気の早いカラスたちが頭上を旋回している。戦場であった泥濘地には呻き声が満ち、風は生臭い。
大勝利に終わったワーレンシュタットの会戦の直後、シュヴェーリン大佐と彼の兵たちは、再び泥にまみれていた。負傷兵たちを急いで回収するためである。
「おおい、しっかりしろ」
「お前、足をもて」
「ああ、こいつは駄目だな」
兵たちは生き残りを探し、運ぶ。だが足取りは重い。戦闘が終わってから、休憩を挟んだのみで、まだ何も口にしていない。回収と治療の早さが戦友の生死を分けるからだ。
しかし、戦闘で疲れ切った兵たちの動きは遅い。誰もが「自分が手を止めている間に、誰かが仕事を終わらせてくれないものか」と思っているに違いない。
「おい、こっちじゃ。生きとるぞ。誰ぞ来い。早う!」
シュヴェーリンはそんな兵たちを監督し、声をかけ、時には入り混じって負傷兵を担ぐ。そんな連隊長は彼くらいである。そのような点が彼の信望の所以だった。
しかし、シュヴェーリンがそうして兵を熱心に監督するのには、もう一つ秘めた目的がある。品定めである。
皆がノロノロと動く中でも、黙々と働く少数の兵がいる。まわりを叱咤し、規律と明るさをもたらす下士官もいる。シュヴェーリンはそんな者たちの顔を記憶するよう努めた。
逆もしかりである。戦いの前には威勢がよいことを言い、戦い終われば「俺は何人倒した」などと吹聴する武勇自慢は珍しくない。そのような兵が、手柄にならない戦闘後の作業はだらけていたりする。シュヴェーリンは、連隊長の立場から敢えて叱りはしない。が、そのような者を下士官に引き上げることは決してない。
戦闘中、前線に立つ彼が部下一人一人を見ることはできない。しかし、兵の性根を見極めるには、むしろ戦いの後の方がよかった。難しいのは、千六百にもなる部下の名前と顔を覚えることだ。特に平民の兵隊は同じ名前が多く、紛らわしい。
――ええと、あいつは第二大隊の第一中隊のゲオルグか。よく働いてるな。似たようなツラで、さぼっていた方は第三中隊のゲオルグだ。その親父も同じ名前だが、そっちは第一大隊の下士官だから…。
相棒のように、帳面に字を書き付けられたら、楽なのだろうか。シュヴェーリンは足先の泥を振り払いながら思った。
思えば、彼の父も文字が読めなかった。古風な騎士だったから、文字を習うなど文弱の徒のすること、騎士には恥だという主義だったのだ。
しかし、いま軍人となったシュヴェーリンに、文盲は重しになっていた。彼の下にいる大隊長、中隊長はたいてい読み書きができ、今も帳面にあれこれと書きつけている。彼は、せいぜい暗記に努めねばならない。細かい数字は副連隊長に任せるとしても、部下の名前と個性はできるだけ自分で把握していたかった。
強い軍隊を作れるかどうかは、誰を高い地位に登用するかにかかっているというのが、傭兵時代からのシュヴェーリンの信条なのだ。
そして、自分自身も評価の例外にはしていない。
「ちっ。こいつも死んじまったか」
部下の死骸に群がるカラスを足で追い払うたび、彼の胸に苦さが込み上げる。連隊長たる彼の指揮ぶりがもっとよければ、死傷は減ったはずなのだ。
やがて彼は陣営内に着いた。運び込まれた負傷兵たちが治療を受けている。
「や、やめろ。切らないで!」
「痛ぇ。まだ終わらねぇのか」
地面に並べられた負傷兵たちが悲鳴を上げている。治療にあたっているのは手先が器用な他の兵たちと、軍についてきている牝たちだ。傷を洗って泥を落とし、布を巻く。弾が残っていれば、肉をナイフで切って取り出し、縫い合わせる。骨が折れていれば添え木。手に負えない傷なら、腕や足ごと切り落とす。充実した治療といっていい。
事前の準備のたまものである。他の連隊ではこうはいかないのだ。針と糸、布をあらかじめ豊富にそろえておかねばならない。さらに難しいのは、水だ。泥水や腐った水で傷を洗っては仕方がない。そこで彼の連隊では、水が手に入らない時は麦酒で洗え、と命じてあった。麦酒は遠征中の飲料だから、輜重隊が樽で持ち運んでいる。シュヴェーリンは、治療のためならいくらでも使えと命じてあった。
「おっと、こっちにも呉れ」
「俺にも頼むぜ」
そう言って口を開け、牝たちに麦酒を注いでもらおうとするのは、負傷兵にしても余裕のある連中だ。
一方で、足や腕を失って、まだ意識がある者は、悲痛な泣き声をひたすらにあげている。
それらの顔色と傷の具合を見回り、声をかけてまわっているうちに、シュヴェーリンはゼーベックに出会った。副連隊長も同じことをしているのだ。違いは、帳面を持っているかどうかである。
「おう、どうだ」
シュヴェーリンは一言だけで聞いた。
「百ばかり、どこかで引っ張らにゃ、ならんな」
長年の相棒は迷わず答えた。兵の補充のことを言っている。
「そんなにやられたか」
相棒と一対一になって、シュヴェーリンは初めて顔を暗くした。死者と、数カ月以上は復帰できない負傷者の分、穴が生じている。連隊は総員で約千六百名だから、百といえば少ない損害ではない。会戦で第一戦列に立った結果だった。
しかし、死傷だけが原因ではない。副連隊長は、長い眉を悩ましげに掻きながら補足した。
「いや、三十ばかりは脱走だな。勝ったから、ひょっこり戻ってくるかもしれん。そうしたら…まあ、鞭打ちで勘弁してやってくれ」
「そうせにゃ、ならんか」
シュヴェーリンの価値観からすれば、戦いの前に逃げ出すような兵は斬って捨てたいところだ。しかし、そうもいかなかった。
「仕方ない。徴兵は他の連隊に取られてばっかりだ。本当に落伍した奴との見分けも、どうせ、つかんのだしな」
ゼーベックの言葉に、彼は頷いた。
王の徴兵令はどの街、どの村にも通達されている。各連隊は必要に応じ、どこからでも徴兵してよいとされている。しかし実際には、遠慮なく徴兵できるのは王の直轄地でだけだった。
他の土地には古くからの領主がおり、農民はたいてい彼らの農奴、つまり私有物だからだ。兵隊向きの若者は、その土地を領する貴族の連隊長がまとめて取っていく。他の連隊が兵を譲って欲しければ、礼金を払うのが常態化していた。となると、領土も金もないシュヴェーリン連隊は分が悪い。
ゼーベックは続けた。
「兵もそうだが、将校の補充はアテがつかんな。傭兵時代のツテも種切れだ」
この時期の星欧において、将校は騎士階級以上というのが常識である。能力のある平民を抜擢などしたら、同じ平民出に指揮をされる他の兵が納得しない。実際、騎士の仔は家庭で軍事教育を受けているから、能力的に将校に向いている。いうところの「武門の習い」だ。しかし、そんなオークはどこの連隊も欲しがり、たいていは領主の地縁血縁で引っ張られる。
つまりこの時期のオルクセン軍は、まだ封建時代の遺風が色濃いのだ。大領主が連隊長、中小の地主貴族や封土なしの騎士が将校と、それぞれ看板を変えただけで、実体は鎧兜の昔からあまり変わっていないのである。
となれば、シュヴェーリンはまた頷かざるをえない。
「連隊長が根無し草じゃからなあ」
シュヴェーリンは下級騎士の出で、しかも孤児の傭兵あがり。いくら武名があっても、部下を引っ張ってくるあてはない。
先々、どうするか――と、ありもしない解決策を探すように頭を巡らすと、見慣れぬ仔オークがいた。頭をかかえ、天幕の陰でがたがたと震えている。
「おい、何してる。うん? 誰だ、おめえ」
仔は震えるばかりで答えない。代わりに仔の素性を教えたのはゼーベックだった。
「そいつか。輜重隊の牝たちが世話してるボウズだ。村で拾った孤児らしい」
兵士は生活していかねばならない。生活に伴うあれこれをほぼ外部委託しているこの時代の軍隊は、商人と娼婦を尾のように引き摺って歩むのである。傭兵隊が連隊に変わっても、その点に差はない。
「ふうん。おめえ、座ってないで、ちゃんと働かねえか。おい、名前は」
孤児はシュヴェーリンに怯えながら、手に持つ木の枝で地面をひっかいた。
文字。地面に書かれたそれは、シュヴェーリンには模様にしか見えない。
彼は思わず、仔オークの尻を軽く蹴飛ばした。よほど手加減したつもりだったが、それでも蹴られた仔は勢いよく転がった。
「いいか、ボウズ。軍隊について来るってんなら、おめえも部隊の仲間だと思え。まわりを見ろ。口がきけなかろうが、できる仕事を探せ」
仔オークはぶんぶんと頷くと、逃げ出すように駆けて行った。
「ちっ。ガキまで馬鹿にしやがって」
胸中のむかつきとともに唾を吐き捨てた。
その耳が、馬蹄の音を聞いた。見返すと、将校が一騎、速足で近寄ってくる。オルクセン軍には極めて珍しい中型馬。騎手はコボルトだ。赤みがかった金の毛並みは、レトリバー種のそれである。オークばかりの陣営内で、そのコボルトを知らぬ者はいない。目立つ姿の上に、重要な役付きだからだ。
颯爽と下馬して、コボルトは礼儀正しく挨拶した。
「シュヴェーリン大佐どの」
「侍従武官どの」
シュヴェーリンも丁寧な挨拶を返す。相手は新参者だが、王の側近である。
「おやめください、大佐。小官は新参者。それも中佐に過ぎません」
嫌みのない微笑とともに、コボルトは遠慮を示した。育ちがいい牡なのだ。とあるコボルトの自由都市の出身で、そこでは警備隊長をしていたという話だった。都市が王に帰属した時に登用され、侍従武官という新しい役職に抜擢されたのだ。
以降、常に王の傍らに侍り、使者や記録など、あれこれと働いている。慎ましい態度と機敏な働きぶりで、オークたちの当然の妬みを抑えている。
「では、アンハルト中佐。ご用件を承りたい」
「良い知らせです。ワーレンシュタット市が開城を決めました」
彼らオルクセン軍が包囲中のポルスカの都市のことである。
「ほう、それは早かった」
「大勝の成果ですな。ついては、供出させた食料の配分があります。大至急、市門まで馬車二台を寄越すようにとの王命です」
「かしこまった。ゼーベック」
振り向くと、副連隊長はもう部下を手招きしていた。
「馬車はもう空けてある。おおい、輜重隊長」
手早い指示を受けて、輜重隊長は兵を連れて駆けて行った。
「お速いですな」
大げさに見えない程度に感心を示した侍従武官に、ゼーベックは答える。
「他の連隊に取られてはたまりませんからな。携行糧食はあと五日分ですから」
「五日ですか? てっきり三日分ほどかと。どこの連隊もそのくらいです」
それがオルクセン軍の実情だった。肝心の戦闘では大勝を博したが、戦争全体としては薄氷を踏むようなものであった。なにせオークはよく食べる。大軍の遠征は容易ではない。さりとて、できる限り大兵力を連れて行かねば、勝利はおぼつかない。そのぎりぎりを狙った王の計算が、辛うじて成功したのだった。会戦に勝ちながら追撃や占領地の拡張を断念した理由は、騎兵の足の遅さだけではない。
そんな中で、シュヴェーリン連隊は糧食に多少の余裕があり、負傷兵に使う包帯類も十分にある。副連隊長の手腕だった。
「うちは馴染みの酒保商人がいますから。行軍途中で何度か買い足せました」
「それは、よい工面をなさる。丁度よいところで落ち合うのは簡単ではないでしょう。副連隊長どの、ええ…失礼ですが?」
「ゼーベック中佐です。侍従武官どの」
副連隊長は、多少誇らしげに名乗った。裏方仕事をシュヴェーリン以外から認められるのは珍しいことである。
侍従武官は頷き、シュヴェーリンに向き直った。
「連隊長どのには、夕刻から本営で祝宴があります。そちらにも大至急、来られるように、との仰せです」
時刻はまだ昼下がりだ。シュヴェーリンは微笑を浮かべた。
「かしこまった。そちらは、いつもの大至急ですな?」
侍従武官は微苦笑で応じた。
「はい、夕刻までにおいでくだされば結構です。それでは小官はこれにて」
どんな命令であれ、至急、大至急、と付けるのが王の癖なのだ。ただし、遅れると王の癇癪ぶりは尋常ではないから、やや早めにいくのが無難ではある。
敬礼を交わすと、コボルトは騎乗して颯爽と去っていった。各連隊を回るのだろう。一所には長居できないが、それでも都度下馬し、いくらか会話を交わしていくところが、アンハルト中佐の常であった。
――俺の連隊にも、ああいう気の回る奴を、どこかから引っ張れんもんか。
シュヴェーリンは王を羨んでいる自分に気づき、慌てて首を振った。
「ほう、あのガキ、なかなか大層な名前を持っとるじゃないか」
そう言ったのはゼーベックだ。先ほどの仔オークが地面に書いた文字を見ている。
その相棒の様を見て、シュヴェーリンは気がついた。戦いの後、部下の補充に頭を悩ませ、品定めをするのは、自分だけではないのだ。
彼もまた、王に見られているに違いない。
連隊長の胸中を知ってか知らずか、ゼーベックは一人ごちた。
「あのボウズ、グスタフ・ファルケンハインというそうだ。まるで貴族か、王様みたいな名前じゃないか」
シュヴェーリンは上の空で相槌をうった。王の祝宴のことが気になっている。比べれば、孤児など何処にでもいる。その名前が何であれ、彼に関わりのあるはずがない。
(次話「汝、麦酒か、ぶどう酒か」に続く)