「……こんにちは、お姉さんたち」
詳しい話をするためにウェイナの止まっている部屋にテレナとシェプルスキアが行くと、童女が一人寝台に座っていた。
「……こんにちは」
テレナはそう言って、あくまで淑女に対するような礼をする。
「一緒に行く人ですか?」
シェプルスキアの質問に、ウェイナは頷いた。
「無口でおとなしい子なの。あまり気にしなくても大丈夫」
母と娘ではないのかもしれないな、とシェプルスキアは考えていた。微妙な距離感があるが、知らない関係ではない。親戚か、あるいは親子だったとしてもそれなりに離れていた時期が長かったか。
「旅について、色々確認したいことがあるのですが」
そう言って、テレナは地図を取り出した。旅人が持っていてもおかしくはない程度に抽象化された、距離と日程を計算するためのおおまかなものだ。
「ええ。基本的にはこういう経路で行くつもり」
ウェイナの指先がたどる線は、ティロの付近にまで届いていた。その手前の街でイウェラ連隊と合流する算段になっていたため、途中からはかなり強い護衛が一緒につくことになる。ただ、テレナもシェプルスキアもその情報は共有しなかった。
もしそれを語れば、シェプルスキアの立場が明確になってしまう。ここにいるのはあくまで互いを名前でしか知らない三人、あるいは四人だ、という形は大切だった。
話し合いは、旅自体については具体的に進んだ。護衛というより雇われの御者とその助手は、貴族というわけではないが悪くない育ちと確かな信頼のためにテワドレーム公爵領でも確実に人を送り届けるという点においては評価されていることをウェイナは仄めかしていた。
ただ、それ以上の具体的な話はなかった。テレナもシェプルスキアも、それを理解していた。少し前のシェプルスキアであればわからずに、あるいは意図的に口を挟んだかもしれない。けれども、テレナの様子を見て学んだためにその微妙な気配に応じた行動ができるようになっていたのだ。
「雪が、心配ですね」
テレナが言う。すれ違う馬車から聞くことのできる情報は限られている。日々変わる天気に対応して予定を調整することは、決して容易ではなかった。それがたとえ、経験豊富で一台の馬車で様々な場所を踏破して人を送り届けるような専門家であったとしても。
「まだ、なんとかなるはずだけど」
シェプルスキアは呟いたが、それでもこの地域の天候に精通しているというほどではなかった。もっと東の地域であれば、例えばティロのあたりであればまだ勘がないわけではなかったが、シェプルスキアにとってはまだ一年しか過ごしていない地域なのであった。
「その時は、力を貸してほしいの。シェプルスキアさんのほうは、かなり力があるのでは?」
「弱めの男性と同じぐらいですよ」
そう言ってシェプルスキアは笑ったが、実際のところ単純な筋力であれば鍛えた男性にシェプルスキアは勝てなかった。もちろん、条件が変わればその結果も異なるが。
例えばそれなりに鍛えられた農民兵とシェプルスキアが銃剣を持って戦えば、シェプルスキアがほぼ一方的に制圧することができただろう。それは銃を振り回し、躊躇なく相手の急所に叩きつける訓練をしているからに他ならなかった。
鍛錬は、条件を揃えれば生まれ持った能力を凌駕する。それにシェプルスキアが持つ天性の感覚を合わせれば、まあまあの職業軍人程度とは張り合うことができた。
とはいえ、シェプルスキアの本領は隠れて銃か弓を持った時である。
「私なんか、あの子を持ち上げるのも辛いもの」
さっきまで起きていた童女は、いつの間にか寝台の上で寝息を立てていた。静かにしていることを叩き込まれているな、とテレナは考えていた。
テレナの家庭教師曰く、貴族の子供を預かる乳母はその仕事を楽にするために手足を完全に布で縛り、床に転がしておくのだという。もちろんそこまでではなかった。目を離せない時にそういう対応をすることがなかったわけではないし、幼児の多くの時間をそのように過ごさせる親がいなかったわけでもない。とはいえ、彼の言い方はしばしば過激で、そして一瞬説得力があるように思わせてしまう恐ろしさを持っていた。
だから自然のあるがままにまかせて子供を外で活発的に動かさねばならないのだとかなんとか言っていた懐かしさもある声を頭を軽く振って流し、テレナは話に戻った。
とはいえ、打ち合わせなければならないことは多くなかった。基本的にはずっと馬車の中で座って数日いれば、目的地につくわけである。襲撃されるようなこともまずなかったし、基本的にはなにか大きなことは起こらないはずだった。
「それじゃあ、ええと……二人は、どうしますか?」
「一部屋もし空いていれば、ここで泊まらせてもらおうかと。出発は明日の朝からでいいのでしたよね?」
「ええ。あなたがたを待てるように準備はしていましたが、予定通りに来てくださって助かりました」
そう言うウェイナは、少しだけ目を伏せた。テレナはその様子に一拍遅れて気がついて、なるほど演技にしろあるいは本性にしろ、ある種の欲を誘うのだなと納得はしていた。
「ねえ、テレナ。行こうよ」
「そうね、あまり遅くなりすぎても宿の主に悪いし」
そう言って、テレナとシェプルスキアは部屋を出て扉を閉じ、しばらく歩いた。
「どう思う?」
シェプルスキアがテレナに聞く。
「良い育ちだけど貴族としての訓練は受けていない。訛りからして同君地域の東部出身だと思う。服は大きさがあっていない古着だけど、仕立ては良かったから公爵家の女中の服とかかもしれない」
「そこまで見えるんだ」
「とはいえ詳しいことは何も。向こうは語りたがってないし、私達も聞くつもりはない。シェプのほうは?」
「うーん」
廊下で立ち止まって、シェプルスキアは少し考えた。
「笑顔が上手な人だったな、って」
「上手、ね」
「相手にどう見られるか、練習しているんだと思う。鏡があるとそう言うのが楽だから」
「ああ、確かにシェプの故郷だと鏡って難しそうよね……」
「立ち方とか剣の持ち方とか、一人で練習できるのはいいよ」
そういう目的で鏡を使う人は少ないだろう、と思いながら二人は階段を降り、また本を読み始めていた宿の主に一泊がいくらぐらいかを尋ねに行った。