「あれは何をやっているの?」
テレナはシェプルスキアの隣で言う。馬に乗った青年と、軽装だが威圧感のある壮年の男。
「なんかいい男がいたから色々教えているらしい」
「親切なことね……」
本来は言葉の壁があるはずだが、同君地域においてはそのようなものはしばしば無視される。市場で言葉が通じないはずなのに値切りと取引が成り立つというのは珍しいものではない。
それはもちろん、いくつかの理由がある。共通している最低限の単語、あるいは共通している表情や声色、身振り手振りの概念。
テレナが馬に乗っている人物を見ると、知らない人ではなかった。若い騎士であり、伯爵家に長らく仕える一族の一人である。
『ラムズィン卿、あまりうちの若いものをいじめないでやってください』
そう言って、テレナは二人の正面から、しかし馬を怯えさせないような位置取りに注意しながら言う。
『いやシェプルスキア嬢、彼は見込みのある男だぞ。馬も悪くないし、この地にいるにはもったいない』
気軽に行ってくれるな、とテレナはため息を吐いた。騎士の青年は混乱したような顔で、しかし主君の娘に頼って良いものかという悩みを持っているのがテレナにはわかった。
「ええとこちらはラムズィン卿、かつてイヴェリャン団で騎兵中隊の隊長だった方」
『ラムズィンだ、よろしく頼むぜ』
「ええとテレナお嬢様、これってどちらのほうが……立場として上なのでしょう」
「共和王冠国の制度としては一応は彼は領地を持った貴族よ」
このあたりの問題は非常に複雑だった。統合王国において発展した複雑な外交儀礼は上下関係を前提にしたものが多かったが、それはある意味で統合王国における爵位の制度を押し付けるような形になっていた。
そしてそれこそが文明的なものとされているのである。騎士として最低限の儀礼を身に着けなければならない青年にとって、学んだことも経験したこともない立場の相手への振る舞いは難しいものだった。
「ええと挨拶の順番とか……」
「それを決めていたら半日はかかるわよ、無礼は私のほうから彼に言っておくから」
「……ありがとうございます」
『というわけでラムズィン卿、若い騎士なのでなにか無礼があるかもしれませんが、ご寛容を』
『いやなに、無礼はこちらのほうよ』
テレナは通訳をしながら、互いがそれなりに言葉を寄せていることを理解していた。相手から歩み寄れば、多少の言葉の壁を超えることはできる。もし教養があれば聖語での身近な挨拶ぐらいは飼わせたのだろうが、それを田舎伯爵に仕える騎士と東方の傭兵団に求めるのは酷だった。
「それでラムズィン卿は、あなたになにを?」
「たぶん馬の乗り方に指摘が入ったのだと思います。背筋をそらして、歩かせる時も踏みつけるように、と」
そう言いながら、騎士は手綱を操った。
『つまり、ある意味では見栄えを彼に指導していたのですか?』
『そういうこった。確かに行進ではいいのだろうが、騎兵としては微妙だからな。美しいのは認める。馬の扱いも上手い。だからこそ、彼はもっと恐れられるような動きを覚えるべきだ』
『……御指導、ありがとうございます』
『よせやい、老兵のおせっかいだよ』
「なので、彼からよく学んでおいてくださいね」
「お嬢様がそう言うならそうしますが……」
「戦場で味方の心を奮わせ、敵の心をくじくのが騎兵の役割です。そして彼らはその道においては我々の先人。学べるものは学ぶべきですよ」
「わかりました」
『それじゃあ若いの、馬を多少焦らせるようにしてみな。なぁによくわかっている馬だ、やりたいことはわかってくれるさ』
そういうふうに指導を受けつつ言われたように試してみる騎士を見ながら、テレナは少し下がってシェプルスキアのほうに戻った。
「どう思う?」
「んー、まあ若いのにしてはそんなもんか、って感じ」
「男の誰もが馬に乗っているような場所じゃないのよ。世話から一人でやらなくちゃいけない」
「……ああそっか、こっちだとそもそも馬の数が少ないのか」
シェプルスキアはどうしても自分の領地を基準に考えてしまいがちだったが、ツィノドという地はかなり特異なものだった。騎兵を中心とした傭兵団が入るためにはかなり広い土地が必要だったし、その場所では騎兵のために経済構造が切り替わっていた。
「そう。そして彼らは主に見栄えを求められる。土地がなくとも馬があれば、騎士として認められるのよ。鎧でもつければいいのだけど、ちゃんとしたものはどうしても高いし練習が必要になるからね」
「それでもあの胸当ては綺麗だと思うよ」
シェプルスキアはよく磨かれた騎士の胸当てを見ていった。それに防弾効果がないことはわかったが、それでも刃をそらす役には立つはずだった。
「ええ。綺麗なだけ。実戦を考えるなら革の外套でもいいぐらいよ」
「十分だよ。流れ弾は避けられないものだから、狙われるよりも先に動けって考えるのはありだよ」
「こういうときに専門家の意見が微妙に当てにならないのは難しいわね」
「仕方ないでしょ、あたしのやり方は見せないほうが得意なんだから」
シェプルスキアは威圧の価値を理解していたが、正直なところ上手く使えているとは思っていなかった。若い女性の声というのは、どうしてもそれだけで侮られてしまう。シェプルスキアも騎兵たちを率いることはあったが、その時に後ろからついてきた兵たちはシェプルスキアをよく知っている人だった。
「でもまあ、彼を連れて戦場に行くのはちょっと怖いかな」
「……そうよね」
「戦場を経験しているのかな」
「さぁ。私がいない間に一回ぐらい流行ってもおかしくないけど、戦場に行っても会戦に出たとは限らないから」
「なるほど。まあ、それはきっといい騎士とか兵とかなんだろうね……」
シェプルスキアは自分たちの連隊が血から逃げられないことを知っていた。共和王冠国への忠誠と献身を示すために、彼らは血を流す以外の方法をまだ知らない。だからこそ、シェプルスキアは学ぶ必要があったのだ。
死を恐れないとは言わない。けれども、必要な時には戦わなければならない。しかし自分の立場を得るために戦うようになってしまえば、その先に待つのは破滅だ。そういう傭兵団は少なくなかった。ある意味ではイヴェリャン団は臆病だったからこそ、傭兵の黄昏の時代にそれを辞める覚悟ができたのだった。