今回は実際にあったけれども本編未収録なワンシーン
退院? してよしと先生から言われたのが昨日のこと。嬉々として僕らは部屋に戻って、懐かしい生活を送ってぐっすりと念願のフカフカベッドで就寝した。
規則正しく起きたその時、異変は既に起きていた。
「か、かん……ざし、さん?」
「んぅ」
オーケー。まずは現状把握からだ。何事も知ることが大事。
僕は昨日自分のベッドで寝た。二ヶ月近く留守にしていたのに埃一つなかったことに感動してお礼を言ったから間違いない。それでお互いのベッドにもぐりこんで、僕が電気を消した。うん、間違いない。
そのあとは特に夜中起きることも無かったし、夢遊病を持ってるわけでもないので、勝手に移動したってことも無いはずだ。
ということはつまり。
簪さんが僕のベッドにもぐりこんだ事になる。
しかもこんな時に限って服が乱れたりしてるから困った。掛け違えたボタンの隙間からは白く透き通った柔肌が覗いており、たるんだ下着の紐と、意外と深い谷間の破壊力ときたらヤバい。防御力の高い簪さんだけに攻撃力が倍プッシュ。僕も男の子だからね、そりゃ落ち着かないさ。
彼女は寝付きも良ければ目覚めも良い。身じろぎして起きたらこの状況どう思われるだろう? 控え目に言って死刑だ。更識さんから。きっと黒いガムテープを使って局部と少々の肌を隠しただけの変態スタイルに仕上げられて、学園沖の星型特設ステージで脇を晒しながら踊らされる公開処刑が待ってるに違いない。
なので目を覚ましたは良いものの、僕は身体を起こす事が出来なかった。
困った。そろそろ起きたい。お腹もすいたし、久しぶりの自室で思う存分くつろぎたいんだ。こんなラッキーを堪能するのも悪くないけど、それをやっちゃうと彼と同類になる。それは嫌だった。
「よし」
意を決して身体を揺さぶる。間違いは起きてない。本当だ。だったらそれを真摯に伝えよう。きっと分かってもらえるはず。
「ぁっ…」
「ぐはっ」
突如漏れた艶やかな声が僕の体力と精神力を大幅に削る。ごっそりと。
それは卑怯だよ! はだけた衣服、無防備な姿、熱のこもったなまめかしい声、上気した頬、荒い息……
ん?
もしかして、と思った僕は今までの慎重さを捨ててすっと右手を伸ばして額に当てる。
「あちゃあ」
熱が出ていた。
どうやら簪さんは風邪らしい。
「こりゃ風邪だね、うん。引き始めだし、薬飲んで養生してればすぐに治ると思うよ。はいこれ、毎食後に服用ね」
「ありがとうございます」
昨日の今日でとんぼ返り。先生もびっくりしていた。ぼーっとしている簪さんに代わって、先生から処方箋を受け取る。僕も良く知ってる、風邪をひいた時に飲んでいた薬だ。
「あの…養生するって、どうすれば?」
「ん? あぁ、そうねぇ。無理はしない、寝る、胃に優しい食べ物を取る、水はこまめに飲む、とか? 冷やすのもあまり良くないし、付き添ってあげるのも大事ね。裸で抱き合っこでもすれば?」
「ぶふぅっ!?」
「げほっげほぉ!?」
にやり、と意地悪な笑顔でトンデモ発言をかました先生。僕らは揃ってむせかえってしまった。
「だ、大丈夫?」
「なんとか…」
真っ赤な顔で弱々しく返事する簪さん。肩に手を添えて優しく背中をさする。
「変なこと言わないで下さいよ!」
「そんなに変な事言ったかしら?」
「言いましたよ!」
「おかしいわねぇ……病気の寂しさと、冷えさせずにリラックスできるかなり有効な方法だと思うんだけど? もしかして…コッチ?」
「違いますから! 駄目でしょう、色々と!」
「良いに決まってるじゃないー。あ、でもね、ヤってもいいけど感染されないように」
「わざとですか? わざとですよね?」
私、楽しんでますって顔を貼り付けた先生も、手はしっかり動かしている。問診票らしき紙に、先生らしい崩した丁寧な字をさらさらと連ねていく。
「君は思ってたより元気そうね。痺れはない?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ尚更チャンスでしょ!」
「帰ろうか」
「うん」
何故かいきなり怒り始めた先生は無視する事が決まり、僕らはさっさと退散すべく軽くなった腰を上げる。
ここの先生、腕は確かなんだけどなぁ。診察がわりにからかわれるのがなぁ。もっと端的に言うなら僕で遊ばないでほしいなぁ。
病院が長かった僕は医者を見てきたけど、彼女は凄腕の部類に入る人だ。世界中の秀才が集まる学園で健康管理を預かるというのだから、確かな実績と信頼のある人物なのは間違いない。診察室には英語やらドイツ語がずらりと並んだ証書が高価そうな額縁に納められているし。以前僕が発作を起こして倒れた時の初期対応は真剣そのもので目を疑った。
「更識さん」
「……はい」
そんなに警戒しなくても…。
「具合が悪くなったり、良くならない時も直ぐに私のところに来なさい。なんなら真夜中に教職員寮に来てもいい」
「え、さすがに、そこまでは…」
「貴女には一秒でも早く回復してもらわないと困るのよ、学園も日本も世界も。どうして男と同室なのか忘れたわけじゃないでしょう?」
「そ、うですね…」
「それに、変な虫が彼の周りをブンブン飛びまわるのって結構ストレスになるよ? そういう奴らに留守を好き勝手されたり、領分を侵されたり、しまいにゃ連れ去られた日には…」
「……ひぃぅ」
先生のおかしな誘導をそのまま想像してしまったのか、簪さんはおかしな声を挙げてガタガタと尋常じゃないレベルで震え始めた。どれくらい尋常じゃないかと言うと、丸イスから振動が伝わって本棚の上に飾ってある証書が音を立てるくらいには。
大丈夫かなこれ?
「気のせいですかね? 悪化してません?」
「そう?」
「ここは私の居場所ここは私の居場所」ガチガチ
「ちょっと!?」
「気にしなくても大丈夫よ。これはね、れっきとした治療よ治療。身体が震えれば体温が上がってウイルスを倒す力が上がるから」
「それは知ってますけど僕が言いたいのはそういうことじゃありませんのですが!?」
「先生ありがとうございました。銀、私今直ぐ部屋に帰って治すね」
「消化に良い物食べて、栄養ドリンク飲んであったかくして寝るのよ~」
「はい」
……え、いいの? いや、まぁ、簪さんが良いならいいんだけど。上手く表現できないけど、のせられた挙句遊ばれてるって感じてるのは気のせいなのかな。好意や心配の隙間から色々とだだ漏れなの、気のせいなのかな。
「お大事に~」
簪さんの体調には十分気をつけないと、二周回って僕が疲れる事を知った一日だった。
翌日
「ん~~~。快調」
「良かったね」
「うん。先生から貰った薬とドリンクが良く効いたみたい」
「そっか」
宣言通り回復に努めた簪さんは、風邪をこじらせることなく見事一晩で完治した。表情もスッキリしており引く前よりも元気を感じる。
「じゃあ、余ったの貰っていい?」
「……うん」
そして案の定、僕は感染されたのであった。期待を裏切らないというか何と言うべきか…。
手を借りて上半身を起こしコップと薬を受け取り、迷わず一回当たりの錠剤を取り出して水で流しこんだ。昨日は僕が受け取って看病したんだ、用法用量は覚えてる。
一息ついてまた寝かせてもらう。
「ありがとう」
「ん」
簪さんは……少し微笑んでいた。
「…どうしたの?」
「え?」
「いや、うれしそうだなって」
「あ……ゴメン。ちょっと不謹慎なこと、考えてた」
どうやら良からぬことだったらしい。反省したように、ベッド脇のイスに腰掛けて口を開いた。
「銀が看病してくれて嬉しかったし、新鮮だったんだけど、やっぱりこうがいいなって」
「こう?」
「うん。銀がベッドにいて、私がイスに座ってる。今が落ち着くし好きだなって、そう思ったの」
「あはは」
確かに、普段の僕らとは逆の立場だったからちょっと新鮮味はあった。いつもして貰う側だったから何が嬉しいとかしてほしいのか分かってるからそうしたし、看病って大変なんだなって再認識したっけ。
「反省する様な事じゃないって。僕もたまにでいいかなって思う」
「本当?」
「本当。嫌いじゃないけど、脇で見守ってくれたり手を握ってくれてる元気な簪さんの方が安心するよ」
「そっか」