「……先輩は疲れているんですね」
娯楽室でシェプルスキアに寄りかかって寝ているテレナをレイルグはじっと見ていた。
「まあそういう時もあるよ、フュルーちゃんのほうは?」
「集中できてないですね、授業中も」
「そうだよね……」
「それでもなんとか完成はしたよ……」
酷く歪んだ声で言いながら、テレナは震える手で原稿をレイルグに渡した。
「これが、そうですか?」
「フュルシーア嬢からあらましは聞いているでしょ……」
「ええ、そうですけれども」
「締切が近かったからむりやり編集してまとめたけれどもね、悪くないものに仕上がったはずだよ……。あとはフュルシーア嬢の信頼している人がまとめて修正してくれるらしいし」
「テレナ先輩は、それでいいんですか?」
そう言われて、テレナはなんとか力を振り絞ってレイルグの方を見た。
「いいって?」
「自分の書いたものに、他人の手が加えられることをテレナ先輩はどこまで許容できるんですか?」
「うーん、この作品は私の名前が出るものではないから後はもう好きにしてって感じかな……」
そう言ってテレナは目を閉じ、意識を手放した。
「寝ちゃいましたね」
「寝ちゃったね」
レイルグとシェプルスキアの声は、テレナにはもう届いてなかった。
「……これは、読んでもいいのでしょうか」
「いいと思うよ、でも他の人に見られないようにね」
シェプルスキアは声を潜めて言った。男女共用の娯楽室にはそれなりに人がいたが、部屋の隅の三人に注意を払う人は少なかった。
レイルグの読書速度は、シェプルスキアからすればかなりのものだった。ただ、テレナの黙読を知っていればそこまでだとは思わなかった。
「……面白くはあるんですが、ここで言われている事自体は既にあることなんですよね」
「だってさ、テレナ」
「……シェプ、起こして」
「わかった」
テレナに言われ、シェプルスキアはテレナの服に手を入れて腋の弱いところを強く押すようにした。
「っ……」
心臓の鼓動が一瞬で強く、そして早くなる。疲れを興奮が洗い流して、息を荒くしながらテレナはレイルグに向き合った。
「……シェプルスキア先輩、後でやり方を教えて下さい」
「結構難しいよ?」
「フュルー嬢にやってやります」
「仕返しされないようにね」
横から主導権を握るようにそう言ったテレナは椅子に座り直した。
「では、お願い」
「テレナ先輩がやろうとしていることは、二つに分けられますよね。一つはそれまで実権を持っていた人から表面的な特権を奪い去った時に残るもののこと。もう一つはそれまで特権を与えられていなかった人に実権を与えた時のこと」
「……言葉の選び方の理由は?」
「ええと、これは以前に呼んだ議場学の言葉です」
「そのあたりはあまり触ってないのよね、名前は知っているけれども」
「結構面白いですよ、特に同君地域では様々な形で統治が行われていますから、それらがどのような地理的、あるいは政治的条件から生まれているのかを考えるものです」
レイルグはそう言って、フュルシーアの文字の一節を指した。
「例えばこのあたり、例えば司法の独立性を生んでいる共和王冠国の手法とかのほうがより洗練されていますよね」
「あー……、難しくてやってないです」
「確かに一伯爵領のやり方とは大きく違うと思います。統合王国のようなものでもない。あれは誰かに権力を集めるのではなく、誰にも権力を握らせない方法ですからね」
「そういうものなの?」
共和王冠国の領主であるシェプルスキアが言う。
「そうですよ、だから下の方も上の方も同じように権力を持てないとでも言いましょうか」
「ああ、なんかあったな……」
シェプルスキアは領主に就任する時に聞いていた話を思い出していた。雇った代筆人と参謀天幕を引き継いだ議会とを合わせたような組織で、なんとか今のツィノドは運営されているはずだ。
それは、領主がいなくとも回るようになっている方法だった。かつてシェプルスキアの父アズドや、イプルカと名乗っていた時の彼女が果たしていた役割は、今は西方に学びに行った我々の領主という物語が担っている。
その中で、投票の権利の話があった。土地を持った人は議会と戴冠者に対しての一票を持つ。議会はたとえ王の命令でも一定割合の反対があれば否定することができ、同時に戴冠者と裁判所は十分な手続きがあれば議会の権利を制限することができる。ただこれも一定程度の議会の賛同は必要だ。
「……もしかすると、私のやろうとしていることはすでにあるものをもう一度作り直しているだけに過ぎなかったりする?」
それは、テレナにとって恐ろしいことだった。ただでさえ統合王国の社交界の空気を知らず、一般論として書いているのだ。もしそこで東方にあった実例から目を逸らしているとなれば、その批判は甘んじて受けなければならない。
「いえ、それでもここまで体系化して、かつ『墜ちる灯火』に対抗できる思想として練り上げたのはテレナ先輩が初めてだと思います」
「……それは、評価されていると思っていいのかな」
「はい。ただ議場学のあたりをしっかりとやればより良くなるとは思います。統合王国の方では不人気の学問のようですが」
「そもそも王室のもとでの支配という正解が存在しなければならない場所で、より良い統治のためにどのような方法でやればいいかというのが議論の対象外なんですよ」
「そういうことね」
テレナは議場学と呼ばれる同君地域の大学を中心に議論されている分野から距離を取っていた。それは大学に強い影響力を持つ普遍派からテレナの育ったエルンツィンガー伯爵領が距離を取っていたからでもあるし、領地の改革を依頼した相手がそのような議場学の系譜ではなく統合王国の反体制活動の系譜にある人物だったからというのもある。
結局は、テレナも「墜ちる灯火」の作者も東方の文化を侮っていたのだ。文化的ではない、所詮遅れた土地であろうと。しかしそこには人がいて、やり取りをして、研鑽を積んでいるのだ。そして東西の知識のやり取りがある以上、そこにあるのは単純な優劣よりも手法の差であったし、今回のテレナに求められているのはちょうどそのような手法だった。
「……レイルグ君、ちょっと三日ぐらい寝ないでもらえる?」
「無理です、ちゃんと睡眠を取らなければまともな作業はできません」
素直な反論を受け、テレナは諦めたようにうなだれた。