角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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絶望の中に指針は揺れる 9

人のいない、夜の教室。机の上には会議で使われた地図が残っていて、窓から差す月明かりがそれを照らしていた。

 

それを正面から見据える位置の椅子を引き、シェプルスキアは腰を下ろす。

 

「じゃあ、あたしたちの旅を辿ってみようか」

 

その声を聞く人はいない。けれども、シェプルスキアはそうでもしないと考えることが難しかった。テレナのようにできない苦しさはあったが、シェプルスキアはその面倒な感情を丁寧に脇にのける。

 

「今回ティロから学院のあるケラフェツまで向かったわけだが、この期間はあくまで荷車を引いてものだよね。ただ馬走らせるだけならもっと日数減らせるし、荷物とかなら馬を変えながら行けるからさらに短くなる。女総権者がやっているのはそういうこと」

 

シェプルスキアはそう言いながら指を動かしていく。通っていく街の名前は、かつてであればシェプルスキアには想像もできなかったものだ。今は、その背景や関係までを説明することができるようになっている。

 

学院は大学に比べれば、暗記の少ない場所と言われている。ただ、どのような知識にしてもそれを積み上げるためには土台が必要だった。シェプルスキアも得意というわけではなかったが、唱えていけば多少は頭に残るようにはなっていた。

 

そうして改めて地図を見ると、知っている名前が多かった。かつて物語で聞いた古戦場がそこにはあった。地形と街道を見れば、ある程度の理由がそこにあることもわかった。相手の意表を突き、想定していない場所で戦いを挑むということは例外的だし、うまく行ったから語られるのだ。そうでないもののほうが、圧倒的に多い。

 

シェプルスキアは学院での知識、旅の過程で見たもの、そしてもともとあったイヴェリャン団時代の指揮の経験を組み合わせて、今まで見ることのできなかったものを見ることができるようになっていた。

 

結局のところ、軍隊とは人の集まりだ。ある程度大きい交易団ですら、移動には苦労する。もし複数の連帯を束ねた規模ともなれば、その人数と動きにくさは更に膨れあげる。先頭で銃を持つ歩兵が、馬が引く砲が、火薬と食料とその他の雑多なものを積んだ荷車が、補修と整備と治療のための専門家が、そこには必要とされる。

 

イヴェリャン団は、もともと移動に慣れていた。遊牧の経験は、具体的な知識をイヴェリャン族にもたらしていた。軍隊と同じ速度で動くことのできる後方の存在は、今の北側世界が持つ一般的な軍隊に欠けるものだ。しかしそれを広く運用することはできない。

 

シェプルスキアは授業を思い出す。その土地に何があるか。大きな街。広い草原。荒れた山岳に、深い森。人が移動しやすい場所と、移動しにくい場所。川沿いはいいものだ。船があれば多くの荷物を一気に運べるし、水の確保もしやすい。船を持たないイヴェリャン団は後者の観点から川を見ることが多かったが、共に戦った、あるいは敵対した地元の軍隊の中には川を巧みに利用するものもいた。

 

「ほんとはテレナに軍史でも読んでもらうのがいいんだけど、覚えている範囲で言っていくね」

 

誰も聞いていない教室の中で、シェプルスキアは国家規模の軍の動かし方を考えていく。会戦があったということは、双方の軍がそこまで移動したということだ。つまりその通り道にあった村は徴発を受けていることになる。

 

徴発は難しい概念だ。それは事実上略奪と同義語であることも珍しくない。しかし、そうではない例は確かにあった。領地内の通行を拒否できるほどの領主がいた。彼はシェプルスキアの父であるアズドと長い交渉をして、農作物の供出をする代わりに傭兵団に対しての支払い義務を課した。

 

もちろん、大抵の場合はそのような契約のための書類は紙切れとなって終わる。契約が遵守されるのは、契約を破った時に受けるものが存在するからだ。それはより強い力の行使であり、信頼の損失による取引先の喪失であり、あるいは名誉への傷であった。

 

領主はイヴェリャン団が、勝てぬほどの力を持つが、信頼と名誉の中に生きている事を見抜いていた。契約を違えた傭兵は信頼を失う。はるか東方より受け継いだ伝統は、一族を超えた傭兵団を束ねるために不可欠な名誉の概念を産んでいた。

 

結局、イヴェリャン団はあまり多くなかった傭兵団としての報酬の一部を用いてきちんと支払いを行った。それは珍しい行為であったし、傭兵団らしからぬ行動として多様に評価された。

 

「だからさ、もし市民が力を持つなら、そのあたりの噂ってのは多分重要になってくる」

 

軍隊にとって慈悲を見せることは、甘さの裏返しでもあった。しかしそれでも、寛容と解釈することもできる。ただでさえ金のために働く傭兵にとって、敵以外を安易に殺し、敵以外から安易に奪うことはその負荷を増やすものだった。

 

死に触れ続け、狂わないものはいない。その狂気なしにたどり着けないところに居続けるのは難しい。ましてや、正気の領主のような領地の問題解決を行わねばならないとすればなおさらだ。

 

しかし、イヴェリャン団はそれができるだけの力があった。少なくとも、シェプルスキアは彼らの代表としてそう信じていた。

 

「部隊をばらばらに動かすなんてことは、してこない。もちろん集めると補給は難しくなるけど、個別にやられることがないならどうにでもなる。特に確かこのあたりは麦が多く取れたはずで……」

 

シェプルスキアの予想は熟練の指揮官には及ばない。彼らが十年以上かけて考えたものに、シェプルスキアの数月の思考は追いつけない。けれども、その問題はある程度解ける範囲にあった。既に多くの実証が行われ、多くの血が同じ場所に流れていた。

 

「ここと、ここと、ここ。有利不利を押し付け合いながら、双方が同じぐらいの、大きな規模で戦うなら、場所はどうしても限られてくる」

 

総権国と共和王冠国の間の西方に比べれば線が整っていない地域を見てシェプルスキアは言った。ふと、その比較対象となりうる統合王国と同君地域の境界を見る。

 

「……テレナが困るのも、当然だよね」

 

そう言って、指を動かしながら会戦に至るだろう場所を指でシェプルスキアは撫でる。その範囲の中には、小さなエルンツィンガーという文字もあった。

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