「……どうだった?」
テレナは少しだけ緊張しながらシェプルスキアに聞く。
「いいんじゃない?」
「よかった」
シェプルスキアの机の上に置かれた紙束は二つ。どちらも議場学を踏まえてテレナが書いたものだった。
「でもさ、これをそのまま両方が受け入れるほど甘くはないよね?」
「当然。でも、まだこれはどちらも持っていないから」
統合王国の現状の分析は断片的であるがされていた。あとはそれにテレナの知識を入れ、少しだけ扇動を混ぜ、そして今の状態をより良く、あるいはよりマシにするために必要なものが書かれているのだ。
ただし、それを受け取る相手をテレナは二通り考えていた。一つは今の統合王国の学院派を中心とした官僚集団。そしてもう一つは、「墜ちる灯火」の作者たちに。
「ところで、これは届けられるの?」
「アニドがそのあたりはうまくやってくれるでしょう」
「ひどい……」
「仕方ないでしょう、統合王国の中の話は私も良くわからないもの」
テレナの生まれ育ったエルンツィンガー伯爵領は統合王国からそう離れているわけではなかった。多くのきらびやかな宮廷文化が、軍人であった父に多少の作法を学ばせる程度にはやってきていた。ただ、それでもやはり宮廷社交界の様子はどうしてもわからないことが多かった。
「だから、これもそのまま受け取られるとは思っていない。でも、これを取り入れるのは悪くないと思える程度のものにはなっているはず」
テレナは統合王国の完全な破綻を止めることはできない、という結論に至っていた。もちろん、統合王国が完全に分割された諸地域となることを前提としているわけではない。しかし今の王室が何らかの形で譲歩を、変化を、あるいは消失を求められることは理解していた。
その時に、最悪の事態を避けるために彼らは動くだろう。そこに信頼はある。いくら崩壊しそうとは言え、西側において唯一の大国家なのだ。そこで全てが混乱に陥ることを避けるためなら、かなりの譲歩がされるだろう。
そこで恐れるべきは、「墜ちる灯火」の内容がそのまま導入されることだ。理念は素晴らしいが具体的な実行方法について何も書かれていないそれを形にする人々がいるはずなのだ。少なくとも、そこに思い当たっている人物は多数派ではないことがアニドの手紙を読んだテレナには伝わっていた。
「テレナのやろうとしていることはなんとなくわかったよ、どっちになってもある程度相手の策略を使い回すことができる。部隊を二つに分けて功を競わせるようなものだよね」
「近いとことはあるわね。相手の行動に対応すれば、互いに少しはまともな統治体制を構築する必要が出てくる。運が良ければ、軍を解体せずに、それに加えて市民兵でも加えてハッヘンヴルト家の浅慮を止める程度のものになってくれる」
「……それが同君地域に向かうとは思わないの?」
シェプルスキアに言われて、テレナは息を吐いた。
「その可能性は高い。内側で争わないためには、外に敵が必要だから」
テレナは図書館で読んだ講義の書き起こしを思い出していた。あと一歩のところで崩壊を免れそうな領地があった。敵に攻められる中で制度を急いで整え、若い才能を登用し、そして成果が出始めた所だった。結局は城を捨てることになる話だったが、もし決戦の結果が変わっていれば彼は英雄となっていただろう。
内部の争いは自動的にハッヘンヴルト家に弱みを見せることになる。ならばもし、その争いの力が外側に向けばどうだろうか?別にそう長い期間である必要はない。新しい国家として必要な体制が揃うまででいいのだ。
「……テレナ」
「わかってるわよ、無茶に無茶を重ねた計画だなんてことは。ハッヘンヴルト家はもうどうしても、何があっても動くことになる。それを伯爵令嬢の、あるいは伯爵夫人の私は止められない」
同君地域におけるハッヘンヴルト家の権力は強いものだったが、同時に曖昧だった。ハッヘンヴルト家の命令に逆らうのは難しいが、異議を唱えるための正式な方法があるわけではない。統合王国であれば、そのような方法は一応は存在していた。
君主と臣下の関係は相互的なものである。すなわち、君主が道を誤りかねない時には、臣下はその身を張ってでも止めることが求められるのだ。今の同君地域においては、形骸化された制度と非公式な、しかし強い力を持った命令しかない。
「だからこれは、学院の学生としての、私だけの戦いになる」
統合王国とハッヘンヴルト家を衝突させないこと。そのためには、今の体制をまともに機能するまで戻すか、あるいは市民とやらの力を借りたという形を取って内部の制度の表面を変える必要があった。
もし上手く行けば、統合王国は真に統合されることになる。文字だけの絶対権力を持った王ではなく、貴族と市民からの信任を受けた王が誕生するのだ。その王として今のルメン八世はふさわしくないかもしれないが、テレナには一人心当たりがあった。
すなわち過激な角灯主義者たちと何らかの繋がりを持ち、既存の貴族を納得させることができる程度の血の強さがあることだ。学院の卒業生であり、今はフェルヴァジュ管区の僧となっている。
「ルメン・デリロスの即位か、代議士長への就任。統合王国を崩さないためには、そして既にある『墜ちる灯火』の流れを使うためには、そうするしかない」
三男の即位はないわけではなかったが、決して容易なものではなかった。ただ、もし十分な政治的圧力があればそれは成し遂げられるだろう。
「だから王の権力を削るか、代議士の力を強める必要がある。結局はやることは同じで、統合王国を文字通りに統合するために両方の陣営には動いてもらう」
テレナの頭の中で、盤面は既に切り替わっていた。それは貴族の四派閥の争いではない。市民という新しい駒の存在を認め、それを組み込んだ戦略が必要となっていた。
「……ちょっとでも間違えたらさ、テレナが言ってたような怖いことが起こるよ?」
「ええ。外部との繋がりも必要でしょうね。統合王国の陣営とみなされず、しかし学院派と思われるような役者が」
「……それを、やろうっていうの?」
シェプルスキアにはそれがテレナには向いていないものだと知っていた。もちろん、テレナはそれを成し遂げるための最低限の才覚はあるだろう。それでも、向き不向きはあるのだ。
「貴族だから。生まれ育った領地と、新しく治めることになる領地に、火を飛ばさないためにできることをする責務があるの」
それは市民の心というものを家庭教師から教えられたテレナにとっては強がりに過ぎなかった。ただ、そうして笑ってでもいない限り、テレナはもし自分の眼の前で火が燃えた時に耐えられる気がしなかった。