角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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陰謀を騙りて学生は綴る 3

「いい部屋ね」

 

教授室の奥の部屋の来客であるエネトは、そう言って部屋の中を見渡した。

 

「まだこれらか準備をしていくことになりますけどね。あの地図もちゃんとしたものにしたいですし」

 

テレナは壁にかけられた自作の統合王国全体の地図を見て言う。色のついた紙が針で刺されており、今の時点でアニドがやり取りをしている人がどこにいるかわかるようになっていた。

 

「それで、私にやってほしいことは?」

 

「フェルヴァジュ管区の大掃除」

 

そう言って、テレナは隣のアニドを見る。

 

「……エネト先輩に話す必要があるかはわからないですが、統合王国における聖職者は結構碌でもないやつが多いです。特に貴族崩れは」

 

「そうやって勢力を拡大してきた側面もあるし、なにより実際の様子を知っている人を無下にするほど私も、私達も傲慢にはなっていないはず」

 

エネトは聖座の中で育った人間だ。自分の生まれを詳しく知るわけではなかったが、もし貴族の血を引いていたとしても表立ってとは言えない立場であるのは間違いなかった。彼女に才覚が無ければ、リュクバーンに見出されることなく地方の教会の修女としてその生涯を終えていた可能性は高かった。

 

だからこそ、エネトはあくまでその人が何を成していて、何を知っているかを重視した。それは教会で農民に語りかけ、様々な話を丁寧に聞くリュクバーンから学んだことでもあった。

 

「とはいえ、そいつらが第三王子の威光に逆らうことは難しいはずだ。権力を振りかざすものにはより強い権力を。まあデリロスの兄貴には迷惑をかけるが」

 

「私の仕事になりますね。彼はまだ修行中の身ですが、私が卒業したらそういうことができる部門に配属されるようおじさまから手を回しておきましょう」

 

「行けるのか?」

 

「ここしばらく統合王国での説教も多かったですからね」

 

微笑むエネトを見て、テレナは彼女の師匠の腕前に恐怖していた。言葉で人を動かすは、そう簡単な話ではない。多くの利害関係が絡む貴族と教会の上層部であればなおさらだ。テレナの家庭教師であったウィルトールも話の上手さで多くの問題を解決したが、そもそも彼は統合王国の社交界を追われた人物であった。

 

「……凄いものだな」

 

「ちゃんと話を聞いてくれる敬虔な方々が多いですからね、統合王国は」

 

「嫌味か?」

 

「そうでない人はたしかにいますけど、その分きちんとした信仰を持ちながら隠れている人も多いのですよ。そういう人々にあなたのやっていることは間違っていない、あなたの正しい行いで救われる人もいると語るのです」

 

「……枢要僧の立場にいるだけのことはあるな」

 

アニドが呟く。

 

「さて、そういうわけでエネト先輩には本当に色々頼むことになります。最悪の場合、聖座が統合王国の情勢の調停者として動く必要もあるかと」

 

「それは難しいと思うわよ、テレナ嬢」

 

「どういうことです?」

 

「……教会はね、あなたの思っている以上に嫌われているの」

 

エネトはそう言って、軽く目を閉じた。

 

「教会は不正な富を蓄え、特権を貪っている。彼らは働かずして農民の産物の一割を手にすることを許されているが、彼らは我々にパンを分け与えて配りはしない」

 

「せめて友を作る事をすればいいのに」

 

テレナは呆れながら言う。

 

「作った友が貴族なのよ、だからおじさまは足元を見るべきだと言っている。……いえ、こういう言い方はしなわね。それは彼らが跪く側だと言っていることになる。そのあたりの言葉をまだ私は使いこなせていない」

 

「……やはり、市民についてはリュクバーンに任せるしかないのか?」

 

アニドに、テレナは軽く首を振った。

 

「市民というのを一つのものとして捉えないほうがいい。数が多いということは、それだけ多様だということ。だから一つの方法で対応しようというよりも、様々な方法で動かしたほうがいいと思う」

 

「でも例の本は、たった一つで市民を変えてみせたぜ?」

 

「あれを読める人が市民の大多数だと?……違うのよ」

 

テレナは領地を巡ったことがあった。だから知っていた。アニドがそれを知らないのは当然だった。多くの貴族がそうだろう。リュクバーンですら怪しいかもしれない。テレナとて、個人としての市民を弁舌で動かせるほどの力を持たない。

 

「そういうものか?」

 

「宮廷社交界に出ることができる市民はほんの一部。そして彼らは行動を起こす前に考えることのできる理性をまだ持ち合わせている。恐ろしいのは都市の普通の職人が、商人が、宿屋の主人に掃除夫が、武器を持って倒すべき敵を見たときよ」

 

それはテレナの体験によるものではなかったが、そのような例はいくつか知っていた。ティロで学んだ議場学を通して分析された失敗は、実際に領地を見て回ったテレナからすればありえないわけではないと理解させるのには十分なものだった。

 

「だからこそ、教会の、普遍派の、聖座の力は重要になってくる。突き動かされた人々のうち、数が多い人々はまだ教会を頼っている。数の少ない人々は、貴族のやり方で対処できる」

 

「そうでない人はどうするの、テレナ嬢」

 

エネトはテレナを正面から見て尋ねる。

 

「……最低限の力は必要になる。できるだけ血を流さないようにしても、限界はある」

 

治安の維持というものは難しい。重税に耐えかねて蜂起した農民たちが敗北した場合、首謀者は吊るされねばならない。もちろん、微妙な例外は少なくない。あるいは彼らの生存を確保することで交渉することもできるだろう。しかし、それらはあくまで例外というべきものだった。

 

どちらかに血が流れれば、それは止められなくなる。テレナはそれをあくまで知識としてしか知らない。シェプルスキアにとっては血は日常に過ぎない。

 

「ああ、それについてはまだ行けるだろ。先王が何をしてきたか知らないのか?」

 

「……反乱を、それと気取られずに鎮圧できると?」

 

「ルメン七世のやったことは膨大だ、それは表向きの粛清だけじゃない。それは重要な道具だったが、それ以外にもあの爺さんは色々な手を使ったのさ」

 

アニドにとって、その人物は滅多に顔すら見ることのできない祖父であった。出来の悪い息子が愛人と作った庶子など、彼にとっては興味を持つべき対象ではなかった。そしてアニドが物心つくかつかないかで王が変わったために、アニドは彼と話したことすらない。

 

しかし、その影響と手口はよく知っていた。だからこそ、統合王国が今すぐには崩壊しないという確証があったし、それがずっとは続かないことも深く理解していた。

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