シェプルスキアは談話室の中で新しく学院に入った少女を遠目に見ていた。興味を持たれることには慣れているようで、あちこちから飛ばされる質問に落ち着いて、しかし明るく答えている様子だった。
そして時折、フュルシーアはシェプルスキアの方を見た。シェプルスキアでさえ偶然だろうかと思うぐらいであったが、それでも少し警戒はする程度だった。
「まだ彼女は人気?」
シェプルスキアが座っていた隅の長椅子の隣に、テレナが腰を下ろした。
「うん、今日は無理かも」
「彼女の話が意外な人から出てきた」
「ああ、だから遅かったんだ」
シェプルスキアの言葉に、テレナは頷いた。日没のぎりぎりまで、テレナは彼女の話を集めていたのである。
「ウォルセラルという街を知っている?」
「ううん」
「冷海同盟に加盟している交易都市。内陸だけど川沿いにあって、交易路が北側大陸の全土から集まっている要所の一つよ。そこの南方街の元締めが、彼女の父」
「もしかして、ネア先輩が知ってたの?」
同じ冷海同盟の女性という繋がりだろうか、と考えたシェプルスキアは言った。
「そう。上の方同士での直接の取引はないらしいけど、南方系の繊維や織物、絨毯なんかはティツン商会の系列の企業や商店が扱うこともあるらしくてその繋がりで」
「なるほど。ところで、南方街って?」
「見たことないの?」
「それが何かわかんないから……」
「ああ、なるほど」
テレナはそう言って、さてどこから話そうかと考えていた。大宗派戦争前から南北の交流自体はあったが、やはり活性化したのはいわゆる寛容条約以降だろう。帰伏教の大内海にある諸国家や教主国、そして大君侯国を講和に巻き込み、あわよくば北側世界の影響力を拡大するためのものだった。
とはいえ、それは関所を開けるようなものだった。こちら側から一方的に入ることができるというわけではない。強かな南方系の商人は、北側世界に確実に足場を作っていった。彼らは街の一角を故郷のように彩り、そして南方の品物によって得た利益と引き換えにある程度の自治を得た。これが北側世界の各地に点在する南方街である。
「……南側世界の人とかが、品物とか料理とかを売っているところよ。珈琲を飲んだり、絨毯の上に座って喋ったり、そういう場所がある」
「ああ、こっちのほうではそれが面白いのか……」
「楽しまれている側と繋がりがあると、そういう見方もできるのね」
「まあね。いや楽しいのはわかるんだよ、あたしだって昔……」
そう言ったところでシェプルスキアが目を上げると、さっきまであった人だかりが緩んで話題の新入生であるフュルシーアが立っていた。
「イウェラ家のアズドの娘シェプルスキア、ツィノド領主で間違いありませんでしょうか」
強い視線を受けながら、シェプルスキアは彼女をなかなかやる人だなと見ていた。立ち振舞いからは武人というわけではないが、護身程度の手ほどきは受けているようだった。多少の警戒ではその隙を突かれるだろう、という程度の差しかないと考えながらシェプルスキアは頷いた。
「お初にお目にかかります。フュルシーア・バラエイーシャ・アラクァイーバザと申します。冷海同盟に名を連ねる都市ウォルセラルに住まう私の祖父、ハリン・イフルテドゥーマ・アラクァイーバザの兄にして無二たる友、メラドゥ・イフルテドゥーマ・アラクァイーバザより、ツィノド領主に言伝を預かっております」
いきなり聞く言葉の多さに、テレナでも関係性を認識するのが精一杯だった。一拍置いて、フュルシーアの大伯父からシェプルスキアへに伝えたいことがあるんだなとやっと理解できた。
「メラドゥって、ええと大君侯国の……」
「我が一族のもの名を覚えていただき、光栄です」
シェプルスキアは短く息を吐き、席から立ち上がった。シェプルスキアのほうが視線は高かったが、少しだけ見上げるようなフュルシーアの視線はシェプルスキアでも緊張させるほどのものだった。
「友たるアズドの意思と名誉継ぐ領主就任を祝うとともに、大君侯国における汝とその配下、領地、領民は我が名によって安寧を保証するものとする、と」
フュルシーアがいい終えると、シェプルスキアは一種だけ表情に困惑の色を浮かべた。
「ええと、テレナ……嬢」
シェプルスキアに言われて、テレナは息を吐いた。シェプルスキアは言われたことの意味はわかったそうだが、どう返すべきかには悩んでいるらしい。
「差し入る無礼をお許しください、フュルシーア嬢。私はシェプルスキア嬢の指導役を学院から仰せつかっておりますテレナ・ノイーズ・イルデネと申します。続けても?」
一度にいきなり言うと混乱させるだろうか、と思いながら確認したテレナにフュルシーアは頷いた。どうやらこの手のやり取りも上手なようだ、と思いながらテレナは彼女と視線を合わせた。
「ここは学びの場であるがゆえ、お二人の話を教材として使わせてもらう無遠慮を重ねてお詫びしたいと思います。シェプルスキア嬢、メラドゥ・イフルテドゥーマ・アラクァイーバザという方はどのようなお人なのですか?」
周囲には既に人だかりができており、好奇心の混じった視線が二人に向けられていた。
「山……山脈……あれ、あそこなんて言うんだっけ?」
「たぶんコバルカと言いたいんですよね、シェプルスキア先輩。でも確かに翻訳すると山々となってしまいますよね……」
柔らかい、少しだけ幼さの籠もった声でフュルシーアは言った。
「うん、えっと、そこの将軍」
シェプルスキアの言葉に、フュルシーアは頷いた。
「なるほど、共和王冠国の女領主に対し、大君侯国の将軍が、個人的な友誼を図ると、言伝を?」
「さぁ、私はただ伝言をお願いされただけなので……」
しらばっくれるフュルシーアに、テレナはだいたいの事情を察知した。
「取引や交易の話でしょうね、きっと」
「そうかもしれません!」
テレナが言うと、顔を輝かせてフュルシーアは応じた。
「ああ、そういうことね」
シェプルスキアはそう言いながらフュルシーアが安堵していることに気がついていた。言伝をしなければならないが、それが悪く解釈されることを恐れていたのだろう。もしそれが交易という形になるなら、それは比較的問題のないものになる。
シェプルスキアが最初にフュルシーアの言葉を聞いた時、離反の誘いであると考えていたのだ。国境地帯において、信頼できる領主というのは得難いものだ。そして最上位の支配者が変わっても地元の領主が残ることは珍しいことではない。それでもなお、安易な裏切りは信用を失うためにシェプルスキアとしては避けたいものであったのだ。