しょうがない、そうしますよ」
「ありがとうよ! なに、街でいる間のあたいらの食い扶持は、心配しなくていいよ」
皆、喜んだようだった。また溜息を一つついて、彼は馬に足を止めさせた。
ごく小さな村についたのだ。藁ぶきの家が五軒ほどの部落。しかしその内実は、遠くから見て予想していた通りのようだった。
「ここも、駄目みたいですね」
村内は寒々しかった。村人の影もみえない。傭兵に襲われたか、不作のためか、はたまたその両方か。とっくに離散した村のようだ。しかし、家は残っているし、恐らく井戸も使えるだろう。
「今夜の宿くらいにはなるでしょう。適当な家を見繕ってください」
雌たちは続々と荷台をおりていった。
「あ、あんまり荷物は増やさないでくださいね」
背中に声をかけたが、その効果は自分でも信じていない。わいわいとお喋りしている彼女たちが、小柄な彼の声をどれだけ真剣に聞いているか怪しいものである。彼はしぶしぶと馬の世話を始めた。
あっ、という声が聞こえたのは、その後、間もなくのことだ。この小村の中では一番大きな家からである。
「生きてる、生きてるよ」
「あれ、可哀相に」
「水を、何か食べ物を」
「あんた、足をもって」
騒ぎ立てる牝たちが運んできたのは、オークの仔のようだった。見るからに衰弱している。
「生き残りですか」
「そうなんだよ。この村、飢えて滅んじまったみたいだ。親も死んじゃって、こんな小さい仔じゃ、どうしようもなかったのさ。可哀相に。あたいらで面倒をみなきゃ」
「待って、連れて行く気ですか?」
「そうだよ。悪いかね」
「だって、荷物は増やさないって」
「荷物だって! 何て言い草だい。仔は宝だよ、産みたくたって、そうそう産めるもんじゃないんだからね」
一斉に睨みつけられて、彼はたじたじとなった。娼婦たちは続けた。
「なあ、世話はあたいらでするからさ。何なら荷台をこの仔に空けて、交代で歩いたっていい。お願いだよ」
「うーん…」
仕方ない。言い分を聞かないと、小柄なビークル種の自分など、彼女らに取っちめられてしまうかもしれない。彼は、そう自分に言い訳をした。
「し、仕方ないですね。とりあえず、何か食べ物を。いきなり普通のものは駄目ですよ。水みたいに薄めた麦粥がいいんです」
薪だ、鍋だ、井戸はどこだと、雌たちは忙しく立ち働きはじめた。
彼女らとて、明日をも知れぬ命である。旅から旅の間に、傭兵や賊に襲われるかもしれない。あるいは病や事故に遭えば、医者にかかる金はない。こんな暮らしで長生きはできないと、とっくの昔に諦めている。
そんな彼女たちだからこそ、小さな命は助けたいと思ったのだろう。自分たちは死んでも、命は未来につながっていくと、そう信じていたいのだ。
運ばれる仔オークの眼は虚ろ。自分が助けられたことも、まだ分かっていないようだった。その渇ききった喉が、か細い声で何事かを呟いている。しかし、あまりに小さい声だから誰も気づかなかった。
もしも、その口もとに耳を寄せる者がいたなら、「かあさん、かあさん」と繰り返す呻きの声を聞いたであろう。
(第三話「魔王あらわる」終わり。
次話「抜き身のつるぎ」に続く)
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