角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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盤面に交じる言葉は惑う 2

問題となっている本は、次第に広まっているようだった。

 

「うーん」

 

図書室の奥の席で、聖座の透かしが入った手紙を見ながらため息を吐くテレナをシェプルスキアは不安そうに見ていた。

 

「何見てるの、テレナ」

 

「リュクバーン枢要僧からの私信」

 

一旦南の方の聖座領に報告も兼ねて戻っていたはずだが、と思いながら署名のところに添えられていた手紙の書かれた場所をテレナは頭の中の地図と照らし合わせる。

 

「……なんて?」

 

「最近は小説本の中にも危ないものがあって、聖座も気をつけないといけないとかなんとか」

 

「あの本?」

 

「その本」

 

もちろん、手紙の中に本の表題が書かれているわけではない。しかしいくつか使われる特徴的な単語、よく読むと違和感のある文章、あるいは個人的なものとして差し込まれる話。これらを組み合わせれば、本を読んでいる人同士ならわかる仄めかしがあった。

 

「論考もまた新しいの書かないといけないからね、それも面白いやつを」

 

「面白い?」

 

「私が前に書いたものは学院の理事会経由で少しは読まれたらしいけれども、あの本に比べればまだ」

 

学院は本への対策の本拠地となっており、テレナはその第一人者と見なされていた。論考を読んだ人から帰ってきた手紙の中には、一枚の応援と数十枚の批判、考察、そして追加の分析を含んだ分厚い束となっているものさえあった。

 

テレナの危惧は少し悲観主義が強いとされつつも、安易にこの本で語られていることを実現させるべきではないとする人たちにはある程度受け入れられるようになっていた。とはいえ、それはおそらくは百人にも満たない集団の中での話だった。

 

手紙の先で起こっていることは、テレナにはわからない。そして千冊の一冊一冊が起こす人の心の動きも、テレナの読み切れる範囲を超えていた。

 

「テレナも小説書いたら?」

 

「その方面の才能については、私に期待しないで」

 

そう言いながらもテレナは誰かに代筆を頼むのはありかもしれない、と考えていた。とはいえどのような物語にすれば今広まりつつある物語を打ち消せるのかは、テレナにはわからなかった。

 

物語で物語を上書きするためには、いくつかの条件が必要だ。面白いこと、説得力があること、あるいは身近であること。「墜ちる灯火」は、それまでテレナを含む人たちが丁寧に作っていた婚約破棄事件の結末についての物語を丸ごと覆い尽くしてしまったのだ。

 

「……考えてもどうにも解決策が見えないわね」

 

「なら、今日はもう遊んで寝たら?」

 

「それもそうね、まだこの時間なら共用の娯楽室に人がいるかしら」

 

そんな会話をしながら、二人はもうこれからは出る時間が短くなる一方の夕日に照らされながら歩いていた。

 

「でもさ、テレナがそこまでしなくちゃいけないの?」

 

「……別に、私が何かを変えられるとは思ってない」

 

「無駄な戦いというのはあるからね。無理に意味を見出すのは、悪い指揮官のやることだから」

 

「わかってるわよと言いたいところだけど、否定はできないのよね……」

 

吹いてきた風に制服の裾を揺らしながらテレナは言う。

 

「……あの本が出なくとも、おそらく私が生きているうちに統合王国の王室は大きな変化を余儀なくされた。その混乱は大なり小なり私の故郷のエルンツィンガー伯爵領に届いていた」

 

そう言うテレナに、シェプルスキアは何も言えないまま隣を歩いていた。

 

「エルンツィンガー伯爵領は味方がいない。私の嫁ぎ先のハゼウ伯爵家も、決して強いわけではない。麦わらを二本束ねようとも、風の前では吹き飛ばされるだけなのよ」

 

「……だから、風を止めようっていうの?」

 

「せめて風向きだけでも変えられないか、というところね。アニドは飛ばされたあとのことを考えられるけど、私はそこまで器用ではない」

 

「まああたしも起こったことは起こったこととして考えるほうが楽かな……」

 

「共和王冠国の独立状態も怪しくなるし、そうなればシェプルスキアも変な戦争に駆り出されるわよ。その時に、かつてのような練度と統率を持った兵を維持できる?」

 

「無理かも、傭兵時代でさえちゃんと金が山ほどあるぞってところを見せないといけなかったから」

 

「土地を奪われるぐらいなら自らの手で焼き尽くしてしまおう、という思考があるのはわかる?」

 

「……わからなくちゃいけないのは、わかる」

 

シェプルスキアがかつて率いていた傭兵団は、どうしても土地というものと距離があるものだった。定住後の混乱の理由のいくつかはそこにすみ続けている人というものを考えていなかったことによるものだし、大きな視座に立てば領民ですら切り捨てなければならないものに入ってくることをシェプルスキアは感覚としてはおぼろげながらに理解していた。

 

「たぶん、シェプルスキアは動ける。動けてしまう。その場で最適な行動を、求められる振る舞いをできてしまう」

 

「……何が言いたいの?」

 

「この混乱の中で、たぶんシェプルスキアは生き残ってしまうのよ。そしてそういう人物は、混乱の中でしか生きられない」

 

大宗派戦争の後、多くの戦場を知った兵がいた。彼らは様々な形で苦しみ、魂を死した戦友に引き寄せられ、あるいは自らの足で混乱の中に戻っていった。大きな戦争の少なくなった現代においてさえ、テレナの父はかつて参加した聖冠継承戦争の傷を残している。それは服の下にある刺し傷だけではなく、心の傷という意味で。

 

シェプルスキアのような戦場に生きていた人からすれば、それは戦士であれば負わねばならないものだと言うかもしれない。ただ、それを知ってしまった人物がまともな価値観を持つことは難しいのだ。

 

「あたしが、狂うっていうの?」

 

「そう。そして誰もが狂う時代においては、狂った優秀な指揮官は求められる。そしてその狂気が終わった時、そのまわりに人が残ることは稀なの」

 

シェプルスキアは例外的な成功であった。傭兵団を定着させ、団長から領主へと肩書を変えた。その苦労を、テレナは間接的であるが知っている。そしてそれは、もう一回起こることを期待できない奇跡のような側面があった。

 

「……テレナは、狂えなさそうだね」

 

「良いことなのか悪いことなのかは、わからないけどね」

 

そう言って二人は娯楽室の扉をくぐった。学生たちはまだ日が出ているうちにと、思い思いの遊びにふけっていた。

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