僕の心が染まる時   作:トマトしるこ

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名前出した事があったような、無かったような、銀のお姉ちゃんの話。


名無水楓

目覚まし時計のけたたましいアラームが私の意識をぐいっと一本釣りした。それはもう勢いよく。とてもいい夢を見ていただけに、早朝の会議が入っている日であれば微睡んでいるからと適当な理由をつけて殺意を込めたチョップを決めるのだが、今日だけは勘弁してやろう。

 

そう、何と言っても今日は家族旅行の日。多忙な両親が頑張って仕事を終わらせて作った連休に、家族水入らずで旅行に行こう、という一大イベントなのだ。

 

ブランケットを蹴飛ばして飛び起きた私はシャーっとカーテンを開けて、窓から新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。朝日も浴びて、いよいよエンジンもかかってきた。

 

「よし!」

 

机の上に出しておいた旅行1日目の洋服一式にささっと着替えて一階へ静かに下りる。時刻はまだ朝日が昇ったばかりの6時。ちびっこ達とお父さんは夢の中。

 

洗面台で簡単に髪を整えて、既にキッチンでお弁当の仕込みをしているお母さんと合流する。

 

「おはようお母さん」

「おはよう楓」

「ちょっと早くない?」

「お母さんはいつも5時30分起きだから」

「今日は私も一緒にご飯を作るんだし、いつもより30分寝ればよかったのに」

「子供が出来れば楓も分かるわ」

「はいはい」

 

社会人なりたての娘に一体何を期待しているのやら。まぁ声をかけられることはあったからその気になればいい人も見つかるかもしれないけど? 恋愛よりも大切な事があるので、まだまだ先の話だろう。

 

したくないわけじゃないので、勘違いはしないで欲しい。今の私は私の幸せや両親の不安解消よりも、弟の吹けば飛ぶ命を繋ぎとめることの方が重要なのだ。

 

長い髪をヘアゴムで束ねて袖を捲る。前日にある程度は仕込んでいたし、予定とは違うけどお母さんが既に数品完成させてる。さっさと作って包んでしまって準備と片付けをしなければ。昨日も勉強勉強だったので部屋が散らかったままなのだ、連休で家を空けるのに散らかしっぱなしは良くない。私が良くてもお母さんが良くない。

 

入社してからしばらく触っていなかった包丁はちょっと怖かったけど、直ぐに勘を取り戻した。気づけば7時を過ぎていて、お母さんがキッチンを離れてお父さんを起こしに二階へ上がっていった。結婚する前に同棲していた頃から毎日欠かさずおはようのキスをしている、らしい。現場を抑えたことは無いけど、ショッピングモールへ出掛ければお父さんの腕に抱きついてばかりなので間違いない、と思う。

 

ご近所はおろか私の会社まで評判が届くラブラブっぷりには一周回って羨ましさを感じないことも無い。

 

私もいつかお母さんの様に愛する人が現れるのかな……なーんて。

 

運命の人が本当に居るのかはさて置き、もし見つけることが出来たならきっと同じことをするだろうなという謎の確信がある。だってあの二人の血が流れている。毎朝添い寝からのキスで起こしちゃうし、行ってきますだって玄関の外で見送りもして、帰ってきたらハグしてチューしちゃう。間違いない。

 

逆の言い方をすると私がそうしたくなる人が運命の人ってことなんだけども……その理屈でいけば脳裏に浮かぶのはただ一人。

 

「銀……」

 

自分の両足で立つこともままならない病弱な弟。たとえ健常であっても女の子と間違えられそうなあの子以外にはあり得ない。考えられないし、そも考える必要性すらない。

 

痩せこけて色白で隙あらば吐血して心配ばかりかけさせていつ何を切っ掛けに命を失ってもおかしくないくせに、頭の中は私達家族の事でいっぱいで罪悪感を感じてるけど私達に余計な心配をかけさせないよう懸命に明るく振舞おうとする。

 

私はそんな弟が……彼が好き。愛している。

 

出来上がった料理を弁当箱へ詰めながら、両手足を倍にしても数えきれないほど繰り返した思考を巡らせる。なにせ禁断の思想だし。それでも答えは変わらなかった。

 

確信したのはさらに下の弟が生まれた時。家族が増えた嬉しさと、銀の様に虚弱な子じゃなくて安堵したのを未だに覚えている。だから、私がまだ小さくて銀が生まれたばかりの頃に銀に対して抱き続けている感情こそが別物なんだと理解した。

 

怖かったから、彼氏持ちだった数名の友人に好きになるとはどういう気持ちなのかを聞いたことがある。どうして告白に至ったのかor告白をOKしたのか、その後の相手に対する気持ちは、お金はどれくらいまで使っても良いと思えるか、未来は描けるのか、結婚は、エッチな事は許せるか、幸せを感じられるか。

 

その結果、友人たちが彼氏に対して抱いている感情や許せるボーダーラインが、銀に対して抱いているものと大差ないことが分かった。

 

客観的に見ても血のつながった実の弟に恋をしている。そう結論付けた。

 

とても安堵した。それからは一層医学の勉強に身が入った。愛しの男性を救う為に人生をかけて挑むのだ、と思うとやる気が溢れて止まらない。進学を止めてお金を稼いで医学の大学へ進もうと決めたのもこの時だ。ただの家族愛で片付けられる方が私にとっては怖かった。

 

仕事は大変だけど給料は悪くない。数年もすればお金は溜まるだろうし、入学して卒業して病院で働いて研究して……ゴールインは長そうだが、志して早4年、意志は固まるばかりである。

 

しかし硬いだけでは脆いもので、ある程度の柔らかさは欠かせない。今日の旅行の様な息抜きは思っている以上に大切なのだ。勉強頭も今日明日はこれっきりにして、連休を楽しもう。

 

「おはよう…」

「おはようお父さん。寝癖立ってる」

「後で直すよ。とりあえず、コーヒーをくれ」

「はいはい」

 

パジャマのまま一階に降りてきたお父さんは普段の癖でコーヒーを注文しながら食卓に腰を下ろし、新聞を広げながらテレビをつける。

 

「台風は逸れたみたいだな」

「うん。九州を縦断して、そのまま日本海を北上して中国上陸の見込み、だって」

 

今日の行先は京都。車で片道6時間で、寄り道しながら初日を過ごし、宿泊して観光してからまっすぐ帰るプランとなっている。時期外れの台風がどう動くのか気になっていたけど、どうやら影響は無さそうでほっとした。中止して近くでゆっくり過ごすのも悪くないけど、折角なら遠出したいし。

 

いつの間にかちびっこコンビを連れて降りてきたお母さんはコーヒーをお父さんに手渡ししており、お父さんはお父さんで角砂糖二つを手元を見ずにぽいと入れている。

 

いつもよりちょっとうわついた土曜日。うんうん、これが旅行だよね。

 

「楓、にやついてないで支度しなさい。どうせ部屋の片づけ、してないんでしょ」

「あっ」

 

言われて時計を見ると出発時間まであんなにあった余裕が無くなっていた。お弁当はお母さんに任せて化粧と荷物チェックに……部屋掃除は無理かも。色々と諦めたいところだけどそれではお母さんに怒られる。急ぐ素振りだけは見せて部屋掃除は帰ってからしようと、自らの予定を先送りにした。

 

部屋掃除なんていつでもできるのだ、別に今日急いでやる必要は無い。それよりも銀に挙げる写真の写りがどれだけ良くできるかが100倍大切である。部屋に戻った私は、昨日買ったばかりの新作のルージュを取り出してにんまりとほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し身じろぎをした。

 

それだけで激痛が全身を駆け巡る。奇跡的に意識を取り戻した私は全神経を総動員して重たい瞼を開いた。それでもいう事を聞いたのは右側だけで、左は感覚が朧げな上に真っ黒で何も見えない。

 

見覚えのある茶色いものが視界を埋め尽くしている。暗順応した右目は、それがお母さんの綺麗だった長髪だと教えてくれる。髪を辿った先にある鮮やかな赤色のベレー帽には見覚えがあった。お母さんは後部席を振り返るような体勢でぴくりとも動かない。

 

焦点をちょっとずらせば運転席のお父さん。お父さんはお母さんを…お母さんと後部席の私達を守る様に車体中央へ乗り出して、お母さんにかぶさるように倒れている。どちらも、シートベルトは外れていた。

 

「   ……      」

 

二人を起こそうと声をかけるも喉は震えない。からからに乾いて、激しい痛みを訴えている。耳がおかしくなっているのかも。いや、そもそも声を発していないのか? それすらも分からなくなっていた。

 

血液と酸素が脳へ送り込まれて徐々に意識がはっきりしてきた。同時に、直前の記憶がよみがえる。

 

旅行中の私達は連休を満喫して帰路についている最中だった。

 

台風が急に進路を変えて東京を直撃するコースを取った。九州を縦断して日本海側へ抜けて、中国韓国へ上陸する寸前に反転。S字を描くように再度日本の大地を踏む。

 

なるべく安全な道を選ぶために行きの高速道路とは別ルートを検索してナビに任せた……が、それが失敗だった。途中までは良かったんだけど、台風に伴う交通規制を反映したナビが渋滞した通りを避けてしまって山道へ進んでしまい……舗装された綺麗な道にスイカ大の落石が落ちてきたところで私の記憶は途切れて今に至る。

 

―――土砂崩れに巻き込まれたのかな…。

 

光源は車のインパネと故障したナビのブルースクリーンだけ。車の外は何も見えないし、それどころか窓を突き破って泥が入り込んでいるし、フレームもぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 

両親はもう、ダメだろう。目が死んでいる魚のそれと同じだ。焦点がぼやけてだらしなく口を開けたまま。ちび達は分からない。

 

でも、私は今なんとか生きている事だけは分かる。まだ死んでない。

 

死ねない、死ねない、しねない、死ねない!

 

何がどうなっているのかもわからないままだけど必死に力を込めた。このまま居ても助からない事だけは間違いなかったから。

 

銀を一人には出来ない。

 

言葉通りの意味で一人じゃ何もできない子なのに、このままじゃ銀が独りぼっちになっちゃう。親戚なんていない様なものだし、誰も引き取ってはくれないだろう。

 

私しか、居ないんだ。

 

……。

 

身体は動かなかった。

 

感覚はぼんやりとある。というか痛いので千切れたり潰れたりはしてない。痛みが強すぎて他の感覚が鈍く感じる、のかな。どうやら後部席に座った状態から前方に投げ出された体勢、らしい。

 

両腕の肘から先はなだれ込んだ土砂に埋もれてどうなっているのか分からない。ただ、何かを握っている。首が動かないのではっきり言えないが、察しはついた。足は折れてあらぬ方向へつま先を向けている。

 

固めた意志を嘲笑うかのような状況に悔しくなる。激痛に耐えても土砂が両手を飲み込んで離さず、足は折れて地に足をつける事すら叶わない。おまけに、眠い。

 

「……ッ!」

 

気力を振り絞って舌を軽く噛む。じんわりと鉄の味が広がっていくと同時に傷ついた粘膜の刺激が意識を引き戻した。

 

酸欠の初期症状で眠気や吐き気を催すと聞いたことがあるのを思い出したのだ。車内は真っ暗で土砂に埋もれていて、エアコンも機能していないとすると、じっとしていたところで酸素欠乏症で死ぬ。

 

嫌、嫌よ、しにたくない。

 

意識を保つ為に鞭を打って身体を苦しめる。そうやって動くこと自体に酸素を消費して、また眠くなる。そして眠ってなるものか、とまた鞭を打つ。酸素の足りない頭ではそれが悪循環だと気づけない。

 

やがて疲れ切った私は息も絶え絶えな状態で突っ伏した。あれだけ光っていたブルースクリーンも見えなくなっていて、いつの間にか車内は真っ暗だった。車が故障したか、あるいは。

 

「     !!     ……!」

 

ついには幻聴まで聞こえるようになってしまった。

 

私は足掻くのを止めた。ここまで長時間酸素が不足してしまえば、助かっても人として生きていくのは難しいだろう。銀を助けてあげられる身体ではなくなっている。

 

だったらこれからもっとつらい時間を生きる弟の道行きが少しでも明るくなるように、神様に祈る方が良い。こんな事になっても神様が居るのかなんて分からないけど、他に祈る相手も知らないし、銀だけは助けてくれるかもしれないじゃないか。その結果が種火程度の物だとしても良いから、銀の為に命を燃やそう。

 

「             」

「               」

「         」

 

真っ暗な視界はいつの間にか真っ白に晴れていた。埋もれていたはずの両手は風を感じていて、なんだか浮いている気がする。フランダースの犬の様に天使が私の身体を運んでくれているのかな? だったら嬉しい。お天道様に近い方が、しょぼくてかすれた祈りも届きそうな気がする。

 

神様、どうかお願いです。私の祈りを聞き届けてください。

弟は産まれて一度も立ったことが無い病弱な子です。

もし、同じ血肉を分け与えられた私の命が尽きてしまえば、弟は幸福を知らないまま苦しみ続けるでしょう。

あの子は、美味しいご飯も、綺麗な風景も、心通わす友人も、胸を締め付ける恋心も、何も知らないのです。

だから、どうかお願いです。

どうか、どうか、どうか…

どうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2時間程度の、まぁ、例えるなら映画か。それを見終えた私はテレビの電源を切った。

 

ちび達は学校に、両親は仕事に。家には私しか居ない。広いリビングで寂しく一人、テレビでも見て紛らわそうとソファに腰掛けてチャンネルを変えて気づけば2時間経っていた、というわけ。

 

このテレビはとても不思議だ。今生きている人達の営みを見る事も出来れば、過去の強烈な出来事を事実に基づいて忠実に再現してくれる。

 

例えその瞬間に私の意識が無かったとしても。

 

最後、私は確かに少しでも銀の人生が良いものになりますようにと薄れゆく意識の中で必死に祈った。視界が晴れたのも、浮遊感も、死ぬ間際に身体の機能が停止したからこそ感じたものだと思っていた。

 

実際はそうでは無かったらしい。

 

『こっちだ! まだ息がある!』

『しっかりしろ! 助けに来たぞ!』

『ヘリを呼んでくれ!』

 

救助は間に合っていた(・・・・・・・・・・)。土砂から運び出されてヘリに引き上げられていたのを錯覚していたのだ。ホントに天に近付いていたというのがまた笑える。

 

何が言いたいのかというと、身を任せて眠ってしまえば、後遺症が少し残った程度で私は助かっていた。ということだ。

 

まぁ、自分を責めた。でも、どれだけ心を病んで壊しても、身体を痛めつけて傷をつけても、この天国と思しき世界では一晩で正常に戻される。朝にはけろりと治って、精神まで落ち着いているのだ。実に平和で、狂っていると思わない?

 

だから後悔は全部止めにして、生きている銀の行く末を見守る事を始めた。幸い引き取り手が見つかってまともな生活を送れていると分かったのが唯一の救いか。保護者があの篠ノ之束だってのは、びっくりしたけど。

 

それからISを使って健康体へ限りなく近づいて自分で自分の世話ができるようになり、学校にも通えて友達も出来て、席に座って勉強し、

 

恋をして。

 

そして死んだ。

 

考えるのは全部止めた。どうしようもないし、狂っても戻されてまた狂うだけだ。それよりも銀と一緒にマイホームで暮らせることを素直に喜んだ。女の子を連れてきたのだけはマジびっくりしたけど。でも良い。銀はやっと幸せになれたと思えば、もうどうでも良かった。

 

ただし、気になっていることが一つだけある。気になっているというより……決着がどんなふうに着けられるのかが楽しみ、と言った方がいいかも。

 

「君達も気になるよね?」

「これを読んでる君さ。え、メタい? まぁまぁ、だって私って死んでるし」

「っていうか、私も君たちと同じ読者側なんだよ?」

「今を生きる残りの登場人物達が何をどう思って生きているのか、それをこうやって俯瞰している」

「銀と簪が死んだ後の世界が気になって気になってしょうがないから、ここまで読んでくれてるんだよね?」

「ほら、一緒でしょ?」

「さ、分かったらこっちにおいで」

「………よしよし。それじゃあお姉さんと一緒に続きを見よっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「篠ノ之束と篠ノ之箒の決着」

 

 

 

 




次回から、ホントの最終章
スッキリできるか?
まさかwそんなわけwないじゃないですかぁw

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