角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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絶望の中に指針は揺れる 4

レイルグという少年は、それなりに議場学を学んでいるつもりだった。ただ、実際の統治を行っている様々な人の話を聞く度に、自分の知っていることがわずかなものに過ぎなかったのだと思い知ることになっていた。

 

「……所詮は、紙の上の染み、か」

 

様々な議論を交わした。レイルグがかつて本で読んだ同君地域のとある裁判所の制度を語れば、かつてそこで働いていた人が呼ばれて具体的な説明をしてくれた。統合王国の貴族制度についての議場学的解釈を口にすれば、実際の作法を見せてやると伯爵が自ら食堂で給仕をしてくれた。冷海同盟の取引について述べると、実態との差異とその隙間を埋めるために培われた財務的な技術についての議論があった。

 

それはレイルグが学院に来て学びたかったものであったし、同君地域の議場学者と、彼らと繋がりを持つ学院の卒業生が彼を推薦した理由でもあった。ただ、まだ第一学年の彼の心は度重なる挫折を常に乗り越えられるほど強いものではなかった。

 

アニドの励ましも、あるいはフュルシーアの言葉も、時折彼には届かなくなっていた。それでも彼は再起不能となるほどには折れなかったし、学んだことを通して議場学という学問が全体的に見れば悪くないものであることを理解するようになっていた。

 

「探したよ」

 

そう声をかけられてレイルグが目を上げると、自分より背の高い先輩がいた。

 

「……シェプルスキア先輩」

 

「疲れてる?」

 

「ええ、色々あったので」

 

「そっか、じゃあ質問は明日にしたほうがいいかな」

 

「……いえ、聞くだけなら今でもいいです。すぐに答えられないかもしれませんが」

 

そう言ってからシェプルスキアの格好を見ると、学院の制服をただ羽織っただけでさっきまで旅をしていたのがわかるものだった。

 

「あのさ、エルガーツに色々教えてくれたそうだけど」

 

そう言われてレイルグは頷いた。彼とは言葉が通じたし、なによりエルガーツは様々なものを見ていた。その視点は傭兵として、あるいは参謀としてのものに偏っていたとは言え、議場学において軍事の果たす役割は決して小さなものではない。

 

もちろん、経済や法、あるいは産業を重要視する人々からは軍事は嫌われていた。若者を奪い、何も生み出さないどころか荒廃をもたらし、そして戦争の法は平時の法と整合性を取るのに苦労する代物だ。ただ、同時に彼らは軍がなければ経済も法も、そして産業も維持できないことは良く理解していた。そうでなければ、彼らは軍を最初から無視できていただろう。

 

「……ええ。同じぐらい彼には色々と学びました」

 

「冷海同盟が総権国と毛皮とか取引してどっちも得したみたいな話を聞いたけど、あれって他のところでも使える?」

 

「また難しいことを聞いてきますね……」

 

その話題は議場学で色々と疑問視されている問題であった。議場学の基本的価値観では、そのようなことは起こり得ない。すなわち今ある議場学が間違っているか、あるいは冷海同盟と総権国の関係が例外的であるかのどちらかとなる。

 

そしてたとえ例外的であったとしても、その原因は探られなければならない。複数の意見があったが、レイルグはどれも納得していなかった。

 

「どこまで聞きました?」

 

「港街が総権国に取られて、輸出品の値段が高くなって、総権国からいっぱい売られるようになって、冷海同盟も儲けた」

 

「だいたいその通りです、具体的な金額の話をすると面倒なことになりますし、今手元にそういう資料がないのであくまで一般論しか話せませんが」

 

「あれってさ、ただ単に高く買えば相手がもっと売ってくれるというわけじゃないよね?」

 

「その通りです。例えば冷海同盟ではよく投資の話がありますが、利益の一部を伸びやすい分野に還元することで更に生産を増やす、というのがあります」

 

「畑だったら水路作ったりいい農具揃えたり、あとは境界を作り直したりみたいな?」

 

「その通りです。船を買うこと、新しい装置を入れること、あるいは人を更に雇うこと。どれもお金がかかりますし、簡単なことではありません」

 

「うんうん」

 

シェプルスキアは頷いていた。彼女が治めるツィノドにおいても、そのような改革はゆっくりと進められていたが多くの混乱が伴っていた。信頼と実力のない領主が行う改革は大抵失敗する。テレナから色々話を聞いた限りでは、彼女の家庭教師のウィルトールは信頼を得た上ですぐに見える利益を出すという実力を持っていた男のようだった。

 

「だから、普通はそういった値上げで生まれた利益というのはどうでもいいことに消えるんです。だからこそ互いに値切る事を前提に交易をすべきだ、というのが議場学の基本理念でした」

 

「出ていくお金の無駄を減らそうってこと?」

 

「はい。裏返せばこれは手元にお金があってもどうせ領主はどうでもいいことに使うということでもありますが」

 

「……否定はできないね!」

 

シェプルスキアは言う。領主と領民の間では、どうしても価値観の違いが存在する。一方にとって必要と思われることが、他方にとってそれほど重要ではないと思われることもあるのだ。それに人間が道楽に溺れるのは珍しい話ではない。

 

「だから冷海同盟と総権国の話は、そこから見れば例外ではないかという話があります。軍事力を背景にした値上げの成功、得られた利益を税として吸収して、さらに投資に回せるだけの女総権者の力。さらに増えた交易物をきちんと売りさばける冷海同盟の販路。これらが揃って始めて成り立つのであって、安易に一般化するべきではないものであると」

 

「うーん、そんなものかな」

 

シェプルスキアはどこか引っかかる気がしていた。

 

「ええ。単純に支出を削り、収入を増やせばいいという考え方が揺らいでいるのは間違いありません。ただ、原因がきっちりとわからないとただの浪費の言い訳にされてしまう以上、議場学をやっている身としてはあまり詳しいことは言えなくて……」

 

「ともかく、きちんと投資に使うからって言えば融資を引き出すことはできるかもしれないってことだよね」

 

「それをどう担保するかの問題もありますけどね。例えば株とかだと出資者たちが損を分担するので失敗を恐れず挑戦できる一方、成功への意欲が欠けるという意見もあります」

 

「難しいな……」

 

ツィノドでそういうことをやるとしたらどのぐらいにしておくべきだろうかと考え、シェプルスキアはひとまず満足した。

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