北側世界における地域ごとの出版物規制にはかなり大きな差がある。統合王国が最も制約がきつく、同君地域がそれに次ぎ、もっとも緩やかなのが冷海同盟であるとされている。もちろん、各地域においてどのような出版物が規制されるかは様々であった。冷海同盟であっても明確な抗議派批判は軋轢を避けるために関係者が自主的に取引を行わないことは珍しいものではなかった。
例えば冷海同盟のウォルセラルという街では、印刷機の所持と紙の購入、そして本の印刷について一切の規制をかけていない。かわりに、関税が高めに設定されている。そのような場所は、北側世界からあらゆる知識人と書籍に関する職人が集まる場所となるのだ。
ウォルセラルの街には、あらゆる地域の言語に精通した人々がいる。彼ら自身が作家であり、思想家であり、出版者であった。翻訳された聖典、精巧な銅版画入りの学術書、大衆向けの教本、際どい描写のある小説、そしてもっと危ないものまで。中には金さえ頂ければ悪魔のための聖典であろうが刷ってみせると言った印刷所まであった。
このような場所では、近隣諸国では危ないような書物が印刷されることが多かった。原稿が直接持ち込まれることもあれば、手紙で送られてくることもある。当時、手紙の検閲は珍しいものではなかったが北側世界の手紙全てを確認できるほどの余裕を持つ組織はどこにも存在しなかった。
口の堅い職人たちによって積み上げられるこれらの本は、なんと偽造された印刷地の活版の特徴を模倣するという工夫までされていた。統合王国内部で出版されたという事になっていれば、当局が探るのは国内だけである。もはや国外から持ち込まれたものだとは思わなかったという白々しい言い訳にも使えるため、このような印刷地の偽造は誰にとっても損ではなかった。
そうして詰まれた本は、まずはウォルセラルの街の中で運ぶための準備がなされる。偽の表題や挿入された頁を入れて装丁され、あるいは陶器のような壊れやすい貨物の箱の底に置かれるようにして。しばしばそれらはウォルセラルを出てからもまた、ひっそりとしまわれる場所を変えられた。
商人の貨物として、旅人の荷物として、あるいは貴族の馬車に隠されることもあった。貴族自身が乗るわけではなくとも、紋章の入った馬車を調べる権利は一定以上の警察階級にしか認められていなかったし、その場合でも面倒な手続きが存在した。
そして本は統合王国の検問をくぐり抜ける。そして統合王国の森は深い。街道を少し離れた隠れ家は、その場所を知るものか優秀な狩人でなければ見つけられない場所にある。顔を見せない取引にはもってこいの場所だった。そういう場所で別の箱や馬車に移し替えられてしまえば、運んだ本人たちでさえ追跡することは困難になる。
統合王国に入った本は、これまた特別な方法で流通する。南方系の商人たちの集う南方街の売店、有力な貴族に身分を保証された人たちによる手渡し、あるいは堂々と一般の書籍のように扱われることすらある。悪しき知識を隔離したいのであれば、牢獄の内側に警察と貴族と教会が入ればいい、と語る作家もいたほどにこれらの本は様々な人の手に取られていた。
統合王国もこのようなやり方を座視しているわけではなかった。しばしば違法出版者と流通関係者が摘発され、政治犯として刑務所に送られていた。稀ではあるが、国王侮辱によって死刑になった例もないわけではない。
それでもなお、彼らは本を売り続けた。それは知的な開放を求めてというよりも、そこに顧客がいるからであった。当時の冷海同盟で知られたある角灯主義の教授が述べるところによると、求める人と作れる人、そして経済があれば摂理として需要と共有は釣り合うのだ。
また、統合王国の側も熱心な摘発をしているわけではなかった。罰金か短い懲役で済む例が大半だったのだ。
その本も、またいつものように統合王国に持ち込まれた。門の兵は安い日給の倍の口止め料をもらい、あるいは荷物が崩れたらどうすると脅しを受け、あるものは自身の仕事に対する反感からそのような本を入れた。もちろん、そのように正規の方法で持ち込まれるものばかりではなかった。
そして、同様の雑多な本の一つとしてそれらはこっそりと並べられる。極東方という珍しい地域を扱っているもので、目を通した書店員はまたいつもの角灯主義の本だろうとそれをこっそりと棚の裏側に置いた。合言葉を言った客に売るためである。
統合王国の首都にあるこの書店の店主は、実に世情を理解した人物であった。時折厄介な客を当局に告げ口することで真っ当な店だと思われつつ、真に損なうべきではない信用を保つ努力をしていた。
書店をまとめる勅令特許団体は教会に寄進を怠らなかったし、それを知っている教会は不幸な事故をことさらに責めることはなかった。もちろん見せしめのような書店摘発もあったが、老い先短い老人は店を畳む手間が省けたと笑ったものであった。
邸宅社交界では、噂が流れていた。また面白い本が出たらしいぞ、と。最近起こった事件を題材にしたもののようだ、危ないものをする、とか。
危ない本を読むことは、一種の教養であった。もちろん縁のぎりぎりを歩きすぎて落ちる例も珍しい訳ではないし、失敗を経験した人物がそのような遊びから遠ざかることもある。しかし、隠されたものというのは好奇心を惹きつけるのだ。そしてそれが自分のような特別な人間でなければ手に入れられないと言えばなおさらである。
中流階層も、そのような本を手に取る機会があった。安い金額で本を読める貸本屋はきちんと登録をしていなさそうな店として路地の裏にあったし、そしてそのような店はしばしば場所を変えていた。
彼らにとって、そこに込められている細かな政治的寓意は様々に読み取られた。面倒事に縛られた上流階級への皮肉と嘲笑の対象になることもあったし、それを読み取れない人々にとってもどこか滑稽な様子を感じることはできた。そしてそれらの本に影響を受け、また新しい本が作られていく。そうやって、思想の市場はあちこちで広がっていた。
かくして、角灯は割れて火薬の上に落ちる。その本が最初に学院に持ち込まれたのは、新入生の手荷物としてであった。