テレナには、最低限の軍事の心得はある。それは決して鍛錬の経験という形ではないが、父の背を見てちょっとした知識であればあった。
そして、荷車に揺られる彼女の前に映るのは、それを遥かに超えた水準の兵士たちだった。
「ねえテレナ、退屈じゃない?」
テレナが視線を上げると、馬に平然と乗るシェプルスキアがいた。
「いいえ」
二頭の馬が挽く荷車は、先日まで乗っていた馬車とは全く異なる乗り心地だった。雑に畳まれた東方系の文様が入った分厚い絨毯越しでも、雪と石の感触はやってくる。
決して、ここはいい道ではなかった。そのような場所では、当然ながら馬の足取りは狂う。それでもなお、テレナを囲うようにいる馬たちはその陣形を崩してはいなかった。
より正しく言えば、彼らは場所を入れ替わりながら周囲の警戒や道の確認をしていた。もちろん、テレナの父にはこのようなことはできない。乗馬は決して楽なものでないのだ。シェプルスキアの訛りのきつい冗談に大笑いしながら、雑に半身を後ろ向きに回しながら、馬を信頼したようにしつつちょっと速度を調整するなんて芸当ができるのは、熟練の騎兵と言ってよかった。
「イウェラ連隊の人たちは、ティロでどうするの?」
「エルガーツ連隊長補佐から色々と見てこいって言われているんで、街を舐め回すように味わってきますわ」
シェプルスキアのかわりにそう言うのは一団の中でも小柄な細身の人物だった。それでも馬の扱いにはそれなりに慣れているようだった。
「リベクは今は何だっけ」
そう聞くシェプルスキアに、リベクと呼ばれた男は革の小手がついた手を顎に当てて考える素振りをした。
「共和王冠国軍の街道整備委員会の南部方面出納係なんつう噛みそうなものやらせてもらってますわ、まったくただの流れ砲兵だっつうのに」
「どんな場所でも火薬を持ってきたリベクにちょうどいいんじゃないの?」
「まともな道が敵の倉庫だのから生えてくるなら苦労しませんぜお嬢、道っつうのはともかく人手が作るだけじゃなくて維持するために求められるんですわ」
「あーそっか、領主だとそれを維持するのが仕事なんだよね」
シェプルスキアが言うと、リベクは大きく頷いた。
「というわけでただでさえ足りない税がもう抜けてばっかですわ。まあイウェラ連隊に整備された道なんか与えたらもうどこだって行けますがね」
「こんなところに旅しに来ている余裕はあるの?」
「改めてみると街並みっていうのは面白いもんでしてね、誰が維持しているかがわかるんですわ。そういうのを見て持ち帰るんなら、数年分の仕事に相当しますぜ」
「なるほどねぇ」
議場学にもそういう話はありそうだな、とシェプルスキアの気の抜けた返事を聞きながらテレナは考えていた。目指すべき土地、ティロは大学の街であるが、もちろんそれだけではない。人が集まれば教会が建ち、商店が生まれ、裁判所や警察署が必要となる。そうすれば様々な階層が生まれ、場所によって道の使われ方も変わってくるだろう。
ただ、そこまで論じるような人はいないかもしれなかった。軍用の街道整備ならともかく、裏路地の補修について本を書いても誰が読むのかテレナには自分以外に心当たりがなかった。
「そうだ、ヴィンサートって言ってわかる?」
「かのヴィンサート将軍を知らないやつがいるか?」
「いやあたしは名前しか知らなかったし……」
周囲から笑い声が聞こえた。嘲笑というよりも、納得の混じったものだった。あるいは老いたことへの悲しみか、若いものへの妬みをそういう形でしか発散できない悲しさか。
「ともかく、そのヴィンサートから面白い贈り物をもらった。持ってきてないけど」
「なんだよお嬢、秘密にして隠しておこって算段か?」
馬車の上で揺れに耐えているテレナには、誰が誰に話しているのかもはや震えてわからなくなっていた。
「こっち持ってきたところで修理も手入れもする余裕ないからだよ単純に、繊細な銃だ」
「学院に行く前にシェプルスキアのお嬢が気に入ってたやつとは違うのか?」
「あの銃はすごいぞ、なんと弾丸を後ろから入れるんだ」
「その手の砲をあつかったことはありやすが、使いにくい代物でしたぜ?」
「連射速度と精度。引き換えにしたのは頑丈さ」
「なるほど、西側っていうのはお上品な戦いをするらしい」
「一応騎士団領で作られたものだって言ってたからこっちではあるよ」
冷海同盟は一般的に西側とされていたが、そこに加盟しているはずの騎士団領の扱いは難しいものがあった。歴史的には普遍派であるが今では抗議派も少なくなく、同君地域とも縁がある。北側世界の地図を描くときにも、冷海同盟の加盟地域とは少し色や塗り方を変えて表される土地だった。
古い騎士団の規律を残すと言われているが、実態はヴィンサートによって鍛え成された古い剣のようなものだ。ただ、どうしても錆は取り切ることができず、芯に残っていた。
「騎士団領なぁ、でもあそこヴィンサートを追い出したんだろ?」
「なんだよそれ」
「雰囲気悪くなったから辞めたって聞いたぞ、軍を変えようとしたら国を変えなくちゃいけなくなるわけだから、そのあたりで」
男たちの会話以上のことを、テレナも知っているわけではなかった。表向きの理由であればわかる。かつて学院が騎士団領内の将校学校を設立する時に手を貸した対価、という話だ。ただ、それが全てではないことはテレナにもわかっていた。
そして彼は、今や学院の将軍と言っても良かった。良く鍛えられた兵と、古いが頑丈な要塞。そして北側世界につながる援軍がいる。それでもなお、学院を陥落させることは可能だった。
シェプルスキアの狙撃の補佐をする中で、テレナはある程度だがヴィンサートの見ているものを理解していた。交渉相手にならないなら、相手の指揮官を消してしまうことで統制を崩すという非道とも言える手札を手元においておかねばならない盤面なのだ。
そういえば学院には