異境の学びは痛切に感ず 1
馬車が止まり、手すりを掴みながら降りたテレナとシェプルスキアが雪が少し積もった地面を踏む。さっきまで小さく降っていた雪は止んでいた。
「それでは、ここまでありがとうございました」
テレナが小さく言うとウェイナは小さく微笑み、童女も軽く手を降った。
別れは短かった。御者は鞭を鳴らし、馬車は進んで道を曲がり、そして二人の視界から外れた。そして二人の側にはここからの案内役のラムズィンが静かに立っていた。
「どうだったか?」
ラムズィンが聞くと、シェプルスキアは難しい顔をした。
「ラムズィンのことは相手に伝えてあったからいいんだけど、追跡の一団はもう少し距離をとっても良かったかもしれない」
時折、ラムズィンは馬車と並走して馬に乗っていた。途中から合流した護衛だとは伝えてあったが、詳しいことは話していなかった。行く先の曲がり角を率先して見に行き、あるいは後ろの方に回って周囲を確認していた。
「ふむ、テレナ嬢は気づいたかい?」
「わかるわけ無いでしょう、そんな警戒を窓の布越しにする人は普通はいないわよ……暗殺を警戒していたとしても、特に西側では」
すれ違う馬があるなとは思っていた。ただ、認識できたのはラムズィンだけだった。それ以外にイウェラ連隊の人たちがいる思っていなかったのだ。場合によってはある程度遠くからついてきていたのかもしれない。
「ふむ、じゃあもしあっちの方で仕事があるならやりやすいな」
「一回か二回だけならね」
シェプルスキアは暗殺という手法の強さと、それが一度警戒されれば難しくなることの両側面を理解していた。相手の油断を使える機会は限られるのだ。だからこそ、色々な手口がある。
事故や流れ弾に見せかけるもの。遺体を隠すもの。あるいは、本当にここぞという時に使うもの。学院の中で引き金を絞る訓練をしている横では、いかにしてその銃を使う機会を逃さないかをシェプルスキアは常に考えていた。それはもはや習慣ですらあった。
「しかし、色々と良い訓練にはなりましたな」
「これからは護衛の訓練もついてくるよ、よろしく」
「わかりやしたよ、お嬢」
そう言って、ラムズィンは地図を取り出した。テレナの持っているものよりも、かなり詳しく書き込まれたものだった。
「ラムズィン、文字が書けるようになったのか」
「苦労しましたぜ?俺の息子より若いやつらと肩並べて坊さんの話を聞いていくわけだ。まあ楽しくはあるんだが」
「まああたしは文字上手になったからね、今ならいろいろな書類を自分で書けるよ」
「おっやっと忌々しい代筆人を辞めさせられるんで?」
ラムズィンの言葉に、テレナは少し眉をひそめた。
「シェプ、専門文書はそれなりに知識と技術が必要だから辞めさせてから困っても知らないわよ」
「ええと、そういうふうに指導役が仰っています」
「ならやめとっか」
そういうくだらない会話をしながら三人が歩いていくと、宿についた。
「ラムズィン卿、ここは事前に当てをつけていた場所なのですか?」
テレナが確認すると、ラムズィンは頷いた。
「ああ、行きの時に何人かで別の宿に泊まってな、宿のしてくる対応だの馬の扱いだの、あとそうだな、逃げ道もちゃんと確認してある」
「細かいところまで良く気を回しますね」
テレナが言うと、ラムズィンは頷いた。
「とはいえ少人数だからこそできる話だ。それに俺等みたいな荒くれ者が来たことは感づかれる以上、表向きにちゃんとした用事でもない限りはするもんじゃねぇな」
明らかに、それは軍のやることとは離れていた。傭兵であっても違うだろう。少人数で目的地に潜りこみ、そこの情報を集める人のことは一般的に密偵と言うのだ。
「うむ、ラムズィンは昔からこの手の謀りは得意だったからな」
「お嬢には負けますぜ、なにせ敵の将軍を」
「っと」
シェプルスキアは腕を伸ばし、ラムズィンを遮るようにした。
「その話は、ここではない場所で」
「……おう」
気圧されたラムズィンは、大人しく黙った。
テレナは扉をくぐり、周囲を見渡す。今まで泊まってきた宿と、基本的な構造は同じだった。ただ、その場所の雰囲気は大きく異なった。食事をしている人。何かを書いている人。札遊びをしている人たち。テレナから見れば、少なくとも屋敷にこもって仕事をしているような人間には見えなかった。そしてその全員が、シェプルスキアに視線を向けていた。
「久しぶりだね」
男たちの空気が変わる。テレナから見えたシェプルスキアの横顔も、学院で見るものとは異なっていた。
「目的地はティロ。足手まといの乙女一人を無事に送り届けるのが仕事だ」
男たちは軽く靴を床に叩きつけて音を立てる。それが重なると、シェプルスキアは笑みを浮かべた。
「そういうわけで足手まといです。よろしくお願いします」
「なお彼女は西側の賢者で学院でのあたしの大参謀だからね、そんな不埒な輩はいないと思うけど、もし何かあったら」
シェプルスキアは顎の下から上向きに手を動かし、伸ばした親指で顔の皮を剥ぐような仕草をした。
「というわけでテレナは安心してね」
「……はい」
それがシェプルスキアなりのやり方なのだった。テレナはいかに今までシェプルスキアが令嬢を演じていたのかを良く理解していた。刃物の柄を向けるのは、間違いなく配慮だったのだ。
「ところで、どこで寝ればいいの?」
「お嬢とテレナ嬢のために一部屋ここで一番上等なのを用意してあります、番は交代で一人となりますが」
シェプルスキアが聞くと、男の一人が椅子から立ち上がって言った。この中では若手であったが、それでもシェプルスキアより少し年上に思われた。
「そこまで警戒するの?」
今までの旅の宿ではぐっすりと寝ていたテレナがシェプルスキアにこっそり尋ねる。少なくとも、この街は夜の強盗に常に怯えねばならないほどの場所ではないはずだった。
「警戒は練習しなきゃできないから。いつもだらけている衛兵は、敵が近づいたときにもだらけてしまうものだよ」
「なるほどね」
「それとまあ、兵士ってやつは英雄の前ではいい格好をしたいのさ」
そう言ってシェプルスキアはにやりと、東方の領主らしい悪い笑みを浮かべた。かつてイヴェリャン団を率いた女性が、久しぶりに東方に帰ってきたのだった。